第8話 幸せな場所へ 5

 土と草の香りを感じてシゲルがゆっくりと目を開けば、血の気の引いたノノの姿が見えた。


「おはよう、あまり眠れなかったかな?」


 無理もない。魔除けの炎があるとはいえ、ここには人を食らう魔物がひしめいている。

 そんな場所で毛布もなく寝ようとすれば、深い眠りなど訪れるはずもないだろう。


(僕の体力を強化するよりも、ノノくんの毛布を購入するべきだったね)


 昨日の自分の行動に後悔のため息を吐けば、ノノがぷるぷると首を横に振った。


 表情をこわばらせたまま、ノノが洞窟の入り口を指差して見せる。


「おや……?」


 クルリと振り向いた先に見えたのは、むき出しの土の上を跳ねる半透明の塊。

 日本でも有名な雑魚キャラがそこにいた。


「スライムかい? でもどうしてこの中に……」


 心の中で首をかしげながら宙に視線を向ければ、浮かんでいるはずの炎の姿がない。


「説明には12時間と書いてあったんだけど……」


 湧き上がってきた疑問をそのまま口に出せば、ノノの肩がピクリと振るえた。


 その瞳には明確なおびえが見え始め、泣きそうな視線で見上げてくる。


(ん? あぁ、なるほど、間違えて消しちゃったのかな?)


 湧き上がってくる苦笑とさみしさを胸にノノへと近づき、ギュッと目を閉じる彼女の髪に手を伸ばした。


「すぐに倒しちゃうから、ちょっとだけ待っていてくれるかな?」


 ピクリと振るえる彼女の髪を優しくなでて、背を向ける。


「……おしおき、……しないんですか?」


「キミが生きていてくれたからね。僕はなにを怒ればいいのかな?」


 そんな言葉と共に剣を握りしめて、地面を蹴った。


 こちらの様子をうかがうように体を沈めていたスライムのもとへと飛び込み、すくい上げるように切りつける。


 剣術のレベルを上げたおかげだろうか?


 昨日よりも滑らかに体が動く気がした。


「安らかにお眠り……」


 スライムが動くより先に、切っ先がゴムのような体に突き刺さる。


 大きな抵抗も感じずに、スライムの体を2つに切り裂いた。


 ペチャリと地面に潰れる姿に注意を向けながら、1歩、2歩と距離を取る。

 昨日の二の舞にならないようにと心がけてはいたが、杞憂に終わってくれたらしい。


「<収納>。……怖い思いをさせてごめんね」


 スライムをアイテムボックスの中へと放り込み、クルリと振り向けば、胸に手を当ててうつむくノノの姿が見えた。


 その瞳には大粒の涙が浮かんでいて、今にも決壊しそうに見える。


 そんな彼女に近付けば、消え入りそうな声が聞こえてきた。


「ごめんなさい。わたし……、わたし……」


 視線をさまよわせる彼女の腕を引き、その体を強く抱きしめる。

見た目より遙かに軽い痩せすぎた彼女の体が、些細な抵抗すら感じずに腕の中へと収まった。


「大丈夫。キミが生きているのなら問題なんてないんだよ。僕が必ず幸せにするからね」


「……、ありがとうございます」


 泣きじゃくりながらも、透き通った声で答えてくれた。




 泣き止むまで髪をなで、落ち着きを見せた彼女の手に妖精のリンゴを握らせる。


「食べながら進もうか。お行儀が悪いけど、ここなら誰にも見られないしね」


 そんな言葉と共に片目をパチリと閉じれば、口元を緩めてクスリと笑ってくれた。


 連日リンゴだけと言うのも申し訳ないのだが、残る食材は倒した魔物の肉ばかり。


 これまでの食生活のダメージが残っている可能性が捨てきれず、医療機関もないこの場所で肉を食べてもらうのはためらわれた。


 そんなシゲルの不安をよそに、妖精のリンゴを両手で握りしめたノノが、大きな口を開けて紫色の皮に歯を立てる。


「甘くておいしいです。私、シゲルさんに拾ってもらえて、すっごく幸せです」


 シャクシャクという心地の良い音に続いて、ノノが優しい笑みを浮かべてくれた。


「……ふふ、そうかい? それは良かったよ」


 そんな彼女の髪をくしゃりとなでて、前を向く。


 自分用に取り出した妖精のリンゴにがぶりと歯形を付ければ、芳醇な香りと共に爽やかな気持ちが口の中に広がった。


「それじゃ、そろそろ行こうか。今日は素敵なベッドで眠らなきゃね」


「……楽しみです」


 洞窟を抜けるノノの口元には、期待の込められた無邪気な笑みが浮かんでいた。

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