【伍】 依頼



  一  依頼  ─ いらい ─

  二  同じ穴の狢  ─ おなじあなのむじな ─

  三  縁切り  ─ えんきり ─

  四  二択  ─ にたく ─

  五  唐黍  ─ とうきび ─

  六  煙管  ─ きせる ─

  七  飛燕  ─ ひえん ─

  八  母子  ─ おやこ ─

  九  狐  ─ きつね ─ 







🌸  一  依頼  ─ いらい ─



「盗み働きを終えたあと、豊国の都に向かい、そこで骨休めをしていた。賭場で遊んでるうちに、ある貴族の子弟と知り合った。男は、俺を友人ダチのように連れ歩いた。飯や酒を奢り、賭場で遊ぶ金も気前よく出してくれた。まあ、それくらいの持ち合わせはあるが、俺はありがたく男に恵んでもらっていた。

 しばらくして男が、困ったことになった──と俺に愚痴ってきた。俺は、どうしたんですかい──と訊き返してやった。男は用心深げにあたりを窺い、声をひそめた。それが、あんたの子を身籠ったと、馴染みの茶屋女から打ち明けられた──と言うのさ。

 なんてことはない、よくある話だ。で、産むつもりだから、腹の子と自分の面倒をみてくれと女に要求されて困っているのだ。

 まあ、本心から産む気であるかは別として、『産む』と言い張っていれば、後は交渉次第でタンマリと慰謝料をふんだくれる。

 男は窮地に立たされていた。

 この時、男には縁談が持ちあがっていて、女と縁切りをしようとしていた矢先だった。それが、何処から聞きつけたものか、女が、面倒をみてくれなければ、自分との仲を縁談相手の親に洗いざらい話してやる──と言いだした。

 男は言った。

『元々が商売女で、腹の子は誰のタネとも知れない。あんな品のない卑しい売女はいたを、愛しいと思ったことは一度もない。どうせ、どこぞのゴロツキにでも入れ知恵されたのだろう。馴染みの客に縁談話が持ちあがっている、小遣い稼ぎをしようではないか、とな』

 男の縁談相手の家は格上で、男子に恵まれず、娘に婿をとって家を継がせるつもりだった。男は次男で、願ってもない出世の糸口だ。

 男は話しを続けた。

『あの狡賢い茶屋女の言いなりになるのは癪だが、縁談を潰されては困る。しかし、一度要求を受け入れてしまうと一生付き纏われることにもなりかねない。──どうしたものか』

 俺は少し間を置いて、考えるふりをしてから、だったら、俺がなんとかしてみましょうか──と言ってやった。

 男はこちらを見た。躊躇ためらいがちにも、その言葉を待っていたように顔を明るませ、どうするのだ──と訊いてきた。

 俺は言った。

『腹の子さえ、いなくなれば良いのでしょう』

 男は無言だ。だが、目には怪しい光が点っていた。この男が、なにか魂胆があって俺に近づいてきたのはわかっていたさ。

 男は言った。

『その女の身辺、チョイと探ってみますよ。それで巧いこと交渉して、手を引かせます。旦那には世話になってますからね、これくらいお安い御用ですぜ』

 俺は女の身辺を調べた。女が身籠っているのは真実だが、女にはねんごろの相手がいて、そいつが腹の子の親らしい。その男と所帯を持つ約束をしているのだと、女は親しい売女仲間に話していた。それから、近々纏まった金が手に入るから、店を辞めるつもりであるとも言っていたそうだ。

 女の相手の男は破落戸ゴロツキで、人の弱みを嗅ぎつけては、強請ゆすりたかりを生業なりわいにしている、クズ野郎だった」







🌸  二  同じ穴の狢  ─ おなじあなのむじな ─



 茶屋を見張っていると、女のもとに男が姿をあらわした。俺はふたりが部屋に入るのを確かめた。女の方が男に惚れ込んでいるらしく、部屋に入った途端に男にしがみついた。

 奴らは、一刻ばかり乳繰ちちくり合い、情交コトの合間に、貴族の野郎からどれどうやって金を引き出すかを話していた。

『子がいるかぎり、金に不自由はしない。まさにこいつは子宝ヽヽよ』

 女の下腹をさすりながら、男はそう言って笑っていた。

 俺は、奴らが眠ったのを確認し、部屋へ押し入った。はじめに男を刺してから、女の首を梁に吊ったのさ」

 翌日、部屋で心中死体が見つかった。別れ話の縺れから、女は男を刺殺したあと、梁に腰紐こしひもをかけて縊死した──ということで事件は片片付けられた。

 男は、女がしつこく言い寄ってくることにうんざりとしていた。近々まとまった金が手に入るから、それを受け取ったら、女とはオサラバする気でいたのだ。

 纏まった金──とは、誰かを強請ゆすって得ようとしていたものだろう。それで、その誰かヽヽに殺されたのだとしても不思議ではなかった。男の、強請りの相手は一人ではなく、殺したいほど憎んでいた者も一人や二人ではない。そんなクズだから、多少、死因に不審な点があったとしても、役人も必死になって捜査をしようという気にはならない。街のダニが一匹死んだところで、騒ぎ立てる者もいないのだった。


「貴族の野郎は、ずっと姿を見せなかったが、ある晩ひょっこりと賭場に顔を出した。

 野郎は、久しぶりだな──と俺に声をかけてきた。奴は婿入りが決まったと嬉しそうに話し、縁談が上手く纏まるまでは、身を慎み、遊興を絶っていたのだ、と言い訳がましく付け足した。

 俺は、おめでとうごさいます──と祝杯をあげた。

『ところで、旦那を強請っていた茶屋女ですがね、死んだそうですよ。それがね、男と無理心中しやがったんですよ。腹の子は、その男のタネだったんそうです。旦那の読みどおり、男と示し合わせていたんです。その男、博打でかなりの借財を抱えていましてね。旦那の噂を聞き付けて、女に一芝居打たせたんです。

 まったく、とんでもない野郎に引っ掛かるところでしたよ。関わったら、一生食い物にされますよ。──危なかったですね。』

 野郎は他人事のように、そうだな──と呟き、懐から紙包みを取り出して台の上に置いた。

『色々と調べてくれたようだから、手間賃だ。納めておいてくれ』


 俺は金を有り難く受け取った。

 それきり、互いに女の事には触れなかった。他愛のない話をしながら酒を飲んでいた。

 しばくして、『それで、相談なのだが、』と、野郎が切り出してきた。


『私の友人が少々困ったことになっていてな。

 相談に乗ってやってくれないだろうか。』


『伺いましょう』と、俺は神妙な顔を作って応じた。







🌸  三  縁切り  ─ えんきり ─



 野郎は手招きをして、そのご友人とやらを呼んだ。

 男は俺を警戒している風で、本当に大丈夫なのか、と野郎に視線を向けた。

 野郎は、『信用できる男だから、心配ない』と、男の肩を叩いて云った。


 相談とは、付き合いをしている娘を孕ませてしまい、その娘から、『嫁に貰ってくれ』と迫られているのだという。

 ああ、『類は友を呼ぶ』とはよくいったモンだ。

 まったく腐り果てた野郎どもさ。


 男は云った、『腹の子を始末してくれ、多少手荒な事をしても結構だ』更に、台の上に金の包みを置き、云った、『始末がついたら、これと同じだけ金を払う』


 娘は十五歳だった。

 男を知らないウブな娘に手を出したのが運の尽きだ、娘は男と夫婦めおとになれるものと、疑いもしていなかった。

 俺は娘の跡をつけた。

 安産祈願でもするのか、娘は裁縫の稽古の帰りに、神社へ寄って手を合わせた。

 俺は頬被りをして後ろから近づいた。

 物取りに見せる為、懐の財布を奪いにかかった。

 娘は腹を庇(かば)って抗った。

 俺は娘を石段の方へ引いて行き、しこたま腰を蹴り込んだ。

 甲高い悲鳴をあげ、娘は長い石段を転がり落ちていった。

 娘の生死は確かめず、俺はその場を離れた。


 それから数日して、野郎が賭場に現れた。

 俺は側に寄って行って、『ご友人は一緒じゃないんですか』と訊いた。

 野郎は顔をしかめ、『娘は死んでいないから、金は払えないそうだ』と云った。


 俺は、腹の子の始末は頼まれたが、娘の始末までは引き受けていない。


『手荒なマネをしても構わない、というのは、そういう意味だろう。

 勘の悪い奴め。

 多少は使える男だと思ったが、見込み違いだった。

 お前との縁は、これまでだ。』


 野郎は冷たくそう告げた。

 俺は、『そうですか』と云って、野郎と別れた。


 賭場を出ると、誰かが俺の跡をつけて来た。

 俺はワザと人気のない道へ入って行き、物陰に身を潜めた。

 そうすると、四、五人の男たちがバタバタと走り寄って来た。

 あの野郎に雇われたゴロツキ共だった。


 あのクサれ貴族は、俺を始末しようとしやがった。

 俺に声をかけてきたのは、俺が他所者で、人知れず始末もし易いと踏んだからだ。







🌸  四  二択  ─ にたく ─



 俺は貴族の屋敷を突き止めていた。

 野郎が、どの道を通り何処へ行くか、誰と会うか、行動は調査済みだ。

 野郎は、命を狙われていると知った俺が、この街から既に逃げ出したと考え、油断していた。

 俺は身を潜めていて、野郎が独りになった時に襲いかかった。

 薬を嗅がせ、舟に乗せて運んだ。

 手首を後ろ手に縛り、脚を縛り、口に猿轡を噛ませておいた。


 俺は野郎を小屋に運び入れて、桶で水をぶち掛けた。

 野郎は驚いて、芋虫みたいに体をくねらせた。

 自分が縛られているのに気づいて、無様に慌てふためいていた。


『お貴族サマも、こうなっては形無しですなあ。』


 俺は桶を抱えて、ゆっくりと野郎の顔に水を垂らした。


『助けを呼んでも誰も来やしませんぜ。

 旦那とサシで話がしたくて、ここまで運んで来たんです。

 ああ、何処か聞かれたって判りませんよ、俺は土地勘がないんでね。

 とにかく人気ひとけのない方へ漕いで来て、ここへ辿り着いたんです。』


 野郎がこちらを睨んで、モゴモゴ云ってやがるんで、俺は轡を取ってやった。


『なんだ、金か? 金ならくれてやるから、早く縄を解け。』


 縄を解け、ときた。

 野郎はまったく状況が判っていない。

 そんな端金はしたがねのために、俺がこんなことをしていると思っている、──おめでたい頭さ。


『旦那もつまらないご友人を持ったものですね。

 タカが二両の金をケチるんですからね。

 旦那はあの男から、いくら貰ったんですか?』


 野郎は開き直った。


『ゴロツキのクセにゴチャゴチャ御託を並べやがって。

 どうせ金が目当てだろうが。

 そうやって金を釣り上げる気なのだろう。

 それが、お前のような卑しい男の手口だ。』


『云ったよな、俺は金が欲しいんじゃない。

 まあ、旦那がそんなに金を貰ってくれと云うのなら、旦那の股座またぐらにぶら下がってるお宝を貰いましょうかね。


 大丈夫、無くったって生きていられます。

 煩悩が無くなって、かえってイイくらいじゃないですか。

 女を孕ませて、始末に困るナンてコトもなくなりますよ。』


 俺は野郎のズボンを膝の下まで引きさげた。

 下帯を解くと、野郎の魔羅は縮み上がって、陰嚢フグリは梅干しの種みたいに皺を寄せていた。

 俺は容赦なく玉を掴んだ。


が無くなると、男臭さが消えて女みたいに体がふっくら丸みを帯びるんです。

 女ってのは優男が好きですからねえ。

 旦那は今より、もっとおモテになりますよ。』」







🌸  五  唐黍  ─ とうきび ─



「『ああ、そうか。

 肝心のモノが役に立たなきゃ、女にモテたところで仕方ないですね。』


 嘲笑わらってる俺を、野郎は憎々しげに睨んでいた。


 俺は部屋の隅に目を向けた。

 置いてある箱に、唐黍が入っているのを見つけた。

 唐黍は腐って微かに臭っていた。

 皮を剥がすと、黒く変色した実には虫が湧いていた。


『旦那に選ばせてやるよ。

 お宝を無くすのと、こいつをケツの穴に突っ込むのと、どっちがいいですか?』


 そりゃあ どっちも嫌さ。

 だが、睾丸を切り取られるよりゃ、まだマシってもんだ。

 野郎は嫌そうに腐った唐黍を見ていた。


がイイんですね。

 もしかして、旦那はそっちのたしなみがお有りなんですか。

 残念だなぁ、俺にそのがあったら、旦那を俺の魔羅でかわいがってやるんですがねぇ。』


 俺は唐黍の先を野郎の鼻に突き付けた。

 腐った唐黍がグチュリと崩れた。


『ああ、下の穴の方でしたな。』


 俺は野郎の体を足で転がし、腹這いにさせた。


『力を抜いて下さいよ。

 そんなにギチッと締めていちゃあ、入りませんよ。』


 そう言うと逆に、野郎の肛門は磯巾着いそぎんちゃくみたいにギュッと閉じた。


『蠅は死んだ獣の臓腑に卵を産むんです。

 臓腑は腐って発酵するから、中は湯みたいにあったけえ。

 蛆虫は旦那の腹の中でぬくぬくと育って、腹を食い破って出てきますぜ。


 運が良ければ助けが来ます。

 それは明日かもしれないし、十日後かもしれない。

 ま、神仏にでも祈るんですね。

 ああ、俺に祈ったってダメですよ。

 旦那とは、とっくに縁が切れていますからね。』 


「俺は船を漕いで川をくだった。

 そのまんまトンヅラさ。

 この身ひとつ、まったく気楽なもんだ。


 ほら、燃えている家からせっかく逃げ出せたのに、溜め込んでた小金やら、つまらない骨董品やらを思い出して、火の中に戻っちまうヤツがいるでしょう。

 欲に駆られてテメエの命を無くしちまう、──馬鹿なこった。」







🌸  六  煙管  ─ きせる ─



 亥助は徳利から直に酒を飲んだ。


「なあ、コイツもゲンキになったぜ、仕切り直しといこうか。」


 下卑た薄笑いを浮かべ、女を見た。


 女は優美に体を横たえたまま、煙管キセルを吹かしていた。

 緋色の襦袢の背に長く流れた髪が、なまめかしい。絹のように美しい黒髪のしたの顔は、雛人形のように小作りで、気品がある。


 女はチラリと亥助を見、小馬鹿にした様子で煙草をくゆらせた。

 亥助は四つん這いで女に近寄り、首筋に鼻面を寄せた。

 煙管を取り上げると、女はキツい目を亥助に向けてきた。


「返して。」


 亥介は方目を細め、得意気に煙管を吹かした。


「もう、十分。」と、女は云った。


「そんなにかったか?」


 亥助はヘラヘラ笑った。

 その阿呆ヅラを見ながら、女は嘲笑うように云った。


「一度寝たら十分、お前がどんな男だか判ったよ。」


 女は巾着から銭を取り出して、亥助の前に放り投げた。


「お前の話しに、二文にもん上乗せしてやったよ。

 」


「俺の値は、一文いちもんってコトか?」


 亥助は憮然と、手の平の銭を見ていた。


 女には、亥助の思考が読めていた。

 亥助は貴族を懲らしめたのではない、そんな殊勝な想いは、この男の頭には無い。

 強請ユスりの男女を心中に見せかけて殺したのは、貴族に「使える男」と自身を売り込むためだった。

 そして、友人のオンナを殺さなかったのは、生かしておいた方が「面白そうだ」と考えたからだ。


 亥助には、それは暇潰しの座興だった。

 貴族を連れ込んだ小屋は、さほど民家から遠くない場所にあり、翌日には、尻から腐った唐黍をり出した、間抜けな姿が発見されるはずだった。


 男はそれで懲りたりはしない。

 生きている限り、似たような悪事を繰り返すだろう。

 いっそ消してしまった方が世の為ではあるが、そんなもの、亥助の知ったことでない。

 身勝手な男の陰で、泣く者や、闇に葬り去られる命があるとしても、もはや亥助とは関わりのないことだった。


「何で男に金を払うんだ?

 お前なら、幾らだって貢いでくれる男がいるだろう。」


「金を払われるのは女郎と同じ。

 男にいいように扱われるのは、御免だね。」


「そんなもんかね。

 テメエら親子は、顔は似てやがるのに中身はまったく別物だな。」


「お前があの子にちょっかいを出してるのを、知っている」と、女は云った。


「手を出すと痛い目に遭うよ。

 小さくとも狐精、あの男のタネなのだからね。」


 それは、子を案じる親の言葉ではなかった。


「なあ、あの小僧の親父はどんな奴だ?」


「興味があるかい?」

 

 女は含み笑いを浮かべた。







🌸  七  飛燕  ─ ひえん ─



 『あの子の父親は旅芸人さ。

飛燕ひえん 」て通り名で呼ばれていたよ。』


 以前、女からそう訊いた。


 ナンでも、亥助はその男と背格好が似ているとかで、女から、「お前は目障りだから視野に入るな」と云われていた。


 亥助は、この高飛車な女の物言いに腹が立った。

 そして、見ず知らずの「飛燕」という男にも不快感を懐いた。

 そいつがクズ野郎だとは容易に察しがついた。

 なにしろ役者や芸人ナンてのはロクでもない連中だ。


「実は、男には『名』が無いのさ。

 生まれた時に名を付けて貰えずに、『オイ』とか『コラ』とか呼ばれていたそうだ。


 母親は一座の者で、気がフれていて、自分が誰だかも判らなかった。

 頭の中身は三歳みっつの子と変わりない。

 女は十三歳の時、お稲荷さんの社で犯され、子を孕んだ。

 幾人もの男に、寄ってたかって嬲られていた。

 その時に、頭がオカしくなってしまったのさ。

 体は痣だらけで、女陰ほとからは鮮血と、幾人もの男の精が混じり合って流れ出していた。


 縁日で売っている狐の面が八つ、女の側に落ちていたという。

 これは村の男たちの仕業なんだが、番所に届け出たところで相手にされない。

 タカが旅芸人の小娘、芸人は体を売ることも生業なりわいにしているのだから、……とね。

 そして娘を犯した当人は、家に帰れば良い父親だったり、孝行息子だったりするのさ。

 それが集団になった途端、たがが外れちまって、そうした悪事を平気でやる。

 男というのは、一皮剥けば皆、獣なのさ。


 あの男は、

『俺の親父は狐だ。

 俺には芸事の神様が憑いているんだ。』

 ナンて、ホザいていたよ。」


 母子は、一座の中では厄介者で、いつも男は殴られたり蹴られたりしていた。

 そのせいで右耳の聴力が殆ど無いのだ。

 母親は物言わぬ人形で、男に取っても厄介者だった。

 人形なら放って置いてよいのに、女は飯を喰うし糞をする。

『月の障り』も巡ってくる。

 男は、女の不浄の始末もしてやった。

 男は女のことを親だとは思っていなかった。産み落としただけで、親らしい事は何一つしていない、『母』という名のお荷物だ。

 なにせ、面倒を見ていたのは男の方なのだから。


 そして、息子は母を見世物にしていた。

 木の枝で地面に円を書いて、円の真ん中に女を立たせ、「御開帳」と云って、ペラリと着物の前を剥ぐって見せる。

 それで、助平野郎から見物料を取って、男は小銭を稼いでいた。

 助平野郎が身を乗り出して女に触ろうとすると、ペシンと枝で手の甲を叩き、

「はいはい、そこの線から入らないでね。

 見るだけだよ、触っちゃなんねぇ。

 守ってくれなきゃ、店終いだ」

 と、云うのだ。


「くだらない事をするんだね。」


 高飛車女が冷めた調子で呟くと、男は悪びれずにこう返す。


「体を売らせているワケじゃない。

 イイじゃねえか、減るもんでもなし。

 俺があいつを養ってやってるんだ、どう扱おうが俺の勝手だ。」







🌸  八  母子  ─ おやこ ─



 男の隣には、常に うすのろの女が居た。

 体は大人の成りをして、中身は幼児だ。

 言葉を喋らず、赤子みたいに、うう、とかああ、とか言っている。

 頭の足りないこの女を、男は蔑んでいた。

 女には「さよ」という名があったが、幼かった男は、いつも頼りなげに頬笑んでいる動作の鈍い女を、「ノロ」と呼んだ。


 男は幼い頃から繰り返し、「この女はお前の母なのだから、お前が面倒をみるんだ」と云われてきた。

 女はマトモに仕事ができないので、食事の割り当てもない。

 男は僅かな食料を女に分けてやらねばならず、いつも腹を空かせていた。


 そんな時、見知らぬジジイが男の側へ寄って来て、「その女の着物を捲って見せてくれたら、駄賃をやる」と云った。

 捲って見せると、更にジジイは、「下帯を解いてくれたら、今度は二枚やる」と云った。

 男には、金を払ってまでそれを見たいというジジイの感情が理解できなかった。


 ジジイは、「有難や」と手を合わせた。

 目を細め、見窄らしく毛の生えた陰部をしげしげと眺めた後、「若い女のボボを見たのは久し振りだ、冥土の土産になった」と云って、男の手の平に銭を乗せた。


 この一件で、「これで小遣い稼ぎができる」と男は思ったのだ。

 見せるだけなら何の問題もない。

 体を売らせれば、もっと稼ぎになるだろうが、ノロは息子以外の男に触れられると、金切り声を上げて暴れるので商売にはならない。

 それに、買った男はキチガイ女を人扱いせず、酷い扱いをするだろうし、孕まされでもすれば始末が面倒だ。

 これ迄も、ノロが気がフれているのを良いことに、悪さをしようとする男がいた。

 ノロは、まだ若く美しい。

 気のフれる前は、扇子で紙の蝶を舞わせながら綱渡りをする、人気の太夫だった。

 幼顔にそこはかとない色香を漂わせた、可憐な少女であったのだ。


「──あの女。」


 と、高飛車女は苦々しげに呟いた。

 思い出す度に腹が立つ。


 ある時、ノロは女の荷物から紅を取り出し、顔に塗りつけ、女の衣装を着てゆらゆらと舞いっていた。

 それを見るなり、女はノロの頬を叩き、着物を剥ぎ取って、罵りながらノロを足蹴にした。

 そこへ男が入って来た。

 女は男に歩み寄り、「このバカ女が私の、──」と訴えた。

 けれど男は、無言でバシンと女の頬を張り、倒れた女の背を足蹴にした。

 あまりの事に、女は声も上げられなかった。

 男は女の髪を鷲掴みにし、間近に顔を寄せて云った。


「俺のモノに手を上げるな。

 今度こんなマネをしやがったら、お前の頭を丸刈りにしてやるからな!」


 男の形相に気圧けおされ、女は暫く呆然となっていた。

 人に手を上げられたことなど一度も無い、これ程の屈辱を受けたのは初めてだった。


 当初、息子は母を虐げているように見えていた。

 しかし、長く共にいるうち、仕えているのは息子の方なのだと、女は知った。


 母は疥癬のように、息子の胸に張り付いている。

 この二人の間に、他人が入る隙は一分も無かったのだ。







🌸  九  狐  ─ きつね ─



「その男には、左肩下の痣の他に、なにか特徴があるのか」


「やけに熱心に訊くんだねぇ」


「そりゃあ、気になるだろう。俺に似た男のことだ」


「似ている、と言っても、遠目に見た姿が少し、というまでのことさ。おまえとあいつじゃ、月とスッポンさ」


 どちらがスッポンかは、いわずもがな──と女は嘲笑わらった。


「あいつは、どうしようもない ろくでなしだが、芸は一流だった。あの姿を見たら、誰だって惚れてしまう。女も男もあいつに夢中だった。

 取り巻きが沢山いたよ。あいつは本当に悪い男で、人を手玉にとるのが得意だった。冷たい素振りをしておいて、裏では、あなただけです──と言って、ひとりひとりに気を持たせるくせに、結局は誰にも靡いたりはしないんだ」


 ──なんだ惚気ノロケか。


 亥助は白けた気分になった。こいつも所詮は、女。自分は誰にも靡かない男を手中モノにしたのだという、女のつまらない自慢話だ。


「それじゃ、おまえは特別ってわけだな。なんたって、子まで成した仲なのだからな」


 亥助は少々芝居がかったようすで、女の自尊心を擽るような言いかたをした。


 亥助の軽口に、女は冷めた口調で返した。


「子は要らない、と言っていたよ。子を成す──とは、血を分けること。自分の持っている運勢をも分け与えることだ。才気を奪われてしまうのは御免だ──と、あいつは常々言っていたよ。

 だから、決して子ができないやり方で交わっていたよ」


「じゃあ、なんでガキが生まれたんだ」


 女は含み笑いを浮かべた。

 亥助はなんだかゾッとした。


「あの男は、誰も愛さない。愛、という感情のない男だった。私はそれでもよかった。けれど、あいつは私を捨てようとした。だから、あいつが嫌がることをしてやろうと思った。私を捨てるというのなら、あいつの一番大切なものを、奪ってやるのだと決めたのさ」


 女は男の元から去り、子を産んだ。

 男は、血を分けた自分のタネが、遠い異国の島でひっそりと育っているとは、夢にも思っていまい。


「恐ろしい、ものだな」


 女に心底惚れられるというのも、おっかないことだ。亥助は手の平の銭をもう一度眺めた。この程度の男で、助かった。


 この女は、白い花の姿で男を惑わせる、この花蟷螂はなかまきりだ。蟷螂ってのは、交尾の最中にオトコを食っちまうんだ。頭を喰われた男は、壊れた機巧カラクリみたいに腰を振り続け、精を放って事切れる。


 ──あの屋敷は、とんだ伏魔殿だ。


 屋敷の主は、金色こんじきの目をした白い大蛇で、その妾は花蟷螂、側に仕えるのは千人斬りの鎌鼬かまいたち


 ──嗚呼おっかねぇ。


 俺の周りは、おっかない奴ばっかりだ。


「ぶるぶる」


 亥助は両手で我が身を抱き、わざとらしく身震いした。


 『お兄様、翼はここに居ります。あなたの側に、こうして、ずっと』


 日吉は──あの小僧は狐精、か。

 旦那様は、日吉の腕のうちにやすらいで、涙を流していた。


 狐の子は狐。小僧は、相手に依って姿を変える、変化にけた狐、だ。











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