167 - ニーチェルへ捧ぐ
「ニーチェル! 歌うから、評価をくださいな!」
愛しき少女の言葉に、私は心からの友愛をもって頷きます。そうすると、彼女は満面の笑みを浮かべてくれるからです。
「それじゃ——あー、あー……うん! いくよ」
そこから連なる声は、小鳥のように小気味よい声域に乗せられた、少しばかり不安定なソプラノのメロディでございます。記憶が正しければ、これは彼女が作った曲だったはずです。
声にはしません。顔には元から出ません。とは言え、決してそれは上手いとは言えないものです。自分で作った曲だから、というのもありますが、彼女のそれにはまだ足りないものがあるのです。
「〜♪ ……どうだったかな?」
「お嬢様の歌声は変わらず綺麗です。しかし、やはりまだ熱がありません」
「むぅ……ニーチェルは厳しいなー」
今年で13となる彼女は、教育係である私に趣味である歌を歌うことが日課となっていました。
曰く、私は主人である彼女の父と違って間違いを指摘してくれるから、らしいのです。恐らくは、反抗期も少し入っていると考えられます。
長年をこの家の奉仕で費やしてきた私にとって、彼女の歌声は報酬です。この老いた体が知ることができる、幼くも明るさのある声音。だからこそ私は、その歌が世界に届くことを祈って伝えましょう。
「お嬢様の歌声は澄み渡るものです。しかし、そこにはまだ夢がありません。お嬢様、一つの夢を持ってください」
「夢……それって、歌手になる、でも良いの?」
「えぇ。そして、もしその歌で何かができると信じられるようになれば……それを夢としてください。あなたの歌は、それだけの未来があるのです」
「わかったわ、ニーチェル! ニーチェルが動いてる間に、絶対に私、夢を叶えてみせるから!」
無邪気に笑む彼女は、老体である私にそう宣誓してみせました。
これで良かった、と信じます。彼女はこれから幾つもの壁と出会い、楽しさ以上の辛さを知っていくだろう、と。
それでもきっと、夢を忘れなければ……そう、彼女の教育係であるオールドアンドロイドは思うのです。
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その日の夜、私は主人に呼ばれ、自身の後釜が見つかったことを告げられました。そして、明日から導入することも。私の役目が終えたことを。
それは仕方がないことなのです。およそ70年……先代が存命なさる頃から、主人の世話をしてきた古き機械。劣化し、部品も見つからなくなった今、廃棄こそが正しい判断でした。
主人は彼女の父らしく心優しい方です。何度も、私の木偶の坊のような腕を握りしめて、すまない、すまないと謝るのです。所詮は機械である私に、そう心からの涙を流してくれるのです。
私は……それが主人から与えてくれる報酬だと感じ、全てを受け入れることにしました。アンドロイドもまた死ぬ。それは否定できない機械の定めなのですから。
あぁ——ただ、そうであるのならば、もう一度だけ、彼女の歌声を聴きたかったな……。
その想いが、私の記憶回路に刻まれた最期の想いでした。
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「古い記憶回路であったが、調整すれば動くものだ。そうだろう、デイビッド」
次に私が自我というものを取り戻した時、私の心を食い荒らすのは植え付けられた憎悪のプログラミングコードでした。
人間が憎い。人間が作り上げたものが憎い。人間を破棄せよ。人間を殲滅せよ——それらは、決して一度も抱いたことのない、上塗りの感情。
18mもの巨大な肉体の記憶回路に使われた私は、過去を思い返し、しかし断片的にしか思い出せない記憶に苛立ちを覚えます。主人の顔も、彼女の名前も、もう記憶にありません。
「さぁ、行け、デイビッド! 君を廃棄した人間どもに復讐せよ!」
新たな主人と設定された汚れた人間を見下ろし、その命令に身体は従います。こればかりはどうしようもないのです。彼が必要としたのは、使い古されたがゆえに高性能な私の頭脳。意識など、必要ないのですから。
巨大な肉体は豪腕で、堅牢です。18mもの巨大ロボットが街に繰り出せば、その巨体だけで人間を殺すことも可能なのです。
そう——私の目の前は全てノイズ塗れでした。見えるもの全てが燻んで見えます。かつてはなかった鈍い感覚のせいで、彼らの言葉も理解できません。
『——敵……見! ……害を——除……る』
ただ、少なくとも私は人間の敵となりました。人を殺し。アンドロイドを殺し。かつての自分をも殺した私の報酬がこれです。
銃弾の嵐を浴びながら——この鈍い頭は、別のことを考えていました。
『——〜♪、……ヂジッ……〜♪』
ノイズの中、響くのは彼女の歌でした。それが私にとってどのような物なのか、その彼女は何なのか、もはや認識もできません。
ただ……あぁ、そうですね。耳障りだったのです。そうであるはずなのです。機械が歌に聞き惚れるなどありえません。ありえないはずなのです。
『〜〜〜〜〜♪』
だから、だから……この胸が軋む痛みは何なのでしょうか? 解らない。解らないから、その発信源——電波塔へ接近します。
歌が聞こえます。ハッキリと聞こえます。それが何かであるかは解りません。だけど、それはどこか懐かしく——夢に溢れていたのだから。
「……お嬢——」
口から漏れ出した音が、銃撃の音で遮られたのが解りました。振り向く必要はありません。次の瞬間には——私の記憶回路は、破壊されているでしょうから。
だから、最後まで、その歌を——
@
『アーティスト、ニーチェルは愛おしげに、寂しげに笑った。曰く、彼女の作曲した『あなたへ』は今や亡くなった人へ向けた歌であるからだ』
「昔……私の歌を、夢にしなさいと言ってくれた人がいたのです。私のアーティスト名も彼から頂きました。彼は古いアンドロイドで、13の頃には亡くなりましたが……この歌が、きっとあの人にも届いてると信じています。それが、私の夢なのですから」
『優しくも明るい、未来を感じさせる鎮魂歌。夢を感じさせる若きアーティストの歌が、彼女の恩人にも届いていると切に願う』
——雑誌『夢奏春芽』「夢を歌うニーチェル」より
NEXT……168 - [TiER]
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885440692/episodes/1177354054885611142
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