【伍】 風鈴



  一  風鈴  ─ ふうりん ─

  二  人肌  ─ ひとはだ ─

  三  菩薩  ─ ぼさつ ─

  四  下心  ─ したごころ ─

  五  罪人  ─ ざいにん ─

  六  良心  ─ りょうしん ─

  七  哀しみ  ─ かなしみ ─

  八  月影  ─ つきかげ ─

  九  迷い道  ─ まよいみち ─

  十  客人  ─ きゃくじん ─

  十一 仕組み  ─ しくみ ─

  十二 米粒  ─ こめつぶ ─





  一、風鈴  ─ ふうりん ─




 露店で買った風鈴がちりりんと音を立てる。

 夜も更けて、草介は酔いながら農道を歩いている。

 月明かりが道行きを照らし、手元の提灯はいらないくらいだ。

 どこかに置き忘れてしまわないように、草介は風鈴を腰にくくりつけている。

 蛙の鳴き声が、青々とした稲の波間に聴こえる。

 草介は心地よく酔って、鼻歌混じりにゆるゆる歩を進める。

 腰の風鈴がちりりんと、草介の鼻歌に合いの手をいれる。


 坂をあがり、草介は垣根を入った。

 庭には月明かりが満ちていた。

 障子は開かれ、庭のなかほどから座敷の奥が見えている。

 四方の梁で蚊帳を吊りさげた その内に諭利が身体を横たえている。


 草介は腰の風鈴を縁側の端に釣ってから、蚊帳の裾をあげて内に入った。

 枕元に立ち、諭利の寝姿を見おろした。


 ──イビキでも、かいてりゃあいいのに。


 草介は顔をしかめた。

 諭利は安らかに、頬笑んでいるように見えた。

 小鼻が控えめに息づいている。

 唇が、なにかを語るように動いた。

 顔の側に屈んで、耳を寄せてみたが、聞き取れるほどの声量ではなかった。

 諭利は切なげに眉根を寄せ、太腿を締めるように身をよじった。


 諭利の腰のあたりからスルリと尻を撫で、草介は舌打ちをした。

 下帯を、締めていない。


「おい、起きろ。」


 低く、鋭い声で草介は囁いた。


「何だい? ……ソウ。」


 体を細かく揺すられた諭利は、なかば目を開いて機嫌悪く草介を見あげた。


「哲郎が言っていたよ。

 夏には夜這いが増えるのさ。

 こうして障子を開けっ放しにしていると、部屋の中は丸見えだ。

 蚊帳の内に、しどけなく寝乱れた姿が見えると、ついムラムラとしてしまうだろ。」


「それで?」


「女だけじゃない、若い男も狙われるのさ。

 気がついたら押さえ込まれ、見知らぬ野郎におカマを掘られているんだ。

 表沙汰にはできない話さ。

 られた奴は番所に届け出ない。

 犯られ損の泣き寝入り、──これが結構 多いらしいぜ。」


「だから、それがどうしたと、──」


 諭利は髪の乱れを整えようと左手を額に翳した。

 草介はその手を掴んで、「こういうことだ」と己の股間に押し付けた。


「ここは野中の一軒家だ。

 叫んだって誰も助けに来ちゃくれねえ。

 障子も開けっ放しに、てれっと寝てやがって、俺が蚊帳に入ったのも気づきやしねえ。

 これじゃあ、ってくれと云っているようなものだろうが。」


 諭利は唖然と草介を見ていた。

 そしてプッと吹き出し、けらけら笑いだした。


「なにが、おかしい。」


 草介は大真面目だ。

 夜中に人を起こしておいて、何事かと思ったら、この男は魔羅を半立ちに、「夜這いに気をつけろ」なんて言っている。


「おい、下帯を締めておけ。

 下帯を外す手間で、少しは抵抗もできようってもんだろ。


 コラ! ──笑ってないで、人の忠告をちゃんと聞け。」


「ああ、ごめんよぉ。」


 指の先で目の端の涙を掬った。

 諭利は笑いをおさめ、草介に頬笑みかけた。

 草介を、とても愛おしく感じた。





  二、人肌  ─ ひとはだ ─



 ちりりん、と縁側に釣っている風鈴が清い音を立てる。

 諭利は、音に誘われて顔を向け、指で差し示す。


「ソウ、あれはおまえが吊ったのかい?」


「ああ、そうだ。」


 いい音だね、と、目を細め、歌うように諭利が呟く。


「ソウ、着替えをしたら、ここにおいで。

 子守唄を歌ってあげるよ。」


 なんだ、ガキ扱いか、──とは思ったものの、草介は素直に従った。

 着替えてこい、と言われたので蚊帳を出た。銭湯で汗を洗い流して来たのだが、帰りの道すがらにまた汗ばんでいた。

 井戸へ行き、水を浴びた。

 水は思いの外に冷たくて、いっぺんに酔いが冷めた。


 しばらくして、夜着に着替えた草介がもどってきた。

 蚊帳をくぐる草介に、諭利は布団の真ん中から右に除け、草介の場所を空けた。

 草介は、左側に体をくつろげた。

 井戸水に冷やされた体は、人肌で温まった布団を心地よく感じた。

 左腕を枕がわりに頭を乗せ、諭利を見る。

 そして右手をのばし、諭利の頬に触れた。


「どうだ。

 冷たくて、気持ちがいいだろ。」


 自分の手が冷たいせいで、諭利の頬が熱を持って感じられた。


「抱いてやろうか。……」


 草介は諭利を引き寄せ、大きな体でくるむようにした。

 袖を通したばかりで、まだ温かみのない衣の感触を、諭利は心地良く感じた。

 鼻を近づけ、草介はスウッと諭利の首筋の匂いを吸い込んだ。


「ああ、いい匂いだ。……」


 隙あらば、と、草介は後ろから抱きついて、こうして匂いを嗅ごうとする。


「ソウ、をすると、唄を歌ってあげないよ。」


「ちぇっ、わかったよ。」


 草介はしぶしぶ離れ、真ん中から左に戻った。


「なあ、以前に侍女の話をしただろ、」


「子守唄を歌ってくれた女人ひとのことだね。」


「侍女は、寝る前に話をしてくれたんだ。

 それがな、恐ろしい怪談話ばかりなのさ。

 語りが上手で、話を聞いてしまった後では、一人でかわやにも行けない有り様さ。

 そのせいかどうか、俺は夜尿症が遅くまで治らなかった。


 目を開けていると、化け物の姿を見てしまいそうで怖いし、目を閉じても、眠った途端にパクリとやられやしないかと、恐ろしい。

 けれど、次の夜には、また話してくれと せがんでいたよ。


 毎夜、俺は侍女の体にしがみついていた。

 侍女は俺の肩口に手を置いてトントンと拍子を取りながら、俺が寝入るまで唄を歌った。

 俺が熱を出して苦しんでいるとき、その手は胸のあたりを優しくさすってくれた。

 寝ずに朝まで、俺の側にいてくれた。

 いつまでも夜尿の治まらない俺に、偉い学者のナントカも勇猛な武将のカントカもオネショだったから、坊ちゃんも今にきっと大物におなりですよ、──なんて云ってくれたよ。」


「おまえは そのひとが好きだったんだね。

 初恋だったのかい?」


「どうだか。

 今では顔も思い出せないんだ。

 小太りで、色の黒い女だった。

 どんなツラだったか、……美しいという印象はなかったな。

 だが、温かい手をしていた、……暖かい、体だった。……」





  三、菩薩  ─ ぼさつ ─



 おおらかな、優しいひとだった。

 陰に日向に、ひ弱な俺を支えてくれていた。いつまでも、俺の側に居てくれるものだと思っていた。


「俺が十二になった頃、侍女は故郷の村に帰って行った。

 侍女の姉が八人目の子を産み、産後の肥立ちが悪く死んでしまい、遺された子の面倒をみなくてはならなくなったのだと聞いた。

 俺は侍女と離れたくなくて、考えたのさ。


『お前のような色黒の女は、嫁の貰い手もないだろうから、俺の嫁にしてやる。』


 そう、俺は云った。

 そしたら、『身分違いだから妻にはなれない、おめかけさんはお断りだ』と、返されたよ。」


 ──『坊ちゃんは、とても心の細やかな優しい方です。だから、坊ちゃんを愛してくれる人がきっと現れますよ。』


「俺が、里に帰るのを引き止めたくて、『嫁になれ』だなんて云いだしたのだと気づき、またマセたことを、と笑っていた。」


 ──『坊ちゃんの良い所を沢山知っています。坊ちゃんのことなら、何でも知っているんです。』


 勿論、弱い所もですよ、──言葉の裏読みをし、俺は勝手に恐縮していた。

 頭が上がらない、俺にとっては母のような姉のような女人だった。


 ふと、草介は、子供が悪戯を思いついたような顔つきになった。


「女の股には穴が三つある、──なんて話を聞いて、俺は確かめてみたくなった。

 子供らしい好奇心だった。

 その時はまだ、男女がどういうカタチで交わるかなんて知らない。

 淫らな気持ちは少しもなかった。


 いつものように、侍女は唄を歌っていた。

 俺は寝たふりをして、息をひそめていた。

 しばらくすると歌は途切れ、上からすうすう寝息が聴こえてきた。

 侍女はすっかり眠ったようだった。


 ──でな、俺はドキドキしながら女の股の間に手を入れた。

 そろりと下帯を捲った。

 柔らかい毛が指先に触れた、──その途端、声が掛かった。


『坊ちゃん。』


 俺は心臓が止まりそうなほどに驚いた。


『誰から、こんなことを教わったのです?』


 別段、責める口調ではなかったが、俺は叱られる前に開き直って云った。

『女の股には穴が三つあるというから、確かめてみたかったのだ』と。

 侍女は、『ここは、子を育む大切な所だから、誰にでも触らせて良いものではないない』と云った。

 だが、そう云った後で、俺の手を取って、その大切な場所に触れさせてくれた。」


 草介は、初めて触れた女陰ほとの感触を述べ、終いに、「坊っちゃんは、女泣かせになりますよ」と云われたのだと、得意気に話した。


「その人は、菩薩ぼさつだよ。」


 諭利は頬笑んで云った。


「お前を受け入れてくれたのだからね。

 そこでイヤらしい子だと撥ね付けられ、騒ぎにでもなっていたら、お前の心には傷が残ったはずだ。

 女を憎んだり、蔑んだりするようになっていたかもしれない。

 それに、『女泣かせになる』なんて言葉も、その人の優しさだ。

 お前はその言葉を、お守りのように心に留めているのだからね。」





  四、下心  ─ したごころ ─



「良い人に巡り会えて、お前は幸せ者だよ。」


 ──菩薩、か。

 成程、そうかもしれない。


「その時に、男女がどう契るのか教わった。他所よそで変な知恵をつける前に、教えておく必要があると考えたのだろう。


 女陰ほとに指を浸していると、不思議にやすらかな心地だった。

 しっとりと包み込む肉の感触に、俺は子袋に帰ったように、感じていたのかもしれない。

 あの、不思議な心地をもう一度確かめてみたくて、俺は日が暮れるのを待った。

 けれど、その晩、『これからは、お一人でおやすみになって下さい』と云われたよ。」


 俺の内に芽生えた下心を見抜かれたんだ、と草介は苦笑した。


「学のある女だった。

 何か質問をするとすぐに返してきた。

 きっと格式高い家の娘だったのだろう。

 どういう素性の者か、俺は知らなかった。

 ガキの俺には、そんなことはどうでもよかった。


 風の便りに、土地の者と所帯を持ったと聞いた。

 尻が大きくて丈夫そうな体をしていたから、今頃は、ガキの五、六人はいるかもなあ。」


 達者で暮らしているといいが、と草介は呟いた。

 それから、草介は思い浮かぶまま、幾つか子供の頃の話をした。

 その中の一つは、諭利にとっても印象的な出来事だった。


「ある時、桂家の領地で盗賊が捕まった。

 男は、国中を荒らし回っていた悪名高き盗賊団の一味だった。

 金品を盗むだけでなく、家内の者を一ヶ所に集め、赤子に至るまで皆殺しにし、家屋に火を掛ける、残忍な手口で知られていた。


 その時も、盗賊は屋敷中の者を殺した後、火を掛けて去ろうとしていた。

 ところが、再び見回りに行った賊の一人が、戸棚の奥から童女を見つけた。

 間の悪いことに、ふところに入れていた匂い袋の鈴が鳴り、音を聴かれて戸板を外された。

 棚の奥は二重になっていた。

 納戸に逃げ込んだ母親は、とっさに娘を戸板の奥に隠していたのさ。


 娘を見つけた賊は、殺す前に犯そうとした。そこへ別の賊が現れた。

 捕り逃がしたネズミを見つけたら、即座に殺すのが鉄則、だが、目前の賊は掟を破ろうとしている。

 男は割って入り、娘を犯すのを止めた。

 盗賊同士で口論になり、斬り合いとなった末、男は仲間を刺し殺した。


 近隣の者も不審な気配を察し始めていた。

 火消しやら役人やらが駆けつけて来た。

 屋敷の外は騒ぎとなっていた。

 火の手が上がる前に、ほとんどの盗賊は姿を眩ませていたが、逃げ遅れた者が数人いた。

 賊の一人は胸に童女を抱えていた。

 役人に取り囲まれ、すっかり観念した様子で、その男は佇んでいた。


 男は、娘を助けてお縄になった。

 血も涙もないはずの盗賊が、魔が差したみたいに仏心を起こして捕まった。

 片目を瞑り、娘を見殺しにしていたら、捕まりはしなかっただろう。


 連日のキツい取り調べにも、男は口を割らなかった。

 酷い拷問を受けながら、皮肉げに口の端を上げて薄笑いを浮かべ、己の名すら、云わなかったそうだ。」





  五、罪人  ─ ざいにん ─



「捕縛された盗賊は男の他に二人いた。

 二人の内の一人は、役人が目を離した隙に縄を首に巻き付けて自死した。

 もう一人は、責め苦に耐えかねて口を割った。

 自白によって死罪を免れ、島送りになった後、そいつは行方知れずとなった。

 盗賊の掟は厳しい。

 当然、裏切り者には報復がある。

 後日、島の浜の松の枝に、キッカリ五寸に刻まれた人肉がぶら下がっていたそうだ。


 しばらくして、男の処刑が執行された。

 男は獄門台の上でも、薄ら笑いを浮かべていたそうだ。

 俺は、盗賊という輩がどんな姿をしているのか見たくて、刑場へ行きたいと侍女にせがんだが、駄目だといわれた。

 朱国にいた頃、法律を学んでいた奴に誘われて磔刑を見物に行ったが、あれは非道いものだった。

 脇腹に槍が入ると血飛沫が上がり、引き抜くと、やじりに裂けたはらわたが絡み付いて出てくる。

 それが三十、繰り返される。

 隣にいた奴は、しゃがみ込んでゲエゲエ吐いてやがった。


 その時俺は思った。

 薄ら笑いを浮かべていたという男の顔を見たかった、とな。

 男が何を考えたのか知りたかった。


 仏さまはどんな悪人でも、必ず良い所を見つけて救ってくださるそうではないか。

 その盗賊は、童女を助けるという善行で救われたのではないだろうか。

 この世で刑罰を受け、命を絶たれたことで、それ以上の悪事を犯すこともなくなった。

 長年、悪事に手を染めていた者がその道から抜けるのは、並み大抵のことではないという。

 善人が善人であり続ける以上に、難しい。」


「──死ぬことで、その男の魂は救われたと云いたいのだね。」


「生きているうちは、悪事から足を洗えなかっただろう。

 もし改心していたのなら、これまでの悪事を洗いざらい白状したはず。

 口を噤んでいたのは男の侠気かもしれないが、そんなものはクソだ。

 盗賊の存続を助けているのだからな。

 人が汗水たらして得た金品を奪い、人の命を虫けらほどに扱う者を、野放しにして置いてはいけない。

 男は、生きていてはいけない。

 男が生きていたのでは、これまで男が奪ってきた命が、男の命よりも軽いことになる。

 生きて罪を償わせるにしても、身内を殺された者は、その男の存在自体が許し難く、虚しさは増すばかりだろう。


 男はこの世で犯した罪を、人が決めた法律によって裁かれ、決められた罰を受けるべきたったのだ。

 死後の魂の救済は、もはや人の仕業ではない。

 男は童女を助けた。

 それは男が自ら望んだ行いで、それによって捕縛されたのも、自らが招いた業だ。

 男の感情がどう動いたのか知る術はないが、とっさの行動には、その者の本性が表れる。

 男は、自らが捕縛されることより、娘を生かすことを選んだ。

 役人に娘を渡したその瞬間に、心に温かいものが通ったはずだ。」


「それは、個人の見解だ。

 そうあって欲しいというお前の願いだ。

 その男は案外、つまらないことをしてしまった、と考えたかもしれないよ。」





  六、良心  ─ りょうしん ─



「盗賊は極刑を受けるのが当然、余人は男の感情を知ろうとはしない。

 けれどお前は、非道を働く盗賊の内にも良心は在ると、信じたいのだよね。」


 いつもは皮肉ばかり言うくせに、性善説じみた話をしていると、諭利は皮肉っているだろうか。

 草介は諭利の言葉を計りかね、眉を寄せていた。


「好きだ、と云っているのだよ、

 お前の考えを。

 お前は優しい男なんだよな、ソウ。」


 優しい、なんて云われると、耳の後ろがこそばゆいくなる。


「なあ、『イスケ』とは誰だ?」


 照れ隠しのように、草介は話題を代えてきた。


「さっき、あんたが寝言を云っていた。

 あんたの夢に入り込める野郎に、嫉妬を感じる。

 どんなことをしていたのやら、あんたは切なげに、その名を呼んでいたよ。」


 聞き取れはしなかったが、口の動きを読んだのだ。

 恨めしそうに見る草介に、諭利は投げやりに答えた。


「私の魔羅の名さ。」


「──どんな字をあてるんだ。」


 すかさず、草介が訊いてきた。


「亥の刻の『亥』だよ。」


「そりゃあ、勇ましい名だな。」


 意味あり気に、草介は笑う。

 カマを掛けられた。

 諭利は、とっさにつまらない言い訳をしてしまったと思った。


 しかし、それとは別に、諭利の頭に「縁」という言葉が浮かんでいた。

 こういうのを「縁」というのだろう。

 自身の預かり知らぬ所で、人は少しずつ繋がっている。……


「──知っているか?」


 草介は云った。


「子守唄には、三番があるのさ。」


 知らない、と諭利をは小さく首を横に振る。

 あの「子守唄」は、お屋敷の坊っちゃんと子守り娘の慕情を歌ったものだ。

 淡い恋心を懐きながら、想いを伝えることなく離れてしまった男女が、初老にさしかかり、子供の時分を懐かしく思いおこす、──といった内容で、一番は男が、二番は女が、「初恋のあの子」を想って歌うのだ。


「朱国に居るときに、寝物語に遊女に教わった。

 互いに違う相手と夫婦めおとになっていた二人は、巡り巡って出会い、結ばれるのさ。

 この唄のせいで、『初恋は実らない』というのが定説になっていたが、基の歌詞は、そうではなかったんだ。

 三番は歌われず、いつしか忘れ去られていた。


 叶わぬ恋は、──美しい。

 人は悲恋が好きだからな。」


 草介は一番を口ずさんだ。

 それを受けて諭利は二番を歌った。

 二番が終わると、草介は三番を歌った。


 歌い終えると、草介は静かに諭利を見つめた。


「なあ、あんたのを触らせてくれよ。」


 諭利は草介を見つめ、少し思案してから、頬笑んだ。草介は手を伸ばし、着物の前に忍ばせた。

 何だか悲しいような顔をして、諭利のモノに触れ、そっと握り込んできた。


「ソウ、お前のモノに触れてもいいかい。」


 草介も同じように頬笑んだ。

 諭利の手が着物の中に入り、長い指が肉に絡まると、草介は震えるような息を吐いた。


 諭利は苦笑した。

 手を滑らせると弾けそうなくらいに、硬くしなっているのだ。





  七、哀しみ  ─ かなしみ ─



 草介は自身をもて余して、照れたような怒ったような顔をした。


「なあ、唄を歌ってくれよ。」


 おイタをすると、ウチを追われる。

 言いつけを律儀に守っているところが、可愛くもある。


 諭利が歌い始めると、草介は目を閉じた。

 余計な事はせず、やんわりと互いを握り合っていた。

 ちりりんと風鈴が鳴った。

 風は木々の枝を揺らし、蚊帳を揺らし、二人の間をすうっと流れて行った。


 諭利を握っていた草介の手から力が抜けた。

 諭利が握っている草介のモノは、くたりとなって手の平に収まった。

 諭利はそっと手を外し、体を起こした。

 草介の着物の前を整えて、肩に衣を掛けてやった。

 そしてしばらく、草介の寝顔を眺めていた。


「──てれっと寝てやがって、これじゃあってくれと云ってるようなもんだろ。」


 草介の口調を真似て、諭利は云った。

 人に下帯を締めろなんて云って、そっちこそ締めていない。

 自分が襲われることなんて、これっぽっちも考えてやしないんだ。


 ──バカな奴。

「若い男」はお前の方さ。


 諭利は、草介の顔に垂れた髪を後ろへ流した。

 硬く縮れた髪の手触りが、あの人と似ている。

 初めて草介を見たとき、酒を飲んでいる背が、あの人に似ていると思ったのだ。


 飯屋の前を通りかかると、格子の隙に姿が見え、足が止まった。

 癖の強いうねった髪が、広い背中に垂れていた。

 横顔が、あんまり哀れっぽくて悲しげに見えたから、声を掛けずにはいられなかった。


 この男は、何処かに帰る場所がある、──自分の側に長く居てくれる男ではないと分かっていたから、「一夜限り」と自分を戒めた。


 草介の髪をクシャリと掴んで、諭利は硬く縮れた髪の手触りを何度も確かめる。

 そうしているうちに、泣きたいような心持ちになってきた。

 草介の頭をグシャグシャとかき乱し、顔をキツく胸に抱きたい、──そんな狂おしい衝動に駆られていた。


 『まるで、月の光を撚り合わせたようだ。』


 あの人は、私の髪に指を通しながら、そう云った。


 『諭利、俺はお前が女であれば良いなどとは思っていない。

 お前はそのままで十分に美しく、──そそる。

 俺はお前の中に注ぎたくて堪らない。

 お前に、搾り尽くされたい。』


 注いでください、あなたのかなしみを、全て私に。

 空っぽな私を、あなたで満たしてください。


 『諭利、お前が愛おしくてたまらぬ。

 お前を抱くと、俺の体は哀しみに満ちる。

 この身に、数千の細い針が霧雨のごとくに降り注ぐ。

 お前の音色は、……哀しいのだ。


 ──諭利、俺が好きか?

 好きだと、云ってくれ。……』


 好き、好きだ、あなたが、好きだ。

 火のような体に抱かれながら、私は声を発し続けた。

 数千の細い光の針が、体を流れ落ちて行った。


 好きだと云ってくれ、──それは「俺を赦してくれ」と云っているように聴こえた。


 諭利は息を止め、深く吐き出した。


「おやすみ。」


 草介に背を向け、諭利は体を横たえた。





  八、月影  ─ つきかげ ─



 承は自室で独りになる度、あの晩の出来事を思い返した。

 何故あの人は、「口づけをしてみませんか」なんて云いだしたのだろう。

 単に私をからかってみただけなのだろうか。


 答えのない問いを、自問し続けた。


 口づけをしたのは、初めてではない。

 口づけ、と呼べるものではないが、承は長兄のかいから無理やりに口を押し付けられたことがある。


 その日、開は豊国から久し振りに我が家に戻り、心地良く酔っていた。

 櫻家の嫡子としての面体があるので、余所では自粛して酔うまでは飲まない。

 しかし、その時は気兼ねなく酔っぱらって、承に絡んできた。


 開は年の離れた弟が可愛くてたまらない。

 承が生まれた時、開は十一歳だった。

 承の成長をずっと見ている。

 年が離れているので喧嘩にならず、ただ愛しいと思うばかりだ。


「会いたかった、承。

 お前は可愛いな、──本当に可愛い。」


「可愛い、可愛い、」と繰返しながら、承を抱きしめて髭面を頬にゴリゴリ押し付けてきた。

 開は六尺にもなる大男で、獅子のように強靭な体格をしている。

 当人は軽く腕を絡めているつもりでも、承の方はたまったものではない。

 キツく締め付けられ、息も絶え絶えだ。

「可愛い、可愛い、」と、大きな両の手で頭を抑えられ、口を吸われた。

 唇に髭がチクチク刺さり、酒臭い生暖かい息がかかって、承は顔を歪めた。

 開は面白がって、舌を入れてきた。

 口の中を太い舌で掻き回しておいて、「お前の口は乳臭い味がするな。」と、笑っていた。


 これに、性的な意味合いは皆無であるし、酔った上での行状だ。

 その時は嫌悪したものの、犬に鼻の頭を舐められたというくらいにしか、承は気に留めていなかった。


 だが、諭利との口づけでは、はっきりと性的な感覚があった。

 己の体が思いもつかない反応を示し、承は酷く狼狽うろたえた。

 これまで、諭利を性愛の対象として見たことなどない。

 諭利は「男」だ。

 そう考えるなら、兄の唇と大した違いなどないはずなのだ。


 承には、己の身体が何故あんな反応を起こしたか、理解ができなかった。

 だから、恥ずかしさの余り、承は胸のうちで、「酷い人」と諭利を一方的に責めることでしか、自らの失態を繕う方法がなかった。


 甘美な唇の幻は、承の日常を侵した。

 幻は、講義や剣の修練の最中でさえ、ふと脳裏をよぎった。

 水面のように、滑らかな唇の感触や、チロチロと口蓋に当たる舌の感触が忽然と現れて、承の心を乱した。


 『あなたが、愛おしい。』


 甘美な唇が言葉を発すると、温かな吐息が耳朶にそよいだ。

 言葉は熱を持って、心に深く刻まれた。

 唇を合わせ、私を慈しんでくれているあの人の想いが伝わった。

 私はこの人に愛されているのだと感じると、天にも昇る心地だった。


 けれど、同時に、故しれぬ不安に襲われた。自らを、水面に映る美しい月影に惹かれ、我知らず湖に入水しまう者のように、感じたのだ。






  九、迷い道  ─ まよいみち ─



 清らかな声でさえずる麗しい鳥の姿に、私は恋をした。

 一瞬にして、心を奪われた。

 初めて見たあの人の姿が、鮮やかにこの胸にある。

 名を知りたい、言葉を交わしてみたい、あの人のことが知りたい。

 私のことを知って欲しい。

 そして、もっと深く、わかり合いたい。


 あの人は私と「友」になりたいと云ってくれた。


『少しずつ互いのことを語り合い、いつか真の友になれると嬉しい。』


 私も、そうなりたいと願っている。

 だから、この恋は、うつつの肉体を得てはならない。


 街を歩いていると、肩をポンと叩かれた。「よお、」と声をかけてきたのは、草介だった。


「最近、顔を見せないな、忙しいのか。」


「ええ、……まあ、そうです。」


 承は足を止めずに歩き続けた。

 草介は、諭利の前でしか承に敬語を使わない。

 下品な冗談で年若い承を小馬鹿にする。承はこの男が苦手だった。


「──あの晩以来だよな。

 お前さん、すれ違ったときに何やら思い詰めたような顔をしていたな。

 で、家に帰ったら、妙な空気の奴がもう一人だ。


 諭利と喧嘩でもしたのか?」


「いいえ。」


 承は、拒絶するように鋭く答えた。


「諭利には、会っているのか?」


 そう問うと、承は顔を曇らせ、黙ってしまった。

 ふうん、と草介は面白そうに承の表情を眺めた。


「何か、されたか?」


 承はピクリとなった。

 この男に、「あの事」を知られているのかも、と考えると、身が縮まる思いだった。


 草介は、承の前に回り込み、承の眉間を指差してニヤリとした。


「顔に書いてあるぜ、『手込テゴめにされかけた』とな。」


「──違います! そんな、……」


 承が声を荒げたので、一瞬、道行く人々の目が集まった。

 承は前を向き、口を真横に結び、その場からのがれるように足早に歩き始めた。


「ムキになるところを見ると、当たりか。

 それでウチへ来られないんだよな。」


 固く口を結んだ承を横目に、草介は続けた。


「なあ、そう真面目に考えるなよ。

 ちょっとしたお巫山戯ふざけのつもりだったんだろうぜ。

 本気でお前さんをどうにかしようなんて、考えてやしないさ。


 だいぶ反省もしているようだ。

 そろそろ許してやる気にはならないか?

 お前さんが顔を見せなくなって、諭利はしょぼくれちまってる。

 このまま縁を切るつもりじゃんだろ?


 そろそろ半月は経つよな。

 和解するなら早いほうがいい。

 長引くと、余計に会いづらくなるんだぜ。」


 云われなくとも判っている。

 けれど、どんな顔をして会ったらいいか、判らないのだ。

 今だって、諭利とバッタリ出くわすのを恐れて、後ろめたい気持ちで、店の近くを避けて通っているのだ。


「──おい、そいつをちょっと見せてみろよ。」


 突然、承のふところから覗いている紙を指差して、草介が云った。

 承は紙を手渡した。

 それには複雑な図形が描かれてある。

 今、ちまたで流行っている、算術の遊びだった。





  十、客人  ─ きゃくじん ─



 ある晩、帰って来た草介の傍らには、れがいた。

「ただいま。」と戸口で大声を上げた後、「おおい、居ないのか。」と怒鳴って催促するので、諭利は顔をしかめながら迎えに出た。

 すると、思いもしない顔とぶつかった。

 家に入るのを躊躇っている連れを、草介は背を支えて促した。

「俺の客人だ。」と、草介は云った。

 はにかんで、承は会釈した。


 こうして、承は再びいおりを訪れるようになった。

 諭利が小鈴と夕飯の支度をする間、承と草介は二人でしゃべっている。

 草介が語る学問の話は、学友たちより遥かに密度の濃い内容で、承は大いに刺激を受けた。


 承は、諭利とはまた違った意味で、草介を興味深い人物と見ていた。

 草介と語るうち、この男は「木偶の棒」どころか、こうして野に埋もれさせておくには惜しい逸材であるように感じた。


 先日の講義で、異国の天文学者が著した書物についての話題が出た。

 ちょうど、何かの余談で草介が語った内容だったので、承は講師からの問いにも淀みなく答えることができた。

 殆どは草介の受け売りだが、学生たちに羨望の眼差しを向けられた。

 兄たちの慣例で、櫻家の子息ならこれ位は答えられて当たり前、と思われるのが常だが、その時は講師も承を誉めていた。


 承が草介に抱いていた悪印象は、薄れていた。

 草介の方でも、下品に承をからうことはやめていた。

 元々、草介は承を嫌ってなどいない。

 家への出入を許しているのは、承を恋敵と見ていないからだ。


「また『貸し』だな。俺が小僧に、遊びに来いと云ってやったんだぜ。」


 誉めてくれよ、と得意げに草介は云った。

 諭利に愛されるには承と仲良くしている方が得であると、戦略を変えたのだ。


 承は段々と草介に打ち解けてきている。

 承が家を訪ねて来て、草介が留守だと知ると、残念そうな顔をすることもある。

 二人が険悪でいるのは困るけれど、そんな承の表情を見るのは、少々複雑な気分だった。


 今、草介と承は、幾つかの円が重なり合った部分の面積を求める、算術の遊びをやっていた。

 草介は計算が得意で、自分は早々に解いていて、承の様子を眺めている。

 承が考えに行き詰まって悩んでいると、少しだけ、解き方の助けになる閃きを示している。


「ソウさんはスゴいですよ。

 こんな複雑な問題を、瞬時に解いてしまうのですから。」


「大したことはないさ。

 物事にも糸口があるだろ、複雑に絡んでるように見えて、そこを引いたらスルリと解ける。

 手順さえ知っていれば、誰だって解けるものなのさ。

 俺はこういう遊びが好きで、ガキの頃から何度もやっている。要はってやつさ。」


「判ってはいても、云うほどに簡単ではありません。

 これなどは、私の友人では未だ解いた者がいないのです。」


「承様のご友人は、修英院の学生でございますよね。

 ならば、俺も修英院に入れるでしょうか。


 なんて、無理ですよね。」





  十一、仕組み  ─ しくみ ─



「いつからだって、無理なことはありません。

 来年が無理なら再来年だってあります。

 鳳崇院(大学)を目指していたのなら、十分に素養はあるはず。

 金銭のことなら心配いりませんよ。

 優秀な者には学費の免除もあるし、国から金を借りることもできますから。」


ただし、条件が付くのでしょう。

 卒業後には役人にならなけりゃいけない。

 正直、今さら役人になるために大学を目指す気にはなれません。


 俺は、所詮しょせん余所者よそものです。

 役人になったとして、ツテもないから一生下っ端で、雑用ばかりさせられるのが関の山です。

 組織には派閥がある。

 派閥の中でも誰に付くかによって自分の立場も変わります。

 生真面目に働く者より、上役の顔色を窺って巧いこと立ち回った者が、高い地位を得るのです。」


「そういった不公平をただそうと、今、兄の仲間たちは動いているのです。

 きっと体制も変わります。

 私も仲間に加わるつもりです。

 清い志を持った者が集まれば、悪しき慣習を変えてゆけるはずです。」


「──変わりませんよ。」


 冷めた口調で、草介は云った。


「王は世襲ですよね。

 その家臣の貴族たちも世襲です。

 どんな者でも、自分の血を分けた子に地位や財産を譲りたいと願うのです。

 そのために、高位にある者は自分に都合のいい人間を集め、都合のいい仕組みを創っていく。

 たとえ一時的に変わったとしても、人の中にそうした我欲がある限り、不正がなくなることはありません。


 清すぎる水に魚は住めない。

 不公平など今に始まったことではなく、これが正常な状態なのだとは思いませんか?」


「思いません。

 あなただって、そんな仕組みに不満を持っているのでしょう。

 何故なぜあきらめてしまうのですか、行動を起こそうとは考えないのですか?」


「何で、俺がそんなことをしなくてはならないのですか?


 あなたは勘違いをしている。

 俺は、天下国家のことなどに興味が無い。

 俺がこの国へ来たのはね、暖かい南の島で、気楽に遊び暮らしたかったからですよ。」


「そんなことを云うなんて、ガッカリです。」


 飯台の上に、ドカリと大皿が置かれた。

 皿いっぱいに、握り飯が乗っている。


「お腹が空いたでしょ?

 さあ、召し上がってください。」


 諭利は台所で昼飯の用意をしていた。

 炊き立ての白米に、様々な具を挟んだ握り飯を山ほど作っていた。


 承と草介は、議論をやめて握り飯を掴み、頬張った。


烏賊イカの一夜干しです。」と云って、諭利はあぶった烏賊を手で裂いて承の皿に載せた。


「熱いですから、お気をつけて。」


 烏賊は柔らかく厚みがあり、噛み応えがあった。


「美味しい」と承が呟くと、諭利は嬉しそうに頬笑んだ。


 おもむろに、草介は手をのばした。

 烏賊を裂いている諭利の右手を掴み、鼻先に持ってくると、パクリ、と大口に入れた。


「うわッ、何をするんだい!」


「ああ、美味そうだったんで、つい口に入れちまった。

 あんたの指は、なかなかこうばしいぜ。」





  十二、米粒  ─ こめつぶ ─



 草介は快活に笑った。

 諭利は嫌そうに、おしぼりで指を拭った。

 承は呆気にとられ、見ていた。


「手掴みってのは、なかなかいいな。」


 草介は梅干しを一つまんだ。


「そうですね。

 作法を気にせず、こうして手掴みで食べるのは、なんだか楽しいですね。」


 承も梅干しを摘まんだ。

 この酸っぱい梅は、慈照院(孤児院)の自家製だな、と承は思った。


「妙覚寺にいたとき、調理場で働いていたと云いましたよね。

 毎晩、こうして握り飯をこしらえて、夜警の者に届けていたのです。

 当時を思い出し、懐かしくなりました。」


「──おい! 妙覚寺というのは、衛国の、明晏仁がいる寺か?」


「ええ、諭利さんは明晏仁と交友をお持ちなのですよ、ね。」


 誇らしげに問う承に、諭利は控えめな相づちを打った。


 たしか、──と、草介は気づいた。

 叔父の桂徹は、明晏仁と連歌の遣り取りをしていた。

 それで、即座に名が浮かんだのだ。


 諭利が、諸国を旅していたとは聞いていたが、この国に戻る前、何処で何をしていたのかは、知らされていなかった。


 ──小僧に話すことを、諭利は俺に話さない。


「承様、よろしければ、握り飯を作ってみませんか?」


「ええ、やってみましょう。」


 愉しげに、二人は台所へ向かった。

 諭利は、調理台の上に飯が入ったおひつと、水を入れた小桶、少量の塩を盛った小皿を用意していた。

 手を水で濡らし、しゃもじで飯を手の平に取って、承に手本を示した。


「ぎゅっと握り固めてはいけません。

 空気を含ませて優しくふんわりと、形は不格好でも良いので、軟らかく三度ほど握って、この位で止めておいて。」

 見た通りにやってみたが、承の握ったものは、諭利のようにキレイな三角にはならなかった。


「今度は中に具を挟んでみましょうか。

 こうして真ん中を指で凹ませて、お好きな具を適量入れてください。

 欲張るとはみ出してしまうので、これ位で。」


 白米だけのものと、具を入れたものを十ばかり作って並べ置いた。

 他にも、諭利は梅酢に漬かっていたシソの葉を刻み、飯に混ぜ込んで握っていた。

 お櫃のなかは、空っぽだ。


 握り終わると、諭利は指にへばり付いた米粒を唇でんだ。

 承と目が合うと 、肩をすくめて子供みたいに笑った。


「自分で作った握り飯はまた格別ですね。

 不格好だけど、愛しく感じます。」


「そうでしょう。」


 云いながら、諭利は承の顎の辺りに手をのばした。

 くっ付いている米粒を取って、自然と口へ運んだ。


 草介はとっさに、不格好な握り飯を避けて掴んだ。

 食べながら、さり気なく米粒を顎に付けてみた。

 諭利の視線は確かにに触れた。

 気づいているはずなのに、諭利の指はいつまでものびてこない。

 そっと、草介は米粒を取って口に入れた。


 昼食が済み、ひと休みすると承は帰って行った。


「案外、バカではないのだよな。」


 草介は承をこう評した。

 櫻家の長男と次男の噂はよく耳にするが、三男はほとんど話題に上がらない。

 諭利が、小僧を気にかけている理由はそこだろう。







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