第6夜/落ちた夜にて導かれる
繋がれた手をそのままに、流されるまま。ベッドが存在した広い部屋の戸を開いて行く彼についていく。
流されて、と言う言い方は失礼だったかもしれない。何も知らない幼子のように困惑する私を、しっかりと導くように、だ。
動揺が無い、と言えば嘘になる。当然のことだと思う。
ミミズクが大きくなって、人のように二足歩行もしていて服まで着て。それ以前に、言葉も喋っていると言うのに。分かりやすく悲鳴を上げて驚くなんてことは無粋だと、その人、いや。彼と呼ぼう。彼を見ているとそう思えてくるのだ。
ラウルと言った存在は、その程度の違いなど些事であると思わせる荘厳な様をしていて。大きな体躯、それでいて彫刻のように綺麗なかたちが私だけを見ている。
人間、本当に美しいものを見ると言葉を失うと言うけれど、初めてそれを体験しているかもしれない。
無責任な話、今ここを歩いている間は、辛いこと全てから逃げ出せるような期待が私の胸を踊らせていた。
ぺたぺたと、裸足で歩く私が移動する音。自分の足元から彼の足元に目線を移すと、ローブの下に見え隠れする革靴、だろうか。しっかりと手入れをされた艶がある靴を彼がはいて、同じように歩く音を響かせていた。ミミズクの足って、その中に収まるのだろうか、なんて気になってしまう。
かつん、ぺたん、かつん、ぺたん、
静かな廊下。まるで、世界に二人だけしかいないみたい。釣り合わない足音が反響することに怯えながらも、見たこと無い景観に息をのみそうだった。まるで、童話の世界の中に自分が沈み込んだみたいで。
「あの、」
「何かな」
「ここは。どこ、ですか」
「君のいた世界とは違う世界、と言うのが正解かな。そう言われても、信じられるまで時間がかかるだろうね」
世界。一瞬、目が点になっていた。区とか、市とか、国とか、そういった予想していたものと単位が違った。
日本にいた筈、なのだが。日本という国ではこんな高級そうなお屋敷は簡単に見かけないだろうと、一般の安物アパートしか知らない私は今歩いている内装を見るだけでも緊張してしまう。カーペットのような絨毯が敷かれた廊下、床も壁も天井も、蜜のように艶のある黒色で構成されていた。私よりも大きい彼が歩いても、天井に相当余裕があるくらい縦にも広い場所、こんなに大きいと何人でも住めそう。呆けたように視線を右往左往させていると、手を引く彼が「そうだ」と何かに気付いたようにまた私の方を向く。
「君の靴を用意するのを忘れていた。申し訳ない、少し浮かれてしまって。今だけは、これで我慢をしてくれないか」
彼がそういうと、私の足元を源として光が生まれた。私の両足が接地している絨毯に、光で描かれた円のようなものが、私の足にあわせるように二つ。円の中には、何やら色々と、読めない文字列が並んでいて。それがぱっと瞬いたかと思えば、私の足が地面から何かに押し出される感覚がする。え、え、と困惑を繰り返すうち、光った円はその形を崩して。まるで糸のように私の両足首を中心に絡まりだす。かかとが少し宙に浮き、足の裏に絨毯の感覚がなくなると同時に。私の足には、履いた覚えの無い靴が、あった。
少しだけ底が厚いサンダルのような形に似ていて、足の甲と、かかとから足首にかけて可愛いリボンがついた靴。裸足でも履いていい靴だ。…何も無いところから、靴が、出来た?驚きすぎて声も出せずに、おどおどとしながら彼の顔を見上げた。そこでようやく、気付いたことがもう一つ増える。
なんて綺麗な、紫色。
紫色の月を、見た。夢でも、多分、現実でも。その月にそっくりな色の目を、彼はしている。ミミズク特有の真ん丸でガラス玉のように愛らしい目は、まさか。夢を越えてまで私を見てくれたのだろうか、そんな自意識過剰な感情まで生まれてきてしまう程、その色と形がそっくりだった。妙に焼き付いて離れない不思議な体験、それは今も地続きに、私に降り注いでいるのだと。
「……うちの召使が持っていた物を真似てみたのだけれど。気にいって貰えたかな」
「え。あ、りがとう、ございま、す、?は、はい。大丈夫です、はい、」
「そう。良かった」
彼は、また歩き出す。本当はもっと早く、大股で歩ける体躯だろうに。私のちょこちょことした歩幅に合わせて、ゆっくりと動き出す。
こんなことを思っている場合なんかじゃない、嘘をついている可能性がとっても高い、と第三者が見たら言うだろう。起きたら、持っていた服も無い。眼鏡も無い。見知らぬ豪華な屋敷の中で、喋って二足歩行するミミズクに、エスコートされている。まるで本当に、レディになったかのよう。現実から逃げ出したかった、と願っていた私にとって都合のいい逃避の映像。お姫様にでも、なったみたい。
優しくされることに慣れていなかった私にとっては、大きな変化より。こういう、小さい変化の方が怖くて嬉しいみたいだと自分でも驚く。状況が大きく変わっていると言うのに、私ときたら一番動揺していることが、この彼がどうして会ったことも無い私にここまで優しくしてくれるのか。その一点だけしか気にならなかったのだから。
「あの、」
「何だい」
「…どこ、へ?これから、その、……」
「朝に起きたら、君の世界では何をするんだい」
「……着替えと、朝ご飯、ですか?」
「その通りだよ。残念ながら、着替えの方はまた君の好みを買い物に行こうと思っているから。今は少しでも栄養を摂ることを優先としよう」
首を傾げながら、今言われた言葉を口元で繰り返す。
朝、
屋敷の中もそうだけれど、窓の外はまだ真っ暗だった気がするのに、朝、とは。時間の感覚もそうだけれど、全てに対する認識の感覚ですら齟齬が出ているかもしれない。ああ、だって、今の私ったら、何ていうこと、この人が優しそうだから、って理由だけで。それ以外の全てを疑えなくなっている。まるで、それこそ魔法にかけられたみたいで。
「あのう、」
「何だい」
「……教えて、くれます?あ、あの、大丈夫な時でいいですから、その。…私に、何があったのか。自分でも今、わけがわからなくて、」
「おかしい人だ。わからないのに、一番わけがわからなさそうに見える私に聞いてしまうのかい?」
「だ、だって。……その。あなたは、優しいと、思うので。私と見た目は違いますけど、そう思う、ので。…何というか、それだけで、すみません、」
何回も聞いてごめんなさい、
そう呟くと。ふふ、と。自然に漏れたような微笑み。そんな声が彼から聞こえる。
「いいや、ありがとう。印象が良くて何よりだ。…謝らなきゃいけない私よりも、そう簡単に謝るものではないよ」
かぽ、かぽ、履き慣れない靴を懸命に絨毯の上で鳴らしては音を吸い込まれる。
行き着いた一つのアンティークな扉の前、空の方の手で彼がドアノブのレバーを握って、開いていく。
「さあ、席に着こう。私の家族を紹介するよ」
目に飛び込んできたのは、暖炉で燃える炎。宙から吊り下げられたシャンデリア、壁に一枚かけられているのは、私ではその素晴らしさに理解を示すまで時間がかかるだろう絵画が。
少し広めのお洒落なテーブルには、うっとりするほど細やかで美しいレースのクロスが敷かれていて。真ん中には、造花だろうか。淡い色であしらわれたテーブルフラワーが可愛らしく座している。その上にはこれまた綺麗でアンティークな食器に盛られた食事。
廊下を歩いている時も思ったが、この場所はところどころ違う配色はあるが基本は皆灰色か黒に近い色彩がとても多いようだ。
彼がそう言いながら、部屋の様子にどぎまぎする私と一緒にその部屋へ入ると。知らない視線が、幾つか私と彼に向かって来た。
「あ!ようやく起きられたんですね!よかったよかった!」
茜色の髪を持つのは、目を開いているのか区別がつきにくい糸目の青年。私服と民族衣装の中間のような衣服を身に纏っている。
「旦那様、浮かれてるからって無理矢理起こしてないでしょうねぇ?薬ぶち込んだとは言え、絶対具合悪いよその子!病み上がりなんだから!」
葡萄色の長髪を後頭部で結んでいるのは、クラシックなメイド服に身を包んだ強気な女性。その瞳の中には、特徴的な紋様が浮き出ている。
「よしなさいアベルダ。その為の病人食でしょう」
オールバック風の黒髪で、片眼鏡をかけた男性。男性としては少し長めの髪を後ろで結んで、執事のような風体で淡々と話していた。
「計測結果、平熱です。彼女に大きな熱の変化はありません。」
……?は、肌が、薄い紫色だ。先の女性と同じように丈の長いメイド服。長く結った黒髪は、他の人と違ってウェーブが多くかかっている。機械的な話し方が、どうにも気になりそうだ。
そんな四人の視線は、突き刺さるような強いものでは無く。勿論、拒むようなものでも無く。見定めるような感情も入り混じっていない。ただ、純粋に向けられた優しい視線が、今手を握ってくれている彼にとても似ている。そう感じた。
彼に促され、やんわりと揉みこまれた空気の中。戸惑いながらも一つ開けられていた席に着いた。視線をさまよわせると、食器を入れる棚もそこにあって。フランスが舞台の映画とか、こういう部屋が出てきた記憶がある。
「何はともあれ、疑問は全て食べながらといこう。自己紹介も兼ねて、初めての朝にしようか」
それでいいね?と、私だけを見て問う彼に。ラウル、さん、に。こくんと頷いた。
私はその雰囲気にいともたやすく飲まれてしまい、何もわかっていないのに頷いたのだ。それでも、不安よりも、何かが起こるのだろうという高揚感の波の方が強く。世界がどうだの、経緯がどうだの、そんなことですら後回しにして。
今はただ、この不可思議でも居心地の良い空間で時が流れることを、自然に受け止めていたくなった。
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