小説の中の舞台裏
Kan
第1話
小説のキャラクターたちは、ついに、読者が本を開くという連絡を受けて、指定されたページに布陣した。
読者には、あまり知られていない事実であるが、このように、小説というのは、キャラクターが開かれたページの上で、定められた演技を忠実に行うことで成り立っているのである。
*
「読者め、ようやく読み始めるのか」
トレンチコートを羽織った老人は、ページの隙間から外側を睨みつけて言った。
「刑事役さん、間もなく、物語が始まってしまいます。下手に喋ると、セリフがそのまま活字化されてしまいます。ご注意下さい」
若い男は、薄汚れた服に着替えながら言った。
「しかし、こやつめ、本を買ってから、半年も読み始めなかったのだぞ。腹が立たんか……」
「ええ、我々にとっては長い休暇でした」
「いかん……、やつめ、解説から読む気だ……誰かおるのか」
「解説文は、すでに解説者を布陣させております」
「うむ。さすがだ。さすがは主人公。見事なリーダーシップだ。我々はこうして、予定通り1ページ目におれば良いのだな」
「はい。ちなみに、わたしは主人公ではありません」
「そうか。知らんかった。わしゃてっきり……。ところで、わしは何の役だっけ……」
「何ですって……。刑事ですよ、刑事。もしかしてセリフも忘れたんですか」
「忘れてしもた」
「なんですって……。とにかく刑事役です。それで僕が容疑者役なんです」
「場所は……」
「取り調べ室ですよ」
「そうだった、思い出してきたぞ、思い出してきたぞ! なんとかなりそうだ……。おっ、読者め、いよいよページを開くぞ」
*
ここは警察署の取り調べ室。そこにはいかつい顔の老人警部と人相の悪い容疑者がいた。
「…………」
警部がそう怒鳴ると、容疑者は不敵な笑みを浮かべ、
「……ちょ、ちょっと……」
と嘲笑うかのように言った。
「すまん、ど忘れした……」
警部はそう言うと、血のついた包丁を取り出した。それを容疑者に見せつけて、
「上手く会話を合わせてくれ」
と言った。
容疑者は包丁を見ると、絶望的な表情を浮かべ、
「勘弁してくださいよ……」
と低い声で呟いたのであった。
*
読者がページをめくっている。
「なんてことしてくれるんですか!」
「悪かった! でも次はどうにかする!」
*
警部は包丁をちらつかせながら言った。
「これが証拠じゃ………………………………………………………………………………………」
刑事さんの、その見事な説明を受けて、容疑者はさすがに反論の余地もないかに思われた。しかし、容疑者には、ある秘策があったのである。
「刑事さん、ふふふ。ふふふ。ふふふ……!」
その笑いは無気味な自信に溢れていたのである。
「なんじゃ……なんじゃ、この展開は……」
警部が、そう震えた声で怒鳴りつけると、容疑者は笑うをピタリと止めて、こう言い放った。
「僕にはアリバイがあるんですよ! 完璧なアリバイがね……!」
「……………」
警部は驚きのあまり、そう叫んだ。
「……ちょっと、黙るのはやめてくださいよ」
「すまん……」
容疑者のその挑戦的な言葉に、警部は震えた声で言ったのであった。
*
またしても、読者がページをめくる。
「このままでは、本がゴミ出しされてしまう!」
「あなたのせいですよ! もっと即興でなんか言えるでしょ……」
「わかった……任せなさい」
*
しかし、警部は用意してきた時刻表を片手にあることを言った。
「アリバイは崩された、わしの手によって……」
その一言に、容疑者は目を見開いて、叫んだ。
「そんなはずはない! どんなトリックなんだ、言ってみろ」
警部はフフフと笑うと、流暢に説明を始めた。
「……………どうしよう…………そうじゃな……………えっと………………………………………………」
「何か言って……」
と不満げな容疑者。
「………この時刻表、つまり関西方面から、電車でくると二時間ぐらいかかるが…………北陸まわりでくると一時間でこれるのじゃ……殺人現場にな!……よしっ!」
なんという驚くべきトリックだろうか。まさか、現場の時計が一時間もずらされていたとは。つまり犯行時間が誤解されていたのである。
さらに、警部はこう付け加えた。
「ああ……そういうトリックだったの……」
容疑者はそれを聞いた途端、がっくりと頭を下げて、
「もうお終いだ……」
と呟いた。
「………………」
「…………」
「……」
ー終ー
小説の中の舞台裏 Kan @kan02
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