【弐】 果実



  一  果実  ─ かじつ ─

  二  雲雀  ─ ひばり ─

  三  毛虱  ─ けじらみ ─

  四  口論  ─ こうろん ─

  五  付け文  ─ つけぶみ ─

  六  唐変木  ─ とうへんぼく ─

  七  熱病  ─ ねつびょう ─

  八  蓮沼  ─ はすぬま ─

  九  林檎  ─ りんご ─

  十  子守唄  ─ こもりうた ─

  十一 厄介者  ─ やっかいもの ─

  十二 立派なヒモ  ─ りっぱなひも ─

  十三 ツバキ  ─ つばき ─





  一、果実  ─ かじつ ─



「見つけた。」


 草介の心は歓喜した。

 太陽のもとで見れば、きっと色を失うと思っていた男の姿は、月明かりに見たままに美しかった。

 草介は、すぐにあらわれることをせず、あとをつけた。

 警戒心の強い鳥が気づいて飛び立ってしまわぬように、距離をとって歩いた。

 そんなことを、草介は何日も続けた。


 その涼やかな目が眩しげに硝子がらすの風鈴を見あげ、指先で揺らし、音を確かめる。

 聴こえないはずの音色は、草介の耳の奥に軽やかな響きをもたらした。

 空から落ちてくる羽を受けるように、草介は指先を柔らかく曲げて遠くの諭利の姿を右の手の平に乗せる。

 ふわり、と香油が香る。

 諭利の、体の匂いと肌の温かさがよみがえる。

 草介の指は、咲きかけの花の膨らみのように丸く閉じる。

 体は甘い香りに包まれ、漣のような痺れが皮膚の表層をチリチリと走ってゆき、たまらず草介は目を閉じた。


 ──何処へ行ったのだろう、俺の雲雀ひばりは。


 目を開くと、その姿は消えていた。

 諭利が立っていた場所まで駆けて行き、そこから辺りを見回した。

 荷車の音が近づいて、草介は脇に寄った。

 通り過ぎた荷車の行く先に、それらしい人影があった。


 ──待ってくれ。


 走りかけたとたん、軟らかい物とぶつかった。

 草介はびくともしないが、跳ね飛ばされ、娘は地面に尻餅をついていた。

 草介は片手で娘の腕を掴み、軽々と立ちあがらせた。

 そして、声もかけずに去ろうとした。

 心は、道の先をゆく。

 が、体は留められている。

 草介の着物を掴み、娘は逃がすまいとしていた。

 籠に入れた果実は、ぶつかった拍子に落ちて道端に転がっている。

 柔らかい実が潰れ、微かに甘い匂いが漂いはじめていた。


「ぶつかって来たのはそっちだ、小娘。」


 威圧的に見おろし、草介は掴まれている裾を引き返した。


「よそ見をしていたのは、あんたの方だろ。

 見てよ、あんたのせいで売り物にならなくなったよ。」


「金を払え、と言うのか。」


「そうだよ、払ってよ。

 手ぶらで帰るわけにはいかないんだ。」


 娘は、自分の背丈の倍はあろうかという男に向かって、一歩も譲らなかった。

 通行人が遠巻きに、草介をとがめるように見ている。

 難癖をつけられているのは俺なのに、小娘をイタぶっている風に映るのだろうか。

 こちらをちらりと見ながら通り過ぎる者たちを、草介は ぎっと睨み返した。


「いくらだ。」


 投げ遣りに草介は訊いた。

 小娘のせいで、見失った。

 潰れた果実を拾い集める娘を横目に、金をくれてやったのだからもういいだろう、と草介は歩き出した。

 すると、娘が駆け寄って来た。


「これはキズもすくなくて、きれいだよ。

 汁がおおくて甘いんだ、──ひいきにしてよね。」


 言って、草介に笑いかけると、娘はキズ物の果実を橋のたもとにある道祖神の前に置いて行った。





  二、雲雀  ─ ひばり ─



 橋の下から物乞ものごいがあらわれた。

 物乞いは手を合わせると、服の前に果実を包み込んで持ち去った。


 草介は、手に持った果実を見ていた。

 蟻が一匹くっ付いている。

 薄皮の破れた部分にはり付き、蟻は美味そうに汁を吸っている。


 ──これは俺のだ。


 蟻を指で弾き飛ばし、草介は果実にかぶりつく。

 噛み締めると果汁があごのしたへ伝い流れた。

 口周りを濡らしながら、草介は果実を平らげた。

 喰うには難儀したが、娘の云うとおり、甘く美味い実だった。

 口の中に残った種を川に向けて吹き飛ばし、草介は行く宛てもなく歩きだした。


 歩いていると、頬に視線を感じた。

 草介はそちらへ目を向けた。

 明らかに、橋の上の人影はこちらを見ている。

 立ち止まり、草介は顔をあげて見つめ返した。


 ──俺を、覚えているだろ?


 草介は目で必死に呼びかけていた。

 けれど人影はつれなく背を向けた。


 ──待ってくれよ。


 草介は駆け寄ろうとした。

 それを見越したように、人影は軽やかに走りだした。

 黒い薄物の衣装がまくれ上がり、山吹色の内着が鮮やかに日の光を照り返す。

 人影は、着物の裾を優美になびかせて走りながら、後ろを見た。

 目を細め、唇の端をこころもちあげ、草介を誘っているかのようだった。


 草介は、路地に入る緒尾を追って角を曲がる。


 ──たしか、この先は行き止まり。


 されど、そこに姿はなかった。

 ほんのりと、鼻先に馨る香油。

 草介はハッとして、後ろを向く。


「私に、何の用だい?」


 気配を感じ取れず、手を伸ばせば触れられる位地まで詰め寄られていた。


「数日、私をつけ回しているね。

 なにが目的だい?」


 草介に向けられた視線は、射るようだ。


「あんたに会いたかった、……それだけだ。」


「私の周りをずいぶんと嗅ぎ回っていたようだが、私の素姓を調べあげて、強請ゆすろうとでも考えたのかい。

 ──そう、」


 不意に名を呼ばれ、草介はビクリとなった。


「──と、いうのだろ、おまえのまことの名は。

 呆れたものだね、おまえのような子孫がいることを、桂弦けい げんはどう思うだろうね。」


 桂弦、──とは、名君と敬われる先祖の名だ。


「なんだい、驚いた顔をしているね。

 尾行されている間、私もおまえを調べていたよ。


 あの哲郎とかいう役人、妙な目で私を見たよ。

 おまえは一夜のことを、あの男に話したのだね。

 あの一時ひとときに、私はおまえと心が通じ合ったと感じたのに、残念だよ。

 おまえのような男に一瞬でも惹かれてしまったことを、私はとても恥じているよ。」


「そう、つれないことを云うなよ。

 つい口を滑らせたが、あいつ以外には話していない、本当だ。」


 草介は、媚びるような薄ら笑いを浮かべた。


「なあ、肩口の噛み痕はまだ残っているだろ。

 乳の先が着物にこすれて痛むたびに、俺を思い出しただろ?」





  三、毛虱  ─ けじらみ ─



 かつえていたとはいえ、つまらない男を相手にしてしまった。

 この男が、あの役人になにを語ったかは想像がつく。

 事実を歪め、興味を惹くような刺激的な脚色をしたにちがいない。


 私は真心を尽くした。

 男は心を許し、秘密を打ち明けてくれた。

 体を重ね、心を重ね、共有した一夜を、この男は踏みにじったのだ。


 見つけられ、幾日も尾行された。

 危害を加えられることはないだろうと放っておいたが、あの役人にあんな言葉を吐かれたので、一度会って釘を刺しておくべきだと思い直した。


「誤解するなよ。

 会いたかったと言ったのは、これを返すためさ。」


 草介は銭の入った巾着を差し出した。


「要らない。

 それはおまえの物、そう伝えたはずだ。


 ──用はそれだけかい?

 ならば私も言っておくことがあるよ。

 私の周りをうろつくのはやめて、私の前に二度とあらわれないでおくれ。


 わかったら、それを持ってお帰り。」


 聞き分けなく、悪戯を繰り返す子供に諭して聞かせる、そんな口調だ。

 たしかに俺は年下だが、ずいぶんと舐められていると感じ、草介は怒りをおぼえた。


「黙って聞いてりゃ、人のことを強請ユスり扱いか。

 いたぶられて、ひいひい泣きながらよろこんでやがったのは、どこのどいつだ。


 そうだ、お前の大事なに云ってやろうか。

 迅水組の市蔵が、お前の情人オトコなんだろ?

 俺との情事コトを洗いざらいブちまけたら、そいつはどんな顔をするかな。

 金で男を買っていたと知れたら、おまえもタダでは済まないんじゃないのか。」


「──話したければ、お話しよ。

 市蔵は、おまえのような与太者の話など真に受けやしない。

 鼻であしらわれるだけさ。

 そうしておまえは恥の上塗りをし、桂家の品位をおとしめるのさ。


 それとね、市蔵は私の情人オトコではないよ。

 市蔵が情人なら、おまえなど最初はなから相手にしやしなかったよ。」


「ハン、随分と余裕じゃないか。

 ああそうか、虎の威を借るナンとやら。

 うしろに、ご大層な大物が控えているんだよな。

 それで、偉そうな口を利いていられるのか。

 聞いてるぜ、この国に渡って来て早々、杉田屋をたらし込んだんだってな。」


「そういうおまえは、どうなんだい?

 物書きとは名ばかり、女に寄りかかって生きている『毛虱けじらみ』だろ。」


 美しい鳥は麗しい声で、薄汚い言葉をさえずる、──憎々しげに、草介は諭利を見おろした。


「怒ったかい?

 私のような身分の低い、学歴がくのない者に本音を言い当てられては、頭にくるのも無理ないね。

 高貴な出生と高い学歴が、おまえの心の拠り所。

 だが、それも今の境遇ではなんの役にも立たない代物だ。

 身分の低い者に頭をさげることはできないし、頭の悪い奴の下で働くのは真っぴら御免、──ときては、そんなものがない方が、むしろ生き易いくらいさね。」





  四、口論  ─ こうろん ─



「自尊心の高いお前には、日々の糧を得るために物売りをして歩くなんてこと、逆立ちしたってできやしない。

 だから、『物書き』などと名乗り、格好をつけている。

 巧みに言葉を操ることで己の学識の高さをひけらかし、ただ女にぶらさがって生きているだけの男ではないのだと、余人に知らしめたいのだ。」


 草介の表情が変わった。

 皮肉めいた仮面の下から素顔が覗いている。

 少々云い過ぎたか、と諭利は思った。

 り込めてはいけない、人を怒らせて良いことなど一つもない。

 男は自尊心で生きている、面目を潰すと逆恨みをされかねない。


「出会ったとき、お前は死にかけの野良犬のようだったよ。」


相手をしてやった、と云いたいのか。

 憐れな男にほどこしをして、いい気分になっていやがったのか。」


「──初めに、お前は云ったよ。

 ただ会いたかった、と。」


 それは、惚れてしまったということだ。


「一夜限りに、お前とは二度と会わない約束をした。

 すまないが、お前の『人形』にはなってやれない。

 ただ、あの夜に聴いたことは、決して誰にも話したりはしない。

 この胸のうちに、仕舞っておくよ。」


 諭利は胸の上に右手を添えた。


「──俺だって、二度と会う気はないさ。

 とにかく、これは置いて帰るぜ。」


 云うなり、草介は巾着を足元に落とした。


「邪魔したな。

 もう少しマシな野郎だと思ったが、とんだ見込み違いだったぜ。」


「仕方がないね、お互いさまさ。」


 草介は足早に立ち去った。


 こうした小競り合いがあってから、草介の気配を感じることはなくなった。


 しかし、数日経ってから、味彩庵あじさいあん(諭利の店)に小さな使者が訪れるようになった。

 手にした桜の枝には文が括りつけてあリ、開くと流麗な筆遣いでうたがしたためてあった。

 次の日も、その次の日も、五歳くらいの男児が、諭利宛ての文を携え、訪ねて来た。


 そして、文が届くようになってから半月が経とうとしていた。





  五、付け文  ─ つけぶみ ─



 後を付け歩いていた事といい、しつこい男だ。

 訊けば、文を持ってくる男児は、草介が転がり込んでいる女の家の近所に住んでいるという。


 諭利は男児を店のなかに入れて茶と饅頭をすすめた。

 名を訊くと、「伊佐いさ」と答えた。

 あらためて、諭利は伊佐に、草介はどんな奴かと訊ねた。

 すると伊佐は、「はじめは、デカくて怖いおっちゃんだと思ったけど、話すと案外イイ奴だった。」と答えた。


 ならば、草介とはどんな話しをするのだい、と質問を重ねた。

 伊佐は、饅頭を手に取り、草介と交わした話の内容を明かした。

 草介はよく、「桂颯けい そう」という男を話題にする。

 その男は、草介と同じ学問所に通う同期であった。


『高貴な血筋と、ちょっとばかり学問がデキるのを鼻にかけたイヤな奴だった』と、草介は言っただそうだ。


 さらに、草介の話しは続く。


 桂颯には、想い人がいた。

 一度会ったきりの、その人物が忘れられず、捜索をはじめた。

 しかし、「その人」について桂颯が知るのは容姿のみ。

 桂颯は知人の役人を頼った。

 すると、意外に早く知らせが届いた。

 その役人が語った「それらしき人物」の情報に、桂颯は歓喜した。

 胸を躍らせ、会いに行った。

 されど、いざ顔を合わせるとなると、どう声を掛けてよいものか躊躇した。

 桂颯は、切っ掛けをつかめず、幾日も「その人」の後を付け歩いた。

 その挙げ句、尾行しているのを気付かれ、気持ち悪がられて、嫌われてしまった。──


「バカだよな、桂颯。」


 二つ目の饅頭を頬張りながら、伊佐は笑った。


「そうだね、バカだね。」


 私の周りを彷徨うろつくな、と警告したから、こんな回りくどい手を打ってきたのだ。


「草介は、使いを頼んだ理由を話したのかい?」


「うん。

 知り合いと、ちょっとしたことで口喧嘩をしてしまって会い辛くなった。

 仲直りをしたいから手伝ってくれ、って。」


「それで、味彩庵ここに文を届けて欲しいと、草介は頼んできたんだね。」


「──なあ、あんたも意地を張ってないで、いい加減、あいつの気持ちを汲んでやったらどうだい?」


 怒る気は、失せていた。

 草介のやっていることは子供じみていて、なんだか愛しいような気さえしてきた。

 子供に言われては訊かないわけにいかないし、桜も枝を折られて難儀なことだ。


 ──折れてやるか。


 苦笑しながら、諭利は腰をあげた。





  六、唐変木  ─ とうへんぼく ─



 諭利は、蔓ノ屋(版元)の暖簾をくぐった。

 草介は、給金の支払い日には必ず顔を出すと聞いていたので、店に断って待たせてもらった。

 草介を待つ間、本を手に取りめくっていると、店の者が寄ってきた。


「草介と、お知り合いなんですか?」


 そう訊ねた男の顔には、好奇心が満ちていた。

「味彩庵の店主」は噂の的なのだ。


「最近、知り合ったばかりです。

 根無し草で、どこに訪ねてゆけばよいものか分からず、こちらへ伺いました。」


「女の家を渡り歩いているんです。

 まったく、羨ましい。

 今の女は小唄の師匠です。

 切れ長の目に柳腰の、そりゃあイイ女ですよ。」


 宿を提供していた女の内の一人は、草介を、「野良猫みたいなもの」と云った。

 ふらりと出て行って、久しく姿を見ないと思うと、別の場所で暮らしているのだ。


「草介を、豊国の貴族だという者がいるんですが、そこンとこ、実際どうなんですかね。」


「さあ、私も、どうした出処かは聞いていないのです。」


「そうですか。

 ここにも、二年近く出入りしているけれど、素性はよくわからないんですよね。

 ただ、かなりの博識で、計算が驚くほどに早い。

 こちらが教えて貰うこともあって、重宝しています。

 まあ、あいつが書いているものは、なんというか、『通好み』のものですがね。

 草介が書く物を、読んだことがありますか?」


「ええ。

 確かに、好みですよね。」


 諭利は苦笑いした。


「ですがね、ああした際物モノばかりでなく、まともな物も書いているんですよ。」


「待っていて下さい、」と云って、男は奥へ行き、分厚い紙の束を携えて戻った。


「あいつが書いた物です。

 面白いとは思うのですが、蔦ノ屋うちではこうした政治絡みの物を扱わないんです。」


「見てもいいですか。」


「どうぞ。」


 店の隅に腰掛け、目を通した。

 草介がどういう考えを持っているか、よく解る内容だった。


 諭利は顔を上げ、店の入り口を見た。

 大男が立っていた。


「唐変木。」


 と、諭利は頬笑んで呼びかけた。


「自分のことを、よく解っているじゃないか。」


「唐変木ではない。東平朴とうへいぼくだ。」


 それが、草介の物書きとしての名だった。


「これを読ませて貰ったよ。

 まだ半分も読めていないが、良く書けている。

 お前が本当に書きたいのは、こうした物なのだろ?」


「俺に、会いに来たのか。」


「そうだよ。

 使いの子にね、意地を張ってないで会ってやれ、と云われたよ。」


「──外で話そう。」


 草介は諭利を促し、店を出た。





  七、熱病  ─ ねつびょう ─



 風邪をひいたようで、数日前から咳が続いている。

 喉がイガイガする。

 咽頭の右側が炎症を起こし、熱を持っている。


 草介は日がな小さく咳き込んでいた。

 女は、その様子を見て、昨今さっこん流行しているタチの悪い熱病ではないかと疑っていた。


 豊国の西方から流行り始めた病は、南方から海を渡って珠国にもたらされた。

 船上で発症した観光客を隔離し、その船に乗り合わせていた者すべてを港に留め置いた。

 症状の現れた水夫と、共に働いていた者を、こちらも別々の場所へ保護した。

 事態が発覚してから、速やかに対処がなされたことで、発病した者も無事に回復し、留め置かれていた者も早々に解放された。

 これ以上の拡がりはないと思われた。

 しかし、この件以前に、国を往来した者に感染があったのだ。

 当事者も、ただの風邪だとあなどり、医者にかからず、日常の生活を送っていた。この、わずかな期間に感染者は増えた。

 養生所には病人が溢れた。

 病人を寝かせて置く場所がなく、炎天下の庭に天幕を張り巡らし、ござを敷いて対応した。

 人が密集しているうえに風の通りが悪く、その場は蒸し風呂状態だった。

 医師も、看護人の数も足りてはいなかった。

 ゆえに、老人に子供、体力のない者から順に、息を引き取っていった。

 感染者の遺体は、刑場の近くの空き地に穴を掘り、集団で埋葬されることになった。

 獣などに掘り起こされたりしないよう、地中深く埋められた。

 一度感染したら、ほとんど治らないという噂があり、瓦版などによって、「豊国では、病人を集めておいて、生きたまま穴に落としほうむる」──などといったデタラメが、まことしやかに伝わった。

 そのため、感染を知られたら殺されると思い込み、病と疑わしい者が名乗り出ず、被害が拡がるという事態が起きていた。


 女は遠回しに、出て行ってくれ、と伝えてきた。

 出て行けといわれたら、潔く去るのが草介の流儀だ。

 だが、弱っているところに寝床ねどこを失うのは辛かった。

 患っていると、泊めてくれる者はない。

 コホコホと咳き込む姿を見て流行り病を連想するらしく、皆、一様に眉根を寄せ、そっと口を覆う動作をする。


 日中は日差しが強いので、川縁の土塀の陰で過ごした。

 鼻が詰まっているので、垢まみれの物乞いの体臭も、目の前のドブ川の臭いも気にならない。

 しかし、咳き込むと、隣に寝ている物乞いからも顔を顰められる。

 足先で、あっちへ行け、と追われる有り様だ。


 日が傾き、川から吹いてくる風が涼しくなり始めたころ、草介は腰を上げた。

 症状は悪化し、酷く体が重かった。

 熱に浮かされた耳の奥、かすかな歌声が流れる。

 涼やかな、かの人の面影を追うように、足は自然と東風村の方角へと向いた。


 重い足を引きずりながら、草介は一刻かけて蓮沼神社に辿り着いた。

 家は目と鼻の先だったが、寄るのは気が引けた。

 断られるのが、怖かった。





  八、蓮沼  ─ はすぬま ─



 喉がひどく渇いていた。

 湧き水を手ですくって飲み、そこで座り込んだ。

 歩き疲れ、腰を下ろしたら、立つ気力を失った。

 そこで、うつらうつらしていたら、いつの間にやら眠っていた。


 目の前に、淡い光を湛えて白蓮が浮かぶ。

 何だか夢を見ていた気もするが、覚えてはいない。

 寒い、──体が芯から冷えている。

 身震いがし、意識が鮮明になった途端、くしゃみが出た。

 側に、気配を感じた。

 背後に、柔らかな温かい光を受けたその姿、仏か、──と草介は思った。

 俺は、眠ったままポックリってしまい、ここはあの世とやらか、──と、ぼんやり考えた。


「聴こえているか、私がわかるか、」


 肩をトントン叩かれて、草介はうなずいた。


「なぜ、お前はこんな所で寝てるんだい。」


「女の家を追い出され、行く宛あてが、なくってな、……」


 頭がポウとしているせいで、巧い言い訳も浮かばない。


「どうせなら、あんたの側で死にたいと考え、ここまで来たのさ。」


「馬鹿なことを。」


 諭利は、湧き水を汲みに毎朝この神社を訪れる。

 ここの水で茶を淹れ、一日の厄払いをする。

 今朝もいつも通りに来て、座ったまま眠るこの男を見つけたのだ。

 死ぬだなんて大袈裟な、と思ったが、ずっと咳き込んでいる草介を見、思い当たる節があった。


 諭利は草介の額に手を添えた。

 身体は冷えきっているけれど、頭部はひどく熱かった。


「ここまで来ているというのに、なぜ、私を頼って来ないんだ。

 こんなところで寝ていたら、本当に死んでしまうだろ。」


 心配して叱る諭利の声を聴き、我知らず草介は笑みを浮かべた。


「いい加減な付き合いをしているから、ここぞという時に助けてくれる者がいないんだよ。」


「あんたの言う通り、どいつもこいつも薄情だ。」


「それはね、自業自得。」


 断定はできないが、草介から症状を聞いた限りでは、悪質な感染病とは異なる気がした。

 たしか、──熱冷ましの薬なら置いていたはず。


「歩けるかい。とりあえず、体調が良くなるまで置いてやるから、うちへおいでよ。」


「地獄に、仏。」


 呟いて、草介は胸の前で手を合わせた。

 諭利は、草介の脇に肩を入れ、なかば背負うようにして家へ連れ帰った。


 着たきりの服装は薄汚れ、悪臭を放っていた。

 服の替えを勧めたが、体が辛いらしく、草介は脱ぐにも苦労していた。

 諭利の衣服では丈も短く肩幅も狭いが、それも仕方ない。

 替えを済ますと、座っているのも容易ではないようで、草介はすぐに体を横にした。


 しばらくして、諭利がかゆを運んできた。

 草介は、まる二日、腹に食べ物が入っていなかったことを思い出した。

 喉は渇くが、食欲はない。

 だが、諭利が作ってくれたものだと思うと粗末にはできない。

 草介は、粒のないとろとろの粥を、かなり無理をして半分ほど食べた。


 その夜。

 宿が決まった安堵からか、草介は高い熱を出した。





  九、林檎  ─ りんご ─



 草介が、寒い、と云って震えだしたので、温めるために布団を重ねた。

 その後、熱が上がり、高い状態がしばらく続いた。

 大量の汗が流れ出てきて、夜着をぐっしょりと濡らした。

 体を拭き、きれいなものと取り替えた。

 草介は咳をし、咳が止まらずに気持ちが悪くなり、嘔吐した。替えたばかりの服を汚し、すまないと感じたらしく、草介は乞うような視線を向けてきた。


「いいから。

 そんなこと、気にしなくていいんだ。」


 諭利は頬笑み、草介の口まわりをぬぐった。

 再び、服を替え、吐瀉物のついた布団も替えた。

 諭利は夜通し付き添って、草介の額の布をこまめに洗った。

 水で濯がれた布は、額にひんやりと心地良い。

 母が子にするように、諭利の手は咳き込む草介の胸をさすり、時折、優しく頭を撫でた。


 そのうちに呼吸もゆるやかになり、草介は眠りかけた。

 快い微睡まどろみのなか、草介は幼い日のことを思い出していた。


 ほんの数年前まで、颯は背丈ばかりが高く、肉の薄い貧相な体つきの子供だった。

 食が細く、食べた物を吐き戻したり、腹をくだしたりすることが多かった。

 何かにつけて熱を出し、一度風邪をひくとこじらせて、寝所で長い時を過ごさねばならなかった。

 そんな時、片時も離れず看病してくれる人がいた。

 颯を産み、すぐに死んだという母に代わり、ずっと颯を見守ってくれた人だった。


 束の間、草介は寝入っていた。

 目を開いた瞬間、草介の顔は苦痛に歪んだ。咳をした途端に胸が軋んだのだ。

 節々が酷く痛み、寝返りを打つにも至難の技だ。

 ただ、頭はスッキリと冴えていた。

 尻から入れた、解熱剤のお陰だ。


 甘やかな香りと共に、諭利が現れた。

 草介は、喉の渇きを覚えた。

 諭利の手に捧げ持たれた碗には、林檎を擦り、布巾でした汁が入っている。


 諭利に背を支えられ、草介は上体を起こした。

 諭利は肩に手を添え、碗を草介の口許へ運ぶ。

 枯れ葉色の果汁は、懐かしい故郷の生家を草介に思い出させた。

 口に含むと、何故か目頭が熱くなった。

 こんな風に、人の優しさに触れたのは何年ぶりだろう。


 これまで、被害者意識に囚われていて、他人を気遣う余裕を持たなかった。

 人をあなどり粗略に扱えば、己も人から同じ扱いを受ける。


 強敵を前に、立ち向かう事をせず、尾を巻いて逃げた。

 北の端から、南の果てのこの地まで来たのは、卑小な己に嫌気がさしたからだ。


 ──何処か、遠くの場所で、別の人間として生きてみたい。


 そう思ったのだ。


 額に載せた布を外し、諭利の手がじかに触れた。


「熱は下がった。

 顔色も悪くない、もう大丈夫だね。」


 諭利の手の上に、草介は自分の手を重ねた。


「面倒をかけて、すまなかった。」


 草介は、意外と素直に礼を述べた。


「なあ、あんた、唄を歌っていただろ?

 あの唄、俺がガキの頃、寝る前に、お付きの侍女が歌っていた唄なんだ。」





  十、子守唄  ─ こもりうた ─



「その頃。俺は体が弱くて、なにかと熱を出し、寝付くことが多かった。

 息が苦しくてゼイゼイやっていると、侍女は胸の辺りをさすってくれた。

 側にいて、俺が眠るまで唄を歌ってくれていたんだ。」


 独りになり、身近で自分を気遣ってくれる者が在るのは、ずいぶんと有り難いものだと気がついた。


「あの唄は、豊国を旅していた時によく耳にした。

 きっと、お前の故郷でも歌われているだろうと思ってね。」


 病んで心細くなっているときには、故郷や親しい人々、温かい思い出が恋しくなる。

 一時いっときでも慰めになれば、と思い、歌ったのだ。


「誰もが知っている童謡だ。

 土地によって歌詞が違う。

 あんたが『赤い鼻緒はなお』と歌っていた所を、侍女は『赤いたすき』と歌っていた。」


「『お舟で渡る』と歌う所を、『お山を越えて』と歌う地域もあった。

 豊国は広いから、同じ領地のなかでも違うのだよね。」


「読み書きができない者も多い。

 子供はことばを聞き違えるだろうし、歌いながらその時の気分で詞を変えたりするだろう。

 口伝で伝わるものだから、そんな風になるのだろうな。

 土地柄や人柄が表れて、面白いものだな。」


「そうだね、人の想いが少しずつ加わってゆく、というのは、面白いね。」


 二人は顔を見合わせて微笑した。

 病み上がりの髭面だが、草介のかおは少年のように爽やかだった。


「なあ、少し眠るから、もう一度歌ってくれよ。

 俺が寝つくまで、側で歌っていてくれ、──いいだろ?」


 諭利は頬笑んで、うなずいた。

 草介の肩口を、軽くトントン叩いて拍子を取りながら、囁くように歌い始めた。

 目を閉じた草介の肩から力が抜けてゆく。

 このまま眠りに就くものと思っていたら、不意に、その目がパチリと開いた。


「なあ、あんたの名を呼んでみてもいいか?」


 気恥ずかしくて、今まで名を呼べなかった。蔦ノ屋に、諭利が訪ねて来てのち、二人は川縁を歩きながら話しをした。


 『話し相手が欲しかったのだろ? ──回りくどい男だな。』


 そう、諭利は云った。

 以来、諭利とは時々会って、会話をする仲になった。

 諭利と居ると、不思議と心穏やかになる。

 身構えず、飾らず、その束の間だけは、素のままの「己」でいられるのだ。


 そうか、──と、草介は思い当たった。


 誰かに、俺がここに在ると知って欲しかった。

 誰かに、心のうちを聞いて欲しかった。


 ──俺は、話し相手が欲しかったのだ。


 草介の問いかけに、諭利は歌いながら頷ずいた。


「──諭利。」


 草介は懐かしい友を呼ぶように呟いた。

 そして、何とも照れくさい様子で目を閉じた。

 歌っていると、やすらかな寝息が響き始めた。

 無防備に眠る草介の表情を見て、意外とかわいいじゃないか、と諭利は思った。


 そして、草介の身体が回復してから、数日が経過した。

 諭利は、情けをかけたことを、後悔した。





  十一、厄介者  ─ やっかいもの ─



 草介は、まるきり出て行く気配がない。

 野良犬は心地の良いねぐらを得て「これ幸い」と居着いていた。


 諭利が帰宅すると、決まって草介は、縁側で酒を飲んでいる。

 棚にしまってある酒を勝手に漁って飲んでいる。

 今も、朝、家を出る前に書棚の奥に隠しておいた酒を、探り出して飲んでいた。


「おう、帰ったか。

 こっちに来て、一緒にやろうぜ。」


 この男は、居候だという自覚が露ほどもない。

 草介が出て行かないことには、小鈴こすずを家に呼べない。

 もう十日ほど、姿を見ていない。

 いまの気がかりは、呑んだくれの大男よりも、小鈴だ。

「小鈴」──は、この庵の管理人の娘で、十歳になる女の子だ。

 裏の坂を下った先の家に住んでいる。

 諭利がここへ住むと決まってから、掃除を手伝いに来てくれ、しぜんと仲良くなった。その小鈴に、「今、病人を家に泊めているから、しばらくは家に近づかないように」と伝えてあるのだ。


 諭利は草介をチラリと見、立ち止まらずに奥の部屋へ向かった。

 草介は立ち上がり、素早く諭利を追いかけた。

 諭利が開けかけた襖を、草介はピシャリと閉めた。

 振り返り、諭利は無表情に草介を見上げた。

 草介は、鴨居に左手をかけ、大きな体で覆い被さるようにして、諭利を見下ろす。

 右手の甲を、諭利の頭上から髪に沿って滑らせる。

 人差し指で諭利の顎を持ち上げ、目を合わせる。

 視線は鼻をなぞり、諭利の唇の上に止まる。

 ゆっくりと距離を縮めてゆく。

 二つの唇が触れ合おうとする、──瞬間、諭利は顔をわずかにそらせた。


「ソウ、こういう気遣いは要らないよ、迷惑だから。」


 諭利は草介を「ソウ」と呼んでいる。


「ソウ、お前は知らないだろうから、教えておいてあげるよ。

 私はね、お前を『好き』でここに置いているのではないのだよ。」


「キツいねえ。

 面と向かって、よくもまあ、そんな酷いことが云えたもんだ。」


「云わないと、判らないだろ。

 身体が回復するまで、と伝えていたのに、いつまで居座る気だい。

 私はここで、お前と夫婦めおとのように暮らす気はないのだからね。」


「まあ、待てよ。

 俺はここを追われたら、橋の下で寝るしかないんだぜ。

 出て行け、だなんて、残酷コクだぜ。」


 諭利は腕組みをし、眉根を寄せる。

 憐れっぽい表情で同情を誘おうとする男に対し、毅然と言い放つ。


「ソウ、同情を引こうたってムダだよ。

 お前は私に飼ってもらおうと考ているのだろ。

 何処でも同じ手口が通用すると思ったら、大間違いだ。」





  十二、立派なヒモ  ─ りっぱなひも ─



「いいかい。

 私は、お前のように信念もなくフワフワ漂ってる男が、好きではないのだよ。


 それにね、『ヒモ』になるにも資質があるんだ。

 見たかぎり、お前は立派なヒモにはなれやしない。

 だから、地道に働くんだ。

 仕事をおしよ。

 仕事というのは、あの辛気臭い書き物のことではないよ。

 大体、夜中にチマチマと書き物をしているのが良くないよ。

 夜起きて、昼間に寝ているだなんて、不健康にもほどがある。

 人間、日の光を浴びていないとね、『陰』の氣が体に貯まって、頭の中も陰気になるのだよ。

 思い癖、というものもある。

 頭で考えていることは、やがて身体にも影響を及ぼしてくるものなのだ。


 幸い、お前には親から譲り受けた立派な体がある。

 日雇いの雑役でもすれば、まとまった金が月々きちんと入ってくるよ。

 私は、お前を養ってやる気はこれっぽっちもないのだから、扶持ぶちは自分で稼ぐんだよ。」


「家賃を払えば、ここに置いてくれるってことか。」


 そうではなくて、と、諭利は溜め息をついた。


「誰かに寄りかかって生きるのはやめた方がいい、金を稼いで部屋を借りるなりしろ、──と云っているのだよ。」


「……嬉しいねえ。」


 草介はしみじみと云った。


「それは、俺を憎からず思ってくれているからこその、苦言だよな。

『好き』ではないとしても、嫌ってはいないってことだ。

 俺は、あんたが好きだ。

 あんたの側を離れたくない。

 だから、何と云われようが出ていかない。」


 出ていかない、──ときた。

 いよいよ面倒なことになってきた。

 しかし、これも自ら招いたこと。

 この男を家に入れたときから、何となく予期していたことではあった。


「ソウ、私が留守の間に『小鈴こすず』という女の子が訪ねて来るだろうから、家に入れてあげてね。

 追い返したり、しないように。

 悪さをしてはダメだよ。」


「大丈夫だ。

 俺はガキの女に興味はない。」


 草介はきっぱりと答えた。


「なあ、俺はここ半月ばかり、誰とも交接まじわっていないんだぜ。

 あんたにみさおを立てているのさ。

 どうだ、──健気けなげでいじらしいだろ。」





  十三、ツバキ  ─ つばき ─



 やまいしていたのだから、みさおを立てるもなにもないだろうに。


「迷惑だよ。」


「ああ、これだ、つれないお方だ。

 可哀想だから久しぶりに夜伽とぎをしてやろうかとはならんのかね。

 なあ、俺は優しいぜ、ちゃんとあんたの意思を尊重しているんだ。」


 俺の方が、体格も良く力もまさっている。

 今だって腕にものをいわすこともできるのだ、──と云いたいらしい。


「俺は切実だぜぇ。

 恥ずかしい話だが、昼間、うたた寝をしていたら何年か振りにらしちまったんだ。

 まっていたのさ。

 夢の中で、俺はガキに戻っていてな、そこは生家の寝室だ。

 寝ている俺の横には侍女ではなく、あんたがいた。

 あんたは唄を歌いながら、ゆっくりと俺を裸に剥いた。

 ガキの俺はされるがまま、産まれたての仔犬みたいに身体中を舐めまわされ、こそばゆいやら気持ちがいいやらで、目が覚めたら、まあ、そんな具合さ。

 それにしても惨めだぜ、あの冷たい感覚はなぁ。」


 恨めしげな視線を向ける草介を、諭利は冷めた目で見返した。


「ソウ、私の下帯を使うのは、もうやめてね。

 使った物はお前にあげるから、洗濯は自分でするんだよ。」


「それと、──」と、諭利は穏やかだが語気に鋭さを込め、云った。


「酒を飲もうと誘う前に、私に云うことがないのかい?」


 草介は首をひねった。

 何を謝るべきか、判らない。

 諭利は溜め息をつき、明け方の一件を話した。


 ──目が覚めると、草介が背中に抱きついていた。

 薄暗くて判断はつかないが、土らしきもので夜着が汚れている。

 草介の顔の下に敷かれた諭利の髪は、ネバネバとした酒臭いよだれで臭っていた。

 昼間のうちに丹念に洗い、椿油を馴染ませておいた髪なのに、酔っ払いの汚いつばきを上塗りされていた。

 仕方なく、髪を洗い直そうと、湯を沸かしに炊事場に行くと、重ね置いてあった桶が四方に転がっていた。

 どうやら、この酔っ払っいは、小便に行った帰りに、土間の敷居に足を捕られて転んだらしい。

 土間の土をつけたまま、諭利の布団に入り込んでいたのだ。


「起きて見たらすね青痣あおあざができていて、どうしたものかと考えていたのさ。」


 草介は、己の行状を聞いてヘラヘラ笑い、諭利の顔色を見て、「すまなかった」と付け足した。


「ああ、判った。

 あんたの云う通りにするさ。

 仕事も、ナンだか探してみるさ。」


 すまなかった、と云ったら、許してくれると思っているフシがある。

 けれど、なぜだか不思議と愛嬌があり、憎めない奴である。


 子供のように、草介は諭利の顔色をうかがっている。


 ──仕方ない、しばらく置いてやるか。……


 諭利は、きつい眼差しを草介に注ぎながら、「甘いな」と、己に向けて呟くのだった。








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