お千代さん

 シルバーコードは犬咬市の許可を持っていない産廃業者だったが、伊刈は末吉社長を呼び出した。末吉はもともと勝馬市にある県下有数の大病院カツマ総合病院に勤務する薬剤師だった。その経験を生かして胎盤や臍の緒を製薬会社に売る会社を創業し、県立医療看護大学で生物学的製剤学の講師を務めるようにもなった。その後、有能な歯科技工士だった夫の発案で、勝馬市に焼却炉を建設して医療系廃棄物の処理業に転じた。しかし遊び癖がついてしまった夫の使い込みなど事業外の理由で会社の経営は安定せず、何度となく問題を起こし、そのたびに県庁に謝罪に訪れていた。その謝り方が派手なせいで県庁の産業廃棄物課ではお千代さんの愛称で親しまれていた。東部環境事務所に現れたお千代さんは外見も物腰もメリハリのきいた中年女性だった。病院勤務が長かったせいか産廃処理業者の社長というよりやり手の看護師長というイメージが強かった。

 「もう私、役所に来るのは疲れちゃったわよ。今度はどこでうちのゴミが出たんですって」初めて来た事務所だというのにお千代さんはすっかり場慣れした様子で面談用の小机に着いた。

 「天昇園土木とはどういう関係なんですか?」

 「そんな会社知らないし犬咬なんて来たこともないわ」伊刈を子供扱いするような口ぶりだった。

 「シルバーコードは市の許可はないんですが、医療系が出た現場が管轄区域なので当事務所が調査することにします。県庁には通報済みです。問題があれば県庁からも指導していただくことになります」

 「あらそう」お千代さんは伊刈の顔をまじまじと見た。「どっちでもいいわ。どこが担当したって同じことでしょう」

 「ペール缶を洗浄して使い回したことで最近県庁から是正指導が出たばかりだそうですね」

 「もったいないと思ったのよ。洗えば使えるのに。これもリサイクルなのよ」

 「感染性廃棄物が入っていた容器ですよ」

 「洗えばきれいになるわよ」

 「作業員の安全はどうですか。それから廃水処理は」

 「ほんとに危ないものは病院内で滅菌してるのよ。感染性があるものはそのまま出さないわよ」

 「どの病院にもすべて廃棄物の滅菌処理施設が備えられているとは思えませんが」

 「一番感染の危険にさらされてるのはドクターやナースなんだからちゃんと気をつけてるわ。廃掃法はザル法だけど医療法は違うわよ」

 「だから容器を洗って使い回してもいいってことにはならないでしょう」

 「廃棄物から感染なんてありえないわ。コレラや赤痢の時代じゃないのよ。病院で働いたことがないとわからないでしょう」

 「万が一にも重大な感染が起こるかもしれない。そのリスクを下げる努力が必要でしょう」

 「あなた市のペーペーのわりには言うわね」お千代さんは伊刈が県庁の医業課に在籍したことを知らないようだった。

 「これをご覧になってください」伊刈はお千代さんの悪態を受け流して証拠を広げた。

 「今回、犬咬で出た廃棄物です。病院名ちゃんと読めますね。シルバーコードの取引先の病院だってことご確認いただけますか」

 お千代さんは証拠を一点一点拾い上げて丁寧に確かめた。「だけどうちだけが取引先とは限らないでしょう。うちが投げたって証拠はあるの」

 「このバイオハザードマークの入った袋はどうですか」

 「確かにうちのと同じだけどこんなのどこでも使ってるわ。仮にうちのだとしても盗まれたかもしれないし、病院がよその業者に出すときに使い回したかもしれないでしょう」

 「さすですね。どちらの可能性も否定はできないですが確率は低いですね」

 「あなたリスクとか確率とか好きな方なのね」バカにしたような口調だった。

 「現場からはペール缶が一つも出ていませんね。プロとしてどうしてだと思いますか」

 「わからないわ」

 「たぶんペール缶は回収したんですよ。洗えば使えるしね」

 「あなた洗っちゃダメといったじゃないの」

 「だけど洗う会社もあるようだから。ペール缶は高いですから不法投棄するのはもったいないでしょう」

 「たかだか八百円くらいでしょう」

 「一個に廃棄物を十キロ入れるとして、一トンでは百個で八万円ですから安くはないでしょう」

 「へえ計算も得意なんだね。容器を燃やしたらもったいないって言ってほしいの? これって誘導尋問って言うんでしょう。あなた見かけより頭がいいのね。とにかく疑われた以上は撤去はします。信用問題ですからね。現場に案内してください。どこにあるのかもわかりませんから」

 「片せばいいってものじゃないですよ」

 「許可を取消すって言うの?」

 「もちろん不法投棄をすれば許可取消しですよ」

 「それじゃ処理する会社も撤去する会社もなくなってしまうわ」

 「不法投棄する会社がなくなれば撤去する会社がなくなっても困りませんよ」

 「にこにこ笑いながらきついことを言うのね。いいわそれじゃ取消してちょうだい。出直すいいきっかけになるわ。でも待って。うちは県の許可よね。市には取消せないわね」

 「さきほども申し上げましたとおり県庁には通報済みです」

 「県は取消さないわよ。医療系の焼却炉がないと困るのは県なんだから」

 「そんなことはないと思いますよ。来週にも勝馬の処分場にお邪魔します」

 「えっどうして。あなたの管轄じゃないでしょう」

 「犬咬市で不法投棄をやったんですから管轄外の処分場でも検査に行きます」

 「あなた本気なの。命知らずなことね」

 「それって本気でおっしゃってるのなら脅迫罪ですよ」

 「もちろん冗談よ。いいわいつでも来てちょうだい。歓迎するわ」

 「検査の結果次第ですが犬咬の産廃は撤去してもらえますか」

 「それはむしろあなた次第でしょう。検査の結果を県庁に通報しないならなんとかできるかもしれないけど」

 「それはお約束できません」

 「許可は取り上げるゴミは片せと言われてもねえ」さすが県庁を相手に何度も修羅場をくぐってきただけあってお千代さんの態度は終始堂々たるものだった。

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