【拾】 火元



  一  火元  ─ ひもと ─

  二  三つ巴  ─ みつどもえ ─

  三  枕絵  ─ まくらえ ─

  四  手駒  ─ てごま ─

  五  捕縄術  ─ ほじょうじゅつ ─

  六  玩具  ─ がんぐ ─

  七  蛇  ─ へび ─

  八  鱓   ─ うつぼ ─

  九  仕置き  ─ しおき ─







🌸 一  火元  ─ ひもと ─



「火事だ」


 走りながら叫ぶ男の声が聴こえた。

夜半、寝ていた者たちは跳ね起きて、にわかに長屋の表が騒がしくなった。

どこだ、どっちだ──口々に言い合い、火元を確かめようとしているが、詳細は定かでない。


 ──半鐘の響きは遠い。


 戸口から顔を出し、亥助は聞き耳を立てた。

西の方角──川を挟んだ向こう側のようだ。風向きの具合からして、こちらに飛び火してくることはないだろう。

そう見当をつけ、寝床にもどりかけたところで妙な胸騒ぎをおぼえた。

とっさに、ある事柄が頭をよぎった。

亥助は急ぎ、着物をつかんで飛び出した。


 腰紐を結びながら大通りまで走って行くと、慌ただしく橋を渡る集団が見えた。

人々は、血相を変え、雪崩れ込んで来る。


 亥助は、人波を掻い潜りながら逆行した。生温い風が流れてきた。

黒いすすが、雪のように舞い降りてくる。

バリバリと、木が割ける音が大気を揺らした。


 熱風に煽られ、亥助 は足を止めた。


「やりやがった」


 火柱が噴き上がる屋敷を、亥助 は苦々しげに眺めた。


 ──あれヽヽを、盗っておくのだった。


 お手上げだ。

焼失する お宝を前に、亥助 は為す術もなく立ち尽くした。


 この町で、亥助は表向きに絵師えかきをし、商家の主人相手に春画を売っていた。

亥助の描く「責め絵」は好評で、口伝えに顧客を増やした。

絵師として屋敷に出入りしながら、亥助は金目の品を物色した。

本業の下見がてら、目星い御店おたなを探していたのだ。


 火元の──桔梗屋ききょうやの主人は、ご贔屓の一人だった。

亥助は、絵の手ほどきをしに、度々屋敷を訪れた。

主人は美術品の収集家であり、部屋に飾られてある品のほか、蔵には高値で取り引きされる骨董が山ほど眠っていた。

いつもなら、迷いなく標的に定めているところだが、ある理由から 亥助は手出しを控えていた。

それが、今回の火事に繋がる要因だ。


 桔梗屋には、すでに仕掛けを施している者がいた。

裏で糸を引いていたのは、とある宗教団体。

人の弱味につけ込み、言葉巧みに騙くらかし、信者カモを増やしてゆくのが奴らの手口だ。


 標的になったのは、先代の店主の妹だ。

この女は主人の義理の叔母にあたり、名をみねヽヽといった。

みねは一年前に、ある女と知り合った。

ふじヽヽという名で、還暦を二つ三つ過ぎたくらいの、一目で裕福な出身と判る上品な婦人だった。


 ほんのわずかの間に、二人は姉妹のように親しくなった。

みねは、ふじの誠実な人柄に気を許し、自らの不遇の半生を語った。

ふじは親身になって聴き、じつは──と、自らも最近まで気鬱を患っていたことを明かした。


「震災で、夫と息子夫婦に先立たれ、生きるよすがを失っていたところ、ある人が私を座談会に誘ってくださったの。

私は、燦真教さんしんきょうの教えに出会い、救われたのです」







🌸 二   三つ巴  ─ みつどもえ ─



 みねは足しげく座談会に通った。

そして勧められるままに、魔除けヽヽヽだとかいう念珠やら壺やらを買い、布施をした。


 みねはふじを、菩薩のような人──と慕う。

ふじは家を訪ねて来て、みねの話し相手になった。

家に引き籠りがちなみねを、外へと連れ出した。

ふじは遊山のたびに、みねの分の旅費や飲食、土産物にいたるまでのすべてを支払った。


「遊興費など、」


 と、呟いて鼻を鳴らし、旦那は皮肉な笑みを亥助へ向けた。


「注ぎ込んだ布施の額からしたら微々たるものだ。

奴らはな、気前よく金を落とさせるために、巻き上げた金の一部を返還かえしているのさ。

そんな子供騙しも見抜けずにがたがっているのだから、まったく愚かな女だよ」


 ──その愚かな女だからこそ、あんたも騙し易かったのだろう。


 声にはせず、亥助はさも同情するような視線を向けた。


 みねが怪しげな宗教にはまり、金を注ぎ込んでいるさまを、旦那は忌々しく思っている。

だが、婿養子という立場上、あまり口煩くちうるさいことも言えないのだ。


富一とみいち


 と、旦那は亥助を呼び、長机の上に絵巻物を広げた。

くれぐれも扱いには、気をつけてくれ──と念をおした。


 亥助は神妙な顔でうなずいた。

息を掛けないよう手ぬぐいで目より下をおおってから、顔を近づけた。


 桔梗屋の主人には、絵の指南をする代わりに秘蔵の春画を拝ませてもらっている。

秋の夜長に野郎二人、鍵のかかる地下蔵で春画の観賞にいそしんでいるのだ。


 ちなみに「富一」とは、絵師えかきをしているときの名だ。

この因縁いわくつきの雅号を、亥助は愛用していた。


 ──まるで、蛇の交尾だ。


 鋭く目を光らせ、亥助は絵に見入る。

男が二人に女が一人、三つ巴の構図だ。

女を挟み、三つのからだが縄のように絡み合っている。

女は三十そこそこの士族の奥方、男のほうは、四十代と二十代の手管に長けた男芸者。

中と後ろに男を喰わえ、女は忘我の境地にあった。


 ──見事なものだ。


 筆の流れを、亥助は目で辿った。

それは総毛立つほどの筆使いである。

年齢と性別の異なる三者の四肢を、絵師は完璧に描き分けている。

ちまたに溢れる春画の多くは、童の落書きほどの紙屑だが、ごく稀に、一部の愛好家の所蔵には、こうした逸品があるのだ。


 ──淫靡でありながら、優美。

 そして、この表情だ。


 落款らっかんは『遊吉ゆうきつ』とある。

亥助は知っている。

大店おおだなあるじの寝所には、この男の春画が必ず納まっているのだと。


「──知ってますか。

蛇には性器が二つあるんです。」


 無言で見返す旦那に、亥助は、雄が二匹に、雌一匹──と呟いた。


「蛇という奴は、一旦交接ことをはじめたら、何日もぶっ続けで絡み合うんです。

並外れた精力で、蛇の子種は、雌のハラん中で、二、三年生存いきている (注1)そうですよ。

だから、忘れた頃に、雌蛇めすが子を孕んでる──なんて珍事も起こるようです。」







 ※ (注1) 迷信です。





🌸 三  枕絵  ─ まくらえ ─



「本当か」


 旦那が揶揄するように問うと、亥助は肩をすくめ、さて──ととぼけた。


「間近で見ていたわけじゃありませんし、言ってた野郎も法螺ほら吹きでしたからね。


 ああ──そいつは薬の行商人で、扱っていたのは怪しげな精力剤です。

なんで、そのたぐいのネタには事欠かなかった。

野郎は、口八丁に客をのせるのが巧く、側にいて、ずいぶんと勉強をさせてもらいましたよ。


 ──でね、俺もそいつにならい、客に絵を売り込むときには艶っぽい小ねたを添えるようにしているんです」


 例えば──と言い、亥助は女の顔を指差す。


「女の目は宙に漂っている。

二人の男の目は、何処を向いていますか」


 女の目を盗み、左右の男たちは淫靡な視線を交わしていた。


「女のからだを媒介に、こいつらは密かに睦み合っているんです」


 どうです──と、亥助は上目遣いに微笑する。


「想像が、頭の中で膨らんでゆくでしょう。言葉に淫する──というんですか、そこが人間とけものの違うところです。」


 水を垂らし、墨を擦りはじめると、部屋に濃厚な匂いが満ちた。

旦那は、紙に筆を滑らせる。

その傍らで、亥助は春画の模写をする。

絵は持ち出しが利かないので、この場では大まかな形を写し取り、家に戻ってからの清書となる。


「旦那は筋がいい。

頭の中に、はっきりとした造形かたちがあるからでしょうね」


 作業を進めながらも、亥助は旦那への配慮を忘れていない。

それから、色んな女の軀をよくご存知なのでしょう──などといった、男心をくすぐるおべっかも忘れない。


 一方、亥助の軽口など意に介さないといったふうに、旦那は手を動かしている。

旦那は「責め絵」を好んで収集していた。

とくに、緊縛された女の姿に思い入れがあり、縄の結わえかたには強いこだわりを持っていた。

ゆえに、得心のゆく絵は少なく、それならばこの手で──と筆を執るようになったのだ。


 ──ちょいとさぶってみるか。


 熱心に縄目を書き込む旦那の姿を眺めているうち、亥助のなかで悪戯心が頭をもたげた。


 どんな人間にも、他人に言えない秘密がある。

蔵に入ってゆくとき、亥助はいつも同じ気配を感じる。

じっとりとした陰湿な視線、それは亥助の首を緩く締めつけるのだ。


「あの女、あれで軀のほうはなかなかのものなんでしょう」


 旦那の筆先が止まるのを横目に、亥助は続けた。


「いえね。

俺は、着物の皺の寄り具合で、その女がどんな裸体からだをしているかわかるんですよ。

こういう商売をしていると、客の注文に合わせてを描き分けなきゃならない。

若いのから年増まで、容姿すがたの好みは十人十色です。

だから俺は、売女おんなを買うときに選り好みをしないんです。

色々な女を間近に見て触れて、記憶するんですよ。

ここヽヽに、ね」


 亥助は、左の人差し指でこめかみの辺りをコツコツと突つき、右の口の端を吊りあげた。







🌸 四  手駒  ─ てごま ─



 「陰気な女。

縹緻きりょうのよくないうえに、愛嬌もない」


 これが、みね に対する世間の評価だ。

みねは生まれつきのあしなえだった。

左右の脚の長さが違うので、片方に高下駄を履いたような不恰好な歩きをした。

脚の不具合を知られることを、みねはなにより恐れた。

年頃になり、縁談が持ち込まれた時も、自ら、脚の不具合を理由に断った。

そして、嫁がぬままにみねは三十路過ぎまで処女おぼこだった。


 このカビの生えかけた年増に、男の味を教えたのは旦那だ。

旦那は躊躇ためらいもなく、十も歳の離れた醜女の足裏を舐めてやった。

みねは己の情夫を繋ぎ留めておくため、姪の婿にと薦めた。

旦那は、この女のお陰で老舗しにせ呉服屋の主におさまったのだ。


 ほどなくして、主従は逆転した。

旦那が婿養子に入ってのち、五年の間に姪が死に、続いて父が死に、みねの頼みの綱は一つとなった。


 じつは、老舗の看板を掲げていたものの、店の経営は火の車だった。

そこで、旦那はここ一番に本領を発揮した。

借財まみれの店を、数年でみごとに立て直してみせたのだ。


 ただのすけこましではなかった。

この奉公人あがりの婿養子には、頭抜けた商才があったのだ。


 これは到底、みねには真似のできない芸当だった。

だからこの十年、大人しく旦那に従っていた。

いまの安寧な暮らしは、旦那あってのものである。

そして旦那のほうでも、みねの行動には干渉をせずにいた。

二人の関係は、微妙な均衡で継続していた。


 だが、ここに至って、その均衡は揺らぎはじめている。

数日前、旦那はみねから、ある申し出を受けていた。


「親類から養子をとり、暖簾分けをしたい──と言うのさ。

どうやら、あのふじヽヽという女に、要らぬ知恵をつけられているらしい」


 近頃、みねに対する愚痴が増えた。

手駒である女が、勝手な動きをしはじめたことに、不満を懐いているのだ。


 富一ヽヽに、旦那は気を許しはじめている。

けれど、肝心のなところはだんまりヽヽヽヽを決めている。

亥助は、旦那が喋り易いように例を挙げた。若い妾を相手に、赤子の格好なりをして遊んでいる両替商の男の話をした。


「世のなかには、色んな性癖くせを持った人間がいるものです。

実際、親しくなると俺に妙な頼み事をしてくる奴がいるんです。

目のまえで女房を犯してくれ──とか、女房の前で俺を犯して欲しい──なんて野郎もいましたよ」


「──で、どうしたんだ」


 喰い気味に旦那が訊ねてきたので、亥助は困ったように首を横に振った。


「どちらもお断りです。

そういうのは、苦手でしてね。

俺は意気地がないんです。」


「そうか。

おまえは強そうだがな」


「からかっちゃいけませんよ」


 と、亥助は片手を振った。


売女オンナには、おまえはだと喜ばれています。

鶏並みに早漏はやいんで、売女からすると好い客なんですよ。

ほら、あちらさんは、回転まわしてなんぼヽヽヽですからねえ」







🌸 五  捕縄術  ─ほじょうじゅつ─



 言ってはならぬ──という想いの下には、聞いて欲しい──という心理が潜む。

だから下手したてにでて、お膳立てをする。

贔屓ひいきの旦那衆は、亥助に秘密をもらす。

皆、こいつなら──と思うらしい。

取るに足らぬ賤しい男、口を塞ぐのも簡単だ──と。


 だが、猜疑心が強く用心深いこの男は、なかなか口を開こうとしない。


 亥助は、旦那の後ろに回った。

絵筆を握る手に己の手を添え、筆先を動かした。

女体の陰裂のきわに、縄瘤を描き足してみせた。

ちょうど、陰核さねのうえのあたりだ。


「知人にね、女を縛ることを仕事にしている野郎がいるんですよ」


 旦那の肩にあごを乗せ、亥助は耳許で囁いた。


「そいつとは、贔屓の顧客ダンナに連れていかれた見世物小屋で出会ったんです。

縄でね、女を縛る過程を見せ物にしていましたよ。

これがまあ、流石に金を取るだけあって絵になるというんですか、美しいんですよ。


 ──で、野郎は、修得した捕縄術を改良し、独自の『縛り』を編みだしていました。

奴のわざは、形状の美と機能性を兼ね備えていたんです。


 ああ──『捕縄術』てのは、平たくいうと、縄で罪人のからだを拘束しておく技術です」


 なにを思ったか、亥助は筆を置くと、後ろ髪を束ねていた紐を解いて旦那の方へ向けた。


「こいつで、俺の手を ちょいと縛ってみてください。」


 怪訝に見返す旦那へ、亥助は紐を押し付け、どうぞ──と合わせた手首をまえへ出した。


「加減はなしで。

外れないようにかたく結んでください」


 さあ──とかされ、旦那は戸惑いがちに紐で両手を二重に巻いた。

それから亥助の所望どおりに、ありったっけの力で真結びにした。


「罪人の拘束には、もっぱら縄が用いられています」


 言いながら、亥助は肩を揺すり、手首をねるように動かす。


「そのため、いかに罪人を拘束した状態で生かしておけるか、という技巧の研究が進み、『捕縄術』が発展したんです。

人間ひとのような複雑な形状の固体は、縛ることで軀の自由を奪うのは、案外難しい。

そう、こんなふうに──」


 言うと同時に、紐はスルリと床に落ちた。足元の紐を拾いあげ、亥助は続けた。


「両の手を束ねた限りでは、簡単にほどけてしまいます。

かといって、きつく縛り過ぎると血の流れが止まり、軀の一部が壊死してしまう。

大事な証人を生かしておくには、技の修得は必須です。

捕縄術は、徐々に改良を加えられ、その過程で細かい規則が生まれていきました。

例えば、罪人の身分、性別や年齢、季節の違いによって、縄の色や結びが異なる──という具合にです。


 野郎、元は役人だったんです。

当時は検挙率一番の切れ者で、若手の出世頭だったそうです。

ところが、あるとき過って人を死なせた。

馴染みの売女を縛って愉しんでいるうちに、女を責め殺しちまったんです」







🌸 六  玩具  ─ がんぐ ─



「だが、野郎は罪に問われなかった。

行為ヽヽは女も同意のうえで、遊戯の最中での過失だった──という理由で。

女の身体に外傷はなく、薬を使用した形跡もなく、野郎が女を殺害したという証拠は一つも挙がらなかった。

ならば、どうして女は死んだのか──」


 知りたいですか──と、上目遣いに亥助は窺っている。


「どうしてだ。」


 不機嫌そうに、旦那は訊いた。

勿体ぶった亥助の様子に、少々苛立っている。


「では、両手を出してください」


 いぶかりながらも、旦那は手を差し出した。

すると、亥助は思わぬ行動にでた。

旦那の両手を紐で結わえ、これを外せたら教えてあげますよ──と言って嘲笑わらった。


 旦那は小さく舌打ちした。

亥助の悪ふざけに腹を立て、無言で紐と格闘をはじめた。

そうして半刻ほど過ぎた。

解いてくれ、と頼むのがしゃくであるらしく、をあげようとしない。


それヽヽにも、ちょっとしたコツがいるんですよ」


 小馬鹿にしたように、亥助は言った。

こいつにできることなら俺にもできる──兎角とかく、人は他人を侮りがちだ。

一見して、亥助は簡単に紐を外したように見えたが、それも習練の賜物たまものである。

素人が初見で為せる技ではなかった。


「貸してください」


 紐を解いてやる──と言っているのだと思い、旦那は亥助に手を向けた。

だが、亥助は紐を解くことをせず、隠していた紐で両肘を縛り固めた。

元役人の「緊縛師」直伝の技で、旦那の全身を拘束した。


「これで、旦那は俺の玩具ものです。」


 不敵に、亥助は言い放った。


「旦那に拒否権はない。

莫迦なガキに捕まっちまった哀れな虫けらと同じですよ。

羽をむしられようと、脚をもがれようと、受け入れるしかないんです」


 薄ら笑いを泛べる男を見て、旦那の顔に初めて緊張の色がはしった。

この地下蔵から、外に声は届かない。

縄を解いてもらうには、目の前の男に従わなくてはならない。

だが、従ったところで、この男が縄を解くとは限らない。


 出会ったときから、この男が堅気かたぎでないと気付いていた。

富一の内には闇がる。

富一から漂う微かな闇の匂いを、旦那は敏感に嗅ぎとっていた。


「はじめて会ったときから、誰かに似ていると思っていたんですよねぇ」


 亥助は、旦那の顔を覗き込んだ。


「旦那の顔──むかし、俺が十七の頃に面倒を見てくれていた やくざ者にそっくりです。

二十歳はたちそこそこの、役者みたいな色男でしたよ。

俺は、そいつを大哥あにいと呼んでいました。

大哥は俺を可愛いがってくれて、口癖のように、組に入れ、俺の舎弟になれ──と言っていたんです。

けれど俺は、役人と僧侶ボウズと やくざが大嫌いなんで、大哥は好きだが、やくざ者にだけはなってくれるな、てのが親の遺言だ──と言って断っていたんです」







🌸 七  蛇  ─ へび ─



「旦那と同じように、大哥あにいは、俺の描く絵を気に入ってくれました。

俺が、絵師えかきをはじめるきっかけをくれたのは、大哥です。

色男の大哥には、金を貢いでくれる取巻きの女たちがいました。

俺は、大哥に連れられて女の住居を巡り、腕前を披露しました。

女に会うまえ、大哥は俺に一人一人の性格と趣味趣向を説明しました。

欠点は控え、三割増しに美しく描いてくれよ──と片目をしばたかせました。

大哥の注文通りに仕上げると、上手ね──と女たちは喜んで、俺に駄賃をくれました。


 大哥は、頭の回転が早く、なによりも要領がよかった。

まずはあねさんに取り入り、まもなく親分にも気に入られるようになり、組の中でも優遇されていました。

だから、大哥にくっ付いていると、おいしい思いができたんです。


 俺にとって一番の利点うまみは、大哥のおこぼれヽヽヽヽ相伴しょうばんできることでした。

大哥の取巻きの手管に長けた女たちが、代わるがわるに俺を可愛がってくれる──やくざ嫌いの俺が、大哥とつるんでいた理由です。


 ある時、大哥は女絡みのことで俺に依頼をしてきました。


 『これを頼めるのは、おまえだけだ』


 その言葉のうらには、いままで散々イイ思いをしただろう──という含みがありました。

大哥は一見、人懐こい犬のようでいて、本性は陰湿なでした。

敵は徹底的に潰す、それから、敵に回りそうな奴は早々に潰しておく、というのが大哥の流儀です。

じつのところ、俺は大哥が苦手でした。

よしよしと頭を撫でられながら、大哥の機嫌を損ねないように細心の注意を払っていたんです。


 『おまえさえ黙っててくれりゃあ、大丈夫さ』


 大哥に半ば強制され、俺は、ある芸妓と兄いの繋ぎを務めることになりました。

ふたりの逢瀬は危うい綱渡りでした。

なぜなら、女には後ろ楯だんながいた。

決して手を出してはならない女と、兄いは情を交わしていたんです。


 ばれやしない、と大哥は高をくくっていたけれど、色恋は相手が在ってのもの。

案の定、ほころびが生じました。

その夜、賭場で遊んでいた俺のところに、大哥の舎弟がやって来ました。

そいつに、兄貴がおまえを呼んでいる──と耳打ちされ、俺は疑いもせずに付いて行きました。

着いた先は、大哥が女との逢引きに使っている宿でした。

襖を開けたとたん、むっと男臭い澱んだ熱気に包まれました。

俺は、瞬時に己の迂闊さを呪った。

目前には、かさだらけの汚ねえケツを晒した男が、腰を前後に振っていた。パシンパシンと、肉が肉を打ちつける音が響いていた。

荒い息を吐き出す男の下からは、くぐもった呻き声が漏れ聴こえてきた。


 胸糞悪くなる眺めだった。

はりから吊るされた麻縄に左右の手を括られ、素っ裸の大哥は、そこに集まった二十人ちかくのやくざ者に、輪姦まわされていたんです。」







🌸 八  鱓  ─ うつぼ ─



 俺は、二人の男に両脇を抱えられ、部屋の奥へ連れていかれた。

肩を突かれ、男の前に曳き据えられた。

五枚重ねの座布団の上に、でっぷりと肥えた坊主頭の男が鎮座している。

小さな丸い目、大きな口、大哥あにいは そいつをウツボヽヽヽと呼んでいた。

 ウツボ は笑みをうかべて、言った。


「なあ、小僧。

あの野郎がなんでああヽヽなってるか、わかるか。」


 後ろでは、単調に不快な音が鳴っている。

俺は、ウツボ の目から視線をらさず、首を横に振った。


「あの すけこまし はな、選りにもよって元締めのオンナに手をだしやがったんだ。

元締めは怒り狂って、野郎の魔羅を切り落とし、焼酎漬けにして持ってこい──と、親分に命じたのさ。


 いくらお気に入りの乾児といえど、今度ばかりはお咎めなしとはいかねえよ。

親分も、元締めの機嫌を損ねてまで、あの野郎のかばい立てはできないのさ。」


 これ迄にも、大哥あにいには女絡みのしくじりが幾度かあった。

けれどそれらは、親分の計らいで穏便に納められていた。

大哥の女好きヽヽヽを、親分が多目にみてきたのには相当の理由がある。

大哥は組にとって『きんを生む鳥』だった。

取巻きの女たちから集めた金で先物取引をし、確実に利益をあげていた。

それは組の重要な資金となっていたのだ。


 ウツボは、話しを続けた。


「野郎は、それだけはご勘弁をと、俺の足下に額を擦りつけた。

お助けくださるなら、生涯あなたの下で働かせていただきます──と、涙ながらに訴えたのさ。

俺だって、鬼じゃねえよ。

人を痛めつけるのは本意じゃねえ。

男の珍宝イチモツを切り落とすなんぞ、考えただけで身の毛がよだつ。


 ──そこでだ、俺は相応の罰を考えた。

てめえは何回、女をコマしたんだ──と訊いたら、野郎は、十八回──と答えやがったた。

ならば十八回、女をコマした数だけ野郎を嬲り、あとは魔羅の代わりに指を二、三本めさせて、どうかこれで、この野郎を赦していただけないでしょかと、親分に頼んでみるつもりだ。」


 ──お笑いだ。


 仏心など、この男は持ちあわせていない。ウツボは大哥の仕置を任され、嬉々としていた。

この好機に、日頃から自分を小馬鹿にしていた生意気な若僧を、心ゆくまで嬲り尽くす気だった。


「ところで。

おまえは絵が得意だったよな。」


 ウツボ は、俺の頭上に紙束を降らせた。紙には絵が描いてある。

派手な着物を纏った赤ら顔のうつぼを筆頭に、擬人化された蛸や鯊や蟹の酒宴が描かれてある。


 肝が冷えた。

それは、俺が座興に描いた漫画だ。

俺と大哥は、ウツボと乾児たちを茶化して嘲笑わらっていた。


 マズい──と顔を歪める俺を、ウツボは面白そうに眺めて言った。


「親分にな、これこのとおり罰を与えました──と、絵を差し出して見せるのさ。

どうだ、イイ考えだろ。

野郎が助かるかどうか、さあ小僧よ、腕のふるいどころだぜ。」







🌸 九  仕置き  ─ しおき ─



 俺は筆をった。乾児たちは順番に大哥あにいに乗っかって、内に外に、白濁を撒き散らしている。

ウツボの命令に従わなければ、あれヽヽと同じ目にあう──そう思うと迷うべきはない。


 それは、羽ばたこうと羽根を拡げたところを獣に襲われた、というような体勢だった。

立位で両手を上げ、お辞儀をする格好で背後より貫かれていた。


 振動に任せ、大哥あにいは人形のように揺れる。

うつむき、苦痛に歪んだ横顔が、さわさわと揺れる髪の間に見え隠れする。

そして時折 うぐぐっ、と、喉元から鈍い呻きが漏れると、乾児たちは面白がって、生意気な若僧をもっと鳴かせてやれ──と、はやし立てるのだった。


 長い奴もいれば、短い奴もいる。

惨状を、俺は延々と直視し、写し取った。

筆を握っているあいだ、俺の身は安全だ。

むしろ、恐ろしいのはこのあとなのだ。


 ウツボは絵を手にとって、ご苦労──と言った。

身構える俺を見て含み笑いを泛べ、それから、大哥あにいの方に視線を流し、横柄にあごをしゃくった。


「小僧よ。

もう一仕事、ヨロしく頼むぜ。」


 乾児たちの目が俺に集中していた。

無言の威圧が のし掛かる。

なるほど、仕置きのめはか。


 俺は仕方なく、大哥あにいの後ろに回った。

大哥あにいの尻など見慣れているが、まさか、こうしたカタチで対峙しようとは、思いもしない。


 生臭い精の匂いが鼻を衝き、不快感が込みあげる。

時間の経った粘液は乾いて、白く粉を吹いている。

嫌悪しか感じない。

まさに、崖っぷち。

追っ手を逃れるには、えいッ──と肥溜めに身を投げるより他はないのだ。


 命あっての物種である。

観念し、俺は己を奮い立たせようと試みた。

掴み出し、頭に手を被せてねるが、肝心のセガレはまったくヤる気を起こさない。


 ──おいコラ、しっかりしやがれ。


 項垂うなだれた伜を叱咤し、雑音を遮断する。

記憶から画像を引きだし、竿に意識を集中させて、どうにか使い物になりそうな硬度カタチに仕立てた。


 俺は、急いで雁首を穴に捩じ込んだ。

ぐちゅり、と粘塊が肉に絡み付いた。

押し入ると、弛いかゆに似た白濁が、肉の隙間から、びちゅびちゅと垂れ落ちた。


 最悪だ。

そして、追い討ちをかけるように背の下から声が聴こえてきた。


「テメエ、覚エテロヨ。」


 脳天から、一気に血の気が引いた。

毒蛇の呪詛に、俺の軀は侵食された。

ブツリ──と、そこヽヽで神経が遮断されたかのように、根元から先の感覚がなくなった。


 ──畜生ッ。


 畏れを振り払うように、俺は作動した。

弛んだ摩羅が抜け出ないように気遣いながら、小刻みに腰を振り、荒い息を吐き出し、必死で演技をした。


「おう色男、弟みたいに可愛がっていた小僧に尻を掘られるってのは、一体どんな気分だ。」


 悪鬼どもは、卑猥な野次を投げつけては、ゲラゲラ笑い合っていた。 











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櫻の国【月光】 亥助・蜉蝣島 アマリ @10-amari-1

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