第10夜/居場所がほしい
初めて袖を通したのは、ロング丈のメイド服。秋葉原とかあそこの辺りで、異常に丈の短いスカートのメイド服を着た客引きの女の子が「御主人様ー!」と呼び掛けるような下品な浅さとは比べ物にならないくらい、上品な衣服。
今の私は、アベルダさんに仕事着のうちの一着を貸して貰っていた。姿見の前で似合わない服に着られながら、背後でしっかりとリボンを結んでくれているアベルダさんの優しさに触れる。
私の我儘で、事務服は着ないことにして。サイズをあわせるから、と、私より大きい背丈のアベルダさんはクローゼットから何着か同じデザインがあるメイド服のうちのひとつを取り出してくれた。私の前で、上等な生地で出来たであろう素敵なメイド服を、恐らく魔法、だと思うけれど……私の肩に布をあわせながら、目測で一瞬のうちにサイズを小さくしてしまったのだ。目の前でしゅるん、と少し縮んだ大きさに驚いて。ネグリジェもこうやってサイズ変えたんだよ、とあやすように微笑んでいた。手品をするかのような気軽さでこうもぱっと常識を逸脱した魔法を見せられると、私の非日常がこの世界では日常なのだと深く教えられている心地だ。
…こうやって近くで笑顔を目にすると分かりやすいのだが、彼女は笑うと特徴的なギザギザの歯がちらちらとのぞくみたいで。鮫のような歯並びをしていた。怖くは無く、むしろとてもかっこいいなと思った、ただそれだけの発見である。
「うん、急にしちゃ一発で成功して良かった!似合ってるよ!」
「へ、へへへ……あ、ありがと、う、ございます、」
正直、恥ずかしいと言えば恥ずかしい。何故かって一般人は普通メイド服なんて着る機会が全く無いからだ。宴会の演し物用とかに売っている安っぽいメイド服や、そういう夜のお店で使われているメイド服や、それくらいの印象しか無い。丈が長いクラシカルなこのメイド服は、履かせて貰ったあのサンダルが、歩く為に足を出す時に本当にちらっと見えるくらいだ。動作をする度、綺麗な音を出してくれそうなフリルがついた真白いエプロンも、高潔で純粋な印象を与えていて。
もう少しばかり私がみすぼらしくなかったらなあ、と。そう思うには十分すぎる程の魅力だ。
「そろそろ、話もまとまった頃合だと思うしね。たっぷり時間が取れてよかった」
「でも、こんなに待たせてしまって、いいんでしょうか」
「いいのいいの。むしろあそこ師弟二人はこうやって気付いた時に互いを知っておくのが一番だって」
アベルダさんに背中をばんっ、と勢いよく叩かれる度そのまま壁に吹き飛んでいきそうな錯覚を覚えるのは、絶対杞憂では無いだろう。つよい。
壁に取り付けられていた鳩時計が、部屋の持ち主の豪快さとは反対に。おしとやかに控えめに鳴き始めたのを目にして、結構な時間を雑談と着替えに費やしてしまったことが分かった。ドアを開いてから、慌てて行こうとロングスカートの生地を両手で少しずつ掬って駆け足になりかけたところ。アベルダさんがわざと歩幅を狭めて隣を歩く。屋敷の構造を全く覚えていない上に、廊下も薄暗いのだから、こうされては私は彼女におとなしく従ってついていくしか無いのである。何故なら絶対に迷うから。
「そういえば、ドーレンさんって、ラウルさんのこと…」
「まあそれは詳しく言わなくてもね。旦那様のことをあんな簡単にお師匠、なんて呼べる人間、この大陸じゃアイツ一人しかいないよ。まあ、旦那様の伴侶候補って点ならアンタも、一人しかいないってところで似てるねえ」
「そん、そんな、そんな…ぁひぃ…」
この広いお屋敷の中、顔を合わせて頂いた人達全員に対する共通の印象は、優しくてやわらかそうな人達、だ。特に、警戒心すら一切抱かせないで、自然に共感と同調を繰り返しながらムードメーカーとして振舞ってくれていたドーレン・パトーという青年は、まだ出会って間もないと言うのにすんなりと自分の言葉を引き出して。食事中の話題作りまですごく上手で、コミュニケーション能力がそのまま擬人化されたように何の澱みも戸惑いも一切無く。楽しく話すことが得意で、大好きなのだということがひしひしと伝わってきた。
彼が、会話の中で初めからずっと言っていた「お師匠さん」という言葉。使用人を自称する他の三人とは明確な違いがある、と言うのはその話し方でもなんとなく感じ取れたし。そして、どこか、その呼び方で呼んでいいのは自分だけ、という自信があるようにも感じられた。
「――賢獣人、ラウル・アルトメント。今でこそ隠遁しちまってはいるが、旦那様には山ほどの功績があるのさ。王都に相当の貢献を行いもしたし、錬金術と魔術の更なる融合を二時代程たった一人で発展させたとんでもない方。そりゃ、誰もが殺到した時代もある。どうかここの旦那様の弟子にしてくれないか!ってね。ま、うちの旦那様、身内以外にゃとことん興味無い性質でね、「どうせ私について来られずに去ることになるのだから」つって迷惑だからぜーんぶ追い返してたのさ!そんな旦那様が、唯一弟子にとったのがあのドーレンってわけ、…特別な理由があってこの屋敷にいるアンタと一番のそっくり者さ。まあ、少しでも親近感持てる奴いると安心するだろう?」
「……はい!」
また暇のある時に本人に聞きなよ、と彼女が言う。
…何だか、今の言葉の中でも情報量が多すぎて。とりあえず、ラウルさんは本当にとんでもない素晴らしい人?獣人で。そのお弟子さんであるドーレンさんも、緩そうな雰囲気を醸し出しながらもこの世界では相当の実力者に当たるだろうことが察せられた。
なんだか、一人だけ邪魔者が入ってしまったみたい、とは思う。
だって、そんなに素敵な絆を既に結んでいる人達なのに、ぽっと出の私が一緒にいさせてもらってもいいのだろうかと急に不安になる。私は別に、自分を構ってほしいわけでは無い。自分だけを甘やかしてほしいわけでは無い。ただ、もしも、ズタボロだった人生を今更でも別の世界でやり直せると言うのなら、頭を下げてでもここにいたい、というだけで。
…下げる間も無く手を握ってくれたあの彼に関しては、もう、胸が痞えて何も言えない方なのだが。
何を言おうと異物混入、であることには間違いないのだ。だって、私は異世界から来たのだから。ああもう、コミュニケーション障害だと本当に辛い。こんなに無駄に悩んでしまってもすぐに整理がつかないし、勇気を出して話せないことが多いのが嫌だ。せめてもっと軽いジョークくらい言える性格だったなら、ここらあたりで小粋な自虐を挟みつつ和気藹々と話せただろうか。
「…お邪魔に、なりませんでしょうか、私」
湖に毒が一滴混じっていたのなら、例え安全性を幾ら語られてもそこに手を入れはしないだろう。毒のように、そこまで存在感は無いと思うのだけれど。せめて、せめて前の時のように爪弾きものにされない努力はすると誓いますので。どうか、優しくかけてくれた言葉を取り消されるようなことにだけはならないようにしないと。
「な~にを言ってんの!旦那様に選ばれたからにはむしろ「愛されて当然」ってくらい思ってもいいんだよ。アンタ、イヤな女じゃないってのは誰でもわかるからね」
どんな姿でもどんな中身でも、絶対旦那様なら愛せるから!
そう、自分のこと以上に信頼しきった様子で語るアベルダさんに、毒気を抜かれる。
踏み込める勇気が無いから、言葉に出すことを諦めているから、そんな風に自分の駄目なところの分析だけはよくしているのだけれど。どうだろうと好意的に思ってくれる、なんて慰め方をされたのも初めてかもしれない。それがどこかおかしくて、へらっ、とした笑顔をいつの間にかしていた。
お待たせしました、と。
彼らを待たせたドアの先。心臓が破裂しそうに緊張したけれど、自分からかけることの出来た声。
深く下げた頭をゆっくりと上げた後、ラウルさんと目が合った。きょとん、とした目がまた柔らかな色合いに戻って。少しの沈黙の後、似合っているよ、と私の今の姿を見て言ってくれた時。どこか遠くで、鐘の音が鳴る幻聴が聞こえた、気がする。
ああ、不躾ながらも、この世界で。皆と同じように、この方のお傍を居場所に出来たらなんて、
胸が締め付けられる想いで願ってしまったこの感情を表す単語に気付いたのは、すぐ後だった。
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