第7話

 東の空が白み始めた頃、アイシアは人知れず宿の外へと出る。その手には、自分の荷物一式を詰めたカバンが握られている。

 パルレカルムの正面口に差し掛かったとき、目の前に人影があることにアリシアは気づいた。

「おいおい。あんた、案外せっかちなんだな……ふわぁ~あ。何もこんな朝早く出て行かなくてもいいだろうに」

 ラルミドはあくび混じりに言った。アリシアは彼の言葉に足を止めず、返事をする。

「これでも忙しい身ですから。この町にも、予想以上に長居してしまいましたので」

 アリシアはそのまま、ラルミドの横を通り過ぎようとする――その直前、ラルミドは深々と頭を下げた。

「アンタのおかげで、領主の悪巧みをぶっ潰せた! これで、スラムの連中も救われるよ! ありがとう!!」

 その言葉に、今度はアリシアも足を止める――が、その表情は決して明るいものではない。

「ラルミドさん、あなたは何を言っているのですか? そんなに簡単にいきませんよ、人間というのは」

 ラルミドは驚いて、頭を上げる。さらに慌てた様子で言葉を投げかける。

「何でだよ! 領主の奴は捕まった! スラムを無視した豚野郎はいなくなったんだ。これで皆も、スラムの奴らを見捨てないで済む!」

 アリシアはため息を吐く。それはラルミドの言葉が、本心から来るものだとわかったからだ。

 ――何ともお気楽な頭をしていますね。

 ――もっとも、誰もが彼のようなら……世の中平和かもしれませんが。

 アリシアはクルッと向きを変えると、町に背を向けた。それを見て、ラルミドは声を上げようとする――しかし、その前にアリシアが話を始めた。

「領主と馴れ合っていた保安官。領主を恐れていたとはいえ、これまでスラムを無視してきた住人の方々――加えて、次の領主がどんな人物になるのか……問題は山積みですし、人はすぐに変わるものではありませんよ。良い町になるかどうかは、ここに住む人々の課題です」

 アリシアは歩き出す。ラルミドは彼女を追い駆け、横に並んで足を動かす。

「あんた……この町を助けてくれたんだろ? そのために、頑張ってたんじゃないのかよ!」

「私は自分の仕事をしただけです。法律を守り、無法を許さない……それ以上でも、それ以下でもありません」

 ラルミドはアリシアの前に踊り出る。顔を真っ赤にし、怒りに体を震わせながら。

「何だそりゃ! じゃあ、皆は? 今よりもっと悪い目に合うかもしれないのかよ! お前はここからいなくなるのに!! そんな……勝手な話があるか!!」

 怒声を浴びせられても、アリシアは動じない。それどころから、彼女はラルミドの顔を見ながらにっこりと笑ってみせる。

「法は傷んだ茶葉を摘み取るものです。けれど、新しい芽を育てることはできません。それは人の手で成すべきこと――この町には、素敵な人たちがたくさんいましたよ? ラルミドさん、あなたはそれでも、この町が――パルレカルムが今より悪くなると思うのですか?」

 アリシアの言葉に、ラルミドははっとする。足を止め、振り返ると、遠くから人々の声が聞こえてくる。店を開ける人、仕事へと出かけていく人、朝食の支度をする人――町の人たちの活気に満ちた音が、ラルミドの耳に届く。

 ラルミドはもう一度振り返り、去っていくアリシアの背中を見つめる。遠ざかる彼女の姿に、一つの希望を感じた彼は、足早に町へと戻っていく。

 アリシアはその足音を聞くと、少しだけ足取りが軽くなった。次の仕事に向かうため、一人静かに南に向かっていく。

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法律少女の裁定行脚(ジャッジメント) 五五五 @gogomori555

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