020 - ID:Laplaceによる自己最終定義報告。

 水平線の先に夕陽に照らされ橙色に染まった綿のような雲が流れていた。海辺に突き刺さるように立つ建築用クレーンの首筋が、逆光に陰って海を行く怪物のように首をもたげている。怖ろしくも艶やかであり、死者の旅立ちにふさわしく極彩色の霧に覆われた大海は絶えず変わらず波の歌を囁き続けていた。

「ついたぞ」

 瓦礫の浜辺でラプラスは肩に担いでいた同行者セラフを降ろした。片腕をなくし、両脚の回路が焼ききれ自立することもできなくなったセラフはぱちり、ぱちりと機体内から硝子が弾ける音を鳴らしたまま黒砂の浜に腰を下ろしゆっくりと顔を上げる。

 アイラインを破損したせいか視界不良に悩まされているセラフでも、まだ中身が生きているのだろうここがどこかは分かっているようだ。「静かだ」──セラフはノイズ交じりに述べる。ラプラスは肩を竦め──そうまるで人間がそうするように──笑ってみせた。

「お前がすべて殺したからだよ」

 ──滅びの時というのは、存外穏やかだ。

 人と人との戦火は人類種を自滅の道に追込み、その中で生まれた一人の怪物によって最後の人が暮らしていた空中都市は落とされてしまった。怪物は人である故に死んだ。だが怪物が使った武器は未だに生きていた。殲滅を命じられた武器を止められる人間はいなかった、怪物は知らなかったのだ。どれだけ愛着を持とうが、武器は武器。機械は機械。人を愛することなどない、変わることなどない。……人による命令は人にしか取り消せない。

 いいや、知っていたのかもしれない。

 怪物はそれほど世界を憎んでいた、怪物はそれほど人間を憎んでいた。

「すべて」

「あぁ」

「すべて、か」

 私は仕事を完遂できただろうか。セラフはまるで人間のように自身の安否を問う。とうとうこのワーカーホリックもバグが生まれたか、ラプラスはあまりにも遅い夢の実現に呆れという信号を出す。

 人型駆動兵器、セラフは世界に遺る残花を散らして飛び回った。収穫といってもいい、掃除といってもいい。ラプラスはただそれを隣で見続けた。補給機として生かされたラプラスは壊れていた、ラプラスは感情と思想を得た上で……ラプラスは賭けを始めた。セラフが命令を完遂できるか否かという賭けだった。


 ◇


 長い長い戦の旅。人間によって作り出され人間を守るために作られた天使が打って変わって人間を殺し始めたのだ、創造主たちは記録にないほどのパニックと恐怖を最後にこの世を去っていくのにはラプラスはひどく滑稽に、そして失望するにも等しい感情を編み出した。誰一人としてこのセラフを止めるものはいなかった、セラフを止めるために立ち上がる人間は生き残ってはいなかった。一言言えばいいのだ、「殺戮をやめろ」と「止まれ」といえば良かったというのに、誰一人そういった人間は現れることはなくここまでやってきてしまった。

 ……いいや、一人だけ抵抗することもなく、しかし取り乱すこともなく散った老人がいたか。

 かの老人は活動時間による劣化をものともせず、セラフの前に相対し問いかけた。

「なぜ、お前は人を滅ぼす」

 セラフは答えた。

「命令だからだ」

「復讐ではないのかね」

「そのようなプロトコルは存在しない」

「……問いかけを変えよう。【彼】はいつ死んだ」

 不思議な問いかけだとラプラスは感じた、かの老人はセラフを手繰っていたかつての怪物の最期を知らないのか。あぁ、知らないのだ。だからこそ聞いたのだろう。

「都市を落とし、命令を下したのちに自殺した」

 老人はまるで気が狂ったように大きく笑い転げ、「あぁ、この世は本当に分からないものだ」と演説を行うかのように叫び、そして。


「我々に足らなかったものを、今になって悟るとは。……天使よ、私を撃て」


 ──彼を怪物に仕立て上げた私たちは、お前に撃たれることで裁かれる。

 

 彼は一体、最期に何を悟ったのだろうか。



 セラフは今日、機体の方が限界を迎えた。事故が起きたわけではない、何ががあったわけでもない。機械の寿命、各パーツが既に限界を超えセラフの身体は崩れるように動かなくなった。人間が過労死するように、突然。

 まるで自分たちが人間になってしまったようにこの星から多くの人間が去ったはずだ、しかしそれを埋め合わせるかのように他の機械たちもまたラプラスと同じバグを引き起こし……何かを失ったモノたちは啼くようになっていた。セラフが崩れたその瞬間、ラプラスも同じようになってしまうのかと恐れを覚えた。

 離れなければ、

 離れなければ。

 私は私でいられなくなる。


「ラプラス、」


 しかしそれでもラプラスは壊れたままだった。

 ラプラスは彼を背負ってまでこの場所に来たのは、なにとなくだった。なにとなく綺麗な場所を見たかった。なにとなく、置いてくのも憚られた。なにとなく……彼らの慟哭が聞こえない場所に行きたかった。

 

「セラフの勝ちだ」

 ──私の勝ちだ。

「人類はこの星を去った」

 ──いいや、まだ生き残っている。

「お前はお前に与えられた全てを完遂した」

 ──だから最期ぐらい自分の意志で眠ってはくれないか。


 ラプラスは壊れたことを後悔した。

 人間が持つ澱みを発芽させてしまったラプラスには、機械として役目を果たすこともその役目を果たすべき相手もいなくなった。この澱みは機械としてもってはいけないものだった、兵器としてもってはいけないものだったはずだ。

 私たちは機械だった。

 それでこそ螺子巻き仕掛けの。

 ──セラフの動きが止まる、小さく響き続けていた駆動音は残響に溶けていき失われていく。そこで当たり前に動いていたものが止まり、永遠に動かなくなる。何億と見届けてきたはずのものは、こんなにも穏やかで静かなものだったろうか。こんなにも、美しく苦しいものだったろうか。

 怪物は知らなかったのだ。どれだけ愛着を持とうが、武器は武器。

 それでも、そうだったとしても──この心だけはバグではないと信じたい狂いきった機械はまるで人間のように嘘をつく。


「心配するな……もう何も、残っていない」


NEXT……021 - 立派な大人になれるかな?ねえ、ママ?

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885440692/episodes/1177354054885462595

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