第10話 大地震
どん、と突き上げられ、そのまま落とされるようなするどい揺れ。
額田の眠りが破られる。
それから長く揺さぶりが来た。
長く、長く、長く。
どこまでも揺れが続く。
ぎしり
みし
その揺れの間にも、軋み、歪む音が続き、ついには激しく打ち据え合うような音と共に大量の埃が舞った。額田の休む帳台の内にまで。
もういい加減にして。
そんな叫びのような願いの浮かぶ頃、やっと揺れはおさまった。
ぎい。
今更のように帳台の軋む音が響く。
埃に咳込みながら起き上がり、帳台の帳に触れて、そこに何かがあるのに気がついた。
闇の中、帳ごしに触れた手触りはゴツゴツと硬く、不規則な形をしている。四方の帳に触れて、どこも同じように出られない事がわかった。
ぞわり、と恐怖が背を這い上るのを感じた。
閉じ込められた。
おそらく建物が崩れている。
額田が横たわる帳台の柱が、からくも額田を守っているらしい。
あれだけの揺れだ、必ず揺り返しが来る。
帳台の柱が倒れれば、額田もそのまま死ぬことになる。
嫌だ。
死にたくはない。
「誰か…誰か!」
声を限りに叫んだ。
「誰か!」
あたりは闇だ。
夜の闇。
その闇がのしかかってくる。
何度も叫んだけれど、
叫び疲れて、咳込みながらへたりこんだ。ずいぶんと埃を吸ってしまったらしい。
ぐらり。
揺り返しに、帳台が軋む。
揺り返しは何度もきた。
強く、弱く、長く、短く。
帳台がいつ崩れるともしれない恐怖の中で、夜はひたすらに長かった。
息苦しい闇は死を連想させる。
死は、十市を思い出させた。
差し出した毒杯を、静かに干したあの娘は、朝には冷たくなっていた。
静かに、眠るように、どこにも乱れや苦しみを見せず。
私はあんなふうには死ねまい。
額田はそう思う。
生きたいと、どこまでもあがくだろう。死の瞬間までただ生きたいと願うだろう。
ぐらりと揺れる。
ぎしりと軋み、埃がまた降ってくる。
その度にうろたえ、死にたくないと願う。生きたいとあがく。それこそが、額田だ。
がらり。
幾度目かの揺れで、光が射した。
まだ夜は明けていない。月の光だ。
その、思わぬ眩しさに目を細める。そういえば、月が明るい夜だった。
満ちるにはわずかに足りない十四夜。
生きたい。
死ねない。
夜明けまで、あとどのくらいあるのだろう。いかに明るい月夜でも、崩れた建物をどうにかするには暗いだろう。
さし込んでくる月明かり。
朝になればきっと朝日もさしこんで来るだろう。
死ねない。
脳裏にはじめて葛野がよぎった。
そうだ、葛野を御門に。そして本来のあり方に国を戻さなければならない。
死ねない。生きなければならない。
ひたすらに待ち続けた額田に朝の光が差すまで、さらに長い時がかかった。
大きな揺れに目を覚ました葛野は、起き上がる事ができなかった。
長い長い長い揺れ。
やっと揺れが収まると、葛野は帳台から、そして部屋から飛び出した。
庭は明るかった。
明るかったが埃っぽい。邸の建物のどれかが崩れたらしい。
「お方さまが…」
使用人たちの叫び交わす声で、崩れたのがどうやら祖母の寝所のある一角なのだとわかった。
ふらふらと庭を歩き、崩れた建物に近づく。月明かりの中に一塊の影がたぐまっている。見慣れない影は奇妙にでこぼこした荒々しい形をしていた。
この中に、祖母がいる。
この、崩れ落ちた建物の中に。
祖母は、生きているだろうか。
それは奇妙な気持ちだった。
なまじ、しっかりとした上質な木材で作られた建物は、崩れてしまえば簡単には動かすことのできない障害物だ。見事な梁はそれにふさわしい重量で、崩れた木材にのしかかり、圧し潰している。
祖母は、生きてないかもしれない。
その、心細く後ろめたい開放感。
祖母がいなくなれば、葛野は自由だ。
もう、皇位を目指さされる事もない。
祖母は生きているだろうか。
朝になるまでは崩れた建物に手を出すことは難しい。中から声が聞こえたと言う者もいたが、確かめる事はできなかった。幾度めかの揺り返しで、崩れはさらにひどくなった。
祖母は死んだのではないか。
半ば祈るように葛野がそう思うころ、朝が来た。
朝日の中で瓦礫が順に取り除かれる。
「おられたぞ。ご無事だ。」
すっかり明るくなったころ、連れ出されてきた祖母は、埃にまみれてはいたが無傷だった。
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