【捌】 舎弟



  一  舎弟  ─ しゃてい ─

  二  由来  ─ ゆらい ─

  三  邑重  ─ むらしげ ─

  四  軍港  ─ ぐんこう ─

  五  享楽亭  ─ きょうらくてい ─

  六  紫蝶  ─ しちょう ─

  七  憧れ  ─ あこがれ ─

  八  目標  ─ もくひょう ─

  九  師匠  ─ ししょう ─









🌸  一  舎弟  ─ しゃてい ─



 諭利の側に、と呼ばれる迅水組の若い者が座り込んでいた。

 諭利はテツに、「兄貴」と呼ばれ、付きまとわれている。


「兄貴、はやめてくれないか。

 知らない者が聞いたら誤解されてしまうよ。

 市蔵は友人だが、私は迅水組とは なんの関わりもないのだからね。」


「そう、つれないことを云わないでくださいよ。

 兄貴が組に乗り込んで来たとき、俺はあの場にいたんです。

 すっげえ早技で、あっという間にあいつらをのしちまうから、俺はすっかり兄貴に惚れちまいましたよ。

 どうぞ、兄貴と呼ばせてください。」


 諭利は少々意地の悪い顔つきをし、テツを見た。


「おまえの顔は覚えているよ。

 おまえは仲間がやられているのを、ニヤニヤしながら見ていたね。

 壁に寄りかかって、腕組みして、加勢をする気など露ほどもなかったよね。

 そんな奴に、兄貴だなんて呼ばれたくないね。」


「──いやあ、流石さすがです。

 あの大立ち回りの最中、そんな些細な事にまで目配りをなさっていたとは、感服です。

 俺は、兄貴の立ち回りがあんまり鮮やかで、芝居でも観ている気になっちまってたんです。

 そりゃ、仕方ないですよ。」


 悪びれもせず、テツは続けた。


「それに、俺はあのガキが、櫻家の三男だって知ってたんですぜ。

 あにいの言いつけをちゃんと守ってるんです。

 黙って見ていたのは、どっちに否があるかってのがわかっていたからです。

 あいつら、親分が留守なんで図に乗ってやがるんです。

 威張りくさって命令してきやがって、どっかで痛え目にあえばいいと思っていたところです。


 ハッ、あいつらめ。

 束になっても兄貴ひとりに敵わねえ。

 兄貴があいつらを打ち倒していくのを見たら、こう、胸がスカッとしましたぜ。」


 諭利は呆れ顔で、テツの話しを聴いていた。


「兄貴、──兄いが酔うと、決まって兄貴の名があがるんです。

 日吉は誰に対しても一歩も譲らねえ、肝の据わり方が半端じゃねえ、──て、武勇伝を色々と聞いてますぜ。

 どんな野郎だか一度会ってみてえと思ってたんです。

 お会いできて光栄です。

 正直、こんな色男だとは思いもしなかった。

 ご本人が、『俺が日吉だ』と名乗っても、あの立ち回りを見なけりゃ信じられないところです。

 悪い意味じゃないんです。

 これほどの色男で、腕まで立つとあっては、ここいらの女は皆、兄貴に持って行かれちまいます。

 そら、今だって女共がこちらを窺ってるくらいです。

 俺だって、女に生まれてりゃ、兄貴のオンナになりたいですよ。」


 堅太りの体格で、額にぷつぷつと面皰にきびの目立つ少年の顔をながめ、諭利は苦笑した。


「あい、わかった。

 ここの酒代は私が持とう。

 の若い連中の分もな。」


 テツの顔が ぱっと明るみ、ヒュウと口笛を鳴らした。

 テツは立ちあがり、得意気に仲間たちに呼びかけた。


「おい、──そこの野郎ども、喜べ!

 このお方が、てめえらの酒代を支払ってくださるそうだ!」







🌸  二  由来  ─ ゆらい ─



 後ろで駄弁だべっていた、十数人の若者の目がいっせいにテツに集まり、オオッと歓声をあげる。


「ちゃんとお礼を云えよ。」


「ありがとうございます。」


「ごちそうさまです。」


 溌剌はつらつとした声が飛び交う。

 十七、八歳の少年たちは満面の笑みで、諭利に礼を述べてゆく。

 テツは両手をあげ、よしよし、と満足気にうなずく。


流石さすが、デキる男は気前もよくていらっしゃる。」


 テツは座りなおすと、ごちになります、と言い、ぐい呑みを目の高さまであげた。


「テツ、おまえの名は なんというんだい。」


鉄児てつじです、──で結構ですよ。

 兄貴はどちらで呼びますか? あのガキは『諭利』、市兄いは『日吉』と呼んでいる。」


「兄貴、以外ならどちらでも。」


さん。

 こちらの方が都合がいいんでしょ?

 百合、──花の名ですね。

 大輪の真っ白い綺麗な花、──まさに『名は体を表す』のとおり、兄貴にお似合いですよ。」


 諭利、という名は、芙啓に名づけてもらった。

 国を発つとき、新しい名を得て出直したいと思ったのだ。


 芙啓は申し出を受け入れ、ゆったりと墨を擦りながら思案した。

 やがて筆を取ると、一陣の風の如く軽妙な筆運びで、紙の上に「諭利」と記した。


「ゆり、と読むのだよ。」


 芙啓は云い、和やかに頬笑んだ。

 ゆり、──と、日吉は半紙の文字を眺めながら、その名を胸に刻んだ。


「有り難う、ございます。」


 諭利は、芙啓に深々と頭をさげた。


 名に込めた意味を、あえて芙啓は語らなかったし、こちらも訊きはしなかった。

 芙啓が与えてくれた名、どんな名でも異論はなかった。


 花の名、真っ白い百合の花、──テツが何気なく言った言葉から、心に閃くものがあった。

 ああ、そうか、と腑に落ちた。

 先生は耶蘇教を信仰している。

 白百合は聖母を象徴する花。

 旅立つ子の前途を想い、聖母の祝福があるようにと祈りを込めてくれたのだろう。


「ありがとう。」


 諭利はテツに礼を述べた。

 大切なことを気付かせてくれて、──ありがとう。


 諭利に、愛しげな眼差しを向けられているものだから、テツはわけもわからず、とりあえず笑った。


「兄貴が、──さんが住んでいた頃とは、街並みもずいぶん変わっているでしょう。

 よその国の人間が入り込んで、近頃は御店おたなの入れ替わりも激しいんです。

 俺は、そこんとこの事情にちょいと詳しいんですぜ。

 色々とお役に立てると思います。

 なんでも言いつけてくださいよ。」


 テツは、空になった諭利の猪口に酒を注ぎながら、上目遣いにニヤリとした。


「──それでは。

 船大工の邑重のことを詳しく訊かせてくれないだろうか。」


 今度は、諭利がテツの ぐい呑みに酒を注ぎながら、そう言った。


「邑重、……ですか。」


 テツは何故だか眉間に皺を寄せ、語尾を濁した。







🌸  三  邑重  ─ むらしげ ─



「知り合いがね、邑重に商船を依頼したいと言っているのだよ。

 国へもどるときに、私はその人から、邑重ての手紙を預かって来たんだ。

 会う前に、どんな人なのかを知っておきたくてね。」


「そういうことですか。」


 険しいテツの視線が少し和らいだ。


「はじめに造船所を訪ねたとき、邑重は磐居いわ島に居る、と言われた。

 いつ帰るかわからないという返答だったから、日をあらためて行ってみたけれど、邑重は留守だった。

 手紙は対応に出た者へ預けて、読んだら連絡をしてくれるよう頼んでおいた。


 テツ、邑重が磐居島でなにをしているか、噂を聴いていないかい?」


「磐居島でなくて、石飛島のほうでしょう。

 邑重のところは、豊国の軍船の整備を請け負っているんで、島には頻繁に行き来しているんです。

 対応した者も、豊国の軍事機密だとかで、詳しいことを話さなかったんだと思います。」


 豊国の海軍は、珠国の防衛のため、と称し、無人の石飛島のひとつに軍艦を停泊させる港を造っていた。


 テツは答えてから間を置き、いや待てよ、と呟いた。

 思い当たるふしがあるようだ。


「磐居島では、社の修復をしている最中なんです。

 先日の時化しけで、折れた杉が山から吹っ飛んで来て、社の屋根に大穴を開けたそうです。

 それで、本土から大量に木材を運び込んでいるんです。

 豊漁祭のときに、『御神体』を運ぶ船があるでしょう。

 かなり古くて、いたみが目立つから、ついでに補修するのだと聞きましたよ。

 そのことで邑重が呼ばれたんじゃないですかね。

 豊漁祭も間近ですから、遅くとも半月後には帰ってきますよ。」


「そうか、磐居島では押しかけて行くこともできないね。」


 磐居島は「神が御座おわす島」で、島自体が御神体でもある。

 如何なる者も、明確な理由がなければ出入りできない決まりである。

 島には神殿があり、二百余人の巫女が暮らしている。

 磐居(祝)島は、別名「竜宮」と呼ばれている。

 宮司は、代々王族の女が勤めている。


「それで、どんな人なんだい? 邑重は。

 気に入った者の仕事しか請けない、なんて話を聞いたから気難しい方なんだろうね。」


「事情があって、仕事を制限しているんですよ。

 儲けより、弟子を育てることに重点を置いているんです。」


「邑重は、たしか四十路を少し過ぎたくらいだよね。

 急いで弟子を育てなきゃならない理由があるのかい?」


「今の邑重が名を継いだのは八年前です。

 先代の邑重の子は、娘ばかりが四人、だから職人の中から優秀な者を長女の婿にしていたんです。

 ところが、なにを思ったか先代は、亡くなる半年前に今の邑重に名を譲ると表明したんです。

 先代は、己の死期を察していたようです。

 一方、自分が名を継ぐと思っていた娘婿は寝耳に水、当然 面白くない。

 身内の者も、『血の繋がらない よそ者に身代を渡すなど、もっての外』と大騒ぎです。」







🌸  四  軍港  ─ ぐんこう ─



「周囲は、思いなおしてくれ、と、ずいぶん説得をしたそうですが、先代は頑として譲らず、強引に跡継ぎを定めたんです。


 こうした騒動のあと、先代が亡くなると、娘夫婦は別に造船所を建てました。

 職人のほとんどがそちらに移ってゆき、そのうえ、先代からの繋がりの、政府の御用船の請け負いや、地元の漁船の受注なんかをごっそり持っていったんです。

 邑重の手元に残ったのは借財だけで、造船所も潰れかかる寸前だったらしいですよ。」


「酷い話だね。」


「兄貴はご存じないかもしれませんが、その頃、豊国の海軍が、磐音島に戦艦を停泊させる港を造る、といって、国の間でがあったんです。

 そのとき俺は九歳ここのつで、当時の状況を鮮明に覚えているんですがね。

 朱国の漁師たちが、島の周りに船を巡らせ、船と船を板で繋ぎ、夜も火を焚いて、豊国の船を島へ入れさせまいとしているんです。

 本土こちらから、火の中に島が、ぼうっと浮きあがっているのが見えて、なんだかこう、祭りのように、異様に駆り立てられる心待ちでしたよ。

 戦争ドンパチが おっぱじまるかもしれねえ、──そんな恐ろしさと、祭りのような興奮に包まれて、都中が騒然としていました。」


 じつは、両国の間で、磐音島に軍事基地を置く話しは、ほぼ決まっていた。

 それに唯一、異を唱えたのが櫻周だった。

 櫻周は島の住人と本土の漁師たちに協力を募り、基地の建設を断固拒否をする姿勢を取った。

 そうした一方で、豊国側に交換条件を提示し、粘り強く交渉を続けたのだ。


 豊国を相手に唯ひとり、強固な態度を示した櫻周は、民衆の支持を得ることとなった。

 そこから櫻周は、飛躍的な珠国の改革へと乗り出していくのだ。


「結果、無人の石飛島に港を造ることで落ち着いて、その場は何事も起きずに済んだんですがね。


 で、軍船が停泊するとなると、燃料の補給やら、船の整備なんかも必要になるわけですよ。

 軍船の整備は割のいい仕事なんだが、があったあとなんで名乗り出る者がいない。

 そこに手をあげたのが邑重です。

 大恩のある先代の造船所を潰すわけにはいかず、背に腹は替えられない。


 それと、いつまでも娘夫婦といがみ合っているのはよくないからと、邑重は、先代の孫に名を譲りたい、と申し出たそうです。

 邑重は窯国の人間で、いづれ窯国に戻って自分の造船所を持ちたいと考えているようですよ。

 そのために、次代つぎの邑重を育て、邑重の下で働く職人を育てているようです。」


「邑重は、窯国に身内がいるのかい?」


「いえ。

 邑重の親兄弟は、山津波やまつなみで死んでいます。

 集落は土砂に埋まり、半分以上の者が死んたり、いまだに行方知れずでいるらしいです。

 幼い邑重と、余所の土地に嫁いでいた姉だけが無事だったそうですが、その姉も、一昨年の暮れに亡くなったそうで、去年の春に、邑重は遺品を取りに国に帰っています。」







🌸  五  享楽亭  ─ きょうらくてい ─



「以前から、邑重は親兄弟の命日が近づくと、年に一度の長い休みを取って、郷里に帰ることをしています。」


「邑重は、珠国に知り合いでもいたのかい?」


「いなかったようです。

 先代に弟子入りするために、十歳とおでこの国に渡って来たと聞いています。

 その時の邑重は、片言も話せなかったそうです。」


「誰も知り合もいない、言葉も通じない土地に、よく飛び込んで来る気になれたものだね。

 今 聞いた話しだけでも、大変な苦労をしているようだしね。」


「まあ、そうですね。

 苦労はしているでしょうね。」


「どうも歯切れが悪いね。

 邑重に、なにかあるのかい?」


「邑重には、まあ、なんというか、……色々とありましてね。

 たちの悪い奴が背中にひっついてやがるから、あまり深く関わらない方がいいですよ。」


「たちの悪い奴、──とは?」

享楽亭きょうらくていの店主の紫蝶しちょうって野郎です。

 女物の着物を着て、のうの翁面みてえな皺顔に、念入りに化粧をほどこした、気色の悪いジジイです。

 こいつは、邑重と同じ窯国の人間で、西の、白虎系の不知火しらぬい組と繋がっています。

 窯国から入り込んでいる やくざまがいの商人とつるんで、怪しげな商売をやってやがるんです。」


 珠国の西には、窯国との交易の拠点となる港町がある。

 町には窯国の者が多く移住しており、両国の風俗が入り混じった独特の文化を形成していた。


「邑重は、紫蝶の『御稚児さん』だったんです。

 その、──つまり、邑重と紫蝶はそういった仲で、会うのはお勧めできません。」


「どうして?」


「兄貴はお美しいから、面倒なことになりはしないかと。」


 テツは、諭利が男色家である邑重の目に留まりはしないかと、危惧しているのだ。


「そんな心配をしてくれるのかい。」


 諭利は笑い、少々悪戯っぽい顔でテツを見返した。


「人にはね、好みヽヽというものがある。

案外、おまえのような活きのいい、若いがよかったりするかもね。」


 テツは即座に顔を歪め、身震いした。


「よして、くださいよぉ。」


「で? 享楽亭はどんな店なんだい。」


「主に、貴族や学者連中の集まる、ちょいと気取った店です。

 一階が飲食店で、地下は賭場になっています。

 給仕は二十歳はたち前の男女で、美形揃いと評判です。

 享楽亭は、気に入った給仕を二階にあげて愉しむことができるんですよ。

 一刻が一分いちぶ、一日買い上げが三両、人気の者になると値もあがる。

 床あしらいも上手なんだそうです。」


「詳しいね。

 おまえは店に入ったことがあるのかい?」


「ありませんよ。

『一見、お断り』ですし、あそこは西の奴らが仕切ってますからね。」


「それと、」──と言って、テツは声をひそめた。


「なんでも、享楽亭のお得意さんには、この国の高官連中がいるらしいんです。そいつらの相手は、たとえば士族の奥方だったり、貴族の令嬢だったりするそうですよ。」







🌸  六  紫蝶  ─ しちょう ─



「高官たちは秘密を握られていて、紫蝶に色々と便宜を図ってやってるそうです。」


 享楽亭は八年前の大火事のあと、更地となった歓楽街の中央付近に店を移した。

 紫蝶は三十年ほどまえ、西の港町から都に出て来たときにも、今の場所に出店を考えていた。

 相場より高い値を提示したので、地主は紫蝶に土地を売る気でいた。

 ところが、思わぬ人物から妨害を受けた。

 地元の名士であるその男は、「近頃、よそ者が土地を買いあさっているが、よそ者は利益を求めるばかりでろくな商売をしない。」怪しげな者に、土地を売るべきではない、と反対した。


 紫蝶は、蛇のように執念深く、決して恨みを忘れなかった。

 そして八年前、紫蝶の願が通じたように、火事で街は消失し、長年恨みを抱いていたその人物も、上手い具合に病死してくれたのだった。


 諭利は目を細め、猪口の縁を眺めながら考えていた。


 ──なるほど。


 たしかに、邑重とは深く関わり合わない方が良さそうだ。

 たとえ当人の人格に問題がなくとも、付き合う人間がこうもきな臭いとあれば、面倒に巻き込まれる確率も高くなる。

 だが、交渉は他でもない、吟仙(清張)から請けたもので、対面は避けられない。

 けれど、そう考える一方で、邑重と会話をしてみたい、という想いもある。


 危ういものに興味を惹かれるのは、私の悪い癖、──と、諭利はひそかに苦笑する。


「兄貴、俺に喧嘩のやり方を教えてくださいよ。」


 テツは唐突に、こう切り出してきた。

 はじめから、それを言う機会をうかがっていたようだ。


「俺は、強くなりたいんです。」


 諭利は冷静に、テツの目を見つめて言った。


「私は、おまえが期待しているほど、喧嘩が強くないのだよ。

 市蔵から、なにを聞いているかは知らないが、酔っ払いの話しは五割増しだ。

 話す度にどんどん大きくなるから、真に受けてはいけないよ。」


「──でも、兄貴はあいつらを あっという間に倒して見せたじゃないですか。」


「テツ、おまえはさっき、『芝居でも観ているようだった』と云ったね。

 たしかに、あれは芝居だ。

 高く跳んだり、宙返りをして見せたり、あれは人寄せの大道芸だ。」


 テツが、納得しかねる、といった顔でいるので、諭利は説明を足した。


「最初に、私は上着を使って大きな音を立てた。

 予測できないことに、敵は怯んで萎縮した。

 そうして目くらましが効いている間に、私は不意打ちを喰らわせていった。


 二度は使えない手であるし、戦いの玄人くろうと相手には、通用しない小細工だ。

 あの場では仕方がなかったが、私は面倒に出くわしたら、の一番に逃げることにしているよ。

 すたこらさっさ、とね。

 私が自慢できるのは、逃げ足の速さくらいだ。」


 こう言っても、テツは納得いかないようだ。


「なあ、おまはなんのために強くなりたいんだ?」


 テツは真剣な目で諭利を見返した。


「俺は、兄いに認められたいんです。」







🌸  七  憧れ  ─ あこがれ ─



「兄いは、俺をに入れたくないようなんです。

 ──ああ、組には十八歳になるまで入れない決まりがあるんですよ。

 俺は十七なんで、まだ見習いです。

 俺の心はとっくに決まっていて、どこまでもついて行きますぜ、って、兄いには言ってるんですが、そのたんびに、兄いは険しい顔で、一生のことだ、良く考えろ、なんて白けたことを言うんです。

 俺についてこい、って一言が、どうして言えないものなのかと、じれったくなりますよ。」


 市蔵に「おまえはなぜ、やくざ者になりたいのだ」と問われ、鉄児は迷わず、「弱い者を助けたいのだ」と答えた。

 弱きを助け、強きをくじく、──それがおとこってもんだ。

 鉄児は、そうした心意気を市蔵の姿に学んだのだと、諭利に熱く語った。


 市蔵は他の奴らと違う。

 虚勢を張らず、雲のように飄々としている。それでいて、押さえどころはきっちり押さえる。

 ひねて斜に構えているのでなく、弱い者にはスッと手を差し伸べる優しさを持つ。


 この男になら命を預けられる、──鉄児はそう感じたのだ。


「ところが兄いは、人助けをしたいのなら役人になれ、と言うんです。

 役人なんて、悪い冗談ですよ。」


 吐き捨てるように、テツは言った。


「以前にね、付け火騒ぎがあって、俺らも見回りをしていたんです。

 兄いが、なんだか様子のおかしな奴を見つけて、つけて行ったら案の定、そいつは放火をしかけていたんです。

 なんと捕まえたその野郎は、役人だったんです。

 訊けば、上役に いびられていて、むしゃくしゃしてやった、なんてかすんですよ。

 そのうえ、そいつをしょっぴいて行った見回り役人は、兄いの手柄を横取りしちまいやがったんです。

 その役人ってのが、本当にダニみたいな野郎で、人の弱みを調べあげ、黙っていてやる代わりにと、金をせびるんです。

 強請ゆすりの相手がちょっと綺麗な女だったりすると体の関係を迫る、──こりゃ、腐ったやくざ者の手口ですよ。

 役人の登用には、現役の役人が、身内や知人に手心を加えるなんて当たり前だ。

 頭ん中は保身だけ、そんな連中が体を張って他人を助けをしようなんてしませんよ。」


 どこの世界にも、性根の腐った奴はいる。

 反対に、信念を持ち、世の中の為に尽くそうとする者もあるはずなのだ。

 鉄児は、やくざ者になりたいのではなく、市蔵になりたいのだ。

 市蔵が役人であれば、周りがどんなに卑劣な奴ばかりだったとしても、役人になることを望んだだろう。


『人助けをしたいなら、役人になればいい』


 至極、当たり前のことだ。

 しかし若い者は、腕っ節の強さひとつ、肩で風を切って歩く者に憧れる。


「テツ、やくざ稼業は慈善事業ではない。

 そのことを、市蔵は伝えたかったのだろう。

 渡世人には渡世人の掟がある、──入るのは容易だが、抜けるのは難しい。


 私も、おまえが組に入るのは勧めないね。」







🌸  八  目標  ─ もくひょう ─



「覚悟のうえです。

 俺は兄いを助けたいんです。

 兄いは組の中でも敵が多いから、力になりたいんです。」


 テツは、諭利を一心に見返した。

 利かん気な性格がよく表れている。

 こんな目をした若い奴は、血気に はやって命を落としてしまいがちだ。


 中にはその世界でしか生きられないという者がいる。

 けれど、鉄児はそうではない。

 口も達者なようだし、なんでも要領よく こなしてしまう奴のように見える。

 そんな奴なら、わざわざ やくざ者になる必要もない。

 市蔵も、そう考えているのではないだろうか。


 幼い頃に 両親ふたおやと死に別れた市蔵は、「親を泣かせることをするな」が口癖だった。

 迅水組が商団の始末に乗り出して来たとき、覚悟の決まっていない奴は足手まといだという理由で、市蔵は仲間を少しずつ切っていった。

 市蔵は、仲間のそれぞれの性格や背景を良く知っていた。

 末端の者にまで気を配っていた。

 だから真っ先に、病の親を持つ者や、幼い兄弟を養っている者を、沈みかけた船から降ろしていったのだ。


 非情になれないのが市蔵の弱点だ。

 たが、そんな男だからこそ、少年たちは市蔵を慕う。

 血気盛んな愚連隊が、どうにか纏まっていられたのは市蔵の存在に依るところがおおきい。


 今でも、人助けをしたい、なんて青臭いことを語る、こうした若者がくっ付いている。

 市蔵が、昔とあまり変わっていないという証拠だ。


「テツ、おまえには家族がいるのかい?」


「両親と、姉が一人。」


 市蔵は器用だから、その気になれば他の道を選べたはずなのだ。

 市蔵が渡世人の世界へ足を踏み入れたのは、結局、「何処にも行く宛てのないあぶれ者」の仲間のためだろう。

 諭利は、鉄児が渡世人になるのは勧めないが、市蔵の力になりたいという気持ちは、ありがたいと思う。


「私には、死んで悲しむ親兄弟がいなかった。

 それで、後先考えずに無茶なことができた。

 己は万能であると勘違いし、境を踏み越え、仕置きをされた。

 昔は、喧嘩が強いのをちょっとばかり鼻にかけていた時期もあったが、それも思い上がりだったと知ったよ。


 旅をしていて、強い男に出逢った。

 腕力も、気構えも、到底 適わない男たちに会った。

 戦に明け暮れ、生と死のぎりぎりのところで凌ぎを削る、──私には、そうした生き方はできないと知った。

 十年余り放浪し、私は様々な男の生き様を目にした。

 そして、私がどう生きるべきか、見えてきた。

 私が目標とする人は、案外 近くに居た。

 近すぎて、その人の大きさに気付かなかった。

 腕力を誇るばかりが男ではない。

 木のように どっしりと根をおろし、ただ静かにそこに在る、──私が目指すのは、そんな男だ。」


 あまり説教くさいことを言っても、若い奴には耳障りなだけだ。


「お前と知り合ったのも何かの縁。

 私は腕力が弱いから、覚えておけと言われてね、体術を教わった。

 どうだい? 習う気があるかい。」







🌸  九  師匠  ─ ししょう ─



「ああ兄貴、よろしくお願いします。」


 テツはしつこくと呼び続けている。


「これからはだから、お師匠さん、と呼ぶんだよ。」


「わかりました、お師匠さん。」


「よろしい。」


 兄貴、と呼ばれ続けよりはマシだ。

 それに、「師匠」という響きは、ちょっとだけ心地よい。


「いいかい、誰かになんの師匠だと訊かれたら、『踊りを習っている』と答えるんだよ、わかったね。」


「はい、お師匠さん。」


 大道芸だろうがなんだろうが、諭利が奴らを倒したのは事実だ。

 喧嘩は頭でやるものだと、いつだったか市蔵あにいも言っていた。

 実戦は臨機応変、お行儀よい、お坊ちゃんの棒振り遊びとは違うのだ。


 ──俺は、あんな無様な姿を晒さない。


 テツの頭には、対照的な二人の姿が焼き付いていた。


 市蔵が語った日吉の真骨頂は、匕首どす捌きにある。

 匕首の使い方を日吉に教わったと、市蔵は云った。

 あの夜、──諭利が匕首を手に政次と対峙したとき、これからといった肝心な場面で、市蔵は『待った』をかけた。

 もしも政次が敗れることにならば、迅水組の面子メンツが潰れる、──そう考えたのだろう。


 体術を教えてやると言ったからには、諭利はそのうちに匕首の使い方も教えてくれるはず、──そう、テツは期待している。


「ねえ、お師匠さん。

 あのとき、あの野郎になんて言ったんですか? ──ほら、頬に傷の。

 野郎の首に刃を突きつけて、なんだか耳打ちしてたでしょう?」


 諭利はテツを見て、ちょいちょいと人差し指を動かし、耳を貸せ、の仕草をした。

 テツは顔を寄せた。


「鈴口に、切れ目を入れて、素手で二つに割いてやるぞ。」


 テツが内容を理解できていないようなので、説明を足した。


「おまえの魔羅を縦に割く、──と云ったのさ。」


 ゾワリと総毛立った。

 諭利の目に点った光に、身の危機を覚え、テツは離れようとした。

 そうして、後ろに体を引いた拍子に、ガツンと膝を台にぶつけてしまった。


「はったり、さ。」


 諭利は微笑し、猪口ちょこに唇をつけた。


 テツは座り直しながら、複雑な顔つきでいる。

 台の下では、守るように股間に手が添えられている。

 首に小刀を当てられていた あの野郎は、さぞや肝を冷やしただろう。


「話を聞かせてくれて、ありがとう。

 そろそろ帰るよ。」


「え? もう、お帰りですか。」


「可愛い子が、帰りを待ってくれているんでね。」


 その言葉に、テツは遠慮がちに小指を立てる仕草をする。

 諭利の口許に苦笑が浮かぶ。

 それで、すでにねんごろな女がいるものと、テツは勝手に解釈した。


 テツの思い描いていた人物と、諭利は随分と違っていた。

 ツンと取り澄ました いけすかない野郎かと思いきや、気さくに話しができる相手とわかり、うれしかった。


 艶やかな黒髪を靡かせて諭利が去って行く。

 人波のなかに、凛とした後ろ姿が白く浮き立ってみえている。


 立てば芍薬、座れば牡丹、──と胸の裡に呟き、テツは夜風に言葉を乗せた。


「歩く姿が、百合の花。」







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