【玖】 木仏
❀
一 木仏
二 病
三 孝行
四 浜の祠
五 波紋
六 刑
七 魔者
八 遊具
九 子種
🌸 一 木仏
木陰に腰をおろし、弥平が仏像を彫っている。
手の平に納まる三寸ほどの立像だ。
「上手いものだねぇ、弥平は本当に器用だね。」
日吉は弥平の側に座り込んで、仏が彫られていく様子をじっと見つめていた。
弥平はいつも
手の空いた時に取りだしては、続きを彫るのだ。
年老いて幾分 目が悪くなっているせいか眉間に寄せた皺は深く、表情を険しく見せていた。
気安く声をかけづらい雰囲気だ。
半刻ほど彫ってから、弥平は木片を膝に置き、手を休めた。
ぐるりと首をまわし、左手で肩を揉みほぐす。
「それを、見せてもらえないかなあ。」
日吉は遠慮がちに
その仏像が、弥平にとってとても大事な物のように思えたからだ。
弥平は頬笑んで、日吉へ仏像を差し出した。
日吉は両手を添えて受け取った。
幼児のように可愛いらしい、丸顔の仏さまだ。
「とても優しい お顔をしているね。」
小さな指で仏の
坊ちゃん──と、弥平が言った。
「坊ちゃんは、
「うん、好きだよ。」
弥平は目を細め、苦い顔をした。
「坊ちゃん、親の口から こんな事を言うのもなんですが、亥助 はどうしようもない
これ迄に、相当な悪事を重ねています。
坊ちゃんにはとても聴かせられない非道いことを、たくさんしているのです。」
「亥助は、悪い男ではないよ。
お爺さま のお世話もちゃんとしているし、私にも優しいよ。
たとえ、弥平の言う通りだったとしても、いまは違うでしょ。
誰かと争うところを見たことはないし、悪さをしているという噂も聞かないよ。」
弥平は一層険しい顔つきになった。
「坊ちゃんは、あいつの真の姿を見ていないのです。
あいつは平気な顔をして人を騙すのです。
十一の歳に、あいつは家を出ました。
とんでもない不始末をしでかし、故郷に居られなくなったからなのです。
家を出てから、反省するどころか悪事はより酷くなりました。
たちの悪い
あいつは、骨の髄まで悪習が染み込んでいます。
いまは大人しくしていますが、悪い虫はいずれ動きだします。
あいつは戒心しない。
そもそも
「良心が無い──だなんて、そんな酷いことを言ってはいけないよ。
どんな人間にも良い心はあるものだよ。
昔はどうであれ、信じてあげなくては可哀想だよ。
側で、信じ、支えてくれる者がいてこそ、改心の情も湧くというものでしょ。」
弥平は口の端をあげ、うっすらと笑った。亥助から日吉を遠ざけるために言った話だが、逆効果だったようだ。
それに『改心の情』だとか、まだ
🌸 二 病
「坊ちゃん、昨夜のようなことは、二度とさせてはいけません。
亥助がどんなに頼んできても、
肌を触れ合わせる行為のどこがいけない事なのか、日吉にはわからない。
「亥助は、私の軀を
齧られるのは嫌だけど、亥助の苦しみが和らぐなら、私は構わないよ。」
日吉はさらりと云った。
「あの白いのは、膿のような物なのでしょ。
なんの
いつか──私が浜の岩場で転んで、足の小指の爪を剥がしてしまったことがあったでしょ。
膿んだ指が紫色になって、毎日、亥助が傷に溜まった膿を口で吸いだしてくれていた。
だから私も、亥助の体の中に溜まった膿を、外へ出す手伝いをしてあげたいんだよ。」
日吉は弥平に向かって頬笑んだ。
昨晩、日吉は弥平に仔細を話した。
決して酷いことはされていない、と亥助を庇い、誤解だから、もう亥助を叩いたりしないで──と、念を押した。
弥平は日吉の軀を拭きながら、さりげなく鼠径部を調べたが、傷つけられた形跡は無かった。
亥助の行為の意味を知らずに、酷い事ではない、と日吉は主張する。
だが、他人が聞けば十分に非道な行為だ。
年端のゆかぬ子供にしてよいことではない。
「あの白いのは、膿とは違うんですよ、坊ちゃん。」
この子に、上手いこと説明してやるのは骨の折れることだ。
弥平は言い方を変えた。
「坊ちゃん。
じつは、亥助には悪い鬼が憑いているのです。
あいつは悪事を重ねたせいで、鬼に取り憑かれてしまったのです。
どうも その鬼が、亥助の軀を借りて坊ちゃんに悪戯を仕掛けているようなのです。
気をつけてください。
鬼は、坊ちゃんの魂を狙っています。
鬼が坊ちゃんの魂を喰べてしまったら、亥助は極楽に行けなくなってしまいます。
ですから、坊っちゃんが鬼から亥助を守ってやってください。
決して亥助の
私と、約束してくださいますか。」
「うん、約束するよ。」
弥平は指切りの小指を日吉に向けた。日吉が指を絡めると、弥平は続けた。
「鬼が憑いていることを、亥助に悟られてもいけません。
鬼に憑かれた者は、自分が憑かれているとは知らないのです。
それを悟られた途端、鬼はぱくりと亥助を喰べてしまいます。
いいですね、約束ですよ。」
日吉は神妙な顔で
弥平の虚言を疑いもせず、本気で、亥助を鬼から守るのだ、と意気込んでいる。
困ったものだ。
この子は亥助が好きなのだ。
あの、ろくでなしが。
おまえが好きだ──と乞われたなら、拒むことができるだろうか。
愛情に飢えた子だから、好意を示してくる者には、簡単に
なまじ、美しく生まれついた為に、蜜に
哀れな、子だ。
🌸 三 孝行
「二度と、坊ちゃんに悪さをするんじゃないぞ。」
と、弥平は言った。
「坊ちゃんはいい子だ。
おまえが、過去にどんな悪事を働いていようと、いまは真っ当に生きているのだから、いまのおまえを信じてやらなくては可哀想だと言った。
そんな子を、傷つけてはならない。」
「その
本当は親父だって判ってるんだろ──と、亥助は皮肉げに弥平を見返した。
「それにな、俺が言い寄っているんじゃない、小僧が俺に寄ってくるのさ。
やれ、寒いだの、風の音が怖いだの、天井の木目が化け物に見えるだのと理由を付けて、あいつが俺の布団に潜り込んでくるんだ。
背中に引っ付いて、俺の脚のあいだに、絹みたいにすべすべした脚を絡めてくるんだ。
そりゃあ、
亥助は云いながら、弥平の手元へ目を向ける。
彫りかけの仏の顔は、静かに頬笑んでいる。
「なあ、親父よ。
あんたはすっかり改心しちまったのか。
そんな物をちまちまと
老い先短くなって、地獄へゆくのが怖くなったから、仏さまにすがろう、て魂胆なのか。
なあ、いまさら念仏を唱えたところで、積みあがった悪業が
そんな都合の好い話、あるわけないのさ。」
「亥助、」
と、弥平は静かに見返した。
「おまえには信じてくれる者がいる。
おまえは、まだ真っ黒に染まりきってはいない。
だから、おまえを信じようとする者があらわれた。
亥助、あの子はおまえの菩薩さまだ。
あの子の手を握っていれば、おまえは、足下の真っ黒な穴から抜けられるはずだ。」
「あの小僧が、
亥助は呟き、とうとうあんたも焼きが回ったらしいな──とせせら笑った。
「あんなガキに、なにができる。
俺はあの間抜けなガキが、なにも知らずにへらへら笑ってやがるのを見ると、どうにも むかっ腹が立つのさ。
あの細首を、鶏を
親父よ、俺をこの島に閉じ込めたのは、改心させるためなのか。
なあ、昔の てめえを思い出せ。
俺をいっぱしの盗っ人に仕立てたのは あんただぜ。
いまさら真っ当になんて、生きれやしねえよ。」
弥平は無言で亥助を見返していた。亥助は怒りを覚えて噛みついた。
「やい、
鎌鼬の兵衛、千人切りの兵衛、
ああ随分、腑抜けになっちまったモンだなあ、兵衛サマよお。」
亥助は射るように、弥平を睨み付けた。
「旦那の世話は、誰かに替わらせろ。
あんたが
あんたは退屈なこの島で、せいぜい長生きするがいいさ。
改心しようがしまいが、俺たちが行く場所は同じだ。
だから、蔭ながら祈っていてやる。
極悪人の親父が、一寸でも長くこの世に留まれますように、地獄の釜で茹でられるのを、少しでも遅らせますように──てな。
それがせめてもの、親孝行だ。」
🌸 四 浜の祠
浜の外れの洞穴に、海で死んだ者たちを供養するために建てられた
祠の側には数十体の小さな地蔵が並び、その前には、三寸ばかりの木仏が置かれている。それは、百を超える数だった。
童のように愛らしい仏たちに、日吉は手を合わせた。
「これは、弥平が彫った仏さまだよね」と、日吉は亥助を見上げて云った。「亥助が、手先が器用なのは、親譲りだね。」
亥助の眉間に皺が寄った。大きく舌打ちすると、突然、足を蹴り上げて仏をなぎ倒した。仏たちは、からんからんと音を立て、岩場に散らばった。
日吉は目を見開いた。足下の仏を、亥助は右足の
「なんてことをするの、非道いよ亥助、あんまりだ。」
日吉は、顔を踏み割られてしまった仏を拾い上げた。お可哀想にと、指で裂け目をなぞりながら、日吉は今にも泣きだしそうだ。
「ごめんなさい、痛かったでしょう。」鼻を啜り上げながら、日吉は仏を拾い集めた。「ごめんなさい。」と、一体一体に声を掛けながら、元の場所へ仏を並べた。
そんな日吉の態度に、亥助は苛立ち、もう一度、蹴倒してやろうかと足を動かしかけたが、寸でのところで思いとどまった。
阿呆らしい。──
「おい、帰るぞ。じきに潮が満ちる、ここは満潮になると道が沈むんだ、お前は泳げやしないだろ。」
「謝って。」と、日吉は云った、「お爺さまが、心を籠めて作った物には魂が宿るのだと話してくれたよ。元は木片であっても、弥平の真心がこめられているし、ここへ来て、仏さまに手を合わす人たちの想いもこもっている。だから、早く仏さまに謝ってよ。」
「何でそんなもんに謝るんだ。だだの木切れだろうが。仏師でもねえ、素人のジジイが手慰みで彫った人形に、魂なんぞ宿るものか。
なまじっか
亥助は、日吉が大切そうに握る木仏の顔を眺めた。
「俺には、ただの木切れにしか見えねえし、偶像を拝んだりしねえ。だから謝らねえ。──判ったか。」
「謝ってくれるまで、帰らないから。」
「おお、そうか。だったら好きにしな。」
云うと亥助は歩きだした。
「俺は、折れてやらないぞ。そうやって意地を張って、損をするのはお前の方さ。道が波に消されちまったら、途端に心細くなって、泣きながら後悔するだろうさ。」
日吉が後を追って来る気配はなかった。屋敷から、さほど離れていない場所である。だから、迷ったりはしないだろうと亥助は考えた。
屋敷に戻ってから、亥助は薪割りをした。腹が減ったので調理場へ行き、冷や飯に残り汁を掛けたものを口に掻き込んだ。その後、のんびりと
「おい亥助、坊ちゃんを見なかったか。探しているが、何処にも居ないのだ。」
「帰って、いないのか。」
「どういうことだ。」
弥平は険しい顔で、亥助に問い返した。
🌸 五 波紋
「浜の洞穴に、いるかもしれん。昼間に連れて行ったんだが、帰らないと云ってゴネるのさ。面倒くさくなって、置いて来た。」
「馬鹿が。旦那様が騒いで大変なんだ、早く迎えに行け。」
まだ居るのだろうかと、亥助は呆れた。
「ハッ、あのキチガイ爺サン、ガキ一匹いなくなったくらいで騒ぐなってんだ。まったく、皆でちやほやするから、あの小僧も調子に乗りやがるのさ。一晩くらい居たところで、死にやしないさ。」
「──亥助、」
「ああ、判った。連れて来ればイイんだろ。」
亥助は、漁師に事情を話して舟を出してもらった。
小舟は夜の海を静かに進んだ。洞穴へ入って行くと、松明で壁面が明るみ、奥の祠が微かに見えた。
浅瀬で亥助は船を降りた。膝の辺りまでの水をザブザブと割って祠へ向かった。松明を差し向けると、寒そうに膝を抱えて丸まっている日吉の姿があった。
「亥助、」と、幽かに日吉の声が聴こえた。
「謝って。」
目を合わすなり云われた言葉に、根負けした。なんて強情なんだろうか。
「俺が悪かった。二度と、仏を蹴ったりしない。」
日吉は震えていた。
怖いくせに。このまま去ったら、泣くだろうに。──
「帰ったら、弥平にも謝ってね。」
「ああ、判った。」
亥助は日吉の前に屈み、片膝をついた。腕を広げると、日吉は首に抱きついてきた。亥助は片手を日吉の尻の下に入れて抱え、立ち上がった。そして再び水を割って歩き、日吉を舟に乗せた。
日吉は入江に着くまで ずっと亥助の胸にしがみついていた。
「暗くなって、寒くて、風の音が木霊して、心細かったんだ。でも、亥助はきっと戻って来ると、信じていたよ。」
亥助は舟を出してくれた漁師に、礼は明日届けさせる、と云い、背に日吉をおぶった。
屋敷へ戻ると、使用人たちは安堵した顔で日吉を迎えた。日吉は、夕飯をとるようにと女中に促された。集まっていた者たちも、日吉の無事が確認できたので、それぞれに散っていった。
その場には、弥平と亥助が残った。弥平は無言で亥助を見ていた。顎をしゃくり、背を向けて歩き出した。亥助も無言で、弥平の後を追った。
二人は、屋敷の裏にある物置小屋のへ入った。
「何で、坊ちゃんを置いて帰った。」
亥助は答えなかった。弥平が、この小屋へ自分を連れてきた理由を知っている。亥助は、弥平の前に膝をついた。
「やれよ。」
ガキの頃、仕事でヘマをやらかすと、こうして仕置きをされていた。身心には
弥平は、亥助の
日吉は、二人が気がかりで姿を探した。弥平親子が裏の小屋の方に行くのを見かけたと聴き、急いでそちらへ向かった。仏さまの事を話したら、弥平は悲しむだろうし、亥助は酷く叱られるのではないかと思った。
小屋の戸を開け、日吉は言葉を失った。目の前の光景が、とても信じられなかった。
🌸 六 刑
縄で逆さに吊された亥助を、棒を持った弥平が叩いていた。亥助は背を激しく打たれながら、奥歯を噛みしめて耐えていた。
日吉は駆け寄り、必死で弥平の腰にしがみついた。
「止めて、打たないで。仏さまを踏み付けたことなら私も謝るから、亥助を許してあげてよ。」
「坊ちゃん、そうではありません。こいつは坊ちゃんを置いて帰ったのですよ。潮が満ちると帰れなくなる場所に、子供を置き去りにしたのです。無事だから良い、などと、軽く済ますわけにはいきません。」
「その通りさ、」くぐもった声で亥助は呟いた。「だから、お前は あっちに行っいてろ。」
煩わしげに眉を
逆さに吊られ、血が頭に下がり、胃の腑のモノが流れ出そうだった。
「私が、
「それでも、こいつが折れるべきなのです。」腰にしがみついている日吉の肩に、弥平は手をかけた。「坊っちゃん、
体で分からせるのが一番だ、そう聞くと、日吉は一段と両手に力を込めて、弥平の体を離すまいとした。
ーー私の所為で叩かれている、亥助を守らなくてはいけない。
日吉は頑固だ。これ以上の問答は無駄だと諦め、弥平は亥助を吊っている縄を解いた。
ドサリ、と亥助の体は落ちた。日吉は亥助の側に膝を付いて、縄を
日吉の耳の奥には、あの夜の、悲しい笑い声が響いていた。笑いながら、亥助は心で哭いていた。亥助の姿を想うと、胸が締め付けられるように苦しかった。出来ることがあるなら、何でもしたい、日吉は「身代わりに成りたい」とさえ思った。
しかし弥平は、「亥助の躯から鬼を追い出す術(すべ)は無い」と告げた。長年、鬼に憑かれていた為に、魂の一部が鬼と同化しており、無理に鬼を引き離すと命を落とすのだそうだ。亥助にしてやれる事は、これ以上亥助が悪事を重ねないようにと、見張っていることだけなのだ。
それでも、日吉は何か自分に出来ることを、と考え、早速、鬼が嫌うという焼嗅(やいかがし)を軒先に吊ってみた。それから日吉は、亥助を救う方法があればと、毎日書庫に隠って本を調べ始めたのだ。
また、
亥助は日吉の行動を
🌸 七 魔物
亥助は書庫を覗いてみた。ソロリと近づいて、本を熱心に見つめている日吉の後ろに立った。
「何を調べているんだ」
ビクン、となって日吉は本を落とした。一つのことに集中すると、周りが見えなくなるのだ。あわて、日吉が本を拾いかけると、亥助は本をサッと抜き取って、手の届かない位置にさし上げた。
どれどれ、と、亥助が本を捲ると、
それを見て、はあん、と亥助は閃いた。
──軒先に吊られた、あの生臭い魚の頭は鬼避けの護符だ。
小僧は、旦那の
亥助は、諭すような口調で云った。
「世の中にはな、
一瞬、上目遣いに亥助を見て、日吉は不安そうに視線をさげた。
「おまえ、旦那が鬼に憑かれていると思ってんだろ。あのな、服も着続けているとボロくなるように、人も歳をくうと、あちこちにガタがくる。足腰が弱り、目は霞み、頭もモウロクして、末は寝床で糞尿を垂れ流すんだ。王様も物乞いも、人の体の造りはおんなじさ。それは、旦那だって例外じゃない。──ところで、お前は鬼を見たことがあるか」
日吉は首を横に振った。うっかり秘密を喋ってしまわないよう、口を閉じている。
「だよな。──どんな姿かは知っている、だが、実際に見たことはない。訊けば、世の中の大半の者がこう答えるさ。だから、人は〔鬼〕を畏れるんだ。見えないから、余計に恐ろしいと感じる。絵に描いた鬼は、如何にも恐ろしげな姿をしているよな。鬼は無慈悲で残忍だと聞かされたら、人は勝手に頭ん中で、己の想像しうる限りの恐ろしげな化け物を造り出すんだ。──たとえば、親は子に、悪いことをすると鬼が来るぞ、と云う。いくら子供が悪タレでも、舌を引き抜いたり、生皮を剥いだりする親はいない。だから、鬼には
それから亥助は、存在しない〔鬼〕を利用し、人を騙くらかして金儲けをする狡猾な人間の話をした。祈禱師や拝み屋などと称する輩が、他人の弱味に付け込んで、金を絞り採る巧妙な手口を講釈した。
結局、〔鬼〕というのは、人が人を操る為に創作した都合の良い
「今晩、親父が眠入ったら俺んとこに来いよ。小便に行くふりをして抜けてくればいいのさ、な。」
弥平は日吉から亥助を遠避けていた。あの夜以来、亥助はお爺様の寝所の隣室で寝ずの番をしている。亥助とは、ずっと同じ部屋で寝ていなかった。
『なあ、おまえは俺が
闇のなかに、亥助の
🌸 八 遊具
「一が刺した、二が刺した、三が刺した、」
歌いながら、親指と人差し指で手の甲を摘まみ合う。
「蜂(八)が刺した、熊蜂(九)が刺した、ブンブンブン。」
八と九で強く摘まみ、ブンブンと蜂のように手を舞わせながら、互いの体を、チクリと針で刺すように
お腹が痛くなるくらいに、日吉は声を上げて笑う。ひとしきり笑ったあとは、亥助の胸に頬を付けて歌をねだる。
亥助の
男の体は、
探る指の先が、亥助の下腹部へ触れる。下腹部のものが、生き物のようにピクリと動く。指でつつくとひくひくと動く。手の平に握ると、ふにゃりとしていた肉塊は、クイと姿勢を立てた。
「なんで、こんな風になるの。」
伸びて膨らみ、それは棒のようになっている。
亥助は眉を
「こいつは、お前が好きなのさ。」
この一言で、
「やめろ。」
亥助は舌打ちした。眠りたいのに、
「おい、いい加減にしろ。」
鋭い口調で云い、衣の内に竿を仕舞って亥助は背を向ける。叱られて、日吉は しゅんとなる。冷たい布団に戻って
しばらくすると、隣から寝息が聞こえ始める。やがて、ごうごうと
おまえは、私が好きなの。──
手の内で息づくものへ、声には出さず問いかける。亥助の分身は、主と同じにクタリと
こんな匂いが、するのだろうか。──
ちょっとだけ似ている、という男の背に顔を押し当て、未だ見ぬ父を想う。日吉は脚を絡め、ぴったりと体を合わせる。亥助の心音が肌に伝わる。やがて単調な律動は、眠りを誘う。亥助の分身を柔らかく握ったまま、日吉は眠りに落ちてゆく。
それは、ささやかな幸せだった。けれど、もう求めてはならない。亥助の中に巣くう悪い鬼が騒ぎ出してしまうから、体を触れさせてはいけない。亥助が極楽へゆけなくなってしまうから、我慢しなければならないのだ。
🌸 九 子種
聞けなかったけれど、ずっと気になっていたのだ。
あの夜──亥助は竹のように体をしならせて、粥に似た白いものを、私のお腹のうえに滴らせた。膿みではない、と、弥平は云った。ならば一体、なんなのか。
不意に問われた弥平は言い淀み、あれは子種です、と答えた。
亥助は
「男が、子を
日吉の質問に答え、弥平は云った。それから、女の股の間には子袋に繋がる穴があり、そこに子種を仕込まないと子は宿らない、と補足をした。
そういえば、亥助が、小便と大便の穴の間にもう一つ、女には穴があると云っていた。その時、亥助は地面に女人の陰部を描いてみせ、俺はこれで商売をしていたのさ、とニヤリとした。
島に来る前、亥助は
それにしても。──
日吉は考える。何故、亥助は私の口に子種を容れようとしたのだろうか。
「はて、どうしたものか。なんにしろ、憑いた鬼に
曖昧に答え、弥平は憐れむように日吉を眺めた。よく、子は授かり物、などといわれるが、惚れ合った夫婦の間に何年も子が授からないこともあれば、
「さあ、もう
弥平は、なにか訊きたげな日吉を促し、日吉の肩に布団を引きあげた。
行っては、いけない。──
そう、日吉は自らを戒めた。けれど、どうにも人肌恋しくなって、日吉は弥平の布団に身を忍ばせた。温もりを求め、痩せ枯れた背に寄り添った。そして、ごく自然に手を腹の方へ回した。
弥平のここも、同じようになるのだろうか。──
弥平は びくりとなった。小さな手に、股間を握り込まれているのだ。
『なあ、親父よ。あんたはすっかり
弥平の耳許を、
「坊っちゃん。すみませんが、歳のせいか軀の節々が痛むのです。どうか ご自分の布団でお休みになってください。」
振り向かずに、弥平は云った。
「ごめんなさい。」
小声で詫び、日吉は隣へ戻った。
弥平の胸に、日吉の淋しげな声が、影を落とした。悪気はない。己の行為が、相手にどんな感情を懐かせるのか、日吉は知らないのだ。
『その、良い子ってのがクセモノなのさ。』
かつて、
だから、兵衛は怖ろしいくなって、女の元から逃げ出したのだ。
❀
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます