第6話
「特に不正の痕跡はなし――ですか」
アリシアがパルレカルムに到着してから三日が経過していた。領主ベルトールの屋敷で、彼女は書類の山に囲まれていた。
過去五年間における各種の文書に目を通し、そこに不正の証拠がないかを探す。彼女は、この証拠集めを何よりも大事にする。
――大きな力は、厳しい制約と共に。
彼女を育てた両親は、その言葉を常に忘れなかった。アリシアに対しても、何度も言い聞かせてきたのだ。だからこそ、彼女はまず文書に当たる。
「あのぉ……お茶が入りましたが、いかがでしょうか?」
屋敷の侍女が声をかけてくる。朝から屋敷を訪れ、文書を確認していたが、すでに昼を過ぎていた。
「いいえ、遠慮させていただきます。まだ仕事がありますので」
仕事を続ける――それも理由だが、もう一つ問題がある。要するに、領主の不正がないかを調べる自分が、相手から〈賄賂〉を受け取るのは良くない。それは、どんなに小さなものであっても、自分の法務官としての精神を劣化させる。
アリシアは、それがどうしても許せないのだ。
「そう……ですか。せっかく〈クロロムル〉の高級茶葉が入ったのですが、失礼いたしました」
「ちょぉっと待ったぁぁ!!」
あまりにも大きな声に、侍女は「ひぃぃ!」と怯えてしまう。だが、そんなことはお構いなしに、アリシアは彼女へと歩み寄る。
「クロロムル茶というのは、クロロムル地方で栽培されているアレですか? 一つまみを買うだけで、金貨一シムルするという……貴族でもなかなか口にできないというあの!!」
「はい……ハイ! そうです! そうですよ、はい! そのクロロムルですぅ! ひぃぃぃ!」
アリシアの目の色が変わっていることに気づき――そしてあまりの剣幕で近づいてきたことで、侍女は目に涙を浮かべる。
――クロロムルのお茶……まだ一度も味わったことがありませんが。
――夢心地になってしまうほどの素晴らしい香り。
――わずかな苦さの中に、芳醇な風味が内包された、まさに銘茶と名高い……。
アリシアは眉間にシワを寄せる。だが次の瞬間には、恍惚の表情を浮かべ、すぐに険しい表情に戻る。
「う~ん」と唸ること三分。彼女は苦渋の選択をする。
「申し訳ありませんが、やはりお誘いは――辞退いたします。大変、申し訳ありません」
「いえ……こちらこそ、お邪魔して申し訳ありませんでした――ぐすん」
アリシアの返事を聞き、侍女はわずかに嗚咽しながら立ち去る。それを見送りながら、アリシアは自分の頬を叩いた。
――危なかった……もう少しで道を踏み外すところでした。
――やはり、お茶の魔力は恐ろしいですね……。
よくわからない感想を胸の中でつぶやき、彼女は再び書類とにらめっこを再開した。
日暮れ時、結局アリシアはベルトールの不正を見つけることはできなかった。初日の対応を見た彼女は――その規模まではわからなくても――何らかの不正があると睨んでいたのだが……。
――勘が外れましたね。何もないのなら、それが一番なのですが。
不法行為がなかったという安堵と、自分の勘が外れた――ほんのわずかな失望が、彼女の胸をよぎる。
ふぅっとお腹に溜まった息を吐き出しながら、屋敷の扉を開けた。宿に帰るため、少しだけ足早に大通りを歩くアリシア。そこで嫌なものを目にしてしまう。
「ああん? だから、てめえは誰に口を聞いてんだよ! 俺は領主様んとこで働いてるんだぞ!!」
「そんなもん知るかい! こっちは商売でやってんだよ! さっさと代金を払いな!」
商店の前で騒ぎが起きている。大柄な男が、女店主を恫喝しているのだ――女店主は全引くつもりはないようだが。
どうやら、リンゴ一つを、勝手に持っていこうとしているらしい。
――なんて、小さな男でしょうか。
見た目に反して、あまりにも小さな罪を犯そうとしている男に対し、アリシアは呆れと苛立たしさを感じる。
「何をしているのですか? 代金を支払わず商品を持っていくのは、帝国法第――」
警告を出そうと男に近づいたアリシアは、相手の顔を見て言葉を止める。そこには先日、彼女に絡んできた衛兵の姿があった。
「あぁ! てめぇ、あの時の!! よく俺の前に顔を出せたな!」
男は怒りの矛先を変えた。自分のことを気絶させた女が目の前に現れたのだ。当然である。
だが、アリシアは淡々と言ってのける。
「先日はどうも。領主様より説明があったと思いますが、一応謝罪を。あの時は失礼いたしました」
軽く頭を下げるアリシアだが、相手はそれで満足などしない。威圧するように近づき、彼女の腕を握る。
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