第7夜/夜の館と初めての朝

 取手の付いた、少し深いコップの中身はポタージュだろうか、甘い香りが漂う。飲んでみなよ、と。対面に座るアベルダ、と呼ばれていた女性にすすめられ手に取った。じんわりと、あたたかい熱が両手に伝わってくる。

 ふぅ、と息で少しだけ冷ましながら唇をつけると、南瓜の味が口内に万遍なく広がった。こくりこくりと一気に飲み干せそうな程、おいしい。インスタントで作ったポタージュなどより、何倍もおいしい。これだけで私はもう瞳を輝かせていた。

 おいしいですと素直に言うと、満足そうに「それアタシが作ったんだ」と笑いながら、テーブルに置かれた木のケースからスライスされたブレッドを手に取って食んだアベルダに返される。


「あんた、どう見ても病み上がりっぽいんだから。柔らかいのだけでもしっかり食べなよ?そのヨーグルトもアタシお手製なんだ、結構器用だろ」

「は、はい、いただきます、」

「うんうん。そんな痩せっぽっちじゃ、生きてけないからねえ」


 ううん、頭の痛いご助言だ。今までの食生活…まあ、肝心の「食」もまともに摂取していないし、「生活」もきちんと出来ていたかと問われればその範囲に当てはまらないので何も残らない無残な有様なのだが。心配してくれているので、今妙なことを言い出すと絶対怒られそうなのでやめておこう。


「改めて。私は、ラウル。ラウル・アルトメントと言う。色々と仕事に手を出してはいたが、今は隠遁した身の、獣人の魔術師だ」


 左隣に座っていたラウルがぽつりと話しだす。正直、こうもはっきり”魔術師”と言われてしまうと、それをまだ自分の常識に落とし込めない自分の方が悪いと言われている気までしてくる。

 そうか、魔術か、なるほど。

 ……いや、そうかと言う反応一つで理解出来るわけは無いな。うん。


「まじゅつし、ですか」

「君の世界には、魔術は存在しないかな」

「は、はあ。魔法、とか、魔術とかは、……架空の国のおとぎ話、みたいな存在ですね。創造の世界にしかありえない感じのやつで、」


 だから、正直、その言葉に則れば。私の今のこの状況自体がもう創造上の物なのだ。口に入れたポタージュの味も、息をして喋っている感覚も確かに現実の物として体が認識しているのに。

 周りに広がる、現実のようでいて非現実の光景に脳が惑わされている。


「だから魔力に関する器官が存在しなかったんですねー、最初聞いた時本当にびっくりしましたよ」

「となると、魔術の代わりに発展したものがあるのか。こちらの世界に似通う部分があるとしたら、原始的な方法を今も続けて生活を?」

「え、あ。ええ、と。その。魔法…は、残念ながら無いのです、が。代わりに科学ってものが発展してて。それが、魔法代わりと言いますか。それで生活をしてます、ました、」


 魔法、魔法。

 私に靴を与えてくれた技術。信じられない現象だと思ったけれど、魔法と保障してくれるのならすとんと理解出来る。いや、超常現象であることに依然変わりは無いが。


「なーんだ、錬金術に似たジャンルですね!良かった!まだ手で直接物を食べてるレベルの文化だったらどこから教えてあげようか迷ってたところなんですよ!ワタシもテーブルマナー苦手なところあるんで~」

「ドーレン。君はレディに対して数言多すぎるんだ」

「お師匠さんずるくない?すぐ何も考えてませんでしたって顔するのずるくない?今彼女の世界に興味示したのお師匠さんも一緒でしょ?この知識バカ師匠め……」


 茜色の髪をした青年は、ドーレン・パトーと名乗っていた。ラウルのことをからかいながら喋るその様子に、意外と豪胆な性格なのだと印象づいた。


「ところで、そういえばまだお名前を聞いていなかったですね。レディ。よろしければこのドーレン・パトーめにご教授下さいませ!」

「君は本当に、そういうお調子者のところがある」

「ムードメーカーの行動派と言ってほしいですね」


 緊張しつつポタージュと、自分の皿に盛ってもらったサラダやミルク粥をつつき、二人の掛け合いを聞きながら口にしていた。

 世界が別、と言われていたけれど、彼らの言うように私の元いた世界に食文化、とか、建築の文化は似通った面はありそうだ。正直、見慣れた物に似た食べ物と言うのにここまで安心する日が来るなんて。普段から非常食みたいな物を食べている人間に、食物側も言われたくは無いだろうけど。誰かと食卓を囲んで食べるのって、こんなに賑やかだったんだ。


「さ、さの……ええと、アズマ。私は、アズマ・サノと言います」


 振られた話題に、慌てながらも答えた。外国、西洋だか欧風だか何風だか例えようが無いが、私のいた世界でも似たような自己紹介の練習は英語の授業の時間でもしていた。その程度の英語知識など全く役にもたたないだろうが、言い方だけでも皆に寄せておきたい気持ちが強く。それに習って日本風ではなく海外風に名前を言ってみた。普段言い慣れないから、なかなかに難しい。


「アズマ?アズマさんかあ。可愛い名前じゃないですか」

「……アズマくん、と言うのだね」

「あーほらやっぱりお師匠さん!聞いてなかったでしょ!そういうとこ堅物なんですよー!……あ、ご年齢の方は、聞いても?ちなみにワタシはこう見えて十九歳です!」

「それを年相応と言うんですよ、ドーレン。全く面白味が無い」

「ネクルさんほんと態度キッツくないです……?泣きますよ、ワタシが」


 ああ良かった、変に思われなかった。名前を名乗ることも久しぶりだったんじゃないだろうか。オイとかそこの、とかお前とか、マトモに呼ばれたことが、最近は少なかったから。でも、名前の言い方を変えたのは失敗だったかもしれない、下の名前で呼ばれるのって、こんなにも照れくさいことだったんだ。コミュ障だと、そんな所にも勝手に動揺して困る。

 けれど、ドーレンという青年は、先程から会話をつなぎ止めるように自然な風体で談話を続けてくれていて。自分からムードメーカーを名乗るのも納得な程、彼の産み出す和気あいあいとした雰囲気に私が救われ始めたのも事実で。くすくすと思わず笑いをこぼしながら、「二十四です」と答える。


 と、同時に全員から驚いたような目で見られたことに気が付いた。


「に、二十四、え?ほんと、です?ウッソ、小さいから年下かと……」

「二十四ンン?嘘でしょ、その栄養の無さで!!?アタシと十二は離れてるもんかと……!」

「二十四でその体重と身長は、よろしくありません。非常に、」

「記録検索、データ一致・復唱。サンドーラス大陸スラム街の貧民の児童と同程度の栄養失調具合。成人換算でも、リゴクレス大陸において平均値を大きく下回っています……」

「え、え、」


 わたわたしながら、と言うか私の体重と身長なんていつ知ったんだ?という別の疑問も生まれてきて。四人からの心配する発言が立て続けに荒ぶった後、次のラウルの言葉でしばしの間は食事に徹することになるのだった。


「アズマくん。良かったら追加でパンケーキも作らせよう」


 ×  ×  ×


「ごちそうさまでした、全部、とても、おいしかったです、」

「いえ、平らげてくれる程の元気が出て良かったですよ。大事なラウル様のお客人でもありますからね、」


 ふう、と一息つける頃になって。私に出して頂いた料理を全て食べきれたことに、自分も信じられなかった。私の無茶苦茶な無体を働いて過ごしてしまった胃にでさえ、するりと通ってお腹を癒してくれるような料理は、一言で言えば最高だった。豪勢では無い、けれどしっかりと美味しさを教えてくれる食事に完全に満足して。


(でも、ネクルさんが甘いパンケーキを作れるなんて、意外だったなあ、素敵、)


 もごもごと一生懸命食べるうち、私がここにいる経緯についても簡単に説明をして貰った。


 ……何でも、ラウルさんと言う人は、とても長寿らしい。そうでなくても、獣と人の要素をあわせ持つ生命体……この場所では獣人と呼ぶ、そうなのだが。その獣人は普通の人間と違って元々寿命が長く、ラウルさんは更にその上を行く寿命を持っているそうで。

 その長い長い人生の中で、ラウルさんは大半を「知識」を増やして世界を知ることに費やしてきた。そしてその莫大な知識量によって、文化の発展に貢献してきたのだと。

 私の世界でも梟の種は何かと知識や賢人を意味するシンボルとしても存在していたから、なるほどと関心した。


 この世界は、科学が発展しなかった代わりに魔法と錬金術が発展を遂げた世界であると言うことも判明した。魔法で出来ないことは錬金術が、錬金術で出来ないことは魔法が、と。双方の欠点を補うようにしてこの世界の生活基盤は出来ているのだと。目の前でそれを見てしまった以上、魔法に関しても疑いようは無い。物わかりが良すぎる、のでは無く。そこを受け止めて一旦理解する姿勢にならなければ、余計に頭がこんがらがるからである。

 賢人であり、誰よりも知識を求めたラウルさんは、今、国内ではとても有名な魔術師であり、錬金術師らしい。王都……この世界は王制があるらしく、この大陸で一番栄えている王国に昔はラウルさんも勤めていたけれど、諸諸事情があって四年前にこの人達だけを連れてこのお屋敷に隠遁。

 同じ時期から、「別の世界とこの世界を繋ぐ禁忌の実験」に触れて。それが成功して、召喚されたのが私、と言うことらしい。


 と言うことらしい。と言うものの、難しくて話が完全には理解できないのが、縮こまってしまった脳みそのキャパシティの限界だ。

 ラウルさんも、別の世界の仕組みを覚えるだけでも大変だろうから、と。これでも相当省いて噛み砕いて説明してくれている。


「経緯は以上かな」

「は、い。ありがとうございます、少し、落ち着いてきました、」


 聞けば、私は空中から落ちてきたらしい。そして、一番始めのラウルさんとの対面に繋がったと言うわけだ。私自身が見ていなくても辻褄は合う。

 意識が消えた最後の瞬間から今まで、地面に叩きつけられた記憶は全く無いしそんな強い痛みも無い。とすると、多分、無理矢理解釈することになるけれと、私が職場の窓から落ちたのは私の不注意でも無くて、私が望んで行ったことでも無くて。ただ、向こうの世界からラウルさんが私をとんでもなくすごい魔法で呼んでいたから、それに引きずり出された、と言うことになる。


 ここに来るまでの流れは聞けたけれど。あとひとつ、それに付随する疑問があるのも、確かだ、


「……あ、あの。ラウルさん、質問が」

「幾らでも」

「………………その。……ラウルさんは。どうして。私を呼んだんですか?私の世界にも、進行形で偉人になれそうな人とか、とっても少ないけれど超能力が使える人とか、怖い獣とか、探せば幾らでも「すごい」存在って、一杯いるんです。でも、ラウルさんは……」


 ――まるで、私で良かったみたいに。私が良かった、みたいに。そんな反応をしてくれるから、勘違いしてしまいそうになる。そう思わせてくれる何かを、感じ取ってしまう。

 それは流石に言葉に出せなかった。見てくれも確かにまるで違う私だけれど、醜いことは明らかなのだから、そんな言葉を出してはいけないと思うのだ。頬も肉を抉ったように痩せているし、胸も腹も足もガリガリで、鶏ガラみたいだし、目の下は隈がひどい。正直、魅力が一切無い人間だから、ラウルさんが言うその「実験」とやらにくくって言えば、私を呼んだのは「失敗」なのではないだろうかと。

 自分で言っていて、とても悲しいけど、そこの自己分析はしなければならないから。何だろう、目をあわせるのがとても気まずくなってきた。


「君がいいんだ」

「え、」


 それは、希望を持ってしまうのは当然と言える程の答えだった。慈しむような瞳だった。


「……君達にも、話しておこうか。一番大事な事だけでも、」


 皆を見据えながら、机に乗せたままだった私の左手に。彼が、優しく彼の手を重ねてくれて。

 それは懺悔するかのように、祝福するかのように、天が地に教えを説くかのように。低く、澄んだ声で次の言葉を編み出していた。



「私が異なる世界からこの子を呼び寄せた目的は、私の伴侶にする為だよ」



 なるほど、はんりょ。

 はんりょ?はんりょ、あ、漢字で書くと伴侶だ。少し思い出せずもやもやしていたのが晴れやかになった。


 ――え?


「は、はははは、はんりょ!!??わたし?私がです?!い、いいんですか!!?私なんかで!??!」



「あの……お師匠、ワタシらより当事者が驚いてるの何とかなりません?順序考えましょ?」

「驚きたくても先に驚かなきゃいけない奴がいると戸惑うねえ……」


 ようやく思考が追い付いた時。

 ぱんっ、と赤い身を弾けさせたかのように真っ赤になった私に、皆の生暖かい視線と、気にせずにこにこと微笑んでいるラウルさんの視線の両方が向かって来ていた。

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