第7話

「ふざけんなよ、てめぇ! それで許されると思ってるのか、ああ? 一緒に来やがれ! へへっ、女なら謝り方くらいわかってるだろ?」

 下品な笑いを浮かべながら、男はアリシアを引っ張ろうとした。だが、彼女はピクリとも動かない。

「いいでしょう。どこへなりとも? 私を連れて行くことができるなら……ですが」

 アリシアは腹を立てていた。品性は下劣、礼儀は皆無。こういう人間を、彼女は何よりも嫌っている。だからこそ、彼女は意地悪を言ったのだ。

 そんなこととは知らず、男はニタリと笑い、舌なめずりをする。古びたジャケットに隠れているが、アリシアは女性として十分に魅力的だ。

 大きな眼鏡の奥には透き通るような翡翠の瞳。大きく編み上げられているが、薄緑の髪はまるでエメラルドのようだ。身長こそ低いが、大きく育った胸は、男の欲情を掻き立てた。

「何だ、お前も期待してたのかよ! このスケベ女め!! なら、俺が本物の男ってやつを教えて…… ああ??」

 男は困惑する。本気で力を入れているはずなのに、目の前の少女は全く動かない。腕を引こうが、腰を持とうが、その場に留まり続ける。「何がどうなってやがる」と、毒づく男を見て、アリシアはクスクスと笑ってみせる。

「あなたの言う本物の男とは、女一人持ち上げられない腑抜けのことなのですか?」

 彼女の一言に、二人のやりとりを見ていた野次馬から笑い声が出た。男は顔を紅潮させ、声のしたほうを睨んだ。

 笑いものにされ、恥をかかされた。その怒りは、男の中で止めることのできない波となる。先ほど抱いていた下品な欲望は消え、ただ目の前の女を叩きのめすことだけを考え始める。

「てめえ! 何をしやがった! えぇ? 何をしやがったって聞いてんだよォォォ!!」

 握った拳をアリシアに向けて振り下ろす。彼女はその拳を払いのけようと腕を上げた……が、それは無駄な労力になる。

 大男の顔面には、見事に足が刺さっていた――それも両の足が。カウンター気味に入った蹴りは、男の体重も相まって、とんでもない威力だったのだろう。男は鼻血を吹きながら、そのまま崩れ落ちてしまう。

「このクソ衛兵が!! また、町の連中に絡みやがったな! 今日こそ、容赦しねぇぞ、コラ!」

 何と、蹴りを放ったのはラルミドだった。まさか、彼が自分を助けるとは思わず、アリシアは呆気に取られてしまう。

「おう、嬢ちゃん。危ないところだった……げげぇぇ! 何だ、お前かよ!」

「これは……お礼を言うべきなのでしょうか、ラルミドさん?」

「なんだよ……コイツだって知ってたら助けなかったのに! 先に言えよな、お前!」

 また、支離滅裂なことを言うラルミド。

 ――やっぱり、お礼を言う必要はないかも。

 彼女がそんなことを考えていると、絡まれていた女店主が声をかけてくる。

「やあ、あんた。助かったよ! 旅の人……なのかね? いや、女だてらに言うじゃあないかい。あたしゃ、スカッとしちまったよ」

「いえ、この男性が不甲斐ないだけでしょう。私は当然のことを言っただけです」

「いやいや、あんたのおかげで助かったよ。ありがとうねぇ。コイツ、町でも評判の悪い奴でねぇ! 皆困ってたんだよ」

 女店主はニコニコしながら、アリシアのポンポンと肩を叩いた。その様子を見て、ラルミドは悪態をつく。

「こんな奴に礼を言う必要はねぇよ! そもそも、ガンボのやつを蹴り飛ばしたのは俺だろう? それにこいつは、ガンボと同じ領主の仲間だぞ!!」

「ラルミド! この悪ガキが! あんたはまたそんな勝手なこと言って!! ほら、このお嬢さんに謝んな」

 女店主は、ラルミドの首根っこを掴むと、無理やり頭を下げさせる。「止めろよ、ババァ!」という声にも耳を傾けず、女店主は言う。

「性根は曲がっちゃいないんだが、正直口が悪くてねぇ――コイツは! 許してやっておくれよ」

「いえ、私は気にしていませんから……えーと」

「ああ、あたしはシーラってんだよ。しがない果物屋さ!」

「私はアリシアと言います。彼――ラルミドさんのことは構わないのですが……」

 アリシアは、倒れた男――ガンボに近づいていく。素晴らしいドロップキックが入り、完璧に気を失っていた。

「恐喝未遂、強盗未遂、誘拐未遂に暴行未遂……捕まえるには十分ですね。どなたか、保安官に連絡していただけますか?」

「バッカじゃねえのか、お前。そんなことしても、そいつはすぐ出てくるぞ! なんか知らねぇが、そいつは領主のお気に入りらしいからな!!」

 ラルミドは鼻で笑って言った。その言葉に、周りで見ていた人間たちも声を失う。だが、アリシアは気にせず、もう一度言う。

「どなたか保安官に連絡を。私の権限で捕まえた以上、他の人間には――たとえ領主様であっても、彼を開放することはできません。すれば、帝国法に違反したことになりますので」

 帝国法に関わる場合において、辺境法務官は絶対的な力を持つ。それを否定できる者がいるとすれば、この国の統治者――すなわち〈皇帝〉だけである。

 だが、そのことを知るのは一部の権力者と識者、残りは公務に関わる者だけ。そのため、アリシアの言葉を信じる者はいなかった。だが……。

「とにかく、保安官を呼べばいいんだね? あたしゃアイツとは馴染みだから、すぐに読んでくるよ。ラルミド、そいつが起きて暴れないように見張っといで!」

「はあ? 何で俺がそんなこと……」

「今度、晩飯を作ってあげるから、文句言うんじゃないよ! 頼み事の一つくらい、素直に聞きな! この悪ガキめ!」

 女店主はそう言い残し、大通りを走っていった。ラルミドは大きな舌打ちをしつつも、その場に残る。アリシアは、倒れているガンボの腕を持ち上げ、後ろに回るように動かしていた。

「お前……領主の仲間じゃあないのかよ。何で、ソイツを捕まえようとするんだ?」

 不満と疑念のこもった表情で、ラルミドは問いかけた。アリシアは質問に耳を傾けつつ、カバンの中から縄を取り出した。

「仲間? いいえ、むしろ私は敵でしょう。私はそう思っていませんが、大抵の有力者は私たちを敵視しますから。権力は別の権力を嫌うもの。私のような部外者の侵入は、歓迎されないのが常ですからね」

 ラルミドは首を傾げる。アリシアの話は、彼には難しすぎるからだ。アリシアはガンボの腕を縛りながら、彼の頭が足りないことを思い出す。

「私はここの領主に嫌われています。ですから仲間ではありません」

「何だ、そういうことか。なら、初めからそう言えばいいだろ。面倒な奴だな、お前」

 ――面倒なのはこちらなのですが。

 一言口にしたい気にもなったが、アリシアは言葉を飲み込む。不毛な論争をするのは、彼女にとって疲れるだけだからだ。

 しっかりとガンボの腕を縛り上げ、彼女は手をパンパンと叩いた。すると、アリシアはラルミドのほうに目を向ける。

「では次はあなたの番です。さあ、大人しく投降しなさい」

「はぁ? お前何言ってんだ? 何で俺が……」

「私の財布を盗もうとしたこと、忘れたのですか? それに背後から襲いかかってきたことも。十分に逮捕される理由があります。大人しく捕まるなら、話くらいは聞いてあげましょう」

 ゆっくりと――だが、たしかな足取りで、アリシアはラルミドに近づく。

「何だ、お前! やっぱり領主の仲間じゃねぇか! 嘘つきやがって!」

「それとこれとは話が別です。あなた自身の罪、しっかりと償いなさい」

 ラルミドは抵抗の意思を見せた。アリシアも、彼に対抗するため、拳を構える――が、その時……。

「お~い、保安官を連れてきたよぉ! 大丈夫だったか~い?」

 女店主が息を乱しながら走ってきた。隣には保安官の姿もある。その声に気を取られ、アリシアは一瞬、ラルミドから目を離してしまう。その隙を見て、彼は全力で逃げていった。

「ありゃ? ラルミドの奴はどうしたんだい? 全く、こりゃ晩飯の話は無しだね!!」

 女店主が呆れたような声で言った。アリシアも彼を追いかけるのは諦め、保安官に事情を説明する。

 詳細は保安官の事務所で話すことにして、アリシアは保安官と一緒にガンボを運んでいった。

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