第13話 珂雪


ずっと、雪のある場所しか知らなかった。

他の郷を見る機会が訪れるなんて、夢にも思わなかった。

この静謐せいひつの外にある世界を見れるなんて。



「「氷花」を試したのは、よくなかったね」



春の郷からやってきたという四獣が去った後、

彼女の主——《柊の宮》は、そうつぶやいた。


「いけませんでしたか」


珂雪はそう言って、首をかしげてみせる。


「氷花」というのは、彼女の「禁じ手」の名だ。

他の郷の四獣に会う機会など、滅多にない。

彼女にとっては、挨拶代わりのつもりだった。



「禁じ手は、むやみに試すものではないよ。軽率なふるまいは、災いの火種になる」



そうたしなめられ、

珂雪は内心、そんなものかしら——と思いつつも、素直に頷いた。


「夏㚖殿へ行っても、「氷花」は使わないことだ」


「でも、それでは……」


「《葵の宮》は、まだ登極前だ。そんな状態の巫女姫に禁じ手を使っても、自力で解くことはできまい。世話が増えるだけだ」



柊の宮は続けた。



「少なくとも、夏の郷の宮代が恐れている事態は二つある。

ひとつは、四獣——焔が目覚めた際、その禁じ手である「送り火」を使うこと。

もうひとつは、《葵の宮》が焔に対し、「送り火」を封じることができなかった場合だ。いにしえの予言は知っているだろう」



珂雪もおぼろげながら、柊の宮の言わんとすることは理解できた。



いにしえの予言。


曰く、

『最後の四神——朱雀が目覚めんとき、選ばれたるもの、その姿を変化へんげし、この世に新たなる災いをもたらしめん——』




珂雪の沈黙を引き取って、宮は言った。



「その、選ばれたるもの——は玄武を指す。朱雀の気性は苛烈にして、獰猛。その本性は国を焼き尽くすものだ。そうならないための布石が、『玄武』と暗に予言されている。だがしかし、その時、世界は闇に沈む。

その性質に拠って、玄武はやがて『本来の姿』をあらわし、冬の時代がくるという伝承があるんだよ」



珂雪は、そこまでの意味をもつとは知らなかった。

それでは他の郷のこととはいえ、自身に直接関わることになる。

柊の宮は続けた。



「朱雀と同様、古代から玄武は恐れられた四獣だった。過去に玄武の出現を厭い、暗殺された巫女姫もいるくらいだ。

巫女姫が死んでしまえば、四獣は天に還る。四獣は殺せなくても、巫女姫は殺せるからね」


柊の宮は言葉と共に、キセルから吸った煙を吐き出した。



「もう何百年前の伝承だ。それが本当に起こるかは分からない。しかし登極を阻むのが宮代の本意なら、夏㚖殿へ窺見に行くことは、今後何かの役にたつだろう」




***




冬の郷は、四季の中つ国にある四つの郷のなかで、一番治世が長い。


珂雪は、《柊の宮》が登極した時のことを思いだそうとした。


あの頃、

柊の宮は、やっと十五になったばかりの少女だったが、珂雪は宮に従うことを選んだ。



宮がいる限り、珂雪は「正しい場所」にいられる気がしたのだ。

正しい場所。

ずっと「氷花」を試すこともなかった。


飛英に試したのは、触発されたからだ。

自分とは違う力を宿した四獣。


珂雪には、ひとめで彼が四獣なのだと分かった。

夏㚖殿に行っても、四獣がいれば、きっと分かるだろう。





考慮された上、

まずは冬華殿にいる【昏蛇くらへび】のひとり——紅雪こうせつが、女官として赴くことになった。

【昏蛇】というのが柊の宮に仕えるものたちの名で、

そのすべての者が女性だった。


これは郷のなかでも珍しいことなのかもしれないが、柊の宮の方針でもあった。

いざという時、男よりも女の方が強いというのが宮の見解なのだ。

その真偽のほどは珂雪には分からないが、棒術や体術の稽古で汗ひとつ流さない紅雪らを見ると、確かにたくましさを感じるのも事実ではあった。



宮が定義づけた強さとは、

窮地に立たされた時、氷のように冷静でいられるかどうかで、日夜修練に励む【昏蛇】たちからは、確かにその資質を感じるのだった。






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