第13夜/眠り姫にされる朝
まどろみの中に消えて行き、夢すらも見ない深い場所へと沈み込んでいく。うとうと、こんなに健康的な眠気を感じられるだなんてそれだけでも充足だ。
とぷり、と落ちて、沈んで、底に転がり眠り込む。それだけでも人はストレスを軽減し、疲労を取ることが出来る。眠る、ということは人間にとって一番の才能であり特技なのでは無いかとも時折思うのだ。だって、眠っている間は辛いことからも逃げ出せるし、はっきりと目を開けた時と同じようには意識が無いから、逃避が出来る。
睡眠は、一種の逃亡方法だ。ただ、代えのきく道具扱いでしか無い自分が自分を救うには、たまに出来た時間の中で深い深い眠りについてもらうしか無かったから。どこか遠いところへ、自分を傷つけるものがいないところへ、願ってはすぐに消える泡のように儚いそんなちっぽけな思いを満たしてくれる好意が、眠りというものだった。
意識が朦朧とするまでに働かされ、活動限界を迎えた体が勝手に電源を落としてぽとり、と体を布団に放り投げる。…入眠前こそ、非常に機械的で無理矢理なものだったけれど。現実から逃げることが出来るその時間が、私は好きだった。
「おはよう。アズマくん」
――好き、だった。
そう過去形にしたのは、眠る時間だけでは無くて。眠る前も、眠るさ中も、眠った後にも、幸福を感じられる場面があると言う事を、ここ最近で身に染みて覚えさせられたからだ。
眩い光は、私をもう起こさない。何より怖くて何より苦手だった、窓から差し込む朝陽は多くの人に始まりを告げたのだろうけど、私にとってそれはいつの間にかたった少しの
まるで、夢の続きを味あわせてくれるような、現実。暗闇の中でゆるゆると開いた私が目にした存在は、確約された幸せを体現する程の…嘘だと思うくらい純真な、大切な方。紫色の双眸に映るのは、私だけ。私の視界に映るのも、彼だけ。
「お、…はよう、ございます、」
天蓋付きの、お姫様にでもなったかのようなベッドの中。強固に見えるカーテンも、愛を教えてくれた貴方だけはどんな物よりも容易く受け入れるのでしょう。未だに慣れない、全身の疲れを癒してくれる柔らかさを持つベッドの上で。私の顔をすぐ隣で見つめていた彼のその腕の上、私は頭を傾けてこんこんと眠っていたようで。
とろとろな眼から睡魔が去り。一番初めに距離の近さに、その次に自分の位置に驚く。一度にこんなにも慌てそうな箇所が訪れて、どこから驚いていいのか分からずに一番最初にまずこの顔を赤くするのだった。
貸して頂いた長い丈のネグリジェは上品な様相で、夜と同じ黒色をしていた。同じく、このまま夜空に繋がっていそうな色をしたベッドと同化していきそうな感覚を覚える。上半身をゆっくりと起こしたその時、まとめていない私の長い髪も一緒にその黒の中で泳いでいた。ああ、まるで、海の中にでもいるみたい。一番底の、深海の床。光の注がない中で、お互いの輝きだけを目印にする生き物のよう。
「もう少し眠るかい」
「…ふふ。大丈夫、です。……やっぱり、夢に戻るのが、とても惜しいなって。今日も思いましたから」
一つ屋根の下。
まだ、私は何も努力出来ていない。呼んで貰っただけ、言葉を重ねただけ。そして、眠り続けているだけ。そうであるにも関わらず、彼は毎晩も毎朝も必ずここにいてくれる。私の居場所がここだと、示してくれる。寝ても覚めても目にするのは、ビルで溢れた町並みでは無い。ぐちゃぐちゃの布団や、寂れた部屋などでは無い。
私なんかを愛してくれる彼と、その彼ごと私を愛してくれる人がいる。私にとって、救いの場所。
異なる世界からこちらの世界に来訪した私が、初めて目覚めてからもう七日が経っていた。
夜だけが訪れる館、アトゥラ・ノクティス。今までの現実という概念から解き放たれて、上書きされた今に生きる私が、世界を捨てて選んだ最愛の地。たった七日だけしか経っていないと言うのに、心の全ては奪われていた。いいえ、とっくに私の方から積極的に預けるまでになっていて。
絶大な信頼をこちらの世界に託すようになれたのは、何を隠そう目の前にいる彼のお陰。…ミミズクの獣賢人、ラウルさん。こちらの世界に来てからずっと、私と瞳をあわせてくれる稀有な人。私の存在を、喜んでくれる人。
「ラウルさん、とても、あたたかいですね、」
「君の寒さを埋められるなら、この大きな身体も更に長所になれるさ」
広いベッドの上、ブランケットに少し腰を巻き込みながら彼の真横に座っていた。交じり合った黒のお陰で、まるで素敵なドレスでも着させられているみたい。夜の色が多いこの部屋で、境界が無くなる瞬間が一番鼓動が大きくなるかもしれない。
おはようございます、と。永久に夜が訪れる美しい館、私は今日も優しい暗さに包まれて目覚めを迎える。朝の陽よりも、変わらぬ色の中にいてくれる彼の存在が私の心臓を動かしてくれる、そんな気しかしなくて。
なんて、なんてふしだらな女になってしまったのかと。既に、健全な意味とは言え寝所を共にしてしまい、寝顔まで知られてしまっている彼に、感情をどう表現すればいいか分からず。
今朝も自分を責めながら、それでも自然と不器用ながら微笑みを作れるようになったのは彼の愛情のお陰だと自覚している。
眠り姫のようだったよ。
囁かれた彼の言葉に、目覚ましには刺激が強すぎると思いつつ。嬉しさでにやけてしまいそうな顔を、今朝も隠そうとするのだった。
夜の帳の社畜姫 マキナ @ozozrrr
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