170 - アンドロイドは王手飛車取りの夢をみるか

「ねェ、キスカー、遊ぼうよ」

「ちょっと待って、これよんだら」

「さっきからそればっかりじゃないのー」


 キスカはお母さんが館からかりてきた絵本に目を落として、わたしのことなど意識にない。

 この子は本当に人間みたい、と思う。

 茶色ががった柔らかい髪に、くりくりの瞳、ぷにぷにのほっぺた。とてもアンドロイドだなんて思えない。少しまえまでは拙かった言葉も、いまでは一人前に操っている。応答にもまったく不自然さがない。

 それどころか、わたしの遊び相手としてこの家にきたのに、最近では自分の知識を増やすことの方に熱心だ。


「それこのまえ読んだのにー」

「またよみたいの」


 わたしも一度読んだが、何度も読むほど面白い内容だったとは思えない。アンドロイドが気に入る記号でも混ざっているのだろうか。


「ねェ、キスカ、キスカ」

「まってタマちゃん、すぐおわる!」


 ついに怒ったような口調で身体を横に向けた。

 こうなっては我慢するしかない。これ以上は喧嘩になってしまう。キスカはヘソを曲げると三日は口をきいてくれない。アンドロイドのくせに――。


 わたしはこのキスカという愛玩用アンドロイドが大好きだった。物心が付いた頃にはもうわたしの横にいて、姉妹のように同じ時間を過ごした。

 わたしが言葉を教えると同じように喋り、次第に会話が出来るようになっていった。わたしが絵を描くとキスカも真似をした。わたしが逆立ちをすると、キスカもやりたがった。(しかしまだキスカには出来ない)

 キスカはわたしの身体の成長に合わせて、何度もボディを交換した。いまでも双子と言って疑われない程度の体躯をしているはずだ。


 しかし最近は少し調子が悪そうだ。

 これまでは朝から晩まで一緒に過ごしていたのに、ここのところボディのメンテナンスか、お母さんに毎日外へ連れ出されている。

 どこか悪いの、とお母さんに聞いてみても「そんなことないよ」と否定する。でもそれは嘘だと思う。泣いて帰ってきたこともあったし。


「ねえタマちゃん、これできる?」

「ん?」


 キスカがメンテナンスから帰ってきたときに抱えていたおもちゃ。

 蝶番で二つに折れた木の板を広げると、正方形になった。表面には縦横に線が引かれて、四角が81マスある。その上にぶちまけられた、たくさんの駒。

 金、銀、飛、角、桂、香、歩、玉、の文字がそれぞれ刻まれている。


「……しょうぎ」

「はじめて見たよ」

「じゃあ教えてあげる。この歩っていうのがまえにひとつ進めて――」


 キスカの説明は要領を得なかった。駒の動かし方と並べ方だけ理解しているようで、とてもゲーム性までは考えていないように思う。

 一緒に持っていたカイセツの本を一緒に読んだ。

 なるほど、同じように駒を並べたあと、おたがいに一回ずつ駒を動かして「玉」を取ったら勝ちになる。

 とりあえずやってみることにした――。


「……うぅ」


 キスカが顔をゆがませて涙をこらえている。

 キスカは駒の動かし方は分かっても、勝つためにはサクセンが必要だというのを理解できていない。アンドロイドにはむつかしいかもしれない。十回やって十回とも勝ってしまった。


「もうやらない!」


 キスカがヘソを曲げた。

 将棋盤をひっくり返して背中を向けたあと、鼻水をすすっている。

 お母さんはわたしの遊びを増やそうとして、将棋セットを買ってきたのかも知れないけど、キスカが上達しないことには遊べないと思う。


 わたしは将棋がトクベツに面白いゲームだとは思わなかった。キスカとお人形で遊んだり、近所の探検に出かけた方がずっと楽しい。


「ねェ、かくれんぼしようよ」

「だめ!」

「じゃあテレビみようよ」

「やだ!」


 キスカは将棋にこだわっていた。もしかしたら悔しいという感情を学んだのかもしれない。キスカはもう人間と変わらない感情表現をする。電気信号に感情が宿るのだろうか。


「まず、角か飛がうごきやすいように、ここかここの歩をうごかすといいよ」

「……うん」


「おたがいが角のとおりみちをあけたまま銀を上にすると、ただで角を取られちゃうよ。取り返せるようにしないと」

「……そっか」


 わたしは理解できているハンイで、攻めるためのサクセンと守るためのサクセンをキスカに教えた。こうしてしまうとこうなってしまうから、まえもっとこうしておく、だけど相手もそう考えているから気づかれないようにここで――、というぐあいだ。


 キスカはますます将棋にのめり込んでいった。わたしが外に誘ってもまず乗ってこない。わたしはとてもつまらなかった。退屈した。


「タマちゃんに勝つまでやめないもん」 


 連日の負けに拗ねていた。

 無理だ。勝てるわけがない。

 わたしはキスカと遊びたい一心で、手をゆるめた。王手飛車飛車のタダ取りに目をつむり、詰めろ守らないと負けに気付かないふりをした。

 はじめてキスカが勝った。

 なのに、


「タマちゃんのばか!」


 両の目に涙がたまっていた。じっとわたしを睨んで、本気で怒っていた。盤上の駒を左手でなぎ払って、怒りのぶつけどころを探していた。


「勝ったのになんでおこるの?」

「うるさい!」

「神社にいって遊ぼうよ」

「もうしらない!」


 キスカは口をきいてくれなくなった。

 原因が分からない。あのまま指し続けてもキスカがわたしに勝てるようになるには何十年もかかると思う。だから勝たせてあげたのに。

 キスカは全然先が読めていない。アンドロイドには限界があるんだ。


 三日ほど沈黙が続いて、日課であるメンテナンスから帰ってきたキスカはおずおずとわたしのまえに将棋盤をおいた。

 ほんとうは神社に探検に行きたかったけど、無視されるよりは将棋の方がましだと思った。


 ――そんなときだった。

 床がうごいたと思ったら、真下から突き上げるような衝撃。キスカが悲鳴ともつかない声をあげる。部屋中がきしみをあげた。立ち上がれないほどの揺れがどんどん強くなる。キスカがパニックに陥った。

 テレビが吹き飛び、食器の割れる音がして、タンスが倒れ、本棚が――、


『地震を観測』


 わたしも自分のコントロールができなくなった。動けないキスカに覆い被さり、身体を硬くする。


『エマージェンシーモード、対象者保護を最優先』


 わたしの視界にはそう浮かび上がる。



NEXT……171 - 可視化された情動を越えた論理

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885440692/episodes/1177354054885618859

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