【参】 後見人
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一 後見人
二 父子
三 悪意
四 罪悪感
五 篭の鳥
六 紙芝居
七 秘密
八 人誑し
九 約束
🌸 一 後見人
屋敷は町を見おろす丘のうえに建っていた。
そこからは遠く港が見えていた。
日吉は、屋敷の敷地内から出ずに育った。
屋敷には大人ばかりで、同じ年頃の遊び相手などはいなかった。
子供は使用人の子でさえ、出入りを禁止されていたのだ。
日吉は、お爺様に本を読んでもらいながら読み書きを覚えた。
お爺様──とは、この屋敷の主人で、とある国の貴族だった。
噂では、王族に連なる高貴な血筋で、内大臣の位を極めた権力者だというが、定かでない。
母は日吉に関心がなく、今日はこんなことを習ったのだとか、こんな面白いお話を聞いたのだとか話しても、迷惑そうな顔をしてそっぽを向いてしまう。
日吉の手の平に
犬でも追うように、日吉はあしらわれてしまうのだ。
母の気を引きたくて、母の喜んでくれそうなことを考えてみるのだけど、母は、幼子が側に寄るのも
日吉は、沈んだ表情で庭の三尊石の陰にしゃがんでいた。
お爺様は縁側から手招きし、日吉を自室へあがらせた。
「どうした。
なにか気に病むことでもあるのか。」
お爺様は、白い眉のしたから慈愛に満ちた眼差しを向け、深みのある穏やかな声色で
こうして気遣いをされると、喉元に
「
「そのようなことはない。
そなたのように心根の優しい子を、
私も、そなたをとても愛おしく思っている。」
そう言うと、お爺様は顔を曇らせ、ただ──と、声をひそめた。
「母は、 少々気を病んでおるのだ。
誰しも、気分の優れぬときには、愉しいことも愉しいとは思えず、人が側に寄るのさえ煩わしと感じるものだ。
だから、いまはそっとして置いてあげなさい。」
「お加減が悪いのなら、そう言ってくださればよいのに。」
「それは、そなたに余計な気遣いをさせまいとして、黙っているのだ。
そなたを想ってのことだ。」
「そう、なのですか。」
「そうだとも。
そなたが心を痛める必要はないのだよ。」
日吉は、お爺様の背に手を回して胸元に頬を押し付けた。
お爺様は日吉の体を包んで、優しく頭を撫でる。
お爺様の指先はとても冷たく、こうして抱かれていると安らかである反面、日吉はなぜだか故知れぬ不安を感じるのだ。
🌸 二 父子
屋敷は、近くの村からもよほどに離れている。
歩いて半刻ほどかかる道のりを、農夫は荷車を引いて野菜を届けに来る。
近頃、その農夫に付いて、八つくらいの男の子が屋敷を訪れるようになっていた。
日吉は、門の外にいる子供を珍しげに眺めた。
少年も日吉に気づき、見返した。
互いに興味を惹かれているのだが、どちらとも声をかけられずにいた。
村人たちは、屋敷の内情に関心があり、細かい事まで知っていた。
狭い村では なにもかもが筒抜けだ。
おもに屋敷に出入りする者たちが、使用人から あれやこれやと聞き出して、これ見よがしに話すのだ。
ある日、丘の上の屋敷に若い女がやって来た。
臨月も間近の身重の体。
なんでも、朱国の、呉服問屋の娘であるらしい。
どこの馬の骨とも知れぬ旅芸人に入れあげて、男を追って家を出た。
案の定、女は捨てられ、
そして、その腹には旅芸人の種が宿っていた。
親は
屋敷の隠居に、娘を押し付けた。
女は、とんでもないアバズレだ。
実家から金が届くと本土へ渡り、博打と男に金を使ってしまう。
金が尽きると島へ戻ってくる。
産んだ子を、一度も抱こうとはしない。
泣いているのも知らん顔で、乳も与えず、オシメを替えることもしない。
旅芸人の子は、屋敷の隠居の子として育てられている。
その子は、花のように愛らしい子だ。
🌸 三 悪意
日吉が成長すると、お爺様の痴呆の症状が進み、己が誰なのかさえわからないことがあった。
お爺様の気分によって、日吉は色々な名前で呼ばれるようになった。
日吉は呼ばれるままに話しを合わせ、お爺様の相手をした。
やがて、お爺様の奇行は弥平の手に余るようになった。
そこで弥平は、亥助という若い男を島に呼び寄せた。
弥平は息子だというが、似たところは少しもない。
歳は二十代半ば、痩身で背丈は標準よりも低いほうだ。
細い目に薄い唇、めったに口を開くことはないが、歯は数本欠け、煙草の
使用人たちは、陰気な亥助を避けていたが、日吉は、島の外から来た男に興味を惹かれた。
見かけると、そっと後をつけて歩き、物陰から男を観察した。
少し猫背でガニ股気味な亥助の歩き方を、日吉は面白がって真似ていた。
亥助は日吉に気付き、足をとめて肩越しに睨んだ。
日吉は一瞬ピクリとして、見つかっちゃった、という風に、悪戯っぽく笑ってみせた。
「おまえの真似をしていたんだよ。」
右目を細め、亥助は大きく舌打ちした。
それきり、日吉には目もくれずに歩きだした。
──目障りなクソガキめ。
亥助は はじめから日吉に気づいていたのだ。
小僧はチョロチョロついてくる。
俺のことを珍獣でも見るような目で見ていやがって、俺のマネをしておちょくってやがる。
使用人どもが馴れ馴れしく近づいてこないよう、無口で無愛想な男を演じていたのに、馬鹿なガキは、空気を読まずに寄ってきた。
亥助は、どこの馬の骨とも知れない芸人の息子に、「おまえ」と呼ばれたのが、酷く勘に触ったのだ。
日吉はその場に立ち尽くしていた。
ピシャリ、と顔に水をひっ掛けられたような心地だった。
自分に悪意を向けてくる人間に、はじめて遭った。
日頃、日吉は亥助に、「坊っちゃん」と呼ばれているが、そこには蔑んだ響きが含まれていた。
🌸 四 罪悪感
その日、お爺様は体調も良く、屋敷の裏山を散策していた。
お爺様は右膝が悪いので、杖に頼りながらゆっくりと歩く。
横に日吉が寄り添い、後ろに亥助が付いてゆく。
ほどよく汗をかいて、お爺様は日陰の石垣に腰をおろし、休んでいた。
日吉は川の流れる音に耳を傾け、そちらに歩いて行った。
キラキラと水面が輝いて、水しぶきが上がっている。
河原では、五、六人の子供が遊んでいた。
日吉は土手の上から、そのようすを眺めていた。
子供の一人が日吉に気づいた。
目が合うなり、土手を駆けあがって来た。
その子は、野菜を届けに来る農夫の子だ。
日吉に笑いかけ、「来いよ」と言った。
日吉は手を引かれ、河原へ降りていった。
子供たちは沢蟹を捕まえていた。
石をはぐって蟹を見つけると、素手で掴んで
甲羅を持つと鋏まれない──と説明されたが、日吉は怖くて触れない。
落ちていた枝を拾い、先を蟹に向けてみた。
蟹は枝を鋏んだ。
枝を上げると宙に浮いた。
日吉はそれを魚籠に放り込んだ。
「──翼、翼」
土手の方からお爺様が日吉を呼ぶ。
蟹捕りに夢中になっていた日吉は、お爺様のお供をして来たことを、すっかり忘れていたのだ。
そして日吉は、川の側へ近寄ってはいけないよ──とお爺様から注意を受けていたことを思い出した。
振り向くと、お爺様は不自由な足で土手を降りてきていた。
気が
お爺様は土手の半ばから転がり落ちてきた。
お爺様のあとを追って、亥助が駆け降りてきた。
日吉も慌てて走り寄った。
お爺様は苦しげに顔を歪ませていた。
日吉はお爺様の手を握りしめ、不安そうに目を合わせた。
「お爺様──」
「ああ、翼。
そなたが無事で良かった。」
お爺様は安堵したようすでに、日吉に微笑みかけた。
亥助はお爺様の足の具合を見ていた。
右足が妙な具合に曲がっている。
みるみる衣が血に染まってゆく。
折れた脛の骨が外に突き出ていた。
亥助は子供たちの兄貴分である少年に呼びかけた。
「おい、畑に行ってお前の親父を呼んでこい、屋敷の隠居が土手から落ちて、脚を折ったと伝えろ。
それから、そこのお前。
お前は屋敷に行って、同じことを伝えろ。
人の命に関わる大事だ、判ったら、サッサと行け。」
子供に指示をしながら、亥助はお爺様の膝上辺りを縛り、止血をしていた。
しばらくして、農夫が荷車を引いて来た。
お爺様を戸板に乗せて土手の上へ運び、そのまま荷車に積んで屋敷へ向かった。
日吉は泣きながら、荷車の後ろを付いてきた。
お爺様は腰を強く打ち付けた為に、立つことができなくなっていた。
「おまえのせいだな。」
ボソリと亥助が呟いた。
責めるのでなく、ただ事実を述べているといった調子ではあるが、日吉には、亥助の言葉が重くのし掛かった。
自分でもそう感じていただけに、罪悪感が増したのだ。
🌸 五 篭の鳥
──私が言いつけを守らなかったせいで、お爺様がお怪我をされたのだ。
もしかすると、お爺様は私の身代わりになられたのかもしれない。
そう思うと日吉はいたたまれなかった。
お爺様は高齢であり、骨の付きも遅く、傷口は膿んで臭気を放っていた。
日吉は片時も離れずに側にいて、お爺様の世話をした。
弥平は手先の器用な男で、椅子に車輪を付けて、人を座らせたまま運べるものをこしらえた。
お加減のよい日には、お爺様をそれに乗せて外を散策した。
椅子の背を亥助が押し、日吉はお爺様の横についた。
川の側を通ると、河原で遊ぶ子供たちの姿が見えたけれど、再び土手を下りて行きたいという気持ちにはならなかった。
日吉は、お爺様がお昼寝をしている間、屋敷を囲む石垣の上に登って、村の向こうの町や、もっと遠くの港の様子を眺めていた。
母が本土に渡って半月経つ。
母は気鬱の病を治療しに行くのだと聞いていた。
「外に行ってみたいか。」
声を掛けてきたのは、亥助だった。
「港に荷を取りに行くんだが、付いて来るか。」
亥助は私の事を好いてくれてはいない、と感じていたから、思いもしない申し出だった。
「いいの、一緒に行っても。」
日吉はおずおずと亥助を見返した。
亥助の心を探るその目には、微かな期待が表れていた。
「行くのなら、降りてこい。」
日吉が石垣を降りかけると、亥助は両手を伸ばして日吉の腰を支えた。
ヒョイと体が持ち上がって、羽のようにふわりと着地した。
亥助は弥平に、日吉を外に連れ出してもいいか、と訊いた。
船で届く荷を受け取りに行くだけだから、旦那が眠っている間に帰って来れる、と説得した。
日吉は屋敷の敷地から出たことがなく、同年代の遊び相手もなく、毎日、寝たきりの老人の側に付いている。
幼い子が狭い場所に籠っているのは、さぞ窮屈だろうと、弥平も思っていた。
日吉にも気晴らしが必要だ。旦那様が起きるまでに必ず帰って来るように、と念を押して、弥平は二人を送り出した。
爺様は日暮れまで眠っている。
お爺様が飲んでいる薬には、気持ちを穏やかにする効果があり、眠りを誘うものなのだという。
亥助の横を、日吉は跳ねるように歩いていた。
ウキウキと心が弾む。
こんな気持ちになったのは、久し振りだ。
遠くから眺めているだけだった村の中を、ただ歩いていることが楽しいのだ。
畑の一面には玉菜が植わり、蒸れた肥料がムッと臭っていた。
何処かで草を燃やしているらしく、焦げた臭いも漂っていた。
道をひたすらに歩いて、やっと町の景色が見えてきた。
町は村と違い、色々な臭いが混じり合って、色々な音がした。
こんなに大勢の人がいるなんて、と日吉は驚いて、キョロキョロと辺りを見回した。
小さな体は人にぶつかって、よろけた。
「おい、ボサッとしているなよ。」
亥助は二の腕を掴んで、転びかけた日吉の体を引戻した。
🌸 六 紙芝居
海風が大通りに吹き込んで、土埃が巻きあがった。
町の中は埃っぽくて、風は何処か生臭く、ベタベタとしている。
日吉は町に入ってから、絶えずケホケホと咳き込んでいた。
港には倉庫が並び、船からの荷を運び入れたり、荷を船に積み込んだりしていた。
島に渡って来た者たちがおりると、本土へ渡る者たちが乗り込んでいく。
屋敷から見えていた小さな船影は、近くで見ると、とても大きな物だった。
これほどの物が、どうしたら浮いていられるのかと不思議だった。
それでも中型の船で、もっと大きな物が本土の港には出入りしているのだと、亥助は言った。
「ちょっと待ってろよ。」
目当ての船が到着したようで、亥助は寄りかかっていた壁からヒョイと背を離した。
「いいか、そこを離れるなよ。」
そう言い置くと、亥助は人波を掻き分けて船に向かった。
下りてくる人の中に、知った顔を見つけ、小走りに近づいて行く。
中年の商人風の男と亥助は長いこと話していた。
日吉は、ちょっとだけ、と岸壁へ歩いて行った。
海の近くは生臭い匂いがした。
勢いよく、波が岩に砕けて飛沫がかかった。日吉は、頬の滴を指で掬って舐めてみた。
──あ、本当にしょっぱいんだ。
と、日吉は塩の味を実感した。
塩は海水から造るのだと、いつかお爺様が話してくれた。
海水は塩よりも、苦くて複雑な味わいだ。
「あんまり覗き込んでいると、落っこちるぞ。
おまえは泳げやしないだろうが。」
動くな、と言ったはずだが──というふうに、亥助は眉間に皺を寄せた。
「大きな魚がいるよ。」
「ありゃあ、
「ご用意は済んだの。」
「ああ、済んださ。」
「ねえ、それは何。」
「旦那の薬だ。」
「そっちは?」
「煙草だ。
豊国から取り寄せた、上物さ。」
亥助はいつになく、機嫌が良い。
「帰るぞ。」
「帰る、の。」
日吉は名残惜しそうに言った。
寂しげな日吉の様子を横目に、亥助は背を向けて歩き出した。
それでも、小僧はちゃんと付いて来ているか、と気になって、亥助は横に視線を向ける。
ちゃんと付いて来ているよ、と日吉は亥助を見あげて頬笑む。
けれど何度目かに見ると、日吉の姿が消えていた。
亥助はぐるりと辺りを見回した。
遠く、飴売りの紙芝居に、子供たちが集まっている様子が見えた。
日吉は人垣の後ろに立ち、熱心に見つめていた。
「おまえは芝居が好きか。」
亥助の声は、聴こえていないようだ。
紙芝居が終わると、日吉は満足そうに手を叩いていた。
頭から、亥助のことなど消えていた。
ふと、横に亥助がいるのに気づくと、バツが悪そうに日吉は頭を下げた。
「ごめんなさい。」
亥助はわざと怖い顔をして、なにも言わずに歩き出した。
待って──と、日吉はあわてて亥助を追った。
帰りの道すがら、日吉は楽しげに紙芝居の台詞を喋り続けていた。
一度聞いただけで覚えちまったのか──と感心し、思わず亥助は呟いた。
「それは、おまえの親父の血のせいなのだろうな。」
🌸 七 秘密
「私の
「やっぱり、旦那が父親でないのは知っていたか。
じゃなきゃ、『お爺様』とは呼んでいないよな。」
口を滑らせた亥助を、日吉は目を輝かせて見あげている。
「おまえの親父は旅芸人さ、よくは知らねえが、生きてりゃ、何処かの国を渡り歩いているだろうさ。
運が良けりゃ、いつか何処かで会えるかもな。」
要らないことを喋るな──とは言われているが、村の者なら誰でも知っていることだ。
亥助は悪びれずに続けた。
「飛燕──て通り名で呼ばれているそうだ。」
「ヒ、エン。」
「飛ぶツバメ、って書くのさ。
亥助は、人差し指をクルリクルリと回した。
「左肩の下あたりに牡丹の花みたいな痣があると、おまえの母ちゃんが言っていた。
俺は、おまえの父ちゃんに少しだけ似ているそうだ。」
「そうなの。」
日吉はマジマジと亥助の顔を見上げていた。
『遠目に見ると背格好が似ている。
おまえは目障りさ、私の視野に入らないでおくれ。』
あの
「──急ぐぜ、おまえのせいで遅れちまった。
旦那が起きたら、大騒動だ。」
亥助は大股で歩きはじめた。
歩幅の小さい日吉は、自然と駆け足になった。
日吉は息を切らせながら、亥助の後を必死で追い、坂の上の屋敷に辿り着くと、ペタンと座り込んだ。
「ねえ、亥助。
また一緒に連れて行ってくれる。」
日吉は肩で息をしながらも、亥助を見あげて微笑する。
「おまえが秘密を守れたらな。
いいか、今日のことは旦那に話すんじゃないぞ。」
「わかった。
きっとだよ、約束だよ。」
立ち上がろうとすると、両の爪先に痛みが走った。
痛ったぁ──と日吉は呟いた。
「どうした、足をヒネったのか。」
日吉は足を胸に引き寄せて、隠すようにした。
「なんだ、見せてみろ。」
亥助は腰を落とし、日吉の右足のふくらはぎを掴んで靴を脱がした。
足袋の小指の辺りに赤黒い染みが広がっていた。
足袋を脱がすと、小指の外側の部分に豆ができ、潰れて血が滲んでいた。
よく見ると、
「なんで、言わないんだ。」
言えなかった。
亥助が怖いから、というより、面倒をかけたら、もう町へは連れて行ってもらえないと思ったのだ。
その夜。
一人きりの寝室で日吉は目を閉じ、昼間のことを思い返した。
町、大勢の人、大きなお船、通りに吹き込む海風、潮の匂い。
歩きづめでひどく疲れたけれど、またあの場所へ行ってみたいと日吉は強く想った。
『おまえが秘密を守れたらな。』
「秘密」という言葉は、とっておきの飴玉のように、喉を転がり落ちて胸の辺りで甘く溶けた。
少し後ろめたい気もしたけれど、誰かと一つの事柄を共有していることに、胸がときめいた。
🌸 八 人誑し
亥助が
縁側には、椅子に座った旦那様と日吉がいる。
旦那様の前で、日吉は人形を操って見せていた。
人形は日吉の手作りだ。
町から帰って、何やら熱心に縫い物をしていると思ったら、あんな物をこしらえていたのだ。
人形劇は、どうやら昨日の紙芝居を模したものらしい。
話の筋は頭に入り、台詞回しも
演目は『斑竹姑娘』。
斑文のある不思議な竹の中から現れた童女「竹娘」は、やがて美しく成長し、権力者たちから婚姻を迫られる。
日吉は人形を操りながら、声色まで役に合わせて変えていた。
童子が芝居を演じて見せる姿は、可愛いらしく頬笑ましい光景だった。
旦那様は機嫌よく、
劇が終わると、更に、日吉は飴売りの口上を述べた。
「♪~ 孝行糖、孝行糖。
親を大事にしようとて、こしらえあげたる孝行糖。
食べてみな、美味しいよ。
チャンチキチ、スケテンテン。
また売れた、嬉しいね。」
「ああ愉快だ、とても上手だよ。
こちらへおいで。」
旦那様は手招きをした。
「よし、そなたに褒美を取らせよう。
なにをがよかろうか。
黄金の鐘、玉の木、火鼠の皮衣、海竜の分水玉、燕の産む黄金の卵、そなたの前に、この世の宝をすべて集めてみせようぞ。
さあ──なんなりと申してみよ」
日吉は旦那様を真っすぐに見つめ、ゆっくりと首を横に振った。
「いいえ、私はなにもいりません。
私にとって、あなた様の喜ぶお顔こそが、なによりの褒美でございます。」
「おお何と。 可愛いことをう。
そなたこそが、
なににも代えがたい私の宝ものだ。」
旦那様は日吉の肩を抱き、愛しげに頭を撫でた。
日吉は旦那様の膝に頬を付け、愛猫のようにその身を預けている。
亥助は鼻に皺を寄せた。
苦いものが込みあげていた。
──あの小僧。
まだ乳臭いのガキのくせして、己の身の処し方をよく心得ているではないか。
無垢なフリして、芸妓も顔負けの
苦いものを噛んだように、亥助は唾を吐き捨てた。
──つい同情しちまった。
あの可愛い
子供が無垢だなんて、嘘だ。
ガキは弱っちいから、いつも大人の顔色を窺っている。
人を見て選り分ける。
下手に出るヤツは蔑んで、強面のヤツには媚びを売る。
なにか不始末をしでかし、都合悪くなるとビイビイ泣いて、こちらが折れるのを待つのだ。
──ああ、ガキなんて、大嫌いだ。
亥助は薪を立て、斧を振り上げてガツンと真っ二つにした。
🌸 九 約束
「♪~
孝行糖、孝行糖、
日吉は歩きながら楽しげに口ずさんでいる。
「孝行糖」の
この男は、常に童が着るような色鮮やかな衣装を着、童のような振る舞いをし、両親に甘えた。
配膳の時にわざと転び、童が泣くように泣てみせたという。
この行動の真意は、年老いて見窄らしくなった息子を見て親が悲しまぬように、また、息子の老いを見て自らの老いを感じぬように、という配慮なのだそうだ。
この話を聞いたとき、亥助は、装っていたのでなく、この男は本当に
「ねえ亥助、今度はいつ、町に行くの。
もう足も治ったよ。
痛いの痛いの、遠いお山に飛んでいけ──亥助のおまじないのお蔭だよ。」
一日中、日吉は亥助に
「本当はね、もっと町に居たかったんだ。
ねえ、今度はもうちょっとだけ、町を見て回ったらだめかなぁ。」
靴擦れのひどい日吉を、亥助はおぶって部屋まで運んだ。
足を綺麗に拭き、傷口に薬を塗りながら、思ったことは溜め込んでいないで口に出せ──と言った。
日吉はその言葉を真に受け、亥助の しかめっ
その日。
朝から亥助の姿が見えず、日吉は屋敷中を探して回った。
亥助はどうしたの──と弥平に尋ねると、町へ行ったと答えが返った。
日吉はドキリとした。
──約束したのに、楽しみに、していたのに。
門前で、日吉は亥助を待った。
私を置いて行ったことに気づいて、途中で引き返して来るかも知れない──そう、期待した。
けれど、日暮れまで亥助は帰らなかった。
「ねえ亥助、どうしてひとりで行ってしまったの。
約束を、忘れたの。」
日吉を見て、面倒くさそうに亥助は口をひらいた。
「忘れたわけじゃない。
おまえが約束を破ったんだ。」
思い当たる節がない──日吉は首を横に振った。
「誰にも話してないよ、本当だよ。」
亥助は冷めた目を向けてきた。
「旦那の前で、おまえは人形芝居を
ありゃあ、言ったも同然だ。」
「そんなぁ。」
「何処で見た──と旦那に問われたら、どうする気だったんだ。
旦那はボケているが、たまに正気のときもあるだろう。
どうだ──おまえは嘘をつくのか。
ひとつ嘘をついたらな、嘘を隠すために また嘘をつかなきゃなんねぇんだ。
嘘を嘘で塗り重ね、おまえは平気でいられるのか。」
考えもしなかった。
お爺様に、喜んでもらいたい一心だったのだ。
日吉は口を閉じた。
亥助は背を向け、歩きだした。
胸に、日吉を遣り込めたことへの罪悪感がある。
日吉が去り際に見せた悲しげな顔が、頭にチラつくのだ。
「糞がッ。」
亥助は、そんな自分に酷く腹が立った。
❀
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