第三章「緊急裁定執行、開始!」

第1話

 宿屋で借りた二階の部屋の中で、アリシアは手帳を見つめている。これまで集めた情報を整理し、自分なりの推論を立てるためだ。

 ――書簡や帳簿など、領主の持つ資料に矛盾はなかった。

 まずがそこが始まりだ。ベルトールが見せた書類に間違いはない。だから、おかしい。

 ――港に入ってくる荷物に関する記載。その中に船を積載限界を超えたものがあった。

 ――なら、普通は帳簿に辻褄が合わず、間違いが見つかるはず……。

 だが、書類上に破綻のない数字が並んでいた。つまり、あの書類は間違い自体を折り込み済みで作られたということだ。

 本当は船で運ばれたわけではない荷物が、上乗せされて記録されている――そこにどんな意味があるのか。

「密輸――でしょうか? ですが、禁輸品を持ってくるなら、書類に記載する意味自体がありません。なら、通常の物品を? いえ、それなら普通に記載すればいい」

 アリシアは独り言を呟いた。自分の考えを整理するとき、彼女はたまに、自分自身に問いかける癖がある。自分の独り言に気づき、頭を恥ずかしそうに頭を掻くアリシア。気を取り直し、考えを続ける。

 通常の物品を、普通ではない方法で運び入れ、それを隠す。あまりにも回りくどい方法である。そんな面倒をわざわざ行う理由など普通はない。茶屋のアーリス、元商人のバゴットの話から、アリシアは一つの答えを導いた。

 ――ですが、全ては推測。証拠がありません。

 ――手荒なことをする必要がありそうですね。

 バタン! ……ザワザワ。

 アリシアは下の階が騒がしいことに気づく。何やら人々が大声を上げているようだ。話の内容自体は聞こえないが、相当慌てた様子である。

 何事かと思い、アリシアは部屋から出る。すると、宿の主人の前に四人の男が立っていた。主人に迫る男たちは、アリシアを確認すると、大声を上げた。

「いたぞ! おい、アンタ!! アンタのせいで、大変なことになってるんだ! 責任を取りやがれ!!」

 アリシアは、状況がわからず、頭の上に疑問符を浮かべてしまう。


 日暮れ時、ラルミドは人を忍ぶように路地を歩いていた。目指すのは領主ベルトールの館だ。

 ――俺のやってることは悪いことだ。

 ――シーラおばさんがいくら褒めてくれても、それは変わらない。

 彼にとって盗みは生業だ。盗みの技術なしで、ラルミドはここまで生きることはできなかった。そして、その技術を教わった男は、彼にこう教えた。

 生きるため、食っていくため――それでも盗みは悪行だ、と。

 ラルミドは、だから町の人からの優しさを素直に受け止めることができない。他人に甘えていい道理など、自分にはないと感じるからだ。

 だが、ラルミドがいくら悪態をついても、優しくしてくれる人がいた。だから、この町の暗い部分を――それを放置する領主を許すことができないのだ。

 館についたラルミドは、まず裏側から塀を登る。身長の倍はある壁――だが、飛び上がった彼は、塀の端を掴み、そのまま体を持ち上げてしまう。

 塀の中に入れば、警備は薄い。使用人や傭兵たちの目を盗み、次第に館の奥へと足を踏み入れる。

 ――ここが領主の部屋……かな?

 最も豪華が装飾が施された扉を見つけ、ゆっくりと開ける。中には誰もいない。

 立派な机が真ん中に置かれ、右手側には立派な鎧や剣が飾られている。

 ――この鎧、あのおっさんじゃ着れないだろ。デブだし。

 余計なことを考える自分を、ラルミドは頭を横に振って追い出す。反対側には本棚があり、たくさんの書籍が並べられている。

 ある程度の読み書きができるラルミドだが、そこに置いてある本は、タイトルからしてよくわからない。

 本棚を無視して、今度は部屋の正面にある机の目を向ける。

 良質な木材を使い、豪華な彫り物をされた机――その上には、金細工を施したペンやら、宝石が散りばめられた時計などが置かれていた。

 ――これだけで、スラムの生活をどれだけ楽にできるか……嫌気が差すぜ!

 ラルミドは一瞬、それらの宝物を懐に入れようと考え、手を伸ばす。だが今回の彼は、単なる盗みが目的ではない。手を引っ込め、代わりに机の引き出しを開く。

 ――人間、大事なものほど手元に置いときたいもんだからな。

 引き出すを上から順番に調べていく。机の上と比べて、引き出すの中は、随分と散らかっていた。汚い引き出しを、さらに荒らすように引っ掻き回すラルミド。

 それらしい紙を見つけては、中身をたしかめる。

「う~ん……今晩? 愛し……? なんだこりゃ、恋文か? あのおっさん、見た目に似合わねぇことしてやがるな。気色わりぃ……じゃなかった、こんなもんはどうでもいいんだって」

 手に取った紙を丸めて、床に放り投げる。別の引き出しも開けてみるが、目当ての物が見つからない。

 焦るラルミドだったが、一番下の引き出しを開けようとしたとき、鍵が掛かっていることに気づく。

 ――ここだけ鍵が掛かってやがる……コイツはもしかすると。

 ラルミドはベルトに付いていたポーチに手を伸ばす。中から長細い金属を一本手に取ると、それを引き出しの鍵穴に入れた。

 カチャカチャ……カチリ!

 手に持った道具を鍵穴から抜き、ラルミドはもう一度引き出しを引っ張ってみる。すると、すんなり開いてしまった。

 ――俺の前じゃあ、鍵なんざ意味ないってぇの!

 自慢げな表情を浮かべ、人差し指で鼻の下を擦る。鍵開けの道具をポーチにしまうと、ラルミドは引き出しの中を覗き込む。

 他の引き出しとは違い、その中にはたった一枚の羊皮紙が、紐で結ばれた状態で置かれていた。

「何だ? また恋文じゃねぇよな……もしそうなら――」

 紐を解き、内容をたしかめた瞬間、ラルミドは表情を変える。それは一枚の計画書だった。

 彼には詳細はわからない……だが、ラルミドが見つけた一行は、それが目当ての物であることを教えてくれた。

「これなら……コイツがあれば」

「なんだ、お前!! 私の部屋で何をしてる!」

 引き出しを物色するのに夢中で、ラルミドは部屋に近づく気配に気づかなかった。扉を開けたベルトールの声で、彼がピンチに陥ったことを理解する。

 ――しまった、油断した!

 ベルトールに視線を向けるラルミド。相手もまた、暗い部屋の中にいる泥棒の姿を確認しようと、目を細める。そして、ラルミドの手に握られた書類の存在に意識が向く。

「き、貴様!! それはまさか……おのれぇぇぇ!! そいつを返せ、返すのだ!!」

 ベルトールは慌てて部屋の中に駆け込む。それを見たラルミドは、彼に向かって駆け出す。二人がぶつかりそうになった瞬間、ラルミドは飛び上がる。両足を広げ、両手でベルトールを自分の後方へと押す。その勢いで前方に着地し、そのまま扉を出る。

 廊下を駆け出したラルミドを、床に倒れ込んだベルトールは、ポカンとした表情で見送る――が、すぐに気を取り直し、大声を上げた。

「誰かぁ! コソ泥だぁぁ! 屋敷にコソ泥が入ったぞ!! そいつを捕まえろ! 殺してもかまわん、絶対に逃がすな!!」

 その声は、ラルミドの耳にも届く。

 ――せっかく掴んだんだ! こんなところで捕まってたまるかよ!!

 屋敷の中を必死でかけながら、ラルミドは手に持った一枚の紙を、力強く握り締めた。

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