第4夜/二度の眠りを愚かと笑え

 ――私は今どこにいるのだろう。

 そう考えてみても、とても答えられない。この眠りから醒めた時、自分はどこにいるのだろう。目を醒ましたら、きっとこうやって夢で悩んでいたことすら忘れてしまいそう。

 疲労のせいで夢が浅くなるのはしょっちゅう、お陰で明晰夢を見る確率ばかりぐんぐんとあがってきて。ろくに疲れも取れず、不眠を患い、流石に駄目だと思った時は睡眠薬に頼りきる。そんな眠り方を続けてきたせいで、夢と現実の狭間が徐々に分かってきたというどうしようもない癖がついてしまった。

 少しずつ浮上してきた意識の中、

 ここが夢の外…現実の中であると言うのは、今はまだ目を醒ましていないという事実に気付いたからこそハッキリと判別がついたことだ。


「…………はい、処置は……」

「……で、完璧だと、…………ありません……」


 脳だけが起きている、この金縛りのように嫌な感覚。身体は眠り込んでいて全く動かないのに、思考だけは出来ている。目を開いたり、身体を揺らしたりと見える形で動く必要が無い脳と耳が、聞こえてくる現実を確実に拾ってくれていた。

 誰かがいる。でも、わからない。脳が起きたばかりだからだろう、まだ気持ち悪さの方が遥かに強いのだ。男の声、女の声、そのどれもに聞き覚えが全然無いのは、声色が優しいから。

 優しくされた、なんてこと。とんと拝めたことなど無い。蔑ろにされていたからこそ余計に混乱するだなんて、本当に寂しい生き方を私はしていたなあとため息をつきたい気分だ。

 瞼の裏の私の眼球に、少しずつ届いてくる光を感じる。背中には、このままずぶずぶと沈みこんでいきそうな程柔らかい何か。布団、に、似たようなものだろうか。こんなに眠っているのに身体にちっとも痛みを感じないのだから、安心する。


 とにもかくにも、私は生きている。


 それがわかっただけでも、嬉しい。死んだのかとも錯覚したし、普段から死にたかった筈なのにいざ生死が自分にすら分からなくなると不安にもなった。

 …強がってはいたものの、私はしっかり生きていたかったんだな、と。少しだけ、そんな自分が愚かに見えて。虚しく思いながらも冷静になると段々と安定してきた精神に加えて、余計に混乱することを思い出してしまった。職場のビルから飛び降りて、私は、結局どんな奇跡があって助かったのだろう。

 死んでからこんな風に意識が残ることなんて、無いだろうし。死んでから誰かの声を聞くなんてことも、無い。


「そっか、じゃあ、無事なんですねこの人!…人?でいいんですよね?見た目はあんまりワタシ達と変わらないし」


 …これは、明るい男の人の声。

 人であることを疑われたのは流石に初めてすぎて、眠りながらでも動揺してしまいそうですよ。な、何?何のお話をされているのでしょうか。

 人。人、の筈なんだよなあ。私は。

 この誰か達は、結構近い距離で話しているのだなと言うことに今更気付く。鼓膜に届く音が、意外と近くで言葉を出していた。眠っている私の側で、私を囲む……とまではいかないが、ひそひそという感じでは全く話していない。事実、私は意識こそ覚醒すれども身体が痺れたように動かないから、肉体的な反応も乏しいと思う。


「そうですね、魔力を受け付けない身体など僕も直には初めて目にしますが……ここまでつくりが似ていると言うことは、この星と似た生態系の世界で育たれたのかもしれません。

 呼び出して頂けて光栄ですが、通常の処置のみに収まってしまい申し訳ありません……最初の判断が適切だったと思います、流石、貴方のお弟子さん達ですね、ラウル」

「すまない。…すぐに駆けつけて貰えたのが君で何よりだよ、ザウトゥム。……癒術師の派遣を、今後依頼することもあるかもしれない。恥ずかしながら私も弟子共々、再生や創造の範囲でしか治せない」

「困った時はお互い様ですよ。生き物には向き不向きがございます、僕も、貴方やお弟子さん達をひとつの普通の生き物として見ておりますから。完璧などにはならずとも、良いのです」


 ああ、なんか、神父様の説法でも聞いているみたい。もしくは落語家の噺。

 この、心地よくつらつらと話してくれる声達は、私を余計に眠りへ押し込もうとするくらいには、効く。安眠CDを私はいつの間に買ったんだろう。誰だか知らないけれど、ウィスパーボイスの応酬が、起きたい私を余計に眠りこけさせようとしている。

 本当に何なんだろうか、今と言うこの空間は。


(ああ、でも、………)


 こんなに、ねむれたのって、ひさしぶり、――――



 ×   ×   ×



「あれ?」

「どうしました、ドーレン」

「や、その人。今腕がぴくっと動いたかな、と。……気のせいでした」

「計測。……呼吸、問題なく等間隔で続いています。反射的なものでしょう。ザウトゥム様も判断された通り、彼女は極度の疲労と衰弱のせいで、身体が静養を求めているのです」

「自然に目覚めるまでこれ以上刺激を与えないようにしないと。七時間程じゃ、普通は眠り足りないっての!もっと休ませたげなきゃさあ」

「……君達も、すまなかったな。大事に巻き込んだ」

「いいですよ、お師匠様。巻き込まれたなんて誰一人思っちゃあいませんし!ほんと、教えたい時でいいですし教えてくれなくてもいいです。お師匠様がしたいようにしてくれれば……ワタシ達は、どんな命令でも、お願いでも、頷きますからね!」


 地上に落とされた夜の館、ラウル・アルトメント邸。

 その天涯に、ただひとつ。輝くことを許された星の原石の目覚めは、あと少し。

 ベッドに沈みこむ、誰も知らない一人の女性。けれど、その眠る顔を覗きこむように隣に座るラウルには、自身にも知りようが無い女性であったからこそ心を奪われる理由があるのだとは本人のみぞ自覚していたところであった。

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