第19話 契約完了

 ミズキ達との交渉の翌日。 

これから正式な契約締結のため、ローレンは街の飲み屋『フェニックス』へと向かう途中の道すがら、


「よし、ここら辺かな」


道の脇にある草むらに身を隠しながらほくそ笑んでいた。


「あの黒崎ミズキとかいう奴も夢にも思ってないだろうな。自分が作った契約書のせいで金も貰えず、俺の店を撤退させることもできなくなるなんて」


 ローレンはニヤニヤしながら懐から大事そうに一枚の契約書を取り出し、


「この”注意事項”のおかげでボロ儲けだぜ!」


その中の一文を心の中で読み返した。


 注意事項

・最終的な契約締結の際、契約者及び契約に直接的に関わる者は必ず同席すること

※不在の場合、契約内容はその場に同席している者全員の同意があれば変更することができる。


「契約締結の場にいなければ、その場にいる連中だけで契約内容を変更できる…。黒崎の奴は俺がドタキャンして契約が締結できない、なんてことを避けるためにこの注意事項を設けたんだろうが…完全に裏目に出たな!」


 当たり前のことではあるが、契約者がその場にいなければ契約は結べない。

別に契約を急ぐ必要のないローレンが、契約締結を欠席し、エミリーにとってのデッドラインである今月末の納税徴収が終わるまで姿を隠し、エミリーやミズキ達がいなくなった後でゆっくりとフェニックスの店主と直接契約を結ぶことも可能。

 それを防ぐために、この注意事項は有効的だった。が、しかし…


「だが、逆に考えれば相手側が全員契約締結の場にいなければ契約内容は変えたい放題ってことだ!」


ローレンは下卑た笑みを浮かべていた。

 今回ローレンの負担は、➀エミリーの納税金20万バリスの肩代わりと➁契約後すぐに露店街の店を畳み、今後露店街では店を出さないことの2点…どちらもエミリーと営業屋に対する負担。

――つまり、ミズキ達営業屋とエミリーを契約締結の場に来させなければ、何も対価を支払うことなく、年収700万の契約を勝ち取ることも十分可能、というわけだ。


「相手は借金女とヒョロそうな男、それからガキの女だけ。助っ人を頼んでいる様子もなし…ハッキリ言って楽勝だな!」


そう呟く、ローレンの表情には余裕の色が広がっていた。

 それもそのはず。この男、40歳を間近に控えた年齢の今では商売人をやっているものの、若い頃は冒険者ギルドで腕を磨き、王国騎士候補になったこともあるほどの実力者。


「実力差もあるのに、待ち伏せして奇襲なんて卑怯だと思われるかもしれんが、油断は禁物だからな」


そんなことを口にしながらミズキ達を待ち伏せること約10分。


「あ~眠い…やっぱり朝から働くとダメだな」


少し離れた場所に見えるのは待ちわびた顔ぶれが。


「ダメなのはあなたのその怠けまくった性格の方ですよ」

「というより、もう11時なんだけど…リアちゃんにこのダメ人間っぷりが伝染しないか心配だわ」


そんな緊張感など無縁のような会話を繰り広げていた。


(ふっ、完全に油断してやがるな。…っていうか、あそこにいる男って黒崎でいいんだよな…?アイツ、あんなヤル気のない感じだったっけ…?)


交渉している時のミズキしか知らないローレンは、そのあまりのギャップに戸惑いつつも、


(まぁいい!行くぞ!!)


「おらぁ!これで俺の一人勝ちだ!!」

「「「!!!」」」


腰に差していた短剣を引き抜き、草むらを飛び出すと、


(まずは一番強そうな奴から…この中だと…あの男か!)


ミズキ目がけて勢いよく短剣を振りかざした。

…が、しかし…


ガッ!


「なっ!!」


その攻撃は武器も持たぬ小さな少女によって受け止められていた。


「クソガキ!テメェ、まさか灼眼持ちか!?」

「ええ。よくご存じで!」


リアの深紅色に光った目を見て舌打ちするローレン。


「丸腰相手に奇襲…しかも、弱そうな人から狙うなんて、なかなか卑怯ですね」

「...いや、一番強そうな奴から狙ったつもりだったんだがなっ」


そう言いながら、ローレンは一旦後ろに飛び、距離を取る。


「お前の作戦なんてお見通しなんだよ、おっさん!どうせ俺たちが契約の場にいなけりゃ、好きなように契約いじり放題だと思ったんだろ?」


リアの後ろに隠れつつ、勝ち誇ったような表情を浮かべながら偉そうに振る舞うミズキ。


「…あの、そういうことは前に出て言ってくれませんか?正直格好悪いです…」

「そうね…女の子の後ろに隠れながら威張るとか…ないわね」


そんなミズキを冷ややかな目で見つめる女性陣。


「フッ、そんな挑発、俺には無意味だ!確かに俺は生まれて一度も殴り合いの喧嘩に勝ったことはない!――だが、俺はそんな自分の弱さも嫌いじゃないのだよ!」

「ダメです、エミリーさん…この男、清々しい程に開き直ってます」

「この男、既に手遅れみたいね…」


 開き直って恰好つけているミズキに頭を抱えるリアとエミリー。

普段はミズキとリアだけのやり取りに、今日はエミリーもしっかりと加わっている。これも、ここ二週間程で深めた三人の仲の成果だろうか。

と、三人が呑気に茶番を繰り広げている中、


「おい、テメェら…この俺を目の前にしてその態度…えらく舐めてくれるじゃねぇか…」


完全に蚊帳の外扱いされたローレンは怒りで顔を引きつらせていた。


「おい、お前らが失礼な態度取ってるから怒らせちゃったじゃねぇか。とりあえず謝って来いって」

「いや、どう考えても一番失礼なのはアンタでしょうが」

「そうですよ。ミズキさんが謝ってきてくださいよ!」


 そんな状況でコソコソと責任の押し付け合いをするミズキ達に、


「お前ら全員のせいで怒ってんだよ!」


遂にローレンの怒号が響き渡った。


「もういい!もう謝っても許さんからな!!――その舐めた態度、後から死ぬほど後悔させてやる!」


そして…


「出でよ、我が分身…クリエイト・ドッペルゲンガー!」


ローレンが三人に向かってそう叫ぶと、あたりは一瞬で煙に包まれた。


「な、なんだ!?」

「ちょ、何にも見えない!」

「ミズキさん、エミリーさん!絶対に私から離れないでください!!」


 三人固まり、周りを警戒する中、徐々に視界が明るくなっていく。すると…


「「「「「これが俺の得意な魔法…分身魔法だ!」」」」」


 三人の眼前には、短剣をこちらに向けたローレンが…5人。


「へぇ…なるほど。確かにこれだけ人数がいれば、パンもたくさん作れそうだな」


 その光景に冷や汗を流すミズキ。

ローレンがパンを激安で売ることができていた理由…それがこの魔法。

単純な話、人数をかければその分たくさんのパンを作ることができる。しかも、それを人件費なしできるとなれば、自ずと1個当たりの単価も安くすることができ、無理することなく激安価格を実現し続けられるというわけだ。


「フン、甘く見るなよ?俺はこの魔法で昔、騎士候補にもなったことのある武闘派だ」


 5人のうちの一人が喋る間にも、すべてのローレンで周りを囲み、


「はじめは少し痛めつけて契約が終わるまで適当なところに監禁しておくつもりだったが、もうやめだ――お前らは漏れなく皆殺しにしてやるよ!」


ジリジリと三人との距離を詰めてくる。


「散々バカにしてくれたお礼だ!」


そして…


「「「「泣き喚け、ガキどもが!!――死ね!!!」」」


5人のローレンが一斉にミズキ達目がけて飛びかかってきた。

 が、しかし…


ドカッ…バキッ…


「ぐあっ!」

「がはっ!」

「ちょっ、待っ…ガッ」


聞こえてきたのは鈍い打撃音と低い呻き声。


「どうやら相手を甘く見ていたのはあなたの方だったみたいですね」


 反撃を受け、分身魔法を解かれたローレンは地に伏しながら悔し気に睨みつけていた。


「ク゚ッ…このガキ…!」

「ガキとは失礼ですね。私は今年で16歳ですよ!――やはり殴っておいて正解でした」


 分身含め5人のローレンを一人で返り討ちにしたのは、只今ガキ呼ばわりされたことに頬を膨らませ、プイッとそっぽを向いている小さな少女だった。


「過去の栄光にすがって勘違いしてるおっさん程醜いモンはないな…」

「だから、なんでミズキさんが威張って恰好つけてるんですか!?さっきまで私の後ろに隠れてたくせに!」

「ホント図々しい男ね…死ねばいいのに」


 リアの功績を自分のことのように誇るミズキにジト目を向けるリアとエミリー。


「…おい、いくら俺でも少しは傷つくんだぞ?」


 なんとなくおなじみになってきたこの自らの扱いに顔を引きつらせるミズキ。

 そんな中、


「クソッ…テメェら…初めからこれを狙ってやがったのか…」

「なんだ、まだ喋れるのか。さすが元騎士候補さんですね」


 倒れたまま、力を振り絞り、唇を噛みしめながら問いかけるローレンに、ミズキは皮肉で返す。

 そして…


「テメー!!」

「確かに狙ってはいたな――まぁ、でもお前が俺の忠告を聞いてりゃあ、狙い通りにはならなかったわけだけどな」

「…」

「だから忠告してやったろ?――”選択肢を間違えないように注意した方がいい”って」


 そんなミズキの言葉を受けたローレンは…


「チクショー!!」


 悔しさのあまり絶叫し、その場に崩れ落ちることしかできなかった。


「契約完了だ」


 そして、そんな声を背中で受けたミズキは二人の少女を引き連れ、フッと勝者の笑みを浮かべて去っていった。


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