【肆】 力比べ



  一  力比べ  ─ ちからくらべ ─

  二  神酒  ─ しんしゅ ─

  三  忠告  ─ ちゅうこく ─

  四  面影  ─ おもかげ ─

  五  力量  ─ りきりょう ─

  六  人相書  ─ にんそうがき ─

  七  代理  ─ だいり ─

  八  銀細工  ─ ぎんざいく ─

  九  霊魂  ─ れいこん ─









🌸  一  力比べ  ─ ちからくらべ ─



 市蔵は、その腕に諭利を迎えいれた。

 ふたりは互いに、左手を相手の肩に回し、右手を相手の臀部にあてた。

 市蔵の手は諭利の尻の肉を鷲掴み、ぎゅうぎゅう握り締めていた。

 諭利も同じように指に力を込めている。

 市蔵の顔は、強がって無理に笑みを造ろうと歪んだ。

 これは、少年の頃にやっていた、挨拶がわりの「力くらべ」なのだ。


 諭利が手の力を抜くと、二つの体はスッと離れた。

 イテテ、と市蔵は尻をさする。


「おまえって奴は、十年以上もナシのツブテだ。

 まあ、おまえのことだから、何処かでしぶとく生きているとは思っていたがな。


 ──で、いつ帰ったんだ。」


「二十日ほど前になる。

 おまえに会いに来ようとは思っていたが、色々とあって挨拶が遅れてしまったよ。」


「──お二人は、知り合いだったのですね。」


 諭利は、ここに市蔵がいるとわかっていた。友人に会いに来るのだから、なんの気負いもないわけだ。

 それに、諭利は あっという間に二十人ちかい荒くれ者を蹴散らしてしまうほどの腕だ。

 加勢など必要もない。

 守ってやる、と意気込んでいた己が恥ずかしい。

 師範に ちょっと褒められたからと得意になっていたことが、とても恥ずかしい。


 沈んでいる承へ、諭利が囁く。


「すみません、承様。

 あなたの好意が嬉しくて、黙っていたのです。

 悪気があってのことではありません。」


 市蔵は承に向き合った。


「挨拶が、まだでしたね。

 お初にお目にかかります、櫻承おうしょう様。

 俺は、この区域を仕切っている迅水じんすい組の市蔵という者です。

 宜しければ、お見知りおきを。」


「承です。

 こちらこそ、挨拶が遅れました。

 あなたが、あの者たちを煽動していたのでないことはわかりました。

 ですが、縁環での行為は、今に始まったことではないでしょう。

 一度注意をしたからといって、素直に聞き入れるとは思えません。

 あなたが責任を持つというのなら、どうぞ監視の手を緩めないでください。


 生意気を言うようですが、お願いします。」


「わかりました。

 ご忠告、肝に銘じます。」


「──市蔵、土産を持ってきたよ。

 湯呑みと皿を貸しておくれ。」


「おい、テツ! 湯呑みに皿だ。」


 へい、と威勢よく立ちあがった者は、先ほど口笛を鳴らした少年だ。

 諭利は、紐で結わえた包みを解いて広げた。

 中身は鈍い光沢を帯びた肉の塊だ。

 諭利は、懐から小刀を取り出し、手際よく肉を端から薄く切り分けて皿へ乗せた。


「猪肉の燻製です。

 これを承様に味わっていただきたかったのです。

 どうぞ、お召し上がりください。」


 平皿の上に、肉は波のような形状で折り重なり、美しく飾られていた。

 端の肉を摘んで、承は口に入れた。

 諭利は皿を台におき、酒の瓶を取った。

「市蔵、」と、諭利が促すと、市蔵は湯呑みを差しだした。


 酒は芳醇な香りを漂わせ、トクトクトク──注がれる音も美味そうだ。







🌸  二  神酒  ─ しんしゅ ─



 市蔵は波々と注がれた酒をこぼさないよう、一啜りしてから上向きにクイッと流し込んだ。

 喉仏が、ごくりごくりと上下する。

 市蔵は目を閉じ、腹の底へ落ちていく清流に身をゆだねた。


「ああ、染み渡る。

 目が冴えるぜ。」


 云って、市蔵は諭利に湯呑みを差しだした。諭利は、二杯目を市蔵に注いでから、承の湯呑みに半分ほどそそいだ。

 燻製が気に入ったようで、承は遠慮がちにも、すでに数枚口にしている。


「この肉は美味しいですね。

 塩の加減が良く、噛むと ほんのり香りが口に拡がります。

 これは、桜の香のようですが。」


「ええ、この肉は、桜の木片を使って燻しているのです。

 桜の香が肉の臭みを消し、風味づけをしています。

 肉の血抜きに使用されている塩は、南の町の塩田で造られたものなのですよ。

 塩自体の味もまろやかですが、桜の香りと相まって、肉の旨味を更に引き立てています。


 その酒と、よく合うはずです。」


 承は得心したふうで、機嫌よく湯呑みの方にも口をつけた。


「日吉、お前も飲みな、遠慮はするなよ。」


 市蔵は、諭利から酒瓶を取り、その手に湯呑みを持たせると、自分が振る舞うような調子でそそいだ。


「これは凄いな、……」


 承が感嘆の声を漏らした。


「喉が火の道になったように、瞬時にカッと体が熱くなりましたよ。

 火が流れ消えた後、身の内に力が漲ってくるような心地です。

 私は酒類には詳しくないのですが、この国にはない、ふしぎな味わいの酒ですね。」


「これは、朱国の酒です。

 朱の皇室が、神事のために特別に醸造している酒なのです。

 水田の周囲は、呪符を編み込んだ注連縄しめなわが張られています。


 収穫された米を五割がた削り、真珠の粒のように真っ白にするのです。

 それを杜氏とじである神官が仕込みをし、酒蔵で一年かけてゆっくりと熟成させるのです。

 公儀には『御神酒』と呼ばれますが、ちまたでは『カグツチ』の名で知られております。

 巫女が、神をおろすときに使用するもので、純度が高く、酔いが回るのが早いのです。

 喉越しの良さから つい飲み過ぎると、後で必ず足にきますからご注意を。

 少し含んで間隔をおき、酔いの回り具合をご自分で確かめながらお飲みください。


 実際に、神事に用いるときには、この酒の中に ある薬草を混ぜるそうです。

 それを飲んだ巫女は、三日三晩疲れを知らずに踊り続けるのだといいます。

 しかし、それには凄まじい体力の消耗を伴い、しばらくは魂が抜けたような状態が続くそうです。

 薬草には幻覚を見せる作用があり、誤って口にした者は恐ろしい幻に憑かれ、泡を噴きながら狂い死ぬといわれています。


 酒に混ぜる薬草はごく少量ですが、服用を続けるうちに、巫女は平時にも幻を見るようになり、食も受けつけず、痩せ衰えて死んでゆくそうです。」







🌸  三  忠告  ─ ちゅうこく ─



「こうして、国中から選りすぐられた見目麗しい童女たちは、二十歳まで生きることなく生涯を閉じるのです。

 選ばれて神に召されるのは、栄誉であるのでしょうが、それは人として幸せなのかと、つい考えてしまいます。


 巫女の亡骸は、黄泉に通じるという沼に沈められます。

 沼には羽根の生えた白蛇が棲んでいて、巫女の死肉を食らい、魂を黄泉へと運ぶと伝えられています。

 もちろん、この酒には薬草など入ってはいませんから、ご安心ください。」


 そう言って、頬笑みながら湯呑みに口を付けた。


「日吉、政次が、──あの、さっきおまえとヤリ合ってた野郎だが、おまえのことを芸人と呼んでいたよな。

 縁環で芝居をしていたとかナンとか。

 お前は芸人になったのか。」


 いや、と、酒を含んだばかりで口がきけず、諭利はヒラヒラ手を振った。


「ほんの手慰みでやっていたまでだ。

 けれど、っているうちに楽しくなってね。

 調子に乗ってしまったよ。」


「諭利さんの演技は、それは素晴らしいものでしたよ。

 常連さんもいて、私も楽しみにしていたのだけど、あんな事になってしまって。……

 明日も見ようと期待していた人たちはガッカリしたでしょうね。


 どうです?

 これで一件落着したのだし、誰に憚ることもありません。

 もう一度、始めてみてはいかがですか。」


「ありがとうございます。

 考えてみましょう。」


 すでに、梅の花は散ってしまっただろう。

 芝居の真似ごとをして遊ぶのも、この遅咲きの梅が散るまで、と決めていた。

 店を始める準備もあるので、もう遊んでいる暇はない。

 けれど、あんまり承が熱心なので、あえて否定はしないでおいた。


「承様、一つご忠告いたします。」


 随分と諭利にご執心らしい承を見て、市蔵が口を挟んだ。


「この男の、容貌みてくれに騙されてはいけませんよ。

 こいつは本当に悪い男なんです。

 俺もこの男の毒気に当てられ、いまでは有り様です。」


 市蔵は哀れみを誘う声音で言い、恨めしげに諭利を見ていた。

 諭利は苦笑いしながら承に視線を合わせ、信じないで、と首を横に振る。


「少し、昔ばなしをしましょうか。……」


 市蔵の、鷹のように鋭い目が、皮肉げな笑みを漂わせ、承を見据えていた。

 その浅黒い肌の色は、精悍な顔を際立たせていた。

 市蔵は中肉中背だが、痘痕面の政次と同じく、人を威圧する空気をまとっている。


 この男が、一串の団子を分け合って食べていた仲間なのだ。


「当時、俺たちはここら辺をうろついていたガキを集め、商売をしていたんです。

 ガキに正規の商売ができる道理はないので、言わずもがなの闇取引です。

 俺たちのまとめ役は、初音はつねという女でした。

 十七の娘ですが、頭は切れるし気っ風がイイ。

 狡猾な商人とも対等に渡り合う、──その上、道を歩けば誰もが振り返る美形です。

 俺たちの女神だったんです。

 それを、この男が連れて逃げてしまったんです。」







🌸  四  面影  ─ おもかげ ─



「仲買人を通さず、品物を安くさばいていた。

 俺たちの商売は、正規に商いをしている者たちの怒りを買い、初音は命を狙われていた。

 初音さえ消えれば、俺たちは頭をもがれて分裂すると踏まれていた。

 商売がウマく回り、儲けが多くなり、人も集まり過ぎて、統制がとれなくなっていた。

 どちらにしろ、潮時だった。

 愚連隊は解散して、初音はこの国を出た。

 この男と、一緒にね。


 ひとり国に残された俺は、胸に穴が空いてしまったようだった。

 俺は心底、初音に惚れていたんです。」


 市蔵は諭利を見据え、酒を口にした。

 この国に帰って数日、諭利に女の影を見なかった。

 共に、この国に訪れるはずだった相手がいたが、それは少年だと云っていた。


「初音さんは、ご一緒ではないのですね。」


 承は、そう訊ねた。


「死にました。」


 ポツリと、諭利は呟いた。


「船で豊国へ渡ってすぐに、立ち寄った先の土地で流行はやり病にかかり、あっけなく。……」


 承は顔を曇らせ、謝った。


「知らないこととはいえ、酷なことをお訊きいたしました。」


「いえ、いいのです。」


 市蔵はなにも云わず、湯呑みの酒を見つめていた。

 惚れ込んだ女はすでに亡くなっていた。

 けれど、その表情にさしたる変化は見えない。

 なんとなく察していたのだろう。

 諭利が十年以上も音沙汰なしだったのは、そのせいかも知れないと。


 承は市蔵の胸中を推し量り、過去に関わりのない自分が、話題を変えるべきだと考えた。けれど、気の利いた言葉など浮かばなかった。

 重い沈黙が続き、やがて承はひどい眠気に襲われた。

 ここにきて、急に酔いが回ってきたのだ。

 体がカッと熱くなり、宙にふわりと舞うような心地だ。

 まさに、体を離れた魂が、羽根の生えた白蛇に黄泉の国へと運ばれてゆくようだった。


 承の首はコクリと傾いた。

 額が台の上に落ち、安らかな寝息が聴こえてきた。


「おい、誰か籠を呼んでこい。」


 奥の板間で花札をしていた者たちが、一斉にテツを見た。

 テツはやっと調子がでて、良い手が回って来た矢先だった。


「テツ!」


 市蔵が名を呼んだ。

 ほら、ご指名だぞ、行け行け、と、周りの奴らは手を払い顎をしゃくり、身振りで催促した。

 テツは一同を睨み、ハアと息を吐き出すと、仕方なしに腰をあげた。


 諭利は席を立った。

 籠が着くまで、台に伏せたままで置いておくのは可哀想だと思い、承を板間へ運ぼうとする。

 意図を察した市蔵が、若い衆にやらせようと指示を出しかけるが、諭利は横に首を振って、制止した。


 諭利は、胸に承をかかえて板間に運んだ。

 そっと降ろすと、息が通り易くなるように、体を横向きにし、上着を丸めたものを頭の下におき、襟合いを少し広げる。

 首の脈と顔色から、異変がないのを確かめてから、諭利は愛おしげに承の頭を撫でた。


「生意気な、小僧だな。」


 席に戻って来る諭利を、市蔵は面白そうに眺めて云った。







🌸  五  力量  ─ りきりょう ─



「安全な場所に身を置きながら、正義だナンだとご託宣ごたくを並べる奴が、俺は一番嫌いだ。」


「承様は私を守ろうとして、付いて来てくださったのだよ。」


「結局、自分が守られていたじゃないか。

 お前の後ろで、一歩も動けずにいたのだからな。

 木刀を構えた時は威勢も良かったが、短刀ドスを抜かれた途端、小鳥みたいに縮こまって、怯えてやがった。」


「動けずにいたのではなく、動かなかったのだよ。

 自分が出ては足手まといになると考え、あえて動かないと決めたんだ。

 もし私が痛めつけられでもしていたら、身をていして庇っただろう。

 そういう方だよ。」


「そいつはどうかな、──」


 市蔵はいらうような目を向けてきた。


「やけに肩を持つじゃないか、小僧がおまえさんのご贔屓ひいきだからか?」


「まあ、そうだね。

 あんなに熱心だと、そりゃあ可愛いよね。」


 トゲのある云い回しをしたが、諭利には軽く躱された。


「おまえは なんだか変わったな。

 ああした苦労知らずのお坊ちゃんが、嫌いじゃなかったか。

 昔のおまえは、役に立たない奴は容赦なく切り捨てていたのにな。」


「私たちは、法に触れる事をしていたからね。

 一つのしくじりが命取りになる。

 お情けで役立たずを置いてやるわけにもいかなかったんだ。


 承様は、鈍いわけではないよ。

 現時点での自分の力量を判っているから、手出しを控えたんだ。

 自分の力を過信し、厚かましくしゃしゃり出てくる勘違いの方が迷惑だ。


 それに、組の者があの方に怪我を負わせることになれば、おまえもタダではいられなかった。」


 諭利は、そうだろ? と、市蔵の表情を窺っている。


「だが、俺にはわざわざ足手まといになるあの小僧を、おまえが連れて来た意味が判らねぇな。」


「……おまえに会うのが、怖かったのさ、」


 諭利は視線を逸らし、呟いた。


「すぐにでも会いたいという想いと、あれから十年以上も過ぎて、すんなりと受け入れてはもらえないだろうという想いが、い交ぜだった。

 だから、承様に一緒に来ていただいた。

 おまえに拒絶され、独り、しょんぼりと帰らずに済むように、ってね。


 市蔵、本来なら、私はおまえに合わせる顔がない。

 私はおまえに全てを押し付けて、逃げてしまったのだから。

 残されたおまえの苦労を考えると、どう詫びてよいか、わからない。

 どんなになじられても仕方ないと思っている。」


「そんなことを気にしていたのか。

 俺はな、何の便りもないのが、寂しかったんだ。

 捨てられちまったみたいで、いたたまれなかった。

 俺はおまえをよく知っている。

 国に残した仲間の身を案じず、自分だけが幸せであれば良いと考える奴じゃないってな。


 お前だってこの十年、決して楽な生き方をしていたのではないはずさ。」


「私を、許してくれるだろうか。」


「許すもなにも、あれが一番良い始末の付け方だったのさ。」







🌸  六  人相書  ─ にんそうがき ─



 諭利は、安堵した様子で頬笑んだ。十年以上の歳月がながれ、様変わりした町並みを見るにつけ、物悲しさを感じたものだ。

 けれど、こうして変わらず迎えてくれる友がいた。

 市蔵が自分を忘れずにいてくれたことを、諭利は心から感謝した。


「兄貴、籠が着きましたぜ!」


 表から声があがった。

 諭利は承を抱えて表玄関まで行き、籠へ乗せた。


「おいテツ! おまえ、櫻家の屋敷まで付いて行け。」


 市蔵が云うと、「またですか、」とテツはボヤき、横を見た。


「こいつが行きたいそうです。」


 隣にいる少年の脇を肘で小突きなから、テツが云う。


「頼まれたのは おまえだろ。」と、小声で不平を漏らす少年に、「櫻家に行ったら、礼を弾んでくれるはずさ。」と小声で返す。

 宥めたり すかしたり、テツは少年を丸め込む。

 結局、少年が籠に付き添うことになった。


 組の者たちが整列し、去っていく籠に一礼した。


 表玄関は、大通りに面して人通りも多く、賑やかなお囃子や、客引きの呼び込みの声で満ちていた。

 迅水組は、「青龍」の中でも一、二を争う勢力を持ち、この歓楽街の中心地に看板を掲げている。


 諭利は振り返り、浮き彫りに墨文字の、迅水組の大看板を見上げた。

 まだ、新しい。

 八年前の大火事で、この辺一帯が消失して、建て替えられたのだと聞いていた。


 籠が去ると、諭利と市蔵は部屋に戻って酒を飲み直した。


「再会に。」と、同時に湯呑みを掲げる。


「しかし、驚いたぜ。

 まさか、おまえが乗り込んで来るとは思いもしねえ。

 あいつらが、誰だかを捜し回っているのは知っていたがな。」


 そう云って、市蔵は折り畳んだ紙を懐から取り出した。


「これじゃあ、誰だかわからねぇよな。」


 市蔵が開いて見せた紙は、つり目で髪の長い中性的な男と、小太りで眉の太い少年の姿が描かれた「人相書」だ。

 諭利は右側の、子狸のような少年を眺め、似ていなくもないな、と苦笑した。


「なあ日吉よ。

 この酒が、朱国の『御神酒』なんてのは、本当か?」


「疑っているのかい。」


「おまえは平気でそんな嘘をつくからな。

 こっちが有り難がってイイ気分でいるのを見て、腹のなかで笑ってやがるのさ。」


「本物だよ。

 久し振りに会った友人を、騙したりしないよ。」


「──で? 朱国の御神酒とやらが、どういう経路でおまえの手許に回ってきたんだ。」


「御神酒は、」と、諭利は神妙な顔をつくって、言葉を継いだ。


「神事に使うほかは皇族に献上される、ちまたに流通することのない希少な酒だ。

 その尊い酒を、お前は何の気負いもなしに、水みたいに流し込むのだから、見ていて小気味が好い。

 この酒も、おまえのようにすっきりとした好漢おとこに飲まれたいはずさ。」


 話を逸らそうとする諭利に、サッサと白状しろ、と市蔵の目がかす。


「それは頂き物だ。

 知り合いの商人から譲ってもらったのさ。」







🌸  七  代理  ─ だいり ─



「皇族に渡る以外に、朱の大社に多額の寄付をしている者にも、配られているのだよ。」


「はあ、……相変わらずだな。

 お前は昔から、そういう大物に気に入られていたよな。」


「そっちこそ。

 さっきの話しから察するに、お前はかしらに認められて、留守を任されているのだろ。

 大したものじゃないか。」


「俺か? 俺はそんな誉められたもんじゃない。

 何てことはない、昔のまんまだ。

 相変わらずの破落戸ごろつきさ。」


 自嘲するように云ったあと、市蔵は過去を思い出すように、遠い目をした。


「お前がいなくなってから、溜め込んでいた金を分け合うと、仲間は散り散りになっちまった。

 俺の周りに残ったのは、何処に行くあてもないアブレ者たちだった。

 そいつらを引き連れて、俺は都を離れ、西の町に行っていた。


 まあ、色々とあってな。

 ここの親分に拾われたのさ。

 ガキの頃は、誰の指図も受けねえ、──と粋がっていたが、今じゃ組織の飼い犬さ。」


「そうは云っても、この辺は歓楽街だから、よその組よりアガリも多いし、羽振りもいいのだろ?」


「それが、そうでもないんだ。

 親分は人情に篤い方だから、法外な場所代を取ることはない。

 アガリの少ない月には、目こぼしをしている。

 俺は、親分のそういう所が好きだが、まあ中にはよその組と比べて不満に思う奴もいる。

 だから、小遣い稼ぎに、先日おまえがやられたようなことをする奴が出てくる。

 旅回りの芸人や観光客を脅して、金を巻き上げようとする奴がな。


 俺たちは昔、迅水組との間で一悶着あっただろ。

 だから俺は古株の奴らには嫌われている。

 親分が、留守の間の仕切りを俺に任せたのを、どうにも許せない奴らがいて、嫌がらせのように、揉め事を起こしてくる始末さ。

 正直、手を焼いている。


 だが、それも半月ほどの辛抱だ。

 親分が帰って来れば、俺はご放免だ。」


「迅水組の頭は、朱国に行っているそうだね。」


「ああ、初孫の顔を見に行ったのさ。

 親分には娘が一人きりで、その娘は朱国に嫁いでいる。

 せっかくだから、姐さんと観光を楽しんでくると云っていた。

 もう三月みつきになる。

 つい先日、都を発ったと便りが届いたから、半月ほどで戻るだろう。」


「……半月か。

 かしらが帰ったら、会えるように都合を付けてくれないだろうか。

 私はこの土地で、商いを始めようと考えているんだ。

 今日ここへ来たのは、商いの許可を得るために、の者と繋ぎを取りたいという理由もあった。


 私は、一度この国を追われている身だから、どうしても月兎ソエルの許しを得なければならない。

 月兎に睨まれていては、この国では生きられない。

 私が国に入ったのを、すでに承知しているはず。

 鼠一匹、蚤一匹たりと見逃さないのが、月兎の『闇の王』たる由縁なのだからな。」


「月兎か。

 物騒なその名を久しぶりに聞いたぜ。俺のような下っ端は、生涯 影を見ることさえない相手だが。……


 お前は、遭っているのだったな。」







🌸  八  銀細工  ─ ぎんざいく ─



「あの夜の事を、お前の口からは聞かずじまいだったが、本当は、俺は聞いてみたかったのさ。」


「会いはしたが、やはり『影』という印象しかない。

 生身の人間の気配はなかった。

 全身黒ずくめで、体は足下まで外套に包まれていた。

 頭にはスッポリと頭巾を被り、その顔の部分に、銀製の兎の仮面を着けていた。

 手にも皮の手袋をしていた。

 背丈は十人並み、あれでは顔も体格も判らず、男か女か推測することもできない。

 会話は、側に付いている女を介してだ。

 月兎は両の指先をせわしなく動かし、その指の動きで意思を伝えていた。

 女は目でそれを読み取り、月兎の言を自らの口を通して私に伝えてきた。」


「姿も声も判らない、か。

『昔語り』そのままの、化け物ってことか。」


 月兎は、この土地の土着民の間で、「家の守り神」とされていた。

 玄関先に置かれた愛らしい素焼きの兎は、悪霊が現れると一転、鬼神に姿を変え、家と家人を守るといわれる。


 朱国では、遠く離れた南海の孤島を「兎萬国とまんこく」と呼んでいた。

 兎萬国にはスサ(須叉)と呼ばれる土着の民がいた。

 その土地には「王」は存在しなかった。

 身分の差分はなく、集落ごとでまとめ役のおさがおり、長たちの会合で様々な事柄が決められていた。


 そこに、海を渡り、異民族が入って来た。

 嵐で方角を見失い、座礁した異国の商船を漁師たちが助けたことから、大陸の民族との交流が始まった。

 そうして長らく、大陸の民族との友好的な交易は続いた。

 そのうちに、「南の果ての孤島には、銀の鉱脈がある」と諸国に知られるようになった。


 ある時、朱国の皇帝へ、兎萬国で造られたという銀細工の装飾品が献上された。

 その見事な細工の技術と、豊富な銀の鉱脈の話を聞いた帝は、「来朝し、敬順の意を表すように」と兎萬国へ使者をつかわした。


 スサにとっては、寝耳に水の出来事であった。

 遥か北の地に王朝があり、神とも等しき帝がおわすとは知りもしない。

 しかも、貢ぎ物を携えて会いに来い、とは、随分と無礼な話ではないか。

 だが、相手は強大な戦力を持つ国である。

 断われば、軍を率いて制圧しにくるだろう。

 支配を受け入れるか、土地を守るために戦うか、長たちは協議した。

 元々、争いを好まない民族ではあるのだが、スサは戦いを選んだ。


 朱国の皇帝は兎萬国の返答に怒り、大軍を送り込んできた。

 火器を用いた朱国との、圧倒的な戦力の差に、スサは大敗した。

 生き残ったスサは土地を放棄し、南部の山岳地帯へと落ちて行った。


 朱国の第二皇子は「しゅ」の王となり、略奪した土地の上に、広大な都市を建設した。

 朱の都を模した壮麗な街並みの出現に、人々は歓喜した。

 大型の商船が入港できるよう、港も整備された。

 人と物が流通し、珠の都は千代に栄えていくと思われた。


 されど、それは束の間の賑わいだった。」







🌸  九  霊魂  ─ れいこん ─



 スサの言葉で、「霊魂」(ソ・エル)と、守り神である「月兎」(ソエル)が同じ発音であるために、珠の民は、死霊が集まった化け物を「月兎」と呼ぶようになったのだ。


 都に暗雲のきざしがみえた。

 日暮れ近くになると、生ぬるい風が街道を吹き渡り、いつからか唸り声や啜り泣きが聞こえるという現象が起きていた。

 ほどなく、原因不明の疫病が都に蔓延した。

 発症すると高熱が続き、三日のうちに死に至る。

 効果的な治療法もなかった。

 珠の民は、「これは土地を奪われたスサたちの死霊が、昇華されずに彷徨さまよい歩いているせいだ」と、囁き合った。

 祟りを恐れた民は、都を離れていった。

 陽の光が遮られ、やがて都は常闇の国と化した。

 すでに百日ちかく、暗雲は都の上空に留まったま。

 無人の街道を、旋風つむじかぜが縦横無尽に吹き渡る。


 幽体である月兎には、剣も矢も火も通じない。

 これには、屈強な兵も為す術もなかった。


 月兎を退治するために、朱国から神官と巫女が呼び寄せられた。

 神官は、兵士たちを前に月兎を封じる策を説明した。

 兵士たちは指示に従い、幽鬼が嫌うとされる霊木を運び入れ、街道の交差する点ごとでこれを焚いた。


 煙りに燻しだされた月兎は、鳥のような奇声を上げて道を逃げ回った。

 煙りの流れる方向により、人の目には映らない月兎の動きが見えた。


 兵士たちは太鼓を打ち鳴らし、月兎を南門へと追い立てた。

 南の方角へ向かう一本道だけは、霊木を焚かずにおいたのだ。

 月兎は誘導され、真っ直ぐに南門へと向かった。

 南門には結界が張られている。

 結界の内で、王妃は霊鎮めの詞を唱えていた。

 月兎のような強大な怨霊の霊鎮めは、皇族にしか成せない技なのだ。

 詞は、着実に月兎の動きを鈍らせていた。

 しばらく王妃の周りを回っていた月兎だが、ついに力尽き、うずくまった。


 そして、八人の巫女がいっせいに呪文を唱える。


「ノエルウヌルソエル。」


 神官が三人掛かりで「朱」の刻印がある大壺を抱えている。

 ゴウ、と風が巻き起こり、月兎は大壺の中へと吸い込まれた。

 王妃と八人の巫女も、月兎と共に壺へと吸われていった。

 月兎を封じるため、王妃は自ら人身御供を志願したのだ。

 壺は、異世界への入り口である。

 行き着いた先には、壮麗な螺旋の宮殿がある。

 月兎と王妃と八人の巫女は、この宮殿「蝸牛かぎゅうの塔」で暮らしている、とされている。


 南門には、この物語りを記した石碑が置かれている。

 これは今より千年前の話で、あくまでも伝承である。

 現実に「月兎」を名乗っている者が、スサのゆかりの者であるは定かでない。

 人間が何百年も生きていられる道理はないから、月兎も代替わりがおこなわれているだろう。


 諭利は柳眉をひそめて云った。


「月兎と向き合って過ごしたひとときは、刹那が無限の永さをもっていた。

 いまでは、悪い夢をみていたように思う。」











  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る