第3話
アリシアは港で聞いた〈白い看板〉の店を探していた。言われた通りの場所へ向かうと、何も書かれていない白塗りの看板を見つける。アリシアは鍵が掛かっていないことを確認すると、ゆっくりと扉を開ける。
中はどこか薄暗く、とても商売をしている雰囲気ではない。店の奥にあるカウンターに人影を見つけ、アリシアは挨拶をする。
「どうもこんにちは。こちら、お店は開いていらっしゃいますか?」
「扉が開いてただろ? なら店は開いてんだよ、そんなこともわからないのかい?」
「いいえ、一応確認までにお尋ねしただけです。気に障ったなら謝ります」
「はんっ! 気にしちゃいないよ。あんた、この町の人間じゃないね、どこから来た?」
アリシアは、声の主に近づいていく。相手の姿を確認して、少し驚く。そこに立っていたのは、自分とさほど変わらない少女だったからだ。
髪の毛はボサボサで、楊枝を加えながら、片手には本を持っている。
「私は帝都から来ました。名前はアリシアと申します」
「へえ、帝都から? そいつはご苦労なこった。で、帝都住まいのお嬢さんがこんなところに何のようだい? というか、誰からここを聞いた?」
「このお店を教えてくださったのは、船乗りの方ですわ。先ほど、大きな船の持ち主だというご老人から」
「ジェイダースの爺め! 若い女には甘いんだからな、全く困ったもんだよ。いいかい、ここはお嬢ちゃんみたいな――お利口さんが来るところじゃないんだ。さっさと帰んな」
店主の少女は、手を払うように動かす。アリシアへ出て行くよう促しているのだ。だが、彼女は無視して、少女へと近づいていく。
「その本、薬学に関する本ですね。お茶は薬効があるものも多いですから、そういう使い方もしますよね」
アリシアの一言に、店主の少女は驚く。彼女が〈本のタイトル〉を読んだからだ。
バストラード帝国は識字率が高くない。特に専門的な知識に関する書物を読めるのは、本当にごく一部の人間だけ。だから少女も、本を隠そうとしなかった。
「あんた、一体何者だ? こいつのタイトルがわかる奴なんて、滅多にいないはずだぞ」
「そういうお仕事をしていますから。このお店を訪ねたのも、その仕事に関わることからです」
ニコリと笑ってアリシアが言う。少女は頭を掻きながら、バツが悪そうな表情を浮かべた。
「何だい? まさか、取り締まりにでも来たのかい? でも、この店がなくなると」
「取り締まる? その必要はありませんよ。茶葉を薬として販売するのは、犯罪ではありませんから」
「は? 犯罪じゃないって……あんた、どうしてこの店がこんな日陰にあるのか、わかってないのかい? お茶を薬にすると、領主の奴がすぐにとっ捕まえに来るからだよ!」
「わかっています。けれど、それは慣習的なもの。法で縛られるものではありませんから、私の仕事には関係ありません」
茶葉の薬品としての販売は、貴族たちの間で忌避されていた。自分たちが嗜むものを、庶民が求めるのは許せないからである。
また薬としての用途が広まれば、間違いなく茶葉の価格は高騰する。そのため、大抵の領主は薬草としての茶葉を販売することを、決して許そうとしない。
「はぁ、じゃあ、あんたは何しにきたんだよ。まさか、お茶を買いに来たわけじゃないだろ?」
「いいえ、その通りですよ。私はお茶を買いに来たのです」
少女はポカンと口を開けてしまう。その様子を気に留めず、アリシアは店内を物色し始めた。
「ちょうど手持ちの茶葉が少なくなってまして……少し補充しておきたかったのです」
アリシアは〈バナン茶〉のタグがついた箱を手に取る。計量用の麻袋に茶葉を詰めると、店主の少女へと渡す。
「コイツは、飲むためにあるんじゃないだけどね。あんたの言った通り」
「そう言わないでください。どんな用途で使おうと、それは買った人間の自由でしょう?」
不服そうな少女だが、茶葉を測りにかけ、代金を請求する。
「この重さなら……銀七ベールだよ」
アリシアは驚いた顔を見せる。少女はその表情に、内心「ざまあみろ」と思った。なぜなら、彼女は相場の倍の値段を吹っ掛けたからだ。
だが次の瞬間、今度は少女が目を丸くする。なぜならアリシアは、金一シムルを出してきたからだ。
銀三十ベールで、金一シムルと交換される。つまり、アリシアは吹っ掛けられた価格の四倍以上のお金を支払うことになる。
「ちょ、ちょっと待った! あんた何考えるんだい? あたしは銀七ベールって言ったんだよ?」
「はい、きちんと聞こえていますよ。でも最近は、なかなか手に入らないでしょう――茶葉が。これくらいがちょうど良いのではないかと思いまして」
「……何でそのことを。ジェイダースの爺さんが言ってたのかい?」
「いいえ、ただ――私が調べた証拠が確かなら、きっとそうだろうと思っただけです。ちなみに、入荷が難しくなったのはいつからですか?」
「……五ヶ月くらい前だね。その辺りから、どうも商人連中が渋い感じになってきた。採算を合わせるためにも、流す量を減らしたいって言われてね。最近じゃ、以前の半分くらいしか入ってこないよ」
アリシアはその話を聞いて、少し考え込む。だが、すぐに気を取り直し、少女から茶葉を受け取った。カバンから保管用の空箱を取り出し、茶葉を移す。茶葉に鼻を近づけた彼女は、ゆっくりとその香りを確かめた。
「う~ん、しっかりと処理がされていますね。混ぜ物も入っていないようですし……とてもよい品です」
「あったりまえだよ! ウチは親切、丁寧、安心を看板にしてんだ! 混ぜ物なんて、一摘みだってするもんかい!」
胸を張って少女は言う。その姿に、アリシアは思わずクスッと笑ってしまう。茶葉の箱をカバンにしまうと、アリシアは店の扉を出ようとした。
「そうだ、あんた……アリシアって言ったっけ? あたしはハーリスって言うんだ。もし次があったら、そのときはボッタクリは無しにしてやるよ」
「はい、ではそのときはお願いいたします」
アリシアはハーリスの申し出に、軽くお辞儀をして、店の扉から外へと出た。
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