産婦人科病院

 天昇園土木から拾得してきたバイオハザードマーク入りの袋の中身から病院名のわかる証拠を仕分けした結果、排出元の一つとして特定されたのは都内の産婦人科病院、四矢記念病院だった。インターネットで情報収集してみると優性保護法(現母体保護法)の成立に貢献した四矢博士が私財を投じて設立した病院で、無痛分娩法(麻酔剤や筋弛緩剤を使って陣痛を緩和する分娩法。アメリカでは一般的だが日本では普及していない)をいち早く採用したことでも有名だった。現在の四矢院長は三代目だった。

 「不法投棄現場でそちらの病院の廃棄物が確認されました。収集した証拠を持参しますので見ていただきたいと思います」伊刈は電話で調査の要点を説明した。

 「犬咬市ですか? そちらの方面の患者さんはいらっしゃいませんねえ。当病院の廃棄物管理に問題はないと思います。都の医療監視(医療法に基づく定期検査)でも問題は指摘されておりません」電話口に出た風間事務長が落ち着いて答えた。

 「医療監視とは観点が違います。都庁には通報せずに犬咬市限りの調査にしたいと思っておりますがご協力いただけませんか」FAXで届いた書類だけでは満足しなかった伊刈は都心の病院であるにもかかわらず迷わずに立入調査を通告した。

 「でもうちはちゃんとした業者に出してますからねえ」

 「そちらの病院が不法投棄したとは思っておりません。産廃の処分を委託している業者を確認したいのですが」

 「うちが頼んでるのはシルバーコードという会社です」

 「そこ一社だけですか」

 「産廃はそうです。一廃は市の出入りの業者に出していますが感染性は頼んでおりません」

 「シルバーコードというのは収運業者ですか」

 「もちろんです」

 「契約書とマニフェスト(産業廃棄物管理票)をFAXしてもらえますか」

 「社長は薬剤師で大学講師だとも聞いていますし、不法投棄するような会社には思えませんがやむを得ませんね」風間事務長は渋々承諾した。

 「不法投棄に関与したとは断定できませんから調査が終わるまでは業者には調査があったことは言わないでください」

 「それでも疑いを受けたとなると他の業者に変えないといけませんなあ」風間は早くも善後策を考え始めた様子で答えた。

 昼間はゴーストタウンのように紙くずだけが裏路地に舞う錦織町駅南口の風俗街を抜けると、中高層のマンションへの建て替えが進む住宅街の一角に歴史を感じさせる洋館風の旧病棟が見えてきた。外来診療に使われているのは殺風景なコンクリートの新病棟だった。病院の立入調査なので伊刈はチームのメンバーに汚れた作業服を着てこないように指示しておいた。結果として全員がスーツになったので税務署の検査のような雰囲気だった。それでもロビーに溜まった妊婦たちからまるで犯罪者を見るような目で見られているのがわかった。産科では男はみんな加害者、女はみんな被害者なのだ。検査チームは渡り廊下を経由して旧病棟にある事務長室に案内された。

 「お電話では廃棄物の不法投棄の調査とお聞きしましたが、それだけで犬咬からわざわざお見えになられたのですか」風間事務長は皮肉っぽい言葉で切り出した。

 「捨てられていた産廃からこちらの病院の名前の入った書類が出ていることはご説明しましたね」伊刈が落ち着いて説明した。

 「患者さんが捨てたゴミだって可能性もあるんじゃないですかね」

 「バイオハザードマーク(感染性廃棄物の容器につけるマーク)のついた袋に入れて患者さんが捨てたというんですか」

 「ほう袋ねえ」

 「こちらの病院のものかどうか証拠を確認していただけますか?」

 「じゃ念のために拝見しておきましょうか」

 伊刈は持参してきた袋の中身の一部をテーブルに広げた。診察券、薬剤の袋、輸液の包装袋、納品書などに病院名が書かれているのを見て風間事務長の顔が青ざめた。

 「会計書類で産廃業者との取引関係を確認されてもよろしいですか。それから念のために決算書と元帳もお願いします」

 「どうしてそこまで」

 「森を見てから木を見ませんと。それが調査の鉄則です」

 「いいでしょう。しかしこういう調査はこれまで受けたことがありませんな」

 「都の医療監視では見ませんか」伊刈は県庁で医療部局に在籍したことがあり病院の事情には詳しかった。

 「まさか決算書まではね」

 「今日はぜひお願いします」伊刈が譲歩する気がないと見て風間は指示された書類を取りに行った。会計書類が届くと伊刈は喜多と分担してざっくりと点検した。

 「事務長、クリニックの書類がありませんね」伊刈が指摘した。

 「どういう意味ですか」

 「新病棟は診療所になっているんですよね。病院とクリニックは別法人ですか」

 「ああ、そういうことならさようです」

 「地域医療計画で病院の病床数に総量規制があるので診療所を併設して19床の増床をしたわけですね」

 「よくご存知ですね。そんなことより廃棄物の委託についてお調べではないのですか」

 「もちろんそれが本題です」

 「だったらそれだけにしてください。こちらも忙しいのでね」事務長はいらつきながら言った。

 「クリニックの書類を揃えていただいてからナースセンターを拝見させていただいていいですか。排出されるときの状況を確認したいので」伊刈は有無を言わせなかった。

 「わかりました。看護師長を呼びましょう」

 クリニックの書類が揃うのとほぼ同時に、年配の三須看護師長がナース特有の疲れをムリに隠したような笑みをたたえて現れた。

 「どうぞこちらへ」三須はただちにチームを病棟へと案内した。

 「ゴミを触ってしまったので病棟に入る前に手洗いをしてもよろしいでしょうか」伊刈は点検しかけた書類を抱えて言った。

 「お気遣いありがとうございます。どの部屋の入口にも消毒液を備えておりますのでどうぞお使いください」

 三須の案内で伊刈たちは一般病棟のナースセンターに置かれた医療系廃棄物を確認した。産廃業者が配給した四十リットルのペール容器に黒いプラスチック製の内袋が入っていた。ここに使用済みの薬剤や医療器具の包装を投げ入れ、満杯になったら密封してそのまま焼却場に運ぶのである。注射針だけは別容器に密封していた。プラスチック製の黒い内袋は不法投棄現場で発見したものと同じだった。よく見るとペール容器のかわりにダンボールを使っている廃棄物もあった。

 「このまま業者が持っていくのですね。頻度はどれくらいですか」

 「毎日ですよ」伊刈の質問に三須が答えた。

 「院内で廃棄物を滅菌できる施設はありますか?」

 「ありません」

 「医療系の一般廃棄物もありますか」

 「区の回収に出すのは事務所のゴミだけにしております。病棟のものはすべて産廃扱いです」

 「特管(特別管理産業廃棄物)を区分していますか」

 「当病院では病棟の廃棄物はすべて感染性(特管)として処理しております」

 「なるほど」

 廃棄物の管理としては通常レベルで可も不可もなかった。最近は経費節減と安全性向上のため自前の滅菌施設を備える病院も多くなっていたが、そこまでの設備投資はまだしていなかった。

 「院長が医師会の会合から帰って参りました。皆さんにお会いしたいと申しております」ピンクのユニフォームを着た事務員がチームを呼びに来たので旧病棟に戻った。院長専用の応接室は先代あるいは先々代から引き継がれた重厚な調度に囲まれた贅沢な部屋だった。

 「遠いところからわざわざご苦労様です」四矢院長は慇懃に挨拶した。初老にしては珍しい長身でロマンスグレーの髪をたたえた紳士だった。

「今年から救急医療の理事になったものでね。救急というのはお役所との調整が大変ですね。非常になんというか難しい分野です」

 「私も救急医療を担当していたことがありますのでよく医師会にはお邪魔しておりました」伊刈が社交辞令を返した。

 「おやそうですか。それで今は廃棄物。お役所もいろいろご担当が変わって大変ですね」

 「こちらの病院は救急指定を受けていらっしゃるんですね」

 「頼まれてやむなくですよ。救急はね、はっきり言って赤字だからね。当番の日は仕事もないのにずっと待ってなくちゃならないし、患者が搬送されたところでろくな手当てもしないうちに死んじゃうか応急手当だけで転送してしまうかだからね。救急はね、民間病院がやれる医療ではないですよ。うちは産科が主だから緊急の分娩を頼まれることも多いですが、最近の救急搬送の患者は半分が外国人でね、未払いが多いし経営的なメリットは何もないですよ。医師会として大きな負担です」

 「ご苦労だとは思いますがやっていただかないと」

 「ところで当病院の廃棄物の委託先が問題を起こしたそうですね」

 「不法投棄現場で収集した廃棄物からこちらの病院の名前が確認されています。こちらの廃棄物が不法投棄されたことは間違いがないかと」

 「それは業者を調べればいいことじゃないのですか。当病院としてはきちんとした業者に委託しているのですから」

 「その点につきましては事務長にお願いして委託関係の書類の点検をさせていただきました」

 「それで何かわかりましたか」

 「廃棄物に関しては産廃と一廃とそれぞれ別の業者に出されていますがバランスが少し通常の病院とは違うように思いました」

 「どういうことかね」院長は風間事務長を見た。

 「産廃の処分費が少ないように感じました。師長にお伺いしたところ病棟の廃棄物はすべて産廃にしているということでしたが分娩室のものはどうでしょうか」伊刈が質問を続けた。

 「それも当然産廃でしょう」

 「それを何か書類で確認できるでしょうか。分娩室には立ち入れませんでしたので」

 「事務長どうなの?」

 「都のご指導に従っておりますので問題はないと思いますが委託先の業者は入れ替えたいと考えております」

 「それがいいな」

 「一つ経理的なことをご指摘させていだいてよろしいですか」伊刈は話題を変えた。

 「どういうことでしょうか」伊刈の爆弾発言に四矢院長は風間事務長といっしょに真顔で向き直った。

 「老婆心かもしれませんが病院と併設されているクリニックとの間で医師やコメディカルの給与の二重計上があるように見受けられました。それから保険診療外の検診収入が計上漏れになっているようでした」いつの間にか伊刈は書類の点検を終えていた。

 四矢の顔がみるみる紅潮した。「それと廃棄物となんの関係があるのかね」

 「もちろん税務調査にきたわけではありませんが気になりましたものですから」

 「それ以上聞かないことにしましょう。税務関係は先生にお任せしていますからね。当病院が産廃業者と結託して不法投棄をやる必要がどこにありますか」

 「医療系にはいろいろと処理の難しい廃棄物もありますから産廃業者は便利屋みたいなところもあるでしょう。シルバーコードへの委託関係の書類の写しをいただければ今日の調査は終わりにしたいと思います」

 「書類を出せば帰るのですね」

 「そうです」

 「わかりました。あとは事務長の対応に任せましょう。私は午後の回診があるのでこれで失礼しますよ」

 「お忙しいところお手間をおかけいたしました。もう少しだけ調べたいことがありますので事務長室に移動させていただきます」四矢院長の興奮を尻目に伊刈は平然と調査の続行を宣言した。

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