【参】 詫び



  一  詫び  ─ わび ─

  二  同行  ─ どうこう ─

  三  案内  ─ あんない ─

  四  茶人  ─ ちゃじん ─

  五  詩  ─ うた ─

  六  巣窟  ─ そうくつ ─

  七  匕首  ─ あいくち ─

  八  対峙  ─ たいじ ─

  九  旧友  ─ きゅうゆう ─









🌸  一  詫び  ─ わび ─



 夕陽が沈みかけている。

 鍛錬を終えた身体に、冷たい風が心地よい。

 暮れ時には草花の匂いを濃厚に感じる。

 清々しい気持ちで、承は空を見あげた。


 剣の上達ぶりを師範に褒められた。

 じぶんでも手応えを感じはじめている。

 今日は格上の相手から一本を取れたのだ。

 勝負には敗れたが、打ちこ込んだ時の感覚はしっかりと刻まれている。


 一本、取れたことが自信に繋がっている。

 二年前の今頃は八歳の児童にも打ち負かされていた。

 それを思えば、大した進歩だ。

 朝に五百、夕に五百、木刀を振っている。

 毎日これを欠かさない。

 こうした日々の積み重ねが、少しずつ実を結んでいることを、承は実感している。


 承は家路を急いだ。

 南の空へ流れゆく、薄墨色の雲を追うように、足を速めた。


 南門から街に入った頃には、商家は既に木戸を閉め、通りは暗く静まり返っていた。

 それと引き換えに、橋の向こうからは賑やかなお囃子の音が聴こえる。

 目と鼻の距離であるとはいえ、承が橋を渡ることはめったにない。

 つり灯籠に煌々と照らされた町の様子を眺めていると、ひとつの影が目の端にかかった。

 艶やかな長い黒髪、──承は思わず走り出していた。

 全速力で、橋を渡る。

 姿が消えて行った路地を、慌てて曲がり、そして立ち止まる。

 道の先へ目を凝らして見るけれど、それらしい姿がない。


 ──見間違い、だったのか。


 道を戻りかけたとたん、承は声をかけられた。


「息を切らして、誰かお探しですか?」


 承は目を見開いて、口をポカンとあけた。


「あなた、を、……」


 はた、と気付き、承は姿勢を糺す。


「路地を曲がって行く姿が見えたので、急いで追ってきたのです。

 この間のことを、お詫びしたくて。」


「そのようなこと、気にはしていません。

 どうかお気遣いなさらないでください。」


 諭利の手には、酒が入っているらしい瓶と、そのさかならしき包みが提げられていた。


「どちらかへ、行かれる途中なのですね。

 足止めさせてしまい、失礼しました。」


「いえ、急いではいませんよ。

 この地域の元締めに挨拶をしに行くのです。」


「……もしや、このあいだのことと関係があるのですか。」


 このあいだ、──とは、やくざ者との一悶着だ。

 あちらは、公衆の面前で恥をかかされている。

 面子メンツを潰されたままでは沽券こけんにかかわる、などと、鼻息をあらくしているはずなのだ。


「私は、この土地で商売を始めたいと考えているので、揉め事は早めに解決しておきたいのです。

 きちんと詫びを入れたうえで、商売の許可を得ようと考えています。」


「やくざ者に、頭をさげるのですか?」


「ここで暮らすうえでは仕方のないことです。

 実際に、商売上のいさかいを解決してくれるのは やくざ者です。

 役人は、些細な事などでは動いてくれません。

 役人が立ち入らないところに、やくざ者の役割があるのです。

 郷に入っては郷に従え、──といいますからね。」







🌸  二  同行  ─ どうこう ─



 やくざ者を相手に、この人は なにか秘策があるのだろうか。

 単純に、頭をさげれば済むといった話ではないだろう。

 それなりの仕置きをされるはず。

 その場にい居たのだし、そもそも原因は私にある。

 諭利が行くというのなら、──


「私も同行します。

 来るな、と言われても付いて行きますよ。

 元をただせば、私が口を挟んだために事が大きくなったのですから、責任を取らせてください。

 私は、卑怯者にはなりたくありません。」


 諭利は苦笑した。

 この少年の生真面目さに呆れながら、嬉しくもある。

 承は、いざとなれば身をていし、諭利を守るのだ、と意気込んでいる。

 駿足であるけれど、諭利はその華奢な体つきから、腕が立つようには見えない。

 だが、そういう承も、「腕に覚えあり」とは言い難い。

 喧嘩慣れした やくざ者たちを相手に、己の力がどのくらい通用するのか、考えると心許ない。

 しかし、毎日修練を積んでいるのは、こうして人を守るためではないか、──と、承は己にかつをいれるのだ。


「では、同行願います。

 事を荒立てたくはないので、どうか穏便に願います。」


 やくざ者と、一戦交える事を考えているらしい承に、諭利は釘を刺した。


「ええ、わかりました。」


 承が厳しい顔で前を見据えていると、横合いから、貴族の子弟らしき三人組が千鳥足で近づいた。

 真っ赤な顔をし、調子はずれな小唄を歌い、互いの体にもたれ合いながら歩き去った。


 ──まったく、だらしがない。


 承は眉をしかめた。


「そういえば、試験は終わったのですよね。結果はどうでしたか?」


「ええ、なんとか進級できそうです。

 ですから、あなたと連絡を取ろうとしていたところです。

 覚えていますよ、ね。」


 承は心配そうに諭利を見る。


「覚えています。

 連絡を、お待ちしておりました。」


「いかがでしたか、川下りは楽しめましたか?」


「ええ、愉しかったですよ。

 川縁の桜が綺麗でした。

 きっと、今が見頃でしょう。

 咲き始めると散るのも早い、──まもなく葉桜となるでしょうから、花が咲いているうちで幸いでした。」


 諭利は目をほそめ、「どうしても、あの桜の景色をこの目で見ておきたかったのです。」と、感慨深げに呟いた。


「……じつは、今年の桜を共に見ようと約束した相手がいたのです。

 けれど不慮の事故で、雪解けを待たず、亡くなてしまいました。

 その者は、承様と同年の少年でした。


 以前にいた場所は、雪深い山里で、私はその者に、春を待ち帰郷するつもりでいる旨を伝えたのです。

 その折に、船上から見る桜の情景を話しました。

 すると、「行ってみたい」と目を輝かせておりました。


 失礼ですが、亡き者の面影を同年のあなたに重ね、弔いの気持ちもあり、お誘いしたのです。

 素性も知れぬ者からの急に誘われ、戸惑われたことでしょう。」


「いえ。

 たしかに突然ではあったけれど、私は嬉しかったのですよ。

 そんなご事情があったのですね。

 ご一緒できなくて、本当に残念です。」







🌸  三  案内  ─ あんない ─



「では、近いうちに行きましょう。

 じつは、肝心の猪肉を食べていないのですよ。」


「店が、閉まっていたのですか?」


「いえ、船に乗り合わせたご婦人ふたりと、温泉へ行ったのです。

 その方たちは、豊国から友達夫婦で観光にいらしていて、その日、旦那方は早々に夜釣りへ出かけたそうなのです。

 残されたご夫人ふたりは、ならば、こちらも亭主の居ぬ間に羽を伸ばそうじゃないか、となったそうです。

 ゆったりと温泉に浸かり、豪勢に懐石を愉しむのだと話していました。


 隣に座っていた私に、温泉の場所を訊ねてきたので、夜でもあるし、女人だけでは物騒だから、『案内しましょうか』と言ったのです。

 すると、あちらも快く『では、ご一緒に』と返してきたのですよ。」


 この人は、わりと気楽に人を誘ったり誘われたりとするのだな、と承は思った。

 女も二人連れとはいえ、偶然に居合わせた男に案内を頼むなど、軽はずみではなかろうか、とも思った。


 しかし、承自身も、言葉を交わしたその場で誘いに応じようとしていた。

 諭利は、こうした優しげな顔立ちのせいか、人に警戒心を抱かせないようだ。


「見たところ、おふた方とも四十路よそじに近いお歳でしたが、小綺麗になさっていて、私も両手に花で、よい思いをいたしました。

 こうした出会いがあるから、旅は愉しいですね。

 美しい景色を見たり、美味しいものを食べたり、それを共感できる相手がいてくれたら、さらによい。


 そうだ、泊まりがけで、少し足をのばしてみるのもいいですね。

 承様のお薦めの場所があれば仰ってください。

 行きたい所は、ございませんか?」


「そうですね、」と、呟き、しばし承は思案する。


「もうすぐ、東の町で『豊漁祭』がありますよね。

 祭りの期間中は講義も休みですから、ゆっくりと観光ができます。

 海の鳥居の真ん中から、太陽が登るのを見れる絶好の場所を知っています。

 ご案内しましょう。」


「いいですね。

 宿の手配をしておきます。

 祭りの間近は宿屋が埋まってしまいますから、今のうちなら、まだ良い宿が取れるでしょう。」


「お願いします。

 ああ、愉しみです。」


 険しい表情はすっかりと消え、承は子供のようにはしゃいでいた。


「そういえば、住む場所を探していたのですよね。

 お決まりになりましたか?」


「いえ、いくつか回ったなかでは、これといっ物件はありませんでした。

 長く住まうつもりなので、吟味しています。見つけ次第、お知らせしますよ。

 決まったら、遊びにいらしてください。

 承様とは、末永くお付き合いいただきたいと思っています。

 お嫌でなければ、ですが。」


「光栄です。

 こちらこそよろしくお願いします。


 あの、先ほど、あなたは商売をはじめるつもりと言っていたけれど、今までに なにかあきないをなさっていたのですか?」


「はい。

 とある商人と知り合う機会がありまして、私はその方のお手伝いをさせていただいていたのです。」







🌸  四  茶人  ─ ちゃじん ─



「その方は、茶の湯をたしなまれていて、趣味が高じて、茶葉の仕入れや販売などを手掛けるようになったのです。

 ご実家は運送業を営んでおり、今は家業を継いでおられるのですが、茶の商いのほうも続けておられるのです。

 その方の伝手つてで、安く仕入れができるので、この国では販売されていない茶葉の商いをしようと考えています。

 その方の名は、『清張きよはる』というのですが、私は吟仙ぎんせんさん、と呼ばせていただいています。

『吟仙』というあだ名は、清張さんが好んでうたを詠まれることから、さるお方が名付けた雅号なのです。

 その方が、私を吟仙さんに紹介してくださったのです。


 私は吟仙さんの屋敷の離屋はなれに住まわせていただいておりました。

 そこで茶の作法など 、一通り教わり、茶会の手伝いをしておりましたので、お手前には少々自信がございます。

 いつか、家へ遊びにいらしたとき、私の淹れた茶を味わってみてください。」


「いいですね。

 必ず寄らせてもらいます。」


「それとね、」と、諭利はにんまりとして云った。


「住む場所は見つかっていないけれど、商いをする場所は決めてあるのです。

 町内を見て歩いているとき、丁度よい物件が空いていたので、すでに手付けをしてあるのですよ。」


 気の早いことでしょう、と諭利は苦笑し、話しを続けた。


「商いの許可を得るのは、なにかとわずらわしい手続きを踏まなくてはならず、面倒ではあるのですが、一から事を始めるのは、うきうきと心弾むものです。」


「わかります。

 今春より、私もひとつ上に進むので、また気持ちを新たに学問と向き合おうとしているところです。」


「承様は、修英院(大学)に通われているそうですが、貴族の方々は皆、勧学院(大学)に入るものではないのですか。」


「ええ、そうですね。

 私には二人の兄がいます。

 長兄は勧学院ですが、次兄は修英院なのです。

 どちらも尊敬できる兄たちですが、私は、次兄の話しを聞いて修英院に入ろうと決めたのです。


 修英院は、様々な階層の者が集まっているし、講師の方々の個性も豊かなのです。

 諸国の高名な学者を招いての講義や、交換留学の制度もあるのですよ。

 遠方からの留学生との会話は、文化の違いもあり、とても興味深いのです。


 国内でも、やはり生まれた場所も生活の仕方も異なるので、一つの物事を語るにしても、様々な角度からの意見が上がってきます。

 皆、己の見識に自信があり、議論をしていると、側を通りかかった見知らぬ者までが割り込んで、ああだこうだと話が止まらなくなるのです。


 自己主張が強い者が多いので、私などは圧倒されているのですが。……」


「なかなか、楽しそうですね。

 私は、学問所とは、単純な話を何処まで難解に仕立て上げられるかにこだわっている場所と、解釈していましたよ。」


「あなたは、面白いことを云われますね。」


 そうくるか、と承は苦笑した。







🌸  五  詩  ─ うた ─



「その方は、茶の湯をたしなまれていて、趣味が高じて、茶葉の仕入れや販売などを手掛けるようになったのです。

 ご実家は運送業を営んでおり、今は家業を継いでおられるのですが、茶の商いのほうも続けておられるのです。

 その方の伝手つてで、安く仕入れができるので、この国では販売されていない茶葉の商いをしようと考えています。

 その方の名は、『清張きよはる』というのですが、私は吟仙ぎんせんさん、と呼ばせていただいています。

『吟仙』というあだ名は、清張さんが好んでうたを詠まれることから、さるお方が名付けた雅号なのです。

 その方が、私を吟仙さんに紹介してくださったのです。


 私は吟仙さんの屋敷の離屋はなれに住まわせていただいておりました。

 そこで茶の作法など 、一通り教わり、茶会の手伝いをしておりましたので、お手前には少々自信がございます。

 いつか、家へ遊びにいらしたとき、私の淹れた茶を味わってみてください。」


「いいですね。

 必ず寄らせてもらいます。」


「それとね、」と、諭利はにんまりとして云った。


「住む場所は見つかっていないけれど、商いをする場所は決めてあるのです。

 町内を見て歩いているとき、丁度よい物件が空いていたので、すでに手付けをしてあるのですよ。」


 気の早いことでしょう、と諭利は苦笑し、話しを続けた。


「商いの許可を得るのは、なにかとわずらわしい手続きを踏まなくてはならず、面倒ではあるのですが、一から事を始めるのは、うきうきと心弾むものです。」


「わかります。

 今春より、私もひとつ上に進むので、また気持ちを新たに学問と向き合おうとしているところです。」


「承様は、修英院(大学)に通われているそうですが、貴族の方々は皆、勧学院(大学)に入るものではないのですか。」


「ええ、そうですね。

 私には二人の兄がいます。

 長兄は勧学院ですが、次兄は修英院なのです。

 どちらも尊敬できる兄たちですが、私は、次兄の話しを聞いて修英院に入ろうと決めたのです。


 修英院は、様々な階層の者が集まっているし、講師の方々の個性も豊かなのです。

 諸国の高名な学者を招いての講義や、交換留学の制度もあるのですよ。

 遠方からの留学生との会話は、文化の違いもあり、とても興味深いのです。


 国内でも、やはり生まれた場所も生活の仕方も異なるので、一つの物事を語るにしても、様々な角度からの意見が上がってきます。

 皆、己の見識に自信があり、議論をしていると、側を通りかかった見知らぬ者までが割り込んで、ああだこうだと話が止まらなくなるのです。


 自己主張が強い者が多いので、私などは圧倒されているのですが。……」


「なかなか、楽しそうですね。

 私は、学問所とは、単純な話を何処まで難解に仕立て上げられるかにこだわっている場所と、解釈していましたよ。」


「あなたは、面白いことを云われますね。」


 そうくるか、と承は苦笑した。







🌸  六  巣窟  ─ そうくつ ─



 声をかけられ、男は怪訝に諭利を見た。

 こいつは何処かで見覚えが、──と頭を巡らせながら、連れの少年に目を移した。


 ──こいつらは、「人相書」の芸人と小僧だ!


 そう思い当たり、男は反射的に諭利の胸座を掴みあげた。


「私を知っているようですね。

 ならば話しが早い、先日の無礼をお詫びに来たのです。

 あの時は、あなたのお仲間の追ってくる姿があまりにも恐ろしく、思わず逃げてしまいました。

 後になり、釈明もせずに消えたのは非礼だったと反省したのです。」


「この野郎、フザケたことをかしやがって、舐めてやがるだろう。」


「いえ、そのようなつもりはありません。」


 諭利は、男のたもとに右手を差し入れた。

 承の位置からは、諭利が男に袖の下をつかませているように見えていた。

 見ていて気持ちの良い行為ではないが、自分が割って入ると話しがこじれる。

 商売を始めるのだ、と愉しげに語っていた諭利を想い、口出しを控えた。


市蔵いちぞうに、日吉ひよしが会いに来たと、伝えておくれ。」


 顔を寄せ、諭利は男に耳打ちした。

 諭利の手は男の肘の辺りを握っている。

 返答がないので、肘にひねりを加えた。

 男は顔を歪ませた。

 瞬時に、声も出せないほどの激痛が走り、首を縦に動かした。


 諭利が手を弛めると、男はサッと腕を引き、距離を取った。

 憎々しげに諭利を一睨みすると、男は路地の奥へと消えた。


「行きましょう。

 あの者が、話を通してくれるそうです。」


 諭利は男が消えた方向へ歩き出した。

 とても友好的な雰囲気には見えなかったけれど、と思いながらも、承は後に続いた。


 路地を進んでいくと広場があり、七、八人の男がたむろしていた。

 男たちの視線が二人に集まる。

 話しを続けながらも、目は二人の姿を追って動く。


 諭利は、視線のなかを平然と歩む。

 別の男たちが、奥から歩いて来た。

 先頭の男の視線は二人をすり抜け、後ろに注がれていた。

 男の顔に、嫌な笑いが浮かんでいるのを承は見逃さなかった。


 ──まずい!


 承は後ろを振り返った。

 男たちは横並びになって道を塞いでいた。


「諭利さん、──」


 承は壁際に諭利を押しやり、背で守るようにして、自分は前に出た。

 右と左から、やくざ者たちにじりじりと詰め寄られている。

 男たちは「袋の鼠」を前にほくそ笑んでいる。


 承は木刀を手に取り、構えた。

 承の背の後ろで、諭利は酒と肴を壁際に置き、上着を脱いだ。

 右側の男が目配せをした。

 張り詰めていた空気が揺れ、男が二人、左右同時に襲いかかってきた。


 バンッ。


 承の頭上で空気が弾け、音と共に、風を孕んだ帆のように黒い布が広がった。


 とっさに、男たちは腕で頭を守って後ずさった。

 そして、音の正体を見定めようとした瞬間、腹に衝撃を受け、体は後ろへ飛ばされた。







🌸  七  匕首  ─ あいくち ─



 吹っ飛んだ男の巻き添えをくって、遠巻きに観ていた男たちが倒れた。

 承は木刀を構えたままの姿勢で立ち尽くしていた。

 足を踏み出そうとした瞬間に、黒い風が傍らをすり抜け、襲いかかってきた男二人を殆んど同時に吹き飛ばしていた。


 風を孕んだ上着が、承の目前に降りてきた。上着が地に着く前に、諭利は端を掴んでグルリと回し、左へ投げた。


 それからは、まるで芝居の殺陣たてを見ているようだった。

 諭利の動きは燕のように華麗で迅速だった。

 ひらりと身を躱しているだけなのに、向かっていく男たちは ばたばたと勝手に倒れてゆく。

 

 二十人ちかくの者が、タカが芸人一人に打ち倒され、路上に転がった。


「舐めたマネしやがって!」


 男は、落ちてきた上着を拾って丸め、足元に叩きつけた。

 その男の頬には刃物傷があった。

 この間の借りを返すつもりが、これでは恥の上塗りだ。


「殺してやる。」


 頬傷の男は懐の短刀ドスを抜き、諭利に向かった。

 怒りに駆られた男は、力任せな大振りを浴びせてきた。

 諭利は体を回しながら足を蹴り上げ、かかとを男の親指の付け根に当てた。

 男の手から落ちかける短刀を掴み、男の背後に回って、喉元に刃先を突きつけた。


 サッと男の顔から血の気が引いた。

 諭利は男の耳元に口を寄せ、何事かを囁いていた。

 その場に短刀を捨て、諭利は男から離れた。


「ビビってんじゃねぇよ、馬鹿。」


 後ろで様子を窺っていた男は、すっかり腰の引けた男の頭を ばしんと叩いて、前に出た。


退いてろ。」


 男たちは両脇に捌けた。

 その男は居るだけで人を威圧した。

 六尺近い背丈に、がっしりとした堅太りの体、角張った強面には痘痕あばたが目立っていた。


 男は足下に転がっている短刀を、諭利の方へ蹴った。

 顎をしゃくり、拾いな、と合図を送ってきた。

 諭利を、相手に不足なしと見て、肩慣らしをしようと思ったようだ。


 諭利は身を屈め、短刀に手を伸ばした。

 上目遣いに男の表情を窺っている。


 ──これを手にしたら。……


 短刀の柄に指が触れた瞬間から、勝負が始まる。

 諭利は男の顔から目を離さず、柄に手を添えて体を後ろへ引いた。

 男の足は地を蹴って、諭利の目前に短刀を滑らせてきた。

 諭利は下がりながら、踏ん張って右へ飛んだ。

 小刀が諭利の鼻先を掠める。

 右に左に、首を傾けながら、諭利は紙一重に切っ先を躱わす。


「どうした、逃げてばっかりかよ。」


 隙を作り、男は諭利を誘ってきた。

 びゅん、と男の耳元で空気を裂く音が鳴る。


 諭利は前へ出て、腕を左下から振り上げた。

 男の左頬に、うっすらと茅で切れたような赤い筋が入った。

 躱したつもりが、思っていたよりも腕の長さがあり、男は目測を誤った。


 男は口の端を吊りあげた。

 諭利の瞳に危険な色がさすのを見逃さなかった。







🌸  八  対峙  ─ たいじ ─



 諭利は攻勢に転じ、男を後ろに、元の位置まで下がらせた。

 男は足元に転がっている小石を蹴った。

 小石は諭利を目掛けて飛ぶ。

 諭利は刃の腹で小石を打ち落とす。

 男は、間髪いれず攻勢をかけ、胸の前から外側へ、水平に刃を閃かせた。


 諭利は身をかがめて上へ飛び上がる。

 男の頭上で、臍を見るように頭を腹の方に丸め、腰を軸にぐるりと一回転した。

 着物の端がひゅんと引かれ、曲芸の独楽のように体は宙を舞った。


 遠巻きに、腕組みをし傍観していた少年が、ヒュウと口笛を鳴らした。

 やい、お前はどちらの味方だ、──と、加勢もせずに見ていた少年へ、男たちの冷たい視線がそそがれる。

 少年は、おどけ顔で肩をすくめた。


 男と諭利は睨み合ったまま対峙していた。

 が、やがて柳が風に揺れるように、スウッと両者の体は動きかけた。


「──そこいらへんで、やめとけよ。」


 奥から男が現れた。

 観覧していた男たちはバツが悪そうに立ちあがって避けた。


「市蔵、水をさすんじゃねえよ。

 ここからがだ。」


「そうはいかない。

 そいつは俺の客人なのさ。

 すまねえな、俺の顔に免じて、ここは引いてくれねえか。」


 云ってから、市蔵は承へ目線を移した。


「こちらのお方は櫻家おうけの御子息さまだ。

 粗相があってはならねえお方だ。

 大事があれば、お前らの首なんぞ軽うく飛んじまうんだぜ。

 命が惜しけりゃ、手を出しちゃなんねえお方の顔くらい、覚えとくもんだ。


 わざわざ親分のいないときに揉め事を起こさないでくれ。」


「市蔵、そいつは先日、俺たちをコケにして逃げやがった芸人なのさ。

 お前の客人だろうが、ケリはきっちりつけさせてもらうぜ。」


「そうかい。

 じゃ、どういう経緯いきさつか話してくんな。

 どちらにも言い分ってもんがあるさ。

 続きはその後でいいだろ。」


「──最初に手出しをしたのはあなた方です。」


 承が口火を切った。


「そちらの者が、諭利さんに不当な要求をしてきたのです。

 諭利さんが演技をしていた場所は縁環(公園)の一角でした。

 縁環は国が管理をしている場所で、芸人たちの活動は容認されています。

 どちらの意見に正当性があるか、明白です。

 先に手を上げてきたのはそちらですし、逃げるのを追ってきたのもそちらです。

 これでもあなた方のやり方でケリを付けると云うのなら、こちらにも考えがあります。

 人を脅して不当に金銭をせしめようとしたのだから、役人を呼んであなた方を番所に連行します。

 今の話しを、私は番所で証言しますよ。」


 市蔵は、承に指摘された男の顔を見据えた。


 ──縁環には手をださないよう云ってあるはず。

 てめえは、芸人を脅して金を巻き上げていたのだな。


 頬傷の男は、気まずそうに市蔵から目を逸らせた。


 痘痕面の男は、その様子を見て舌打ちした。

 それに、世間知らずの小僧が、役人だのなんだのと、ご託宣たくを並べるのにも興醒めだった。







🌸  九  旧友  ─ きゅうゆう ─



「承様、」と、諭利は小声で云った。


「先日の事は、過ぎたことでございますし、ここで騒ぎを起こすつもりはありません。

 誤解もとけたようですから、この場ですべて納めましょう。」


 これ幸い、と、市蔵が諭利の言に便乗する。


「そうしていただけると、助かります。

 この者たちには、今後こうした過ちがないよう、きつく言い聞かせますから、今日のところは勘弁してください。」


 市蔵は、そら謝れ、と頬傷の男に目配せをした。

 男は しぶしぶ頭をさげた。


「すみません。」


「──市蔵。」


 痘痕面の男が、不満げに口を挟んだ。


「調子に乗るなよ。

 ここは退いてやるが、そうやっておまえが顔を利かせていられるのは、親分がお帰りになるまでの間だ。」


「俺だって、望んでやっている役目じゃない。

 この組の中じゃ、俺が一番温厚だ。

 親分はな、自分がいない間、無難に組を仕切っていられるのはしかいないと踏んだのさ。


 親分がお決めになったことだ、従ってくれ。」


「ハン、狐が。

 巧いこと立ち回って、あちこちにイイ顔をしているのを知っているぞ。」


 くだらない寸劇に付き合わされた、これ以上この場に居る必要はない、──痘痕面の男は市蔵を一睨し、背を向けた。

 よほど腹に据えかねる思いがあるらしく、去り際に、おまえは市蔵の仲間だったのか、と射るような視線を諭利へ向けた。


 市蔵は諭利に、ついて来い、と顎をしゃくった。

 諭利は、投げ捨てられていた上着を拾い、壁際に置かれた酒と肴を手に取った。


「行きましょう、承様。」


 承も自分の荷を担いだ。

 二人は、市蔵の後について進んだ。


 その路地は、建物の裏口へと通じていた。

 敷居を入ると、五間ごけんほどの広さの土間があり、奥の板間で、組の若い衆が花札に興じている様子が見えた。


 市蔵は土間に置かれた革張りの椅子を、承に示した。


「どうぞお掛けください。

 先ほどは、若い者の躾が行き届かず、失礼をいたしました。

 すべて俺の不始末です、改めてお詫びいたします。」


「──市蔵さん。

 詫びるのは私にではなく、諭利さんにです。被害を受けたのは、諭利さんなのですから。」


 市蔵は諭利を見た。


「日吉よ、『諭利』というのはおまえのことか?」


如何いかにも。」


 諭利は、神妙な顔で頷いてみせた。


「それはそれは、失礼いたしましたな。

 組の者が様にとんだご迷惑をおかけしたようで。

 しかし、あなた様とは知らぬ仲ではないのですから、この市蔵の顔に免じ、非礼を水に流してくださいませんか。」


「そのように、ご丁寧に謝っていただいたら、ゆるさぬわけには参りません。

 あなたの顔を立て、今回のことはスッパリと水に流して差しあげましょう。」


 二人は顔を見合わせ、苦笑した。


「やれやれ、とんだ茶番だ。」


 云って、市蔵は両手を広げた。

 諭利は頬笑み、まっすぐに市蔵の方へ進んだ。









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