054 - 僕の友達はイエスマン
今年、ついに年賀メールの返信が途切れた。
半月ほどは、携帯電話をチラチラ窺ったり、意味もなく開いてみたりした。再受信も繰り返した。けれど、返ってくるのは沈黙だけだった。
カレンダーをめくったときは、さすがに認めざるを得なかった。
僕は友達とは名ばかりの、最後の連絡相手を失ったのだ。
両親と若くして死に別れている僕は、正真正銘、天涯孤独の身となった。
関わりのある人間と言ったら、「コーヒー飲む?」と訊ねてくる同僚の山口くんくらいだ。でも僕は、彼に苦笑しか返したことがない。
仕事以上の会話なんてできない。僕は、勇気をもって踏み出した先で、不意に口を開ける裏切りに怯えている。今日食事を共にした相手が、明日には音信不通になったりする。そんな虚しいもののために、努力する意味があるとは思えない。
変わりない日々が消費されていく。
僕は、生きるために生きる人形だ。目標なんてなくて、孤独さえ忘れて、いずれ無になる。なにも考えず、周囲から与えられる力だけを頼りに動くのだ。
でも、こんな僕だって、あの日は温もりめいたものを欲したのだと思う。
あの日、辺りはまだ、しんと冷えた空気が漂っていて、街は薄らと灰を帯びていた。切るような風に怯えながら肩を縮め、はらりと落ちてくる雪を払い、鉛でできたみたいな、のっぺりとした暗い空の下を歩いていた。
ひどく憂鬱だった。空が冴えずとも、日常には、羽織るコートの数が増えるくらいの違いしかないのに、なんだか胸が苦しかった。
アパートの共用玄関の明かりなんかに、シミのような安堵を覚えるほどだった。ふとゴミ捨て場に目をやって、そこに幸せが落ちてやいないかと探ってしまうほど索漠としていた。
勿論、変わったものなんてなにもなかった。
「落ちてるわけないよな、幸せなんて……」
「ハイ」
「ん?」
声、だろうか。
僕は辺りを見回してから、虚空に訊ねた。
「……誰かいるんですか?」
「ハイ」
今度ははっきりと聞こえた。
子どもみたいな声が、ゴミ捨て場のほうから。
僕は恐るおそる、ゴミ袋を一つ持ち上げた。
「……?」
そこに意外なものがあった。
僕はバカみたいに瞬きを繰り返す。
「お前が喋ってたのか?」
「ハイ」
返答があった。
薄闇の中に蹲った、小さなちいさな、手のひらサイズの人型ロボットから。
見覚えのある姿だ。CMを見たことがある。
簡単な会話のできる家庭用ロボットだ。
憂鬱な心は、こいつへの興味に取って代わられた。
辺りに人目がないのを認めて、盗むように拾い上げた。別に誰も咎めやしないだろうに、そそくさと部屋へ駆けこんだ。
その段になって、自分に呆れた。
どうしてこんなもの拾ってしまったんだろう。
「バカだなぁ」
ごちると返答があった。
「ハイ」
頷きもあった。
正直、ちょっとムカついた。
「バカはお前だ」
大人げもなく言ってやった。
ロボットはそれにも「ハイ」と答えた。
僕は訝しんだ。
「壊れてるのか?」
「ハイ」
どうやら本当に壊れているようだ。だけど、あんまり間抜けな受け答えに、ちょっと笑えた。暇つぶしくらいはしてくれそうだと思った。
それから僕は、こいつにイエスマンという名前をつけて、毎日つまらない会話を繰り返した。答えは勿論、すべて「ハイ」だ。
「みんな僕の好さを見てないだけだ」
「イエスマン、お前はバカだ」
「じゃあ僕は大バカか?」
「お前嫌な奴だな」
「いや、お前は好い奴だ」
「お前は僕の――」
不毛な時間の反復は、虚しくなるばかりだった。
相手は所詮、ロボットだ。感情はないし、壊れている。誘導すれば僕の欲しい答えをくれる
やがて僕は、イエスマンとの会話をやめた。
すると、余計に虚しくなるような気がした。満たされるものがなくて辛かった。「寂しくない」と強がり、返ってくる答えがあっても、僕の心は変わらなかった。辛かった。
「イエスマン、僕に友達をくれよ」
「……」
ロボットは応えなかった。
当たり前だ。こいつは願いを叶える神様じゃないんだから。
「僕は独りだ」
心の底から吐き出した。だってそれが真実だから。
イエスマンが答えた。
「イイエ」
「え?」
耳を疑った。
あり得ない反応だったから。
けれどイエスマンに、特に変わりはなかった。
あの一言だけが奇妙だった。
「僕は独りだ」
繰り返した。
けれど、今度は答えなかった。
ついに動かなくなってしまったのか。
不安になった。
「僕はバカか?」
「ハイ」
驚くほど早い返事があった。安堵と呆れで笑えてきた。
僕はイエスマンを見つめた。その薄汚れた身体を見つめた。
ゴミ捨て場に置かれていたイエスマン。
僕はこいつに興味をもって、拾ってきた。なにかに怯えながら、それでもわざわざ。
その結果、僕は、はっとさせられている。「ハイ」しか言わないこいつが「イイエ」と言ったことにではない。「イイエ」と言われて、嬉しい自分がいることにだ。
思えば、誰にも興味をもったことがなかった。どこか冷めた遠いところから、人の動向を窺っているばかりだった。
勇気をもって踏み出したこともない。人と仲良くなる努力なんて、ちっともしてこなかった。
けれど少なくとも僕は、このロボットに対して、興味も勇気も抱いたのだ。
だから、きっとここに喜びがある。
満たされないのは当たり前だった。満たされようとしてこなかったのだから。
こんなつまらないことで、僕はそんなにも大事なことに気付かされた。
「そうか。君は僕の友達なんだな」
機械の頭を撫でると、小さな頷きが返ってきた。答えは聞かなくても分かっていた。
翌日の中休み。
僕は、伸びをした同僚の山口くんを訪ねた。もう勤めだして二年になるのに、彼がいつも笑っているのを初めて知った。
傍らに立った僕を、山口くんが見上げた。その目はちょっと訝しげだったけど、やっぱり彼は笑っていた。
それが消える瞬間を考えるとぞっとした。怖くてこわくて堪らなかった。
でも、怖がってばかりでは、なにも得られないことを僕は学んだ。
それを教えてくれた友達がいた。
「あの、一緒に飯行かない?」
ひどく声が震えた。
山口くんの笑顔が、驚愕に塗り潰された。
けれどそこに、すぐ笑みが戻った。
頷きが返ってきた。
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https://kakuyomu.jp/works/1177354054885440692/episodes/1177354054885491210
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