【拾壱】 句会
❀
一 句会
二 古参
三 洗礼
四 土産物
五 失態
六 度胸試し
七 遊山
八 人誑し
九 弱味
十 悪縁
🌸 一 句会
文長が「
文長は少し早めに来て、仕切り役の
「他でもない、白浜屋さんの頼みだ。
会がお開きになったあとで、皆さんには少しお時間をいただいているので、その
桃華会のなかでも父と親しい相模屋は、新参者の文長の面倒をみてくれていた。
諭利のことを話し、場を設けてのらえるように頼んでいた。
「お手数をかけます。
決してご迷惑はかけませんので。」
上座に杉田屋が座り、右に三人、左に三人、左下の空いた席は文長の座だ。
顔合わせを頼んでいるだけで、桃華会の会員でない諭利の席は、当然用意されていない。
桃華会──とは、俳句の会の名称である。月に二度、会合をひらく。
この土地で古くから商売をしている老舗の旦那たちの集まりで、この会の者たちの間で商いの方針などが決まっていくのだ。
席順は店の大きさではなく年功序列である。
文長は最近店を継いで、この会にも名を連ねた。
歳も一番若く、新参者であり、発言権はないに等しい。
「お時間をいただき、ありがとうございます。」
文長はうやうやしく頭をさげ、言葉を継いだ。
「この者は、私の昔馴染みで諭利といいます。
この国の生まれで、十年ほど諸国を旅しておりましたが、この度、この地に骨を埋める覚悟で帰郷したのでございます。
聞けば、商いを始めたいと申します。
それならば、まずは皆さま方にご挨拶をと、参上した次第でございます。」
文長は横に視線を向け、諭利に合図をしてきた。
「お初にお目にかかります。
諭利といいます。
生れ育った土地に恩を返したいと思い、戻った次第でございます。
清い商いを心掛けていく所存でございます。どうぞ、よろしくお願いいたします。」
「ご大層な口を利くのだね。」
「近頃の若い者は、口ばかり達者なのだよね。」
「つい最近、但馬屋の息子と話しをしたのだが、あれはどうにもならないね。
修英院(大学)を出た自慢の息子だそうだが、口の利き方が成っちゃいない。
同輩と語るようにいきなり足を崩し、これからの商売は ああだこうだと一方的に話しをする。
学問を学ぶ者は、まずは一番に礼節を知るべきだ。
恥知らずが学問をすると、とんでもない勘違いができあがる。
己が富むことだけしか頭にない連中だ。
今の世の中、そんな若い者が増えてきている。
嘆かわしいかぎりだ。」
「そこにいくと、白浜屋さんは立派なものだ。
何不自由ない親元を離れなさって、余所の土地へ修行に出るとは、見上げた心掛けです。」
「有難う、御座います。」
文長は神妙に応えた。褒められるのも、気苦労なことだ。
この連中は一筋縄ではいかない
🌸 二 古参
誉め言葉は口先だけで、その言葉の裏には必ずなんらかの含みがある。
こいつらが俳句を詠むのは、そういった
但馬屋の紳介は、確かにイヤミな奴だが、語っていることには一理ある。
百年続いた老舗だからと横柄に構えていたのでは、この先の百年は続いてゆかない。
よその国の者が、新しい商売のやり方を持ち込んでくる。
そうした者と競うには、こちらも手を変え品を変え、対応する必要がある。
紳介は、修英院に在学中に異国への留学経験があり、語学が堪能で経済や文化に精通している。
文長は、紳介と花街で何度か顔を合わせていた。
面白い事を考えている奴がいると聞いていたから、一度話しをしたいと思い、席を設けた。
堅苦しい挨拶は抜きにしよう──と、文長が友好的に話を切り出したそばから、紳介は、なぜ今さらあんな古臭い句会に入る必要があるのだ──と文長を揶揄してきた。
桃華会は泥船だ──とも云った。
たしかに古臭いが、桃華会の名はいまだ有効だ。
効き目があるうちは利用すべきだし、桃華会が存在する意味もあると文長は考えている。
観光客の落としていく金を目当てに、この国で一儲けしてやろうという者が入ってくる。
そうした者は、短期間の汚い商売で荒稼ぎし、早々に自国へ帰ってしまう。
ご馳走を食い荒らし、食い散らかしたまま去る。
その後片づけをするのは、この国に長く住み、真面目に商売を営む者たちだ。
いわば自衛のために商いの組合がある。
行儀の悪いよそ者を排除するのも大事だ。
己の懐が潤いさえすればよいとだけ考える者に、この土地で商いをさせてはいけない、と文長は思う。
「商売には信用が大切だ。
信用というのは、積み重ねだ。
一朝一夕に得られるものではないのだよ。
根拠のない変な自信ばかりある者が、初めから大きな仕事を任せて欲しいと云ってくる。
実績もない、信用のない者に、誰が重要な仕事を任せるというのだ。
但馬屋の馬鹿息子は、この国の商売の在り方変えるのだと豪語していたよ。」
因幡屋は、忌々しげにそう話してから、思い出したようにこちらへ顔を向けた。
「諭利さん、と云ったね。
なんの商いをする気なのかね。」
「お茶を売るつもりです。」
「ならば、私と同業になるね。」
美濃屋が、うっすら笑みを浮かべた。
「あなたは、『縁環』で演技をしていたそうだね。
なかなかの評判だったと聞いたよ。
なるほど、あなたは見栄えのするお姿をしている。
商いよりそちらの方が向いているのではないのかな。」
と、香賀屋が云った。
「ああ、それなら私が紹介してあげられるよ。
だが、私は直接観たのではないし、つまらない芸では紹介した私が恥をかくから、ここでなにか、披露してみてはくれないだろうか。」
と、越後屋が云った。
文長は、胸の内で舌打ちした。
🌸 三 洗礼
こいつらは、はなから諭利を迎え入れるつもりがない。昔馴染みといったが、文長が若い時分に一時期ツルんでいた悪仲間のひとりであると、この連中の耳には入っているだろう。諭利が、こういう扱いを受けるのは当然としても、紹介した自分も同等に
文長は諭利を見て、小さく首を横に振った。そんな事はしなくていい、古狸どものちょっとした嫌がらせだから相手にすることはない、文長の目はそう伝えていた。
「芸で身を立てるつもりはございません。ですが、私の
礼をして、諭利は立ち上がった。
ハアッと声を整え、歌いはじめた。
「春地地水迸りて渓澗暖やかに、泥幾頭を草根にふす。
牡丹花上露滴り、滴り尽くして花びら初めて閉ぢ、金風やんで雨やうやく収まり、枕頭の燭灯やうやく尽き、涙流れて乾き、珊瑚声ありて、夜さらに幽かなり。」
[ 作者未詳「壇ノ浦夜合戦記」]
杉田屋は諭利を見ていた。
文長が諭利を伴い、部屋へ入ってからこれまで、一言も口を開かず、まるで誰の姿も見えていないといった風情だったが、諭利が歌い始めてからは片時も目を離さずにいた。
文長は杉田屋の様子をうかがっていた。
杉田屋は目を細め、眉根をよせていた。
その表情は、静かな憤りを内包しているように見受けられた。
──馬鹿な奴だ。
詞は、この場に
商売をするには教養も必要だ。
字面の美しさだけで、詞の意味など理解もせずに歌ったのだろう。
しかしまあ、歌声だけは褒めてもよい。
この連中も、内心では感じ入っている風である。
だが、──杉田屋は、こんな得体の知れない男を気に入るはずがない。
誰もがそう勘繰り、誰かが口を開くのを待っている。
皆が目で譲り合っているので、その場がしんと静まった。
沈黙を破ったのは杉田屋だった。
無表情で、単調に手を叩いている。それに追従して、パラパラと乾いた音が響いた。
文長は苦笑いし、ここが引き時だと思った。
「皆様、お時間にも限りがございますから、本日はご挨拶まで、ということで、さがらせていただきます。」
文長はそう云って、諭利に目配せした。
その視線は鋭く、頬骨の辺りをチクリと刺すような気がした。
どうやら怒っているようだ。
「本日は、皆様にお会い出来、光栄でございました。お近づきの印に、わずかばかりの手土産を持参しております。
お帰りの際にどうぞお持ちになってください。
私は、これにて失礼いたします。」
諭利は一同に礼をして座敷をさがった。
後について文長も一度その場を離れた。
廊下を曲がった所で、文長が云った。
「私なりに手を尽くしてみますが、期待はしないでくださいね。」
「そうですか。
私は、皆さんに気に入られなかったのですね。」
問いに、文長は無言を返した。
🌸 四 土産物
文長の表情から察して、思わしくない状況のようだが、諭利としては手応えを感じていた。
諭利は歌いながら、真っすぐに杉田屋を見ていた。
杉田屋から目を離さずにいた。
杉田屋の瞳の中で歌っていたと云っていい。
そして
しかし諭利は、ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いしますと文長に詫びた。
諭利を帰してから、文長はそそくさと自分の席に座り直した。
「白浜屋さん、昔馴染みだそうだが、あの男になにか弱みでも握られているのかい。」
「いえ、そのようなことはありません。」
「酔狂だねえ。
なんであんな者を私たちに引き合わせようと思ったのだい。」
文長は土壇場に座らされたような心地で、苦情を聞くしかなかった。
相模屋も、文長に対して不服そうな顔を向け、助け舟を出してくれそうもない。
「そうだ、土産を持参したと云っていたね。
どんなものか、見てみようじゃないか。」
越後屋が云った。
女中を呼び、持ち帰りにと用意していた品を座敷に運ばせた。
一つ、包みを開けてみた。
桐箱の中には、酒の瓶が入っていた。
ふっくらとした白い陶磁に、金字で円を描いた双竜の文様があり、真ん中に「朱」と印が入っている。
「カグツチ。」
と、呟いた香賀屋は驚きの表情をしている。
カグツチ、と文長は呟いて、記憶を探った。
美濃屋が疑わしげに口を挟んだ。
「朱国の御神酒のですか。
めったに出回る事のない貴重なもの、──それを八つ。
偽物ではありませんか。」
「白浜屋さんは、ご存じないのですか。」
相模屋が尋ねた。
「知りません。
あの者からは、ただ手土産とだけ。
中身については聞いておりません。」
正直に、答えるしかなかった。
適当な誤魔化しをすれば、後で禍を招きかねない。
文長は、「諭利」を知らなさ過ぎた。
「わざわざそんな偽物を用意するでしょうか。」
「我々を、試しているのかもしれませんよ。」
「なんの為にですか。」
不穏な空気が流れ始めた。
これ以上、面倒を背負い込むのは御免だ。
「開けて飲んでみましょう。
私はカグツチを味わったことがあるのです。」
香賀屋は云い、杯を八つ用意させた。
文長は、「カグツチ」という酒の存在を耳にしていたが、お目にかかるのは初めてだ。
本物、偽物、と議論する立場ではない。
朱色の組み紐の封を切って栓を抜くと、なにかの花の香りが、むっと漂った。
八つの器に酒が注ぎ分けられ、銘々が杯を傾けた。
酒は、軽やかに喉元を転がって胃の腑に落ちた。
そして、
「本物ですよ」
と香賀屋が云った。
「間違いありません。
カグツチには、
蜜の刃、そのひと雫で体が燃え上がる、これを一度味わったら、忘れるものではありません。」
🌸 五 失態
香賀屋は興奮ぎみに云った。
目には愉悦が表れていた。
貴重な酒を、二度も口にする機会を得たのだ。
香賀屋は続けて、朱国の御神酒に関する逸話を饒舌に語った。
酒が入ったことで、一同は文長を問い詰めるのをやめていた。
口々に感想を述べ合いながら、和やかに酒を味わっていた。
文長も、ほろ酔い加減になっていた。
造り酒屋である香賀屋の、酒に纏わる
「諭利、──といったね。」
文長はハッとして、杉田屋を見た。
ここにきて初めて、杉田屋が文長に質問をしていた。
「あの男は、何処からこれを入手したのだろう。」
「存じません。」
断言する文長に、因幡屋が怪訝な顔を向けた。
「知らないということがあるかい。
友人なら、見当くらいは付くだろう。
あの男が、どういった素姓の者かわかったうえで、私たちに紹介したのではないのかい。」
文長は言葉を失った。
あいつの下調べを念入りにしておくべきだった。
「はつはな」に呼び出したとき、あんな小細工をせずに、あいつとじっくり話しをしていれば、このような失態を演じることはなかった。
「──邑重の所へ、船の依頼があったそうですよ」
文長の次に若い坂井屋が口を利いた。
皆がいっせいに、そちらを向いた。
「依頼主の手紙を持って来た使いの男が、役者みたいな色男だったと言っていました。
あれは、何処かで邑重の嗜好を聞きつけた依頼主が、気を利かせて寄越した者だろう、とも言っていましたよ。
その男、『ゆり』と名乗ったそうです。」
「依頼主は誰だね。」
「泰国の、清張という商人です。」
そこで美濃屋が口を挟んだ。
「清張は、運送業を営んでいて、各国の主要な都市に店を置いています。
たしか、朱国の大社に多額の寄付をしていたはずです。」
「それで、諭利という男の店を足掛かりに、この国で商売を始めるつもりでしょうか。」
越後屋が云った。
文長の頭上を飛び越して、会話がなされている。
文長は蚊帳の外。面目は丸潰れだ。
──日吉め。
文長は腹の内で憎々しげに呟いた。
馬鹿にしやがって、恩を仇で返す気か。
俺に何の恨みがあるのだ。
こちらが恨みこそすれ、お前に恨まれる筋合いはない。
日吉を、昔馴染みだと紹介すべきでなかった──もとより、関わってはならない者だったのだ。
今でも、滝へ落ちる光景を夢に見る。
その度に、恐怖で身が縮み、目覚めると、ああ、夢であったか、と胸を撫でおろす。
あれは、飛び降りていいギリギリの高さだった。
普段、奴らが飛ぶ位置よりも格段に高い場所だった。
奴らは馬鹿だから、水は衝撃を和らげると単純に考え、死にはしないと囃し立てていやがった。
だが、あの高さでは水も地も同様だ。
一つ違えれば、身体は熟れた柿みたいにグチャグチャだ。
🌸 六 度胸試し
度胸だめし、などではなく、自殺行為だ。
あの性悪狐は明らかに、それを知っていた。知ったうえで、「死の崖」へと続く洞穴に、俺を押し込んだのだ。
滝の裏側から上へ登るための穴はいくつかあった。滝の裏側に入った経験のない俺は、どの穴がどこに通じているか知らなかった。あいつは平気な顔をして、俺に嘘を教えた。
地表に出た俺は肝を冷やした。謀られた、──と気づいたときは遅かった。川からの風が崖を吹きあがり、グラリと体が傾いた。瞬時、我が身が滝壷へ落ちて行く幻が脳裏をかすめた。背筋が冷え、睾丸が縮みあがった。
『あの時の恐怖に比べれば、これくらいは耐えられる』
そう、自らに言い聞かせ、叔父の店での修行中、辛く惨めな奉公にも耐えたのだ。
腹の底から、沸々と怒りが湧きあがっていた。怒り心頭の文長の耳に、旦那衆の会話は聞こえていなかった。
あいつに仕返しをしたい、──自分が味わった恐怖を、あいつにも味あわせてやりたい。俯いたまま、文長は日吉への呪詛を巡らせていた。
「あの男の身辺を、よく調べてみる必要がありそうですよ。」
一同は、神妙な面持ちで互いの顔を見交わした。不穏な空気のうちに、この日の句会はお開きとなった。
帰り際、銘々が土産をもらい受けると、一人土産のない者がいた。当然のように、七つの酒瓶を配り終えると、空の瓶が一つ残るのだ。
文長は、憮然とした表情で空瓶を箱に詰め、風呂敷に包んで持ち帰った。
🌸 七 遊山
数日して、文長は気分直しに西の町に行こうと思い立った。
この数日、文長は休暇返上で忙しく立ち回っていた。豊国に送った海産物の一部が、
諭利と「はつはな」で会い、女中に嘘をつかせて別れたあと、半刻もしないうちに、本当に店から使いがやって来た。それが、苦情の知らせだったのだ。
文長は、その日のうちに豊国行きの船に乗った。句会の前日に帰って来たので、諭利と、後日改めて会う機会をつくれなかった。考えるに、頭を悩ませる一連の出来事が、諭利と再会してから起きている。あいつが、不幸を呼び込んでいるように思えてならなかった。
文長はひどく疲れていた。だから、無理にでも休暇を取るべきだと考えた。悪い運気を断ち切るために、仕事から離れようと考えた。
──誉志乃のわがままに付き合うのも良いだろう。
山の斜面に咲く、薄赤色の石楠花を
まあ、誉志乃は、花よりも途中にある甘味処がお目当てのようだ。道の先に茶店を見つけたとたん、「さあ、早く」と文長の腕を取って
「急がずとも、菓子は逃げたりしないさ。」
童女のような誉志乃に、文長は苦笑した。
渓谷を眺められる位置に腰をおろし、店で一番人気の「みつ豆」を食べていると、川を隔てた向こう岸に、見知った人影が二つ、寄り添いながら流れて行くのを見た。
文長は思わず腰をあげた。あわて、橋の
間違いない。諭利が先に船に乗り、杉田屋に手を差しのべていた。段差で
文長は我が目を疑った。いつもは仏頂面の杉田屋が、目尻をさげ、頬笑みを浮かべているのだ。
「まあ、青い顔をして、どうなさったの。」
戻って来た文長を、誉志乃が心配そうに見あげた。
「なんでもないさ。」
文長は平静を装ったが、二人の姿が頭にちらつき、それ以後は遊山どころでなくなった。
🌸 八 人誑し
杉田屋と諭利が肩を並べて歩く姿は、あちらこちらで目撃された。
『杉田屋の連れている、あの男は何者だろう』
艶やかな黒髪の麗人の噂が、初夏の夜風に乗り、流れた。
杉田屋は、あの句会のあと諭利と連絡を取り、二人きりで会ったのだ。桃華会の者には知らせず、個人的に諭利を呼び出していた。
──あいつは俺を無視した。
杉田屋に会うのを諭利は事前に知らせなかった。桃華会の者たちに引き合わせたのは俺だ。会うなら会うと、報告をしておくものだろう。礼儀を知らぬ奴だ。恩ある者を
思えば、あいつは昔から人を
あいつの親父は旅芸人だそうだ。芸人は芸を売り体を売る。演技で人の目を惹きつけ、甘い言葉で惑わし、人を籠絡する手管に長けている。そうして、
お得意の下劣な手管で、杉田屋を籠絡したに違いない。乞食芸人の親父の血を受け継いで、仔猫みたいに足元に擦り寄り、図々しくも膝上にあがりこんだのだ。
文長の脳裏に、杉田屋の膝に頬を乗せ、髪を撫でられている日吉の姿が浮かぶ。日吉は得意気に頬笑みながら、
腹の底から、ドス黒いものが込み上げてきた。
──あのジジイに、
枯れ井戸を掘り起こし、水を湧かせてやったのか、あのジジイの萎びた魔羅を、手の平で注連縄みたいに太く
杉田屋、──上品ぶって座ってやがる、あのジジイ、君子
ああいう取り澄ました野郎に限って、閨房では、女みたいなよがり声を捻り出してやがるのだ。
🌸 九 弱味
『今まで
あいつはしおらしい顔をして、言葉巧みに近づいてきた。
『市蔵は頼みにならない。しょせん、
木陰で本を読んでいると、日吉がやって来た。文長の隣に座り、脈絡もなく股間を握り込んだ。
文長の陽物は、噂のようなお粗末な代物ではなかった。むしろ、他の奴らより大きいくらいだ。
両手に本を開いたまま、唖然としている文長を尻目に、日吉は下帯の中にまで手を差し入れてきた。そして、日吉はしたり顔をした。
文長は目を白黒させた。まさに
「片玉野郎、──」顔を寄せ、日吉は耳元で囁いた。「って、云われちゃうよね。」
文長は全身が総毛立った。フグリの中に二つあるはずの
「わかってるよ、」訳知り顔で日吉は云った。「タマは一つでも、ちゃんと役目は果たせるんだってね。──だけど、他の奴らは違うよ。あいつらは人をからかう材料さえあればいいんだ。だから、決して知られてはならない。」
蛇のように、日吉は目を輝かせた。
「大丈夫だよ、誰にも云ったりしない。二人だけの、秘密だよ。」
一番知られてはならない者に、知られた。
🌸 十 悪縁
人の性根はそう簡単に変わりはしない。優しげな外見になど騙されやしない。どんなに表面を取り繕っていても、俺は奴の性根を知っている。
文長は、諭利と杉田屋と、ついでに桃華会の者たちを一人ずつあげつらって罵り倒してから、気を静めて墨を擦った。
──たかが乞食芸人。
人に寄りかかって生きている輩ではないか。そうさ、その程度の奴なのさ。年老いて容色も衰えたなら、誰からも見向きもされなくなる。その時になって
文長は自らにそう言い聞かせ、気持ちを落ち着かせようとした。心に波風が立てば、またあいつに振り回されることになる。
この土地で商売をするには、地元で十年以上商売をしている身元の確かな保証人が二人いる。一人は杉田屋、もう一人は白浜屋、両名とも桃華会の者。申し分のない保証人だった。
達筆で、文長は己の名を署名した。
──これで憎いあいつと
あいつが何か不始末をしでかしたら、一緒に責めを負う羽目になる。いや、替わって責めを負うことになりかねない。
あいつにしても、味方が必要なはずだ。突き放すより、味方のふりをして側で監視している方が得策だ。
文長は皮肉げに口の端をあげた。
──これが悪縁というヤツだ、悪縁は絶ち
❀
櫻の国【月光】 諭利・帰郷 アマリ @10-amari-1
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。櫻の国【月光】 諭利・帰郷の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます