第8夜/異世界は目が回る

 現在、私は食紅の鍋にぶちこまれたような色合であると表せばどの程度真っ赤であるかおわかり頂けるだろうか。

 はんりょ、ハンリョ、伴侶、私が、伴侶としての、相手?一生連れ添う相手、と言う意味の言葉ですが、それは、それは!

 心拍数がびっくりするぐらい上がっているのが完全に分かる。自分のような人間には絶対向けられない言葉、よりにもよってそんな縁の無い台詞を私に向けるなんて。

 まだまだ聞きたいことは沢山あるのに、あったのに。この世界の歴史とか、文化の違いとか、文明のレベルだとか、これから私はどうすればいいのか、魔法とか錬金術だとかが生活基盤ならそれが私に使えるのか、そもそも万が一の時は雇って貰えるのだろうか、野垂れ死にだけはしたくないと色々煮詰まって爆発寸前だった脳に対するトドメがこれだ、考えていた全てが無残にも白紙へと戻されていく。

 木っ端微塵だ。今表せる限りの範囲で一生懸命伝えるなら、真後ろで特撮のように爆風が幾重にも巻き起こっている心象風景だ。


 え、

 私を、別の世界から、呼んだ理由が、それ、それって、それは、


「そそそそれそそそそそそっそ」


 嘘だと思うくらいに噛んだ。死にたい。いっそ哀れと笑ってほしい。かちかち震えて鳴っている歯のせいでくるみ割り人形の下手糞な真似事になっているじゃあないか。

 全部、全部吹っ飛んだ。

 別に、恋愛脳と言うわけでは無い、のに!現実から思い切り剥離した状況で、それでもこの状況で自分が今も「生きている」ことを知って!ご飯を食べさせてくれて色々と教えてくれている人達がいて、何とか少しでも理解して、どうにかしなければいけないと努めようとした、そういう姿勢でいようとしていた筈だ。

 それが、それが…一切そういった経験が無いせいで、全くもって耐性が無いせいで、頭の中がこんなに簡単に真っ白くなってしまうものなのか!


「あらー…あらあら。……何と言いますか、うちのお師匠さんがすいません……」

「あ、あぉ……」

「アーズマさん!深呼吸深呼吸。そうですよね、いきなりでびっくりですね!て言うかワタシ達も今初めて知りましたから!ね!?」

「ひぃ、ひぃ……はひぃ……ふうーーーー……はああぁ……」

「よーしよしよしよし」


 今なら恥ずかしさで死ねるのではないだろうか。

 初めて「お嫁にしたい」みたいなことを、日本では無く全く知らない土地で人間じゃない種族に言われたことに対する照れと。それで動揺しまくった挙句に未成年の年下の青年に悟られ、介護されているこの状況に対する恥のダブルが死因になれる気がする。

 このまま湯気が出てしまいそうで、心臓の音もいつもより大きく感じる。人間って一生のうち心臓が動く回数がだいたい決まっているだろう話をこんな時に思い出して、ただでさえ体がげっそりとしているのに心臓だけが元気に決まった回数をどんどん消費してどうするのだと。二十四にもなって、本当に情けない!少しだけ、めそ、と涙が出そうになった。


「お師匠さん、ほらー、可哀そうでしょ!と言うか、確かに大丈夫な時にワケ教えてくださいとは言いましたけども!あれですよ!?そもそも許可とかは取りました!?アズマさんに!??」

「確かに…私達も驚きましたが……そういう関係を望んでおられたのであれば、やはりご家庭同士でのお付き合いも大切というものでしょう。世界を跨いでの恋模様を行おうとしておられたので?………異なる世界へ繋げるだけでも、貴方様で四年も準備が必要でしたのに…更なる苦行に踏み込むのですか…?」

「というか、旦那様が恋愛沙汰に興味あったのすらアタシ初めて知ったよぉ!教えてちょうだいよ、そういう面白い話は!?今まで王都から薦められた縁談も他国からの求婚も全部蹴って蹴って蹴りまくって「女と暮らす知識だけは知らない」とか下卑た噂流されてもガン無視してた旦那様がさぁ!!」

「伴侶。つまり、後々はアズマ様がご主人様の妻…。未来の奥様、ということになりますね。同意の上であるのならば、ネェラは何も反対致しません」


 よしよし、とあやすようにしてくれるドーレンをはじめ、他の皆も動揺を隠せないようで。何と言うか、すごく、色々と考えて配慮してくれている発言だらけで、こういうのを育ちの良さだとか人の気持ちを考えられる人だとか言うのだろう。

 察するにこのラウルは、異世界……地球、の日本とここを繋げる実験はするけれど、その目的と理由は家族と言っていた彼らにも全く秘密にしていたらしい。つまり、ラウル以外、「佐野東を伴侶にする為に異世界に繋げて呼んだ」なんてことは、全く知らないのか。何だかその点だけ妙に親近感が湧いて来そうだ……話題に上げられた張本人が思う台詞では無いな。絶対。


「なに、一番求めていた存在がこの世界では見当たらなかった。だから、彼女を。アズマくんを呼ぼうと思っただけなんだ」


 あ、今、はじめて、名前を、

 駄目だ。強い目眩を感じた時に似ている、劇薬みたいに私に効いてくる。

 こんな…こんな、優しい声で名前を呼ばれることなんて、無かったのだから。こんなことを考えている場合じゃないのに、ラウルさんの目も言葉も、その身の存在そのもの全てが「自分だけを考えてくれ」と脳に信号を直接送ってくるみたいに思える。

 何なんだろう、こんな感覚、本当に初めてで。きょどきょどした視線をようやくラウルさんにあわせると、緊張もするが確かに安堵するのも事実だった。


「そもそも、切欠を与えてくれたのはドーレン。君じゃないか、」

「え?」

「自分で忘れてどうするんだい。…いつかに、言ったろう、君が。まだ私に足りない知識があるとするならば、と大きな口を叩いた私にだよ、言ったんだ。その時の君はあれだ、王都のギルドに可愛い受付嬢が入ったと浮かれていた頃で……」

「―――あ!!あ、っ、え、あー、あーあーああ!!思い出しっ…いや、いや?!え?世間話の一環でしょう!?しかもワタシ、まだ子供の頃じゃ……そん、っ、え、ワタシ、お師匠さんにこんな大変なことやらせる為にあんなこと言ったわけじゃっ…」


 次に顔を青くしたり赤くしたりするのは、ドーレンの番だった。流石に、先程目覚めたばかりの自分には予測がつかない話の内容に、首を傾げるも。はいはい、と大きく手を叩いたアベルダの介入によってこの珍妙な空気の流れは変わることになる。


「とりあえず今はここまでにしときましょうよ!ほら、当人!おいてけぼりだから!」

「……ぎゃ、逆に面目ない…」


 席を立ち、座っていた私の両肩に手を添えて話に来る彼女に、なんだか恐縮してしまう。とにもかくにも気が強い女性と言うのはひしひしと感じ取れた。つい癖でぺこぺこと頭を下げると、アベルダは苦笑する。


「そこはアンタが謝るこたないよ、お譲ちゃん。自分が悪くないことに頭下げちゃダメって習わなかったかい?さぁさ、いつまでも寝間着のまんまじゃかわいそうだし?アンタの服も靴も、あと眼鏡も、アタシの部屋に置いてあるんだ。栄養取ったら着替えに限る!行くよ!」

「へ?え?………あわああああっ!?」


 瞬間。ネグリジェの襟の部分を二本の指でつままれるようにくん、っと引っ張られ。たったそれだけのことなのに、私の体は強制的に椅子から離れて行き。なんなら持ち物の位置をその場で直すようにして、一瞬宙に浮いた私の身体を「ほいっ」と言う暢気な掛け声と共に、簡単に俵持ちした。

 す、すごい、この人、腕力もそうだし、単純に力がとても強いんだ…!


「…あ、アタシらが戻ってくるまでに色々と話まとめときなよ!?言うタイミングとかは確かに自由だけどさ、せっかく呼び込んだお客人を困らせるなんてのはメイドが一番やっちゃいけないことだから、気になっちまうんだよ。アンタの幸せの為でもあるんだろ旦那様、全くほんっと堅物で童貞ってのはアンタの数少ない欠点だと思うよ!」


 ああ、人生初。俵の気持ちを知ることが出来るなんて、滅多に無い経験なのでは…。

 現実逃避した先で更に現実逃避を始める私がここにいて。男らしくガサツにワハハハと笑いながら、この部屋を出ていくアベルダさんに軽々と持たれていた。 


 ――全くよくわからない。


 それしか言葉は出て来ない。

 ビルから落ちて気絶して、ラウルさんに助けてもらったと思ったらまた寝て。更に二度寝落ちの挙句に、ここが異世界だと分かったらラウルさんから「私を嫁にしたい」って、こ、こくはく、されて。

 ワンクールのドラマを五分間に凝縮したのかな!?と叫びたくなるくらいには、次々と事象が起こりすぎて、体がついていけてない。 

 それでも、こんな和やかな空気に触れて。初めての言葉を沢山かけてもらって。

 不思議な現象に巻き込まれたということは嫌でも理解せざるを得ない、けれど。…それが、なんだか、嫌ではない、と感じてしまう自分がいるのは、変なことなのだろうか。


(わ、わたし、こんなふしだらな女だったっけ、)


 真面目に考えようとしても、ラウルさんの言葉ばかり浮かんできては熱に冒されて来る心地だ。異世界だなんて、そんなの、書店で売って平積みされてるライトノベルのタイトルくらいでしか見たこと無い。ありえない世界に今自分は”在り得て”しまっているのが、私をよくわからないものにさせている。

 全く言い訳にならないだろうけれど、本当に。本当に、私。あんな風に、


 誰かから一番に求められたことなんて、無かったから、そればかりが焼き付いて離れないの、


「……おや。いつの間にアタシはトマトを収穫したんだか。なーんつってね!ハハハ!」


 ずんずんと進んで行くアベルダの腕に抱えられながら、そんな状態でも私の脳は、勝手にラウルさんを思い出していたのだった。

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