夏祭りの夜に
Kan
夏祭りの夜に
私が小さい頃、住んでいた村に入り浸っていた、狐のお玉姉さんから聞いた話だが、神や妖怪にも夏祭りというものがあるらしい。
一つには盆ということもあるし、その他にも、夏には疫病というものがあって、そういうものを祓おうとするのは、人間も神も妖怪も変わりないのだという。
お玉の話では、私の住む村から三里ばかりいったところにあるお山の裏に、ずいぶん昔に廃れてしまったお寺があって、そこは今では、狐やら狸やら妖怪やらの溜まり場になっているのだとか……。
その寂れたお寺には、住職はおらず、草木が生い茂っているうえに、真夏になると、虫も出るので、人が近寄るということがなかった。
ある日の夕暮れ時、私はお玉に連れられて、そのお寺に訪れた。お玉は、私の住む村にいる時には、いつでも、狐らしい瓜実顔の美しい姉さんに化けていたのだが、このお寺にたどり着くと、いつの間にか、元の美しく白い狐へと戻っていた。
山を見上げると、一面の夕焼け空はしばらくの間、あたりを赤々とうつしだしていたが、烏の声もだんだんと侘びしく消えかかってくると、今度は空が全体に紫色に変わり果てていった。
その時、鳴るはずのないお寺の鐘の音がボーンボーンと聞こえてきて、見れば、お寺の麓には、立派な伽藍が立ち並び、見たこともないほど美しく茜色に輝いていた。
見上げれば、紫色の空に大きな黒い影を描いている五重塔。
その山門から本堂へ向かうように、青白い灯し火が列をなしていた。
「ああして、人の魂が集まってくるのよ」
お玉はそう言うと、しばらくの間、俯いていた。気がつけば、お寺の境内には出店が並び、そこには見たこともないおかしな物の怪たちがひしめいて、絶えず蠢いていた。
お玉はそんなものに気を取られたりしないで、お寺の隅にある小さな稲荷の祠へと歩いてあった。その脇には、小さな出店が立っていて、鉢巻をした狐の親父が稲荷寿司を売っていた。
「それ、坊や、稲荷寿司買っていくかえ。ああ、なんだ、お玉、お前の知り合いか」
そう言うと、狐の親父はふふふっと笑った。
「これいくら?」
狐の親父は、値段は言わないで、稲荷寿司を一つだけ私に渡してくれた。その時、どんな味がしたのか今では覚えていない。
日が沈むのは早いもので、山は暗い影に覆われていった。それでも、お寺の周りだけは、灯籠とかがり火と人魂の光でぼんやりと明るく浮かび上がっていた。
お寺の境内には、お囃子が鳴り響き、私とお玉は一緒に出店を冷やかして歩いた。見れば、唐傘お化けが色の鮮やかな傘を売っていた。それでも、唐傘お化けは新品の傘のことがどこか恨めしそうだった。それは自分が破れた傘だったからだ。
「恨めしやというわけかい。だから、あんたは妖怪なんだよ」
お玉にからかわれて、唐傘お化けは少し具合が悪そうに俯いた。
その頃、集まってきた人魂は盆踊りを始めた。人魂がゆらりゆらりと円を描いて、踊っている。時が経てば経つほど、人魂は大きく大きく燃え上がった。
私はその夜、お玉と一緒にそのお寺に泊まることになった。これから村まで帰るということはできそうもない。お玉といったら、人間に化けることを忘れてしまって、その時になると、どう見てもただの狐なのだった。
金色の襖や屏風に囲われた、大層立派な和室で、私は白い布団に包まれて、眠ったのだった。
部屋の明かりは少しずつ小さく小さくなっていった。ほのかな灯りに照らされた、お玉の白い顔は、眠たげに目を細めていた。
「ねえ、何か怖いことが起こらないかな?」
私はなんだか心配になって、お玉に尋ねた。
「怖いと思っているから、怖いことが起きるのよ」
お玉はそれだけ言うと、布団に潜り込んだ。そうして、気がつくとお玉の姿は、どこにもいなくなっていた。
僕は、なんだか狐につままれたような気持ちになって、正面の金色の屏風を眺めていたが、それがだんだんとおかしなことになってきた。
屏風は色が薄くなってゆき、ついには消えてしまった。綺麗だった天井には、じわじわと血のような黒い斑点が浮き出てきた。新しかった畳も、剥げように、ごわごわになってきて、白い壁もしみと穴だらけになっていった。自分が寝ていた白い布団もすっかり消えてしまった。
外から強い風が吹き付けて、障子がガタガタと大きな音を立てていた。床はぐらぐらと揺すられて、吹きすさぶ風の音は、いつの間にか、人の泣き声になり、時々、狂ったような笑い声になって――私の頼りない心をからかい続けたのだ。
ああ、いつの間にか、私はボロボロのお寺に一人で眠っていたのだ。
その時になって、小さい私は大声で泣いた。風の音の中で、私は泣き続けた……。
夏祭りの夜に Kan @kan02
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