003 - K.A.I.
目が覚めた時、目の前に君がいた。身長158cmで痩せ型の君は、僕を見ると頬のこけた顔で微笑む。
「おはよう、
海、それが僕の名前。君が僕に命を吹き込んだ。目覚めたばかりの僕を君が抱きしめてくれたのに、その意味がわからない。君はどうして泣いてるの?
君が泣きながら僕を抱きしめるから、咄嗟にその背中に手を回した。お願い、どうか泣き止んで。君の泣き顔を見ていると、胸がおかしくなる。
泣かないで、笑っていて。君は笑顔の方が似合うから。初めて会うはずの君に見覚えがあるのは、気のせいかな。
君が微笑むと、つられて僕も笑う。君が泣くと、泣けない僕は胸が苦しくなる。どうして口角が上がるんだろう。どうして胸が苦しくなるんだろう。
「それは、心って言うの。感情。わかるかな?」
「心、精神的な働きの元になるもの。感情、ヒトなどが抱く気持ちのこと」
「……少しずつわかればいいよ、海」
君に聞いたら、僕の変化に嬉しそうに笑ってくれた。だけど聞かれたことに答えたら、泣きそうな顔を見せる。初めてあった時に比べて顔が丸くなった。ちゃんと食事をとっているようだ。
「心」を知りたくて、いつかしてくれたように、君の体に手を伸ばしてみる。腕の中に細い体を閉じ込めると、トクントクンと脈打つ何かを感じた。胸の中央やや左側、心臓から聞こえる規則的なリズム。これは、君にあって僕にはないもの。
1分間に70回だった鼓動は、抱きついたら110回に変化した。テンポが速くなったのはどうしてだろう。君の両頬が急に赤くなったのはどうして?
君と同じリズムを刻みたくて、ふと胸の左側を探してみる。手を当ててみても、僕の胸には何も無い。モーターが動いている音しか聞こえないんだ。違いを知りたくて、君の心臓に耳を近付ける。
「どうして、速くなったの?」
「まだ教えない」
聞いてみたら君は、唇に人差し指をあてて楽しそうに笑うんだ。首を傾げる仕草に胸がざわめく。でもこれは、僕の故障ではないみたい。
時計の針は月日の流れを正確に刻む。それに呼応するように、君の顔も少しずつ変化していく。いつしか君の髪色に白が混ざるようになって、その顔にシワが出るようになった。
鏡を見ると時の流れに胸がざわつく。僕の見た目は、目覚めたあの日から何も変わらない。でも君は時間の流れに沿って歳をとって、老けていく。見た目の差が顕著になるにつれて、形容しがたい何かが胸の奥で湧き出てくるんだ。
君のそばにいたい。君に触れていたい、君を笑わせたい。ずっと君の色んな表情を隣で見ていたい。この世に数えきれないほどあるどんな言葉でも表せない、この感情はなんだろう。
手を伸ばせば届く距離にいる。だけど僕と君はこんなにも遠くて、離れていく君を想うと胸が締め付けられるんだ。この気持ちはなんだろう。君に聞いたら、とびっきりの笑顔を見せてくれた。
「『愛』って言うんだよ」
僕が君に抱いたこの気持ちは「愛」というらしい。感じにすれば一文字、声にすれば二文字。なのにその言葉の意味を脳内で検索すれば、不思議と納得してしまう。
君の笑顔がやけに眩しくて、気が付いたら少し小さくなった体を抱きしめていた。やっぱり、鼓動を刻んでいるのは君だけだ。僕の胸には、どんなに探しても音はない。だけど……心は、あるらしい。
離したくない。ずっとこのまま抱きしめていたい。君を想うと胸が苦しくなる。自然と口角が上がってしまう。この気持ちが愛、愛おしさ。愛を知ったこの日を、僕はきっと忘れない。
ある日を境に、君がベッドから起き上がれなくなった。服の下で見え隠れする体は以前より骨と血管が目立つ。髪はすっかり白くなって、数えきれないほどのシワが綺麗な顔を隠している。
君は僕と違って歳をとる。きっといつか心臓が動かなくなって、死を迎えるんだろう。そしてその日は、もうそう遠くないところまで来てるんだ。
僕には寿命がない。充電切れはあるけれど、それは定期的に充電すれば問題ない。睡眠をとる必要もない。でも君のいない夜は退屈で、いつからか君の睡眠時間に合わせてスリープモードに入るようになった。
「
いつからだろう。君は僕を見て「玲」と呼ぶようになった。僕の名前は、君が付けてくれた「海」なのに。悔しくて、「玲」という名前の人を検索することにした。
そこで、あることに気づく。僕は君の名前を知らない。僕がどうして、どういう過程で作られたのかも知らない。君は僕を人間らしくしようとして、肝心なことを伝えていなかったようだ。
「君は……」
「私は
好奇心が
君が死んだ。最後は眠るように息を引き取った。胸の鼓動はゆっくりとその数を減らし、やがて0になった。
いつか来るって知っていたのに、いざ君が死んでしまうと自然と涙が流れてくる。悲しいってこういう気持ちなのかな。この疑問に答えてくれる人はもういない。
遺品整理をしていると、君が書いていたとされるノートが見つかった。タイトルは「ヒューマノイド海の記録」。最初のページには、論文のように実験背景が書いてある。
僕は、君の恋人「玲」を模して作られたヒューマノイドだったらしい。数ある実験体のうち成功したのは僕、11番目のヒューマノイドだけ。11番目を意味するKに人工知能のAIで「
人口減少が進む中、人に似せたロボット――ヒューマノイドを作る研究が始まった。見た目を故人そっくりにして、故人の記憶を構築する。偽りの故人を作ることで、人を慰めようとしたらしい。
ノートの中身を確認しても、実験過程や僕の記録ばかりだ。ただの実験ノートに思えたけど、ノートの一番最後に君の筆跡で文字が書かれていた。
「
胸にポッカリと穴が空いたみたいだった。人の寿命は短い。僕に寿命があれば、君と一緒に天国という所へ行けたのかな。もう、この答えを教えてくれる人はいない。
NEXT……004 - 朽ちた天球儀
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885440692/episodes/1177354054885453869
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます