110 - 墓守の矜持

 地球を壊しつくしたのが人類だったか、それとも別の存在だったのか。今ではもう、それを知るすべはない。ただ一つはっきりしているのは、彼らが祖の星の地を踏むことは終ぞ無いだろうということだけだ。

 彼らは播種船団ノア、そのいち分派である。正式な名前はあったはずだが、それを知る者が隠れて以降、その真っ白で扁平な長方形をした船体をして「グレイブストーン」、船団でもって「グレイブヤード」と誰ともなしに呼ぶようになり今に至る。希望を乗せた船が、まるで死を運ぶ船団のように形容されるのは、もしやすれば人類という種がすでに、一度滅んでしまっているからかもしれない。彼らは長寿命化と身体の頑健さとの引き換えに、人の形を捨て巨大な肉の塊へと進化した。彼らは彼ら自身をこそして人類であると僭称するが、では彼らが運んでいる活性遺伝子標本は一体何の遺伝子標本というつもりだろうか。それはわからない。何故ならそのことから目を背けていた世代群が代替わりをしたときに、意図的に遺伝子標本について伝達をされなかったからである。以降の子世代、孫世代は、当初の目的を何もかも忘れ、ただ深々たる宇宙をあてどなくすすんでいた。


 色合いだけを見て判じるならば、それは甘い菓子のようにさえ思えた。実体のない薄紅色の浮遊体は、しかし致死の毒を秘める。人はおろか、分厚い金属板をも容易に融解せしめる毒の名はプラズマキャンディ。おふざけでつけた名前が定着してしまった感は否めないものの、セ氏2兆度を超える熱量が内包されたプラズマ・フィールドは時折船団の前に現れ、その行く手を阻んだ。ただの現象が、まるで意志を持つかのように。

 プラズマキャンディは有機体を選別して襲い掛かり、その一端にでも触れた瞬間に内部の熱を開放して自己崩壊を起こし宇宙の塵へと帰る。「グレイブストーン」とてそれは同様であった。そのあまりの高温は解放された瞬間に重力崩壊を起こしマイクロブラックホールを形成する。全長が僅か300kmに満たないグレイブストーンはブラックホールが発生してから揮発する1ⅹ10^-64秒という一瞬の間にそれに呑み込まれ消える。

 グレイブヤードがノアから分派して1万年と少し、幾度とないキャンディとの接触により、その船体数は当初の2割減とも3割減ともいわれている。が、何分詳しい資料はどこにも残っていないので正確なところはわからない。しかし船一隻の損害であれそれは看過できぬものである。グレイブヤードとて手をこまねいているだけではなかった。

 グレイブストーン1035番艦から、その船体に比してあまりにも矮小な交点が200ばかり放出された。それは身長が15メートル強の強化外骨格をまとった人間の兵士である。創世記の伝説にある宇宙飛行士の気密服を些かマシにしたような軽装で、彼らは宇宙という荒波巻き荒れる海へと漕ぎ出した。


 彼らは墓守、「ディフェンダー」と呼ばれる対キャンディ部隊。


 彼らの存在意義はその身を挺してでもキャンディから船団を護ることにあり、それはいっとう尊い聖職者に最も近しい存在であった。

 ディフェンダーの部隊が宇宙に展開してゆく。今回船団の行く手を阻んだのは2km級キャンディが100と少し。平常よりも少々少ない出現数だ。

 グレイブストーン1005番艦の甲板に、直径20kmの巨大な銅鑼が見える。それが爆音で打ち鳴らされ、作戦開始の合図とされた。

 ディフェンダーたちは三三五五にキャンディへ向かって宇宙へ散らばっていく。その背に、何よりも捨てがたい命を背負って。


 キャンディの”自己意志”に反する物体がプラズマフィールドに接触した場合、どうなるのか。答えはどうもならない。その物体は2兆度強の中心核に届かずプラズマで焼かれて消滅するからだ。ディフェンダーがこれを処理するに当たって最も必要なのは、プラズマの層を突破できる耐熱性と貫通力を備えた武器か、もしくは……キャンディの意志を刺激する弾頭であるか。


「用意はいいかい」


 ディフェンダーの一人が、弾頭にやさしく語り掛ける。弾頭は答えた。「どうか一思いに」。ディフェンダーは万感の思いで頷いた。

 後方のグレイブヤードが真空電導音響システムを半径2光年の範囲にわたり展開し、甲板上にズラリ居並んだボーズ宇宙聖職者が宇宙念仏を大音量で読経する。それは伝説の彼方のその彼方、神秘の国より伝わった神聖なりし経文。

 ディフェンダーたちの眼から、しとどに涙があふれる。


「南無阿弥陀仏。来世で会おう」


 ディフェンダーが専用のランチャーを構え、引き金を引いた。それが愛しい妻か、はたまた心通わせた友であったか。は、1パーセク毎秒という非常にゆっくりとした速度でキャンディに向かい、そして呑み込まれて消えた。ディフェンダーはそれを合掌でおくる。キャンディが崩壊をして、重力地平の湾曲により一瞬だけ白く発光する。それが同時多発的に起こるさまは、まるで風にたなびく黒と白のカーテンのようだ。

 グレイブストーンの短手幅の半分はある直径のリンが宇宙の地平に響き渡って、キャンディの全掃討をディフェンダーたちに伝える。彼らはもう一つ携帯していた弾頭を速射ランチャーに込め、引き金を引く。3光年毎秒で空間を裂く弾頭が激しい閃光を放つ。これは彼らの流儀。手向けの華。どうか先に逝った彼の者らのゆく道を照らせ。この儀式めいた閃光弾掃射を「照行」といい、これが終わることでディフェンダーはその任を終える。

 ディフェンダーたちは、後ろ髪引かれるようにしばらくその場を動けぬままでいた。


 播種船団「グレイブヤード」で、今日も人が産まれ、育ち、愛を育んで子を成し、最期には死んでゆく。一つの完成された生態系が、まるで輪廻の環のように静かに回っている。


 当初の意義も、目的も。すべてを捨てて、すべてを失った彼らだ。

 それでも新たな意義の中で彼らは確かに根付き、今日もどこかの宇宙をその果てに向かって進んでいることだろう。


 宇宙船団「グレイブヤード」。死を運ぶ者たち。

 遂に宇宙の深淵にたどり着いたとき、君たちは何を思うだろう。


 私は、彼らの行く道に幸多からんことを願わずにはいられない。


NEXT……111 - ステラをねらえ!https://kakuyomu.jp/works/1177354054885440692/episodes/1177354054885537924

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