12/With my atrocity《1》

 机の上に置いてあった腕時計型端末コミュレットが振動した。ソファに浅く腰かけて眠ろうとしていたフェンディ・ステラビッチは薄目を開け、通信相手を確認する。

 本当は確認するまでもなかった。連絡帳に登録されているのは一人しかおらず、この端末のIDは他の誰も知らない。つまり連絡を寄越してくる相手はいつだって決まっているのだ。

 フェンディが《鉄籠ケージ》から出るにあたって、言い渡されたルールが二つある。

 一つはもちろん、九重公龍を処分すること。これに関してはフェンディ自身の目的でもあるのだから異論はない。

 だが二つ目のルールである、向こうからの連絡には必ず応じることについては苛立ちを禁じ得ない。どうして自分が、ただ竜藤の名前を冠してふんぞり返っているだけの小僧からの連絡にいちいち気を払わなければいけないのか。投獄されていた身の特別な解放であるのだから、逃亡を防ぐ措置としては当然と言えるのだろう――と、頭では理解してやっているつもりだが、それと気分が害されることは全くの別物だった。

 そもそも当のフェンディには逃げる気など毛ほどもない。復讐が全てであり、それさえ満足に果たせるのならば、自分自身の命にすら一抹の執着さえ感じない。ただ唯一愛した人であるジョニー・ブロウのいない世界で生きる意味など存在しないからだ。彼と一緒でなければ何を食べても味はせず、何を見てもその彩りは感じられないのだから、そんな世界で生きていようが死んでいようが、フェンディにはもうどうでもいいことだった。

 しかし指図されるのは気に食わない。これはフェンディの復讐だ。ただ一つだけ残された生きる意味と言い換えてもいい。だから《リンドウ》の思惑が何であろうとそれだけは譲れない。協力的な態度を示して死体を贈ってくるあたりはまだしも、こちらのやり方にケチをつけるのは我慢がならないのだ。

 だが残念なことに、フェンディには連絡を無視するという選択肢はなかった。というのも《鉄籠ケージ》を出る際、フェンディの頭にはGPS付の小型爆弾が埋め込まれている。もしルールを守らなかったり、それに相当する行為が認められた場合にはこれが頭のなかで破裂する。いくら〝氷血の魔女〟と言えど、頭のなかまでは鍛えられない。もちろん強引に取り外すことも試してはみたが不可能だった。小型爆弾とやらにどれほどの威力が込められているのかは知らないが、もし爆発すれば脳は傷つき、フェンディは呆気なく死ぬのだろう。

 死ぬのは別に構わないが、それもこれも復讐を終えてからの話だ。

 フェンディはせめてもの反抗にと、たっぷりと焦らすように時間を置いてから、通信に応じた。まず聞こえたのは不機嫌を露わにした舌打ち。それから鬱陶しい声が続く。


『遅いぞ。すぐに出ろと言ったはずだ』

「寝てた、のよ。時間、考えて、もらえる、かしら?」


 時刻は深夜一時を回ろうとしていた。右手側にある小さな窓の外は暗く、天井ではぼんやりと裸電球が人魂みたいに揺れている。

 通信の相手はもちろん、フェンディを《鉄籠ケージ》から出した張本人である竜藤連地りんどうれんじだ。

 フェンディは九重公龍を追い詰める合間に調べ上げた連地の情報を思い起こした。

 先日死んだらしい《東都》の王・竜藤統郎の四男で、既に他界している母親は《東都》の外れでこじんまりとした花屋を営んでいた。竜藤統郎には愛人も多く、その子供も基本的には竜藤の姓を名乗り、物心ついたときから統郎の庇護の元で厳格な英才教育を施されるそうなので、一般感覚と離れていることはさておき竜藤においては珍しいことではないらしい。

 しかし連地の母親は愛人ですらなく、統郎とは一晩を共にしただけだった。だからこそ彼女は統郎には何も告げずに未婚の母となり、都市の片隅で連地を育てていた。

 そんな連地が竜藤家に迎え入れられたのは、つまり統郎の血を引く子供として認知されたのは七歳のとき。通常なら三、四歳から英才教育の日々が始められる竜藤家において、その数年の遅れは致命的だった。

 結果、連地は幼少期から凄まじいコンプレックスを植え付けられることになる。もちろん学校での成績は優秀そのものだったらしい。しかし家に帰れば静火や神楽、泉水といった規格外の才能を見せつけられ、年が近かったアルビスにも圧倒的な差を見せつけられた。

 連地は竜藤のなかにいながらその名前に誰よりも憧れ、執着することになる。

 そんな竜藤連地という男にとって、前任の第四部門フォースパワー統括であった竜藤将厳りんどうしょうげんの失脚と死は千載一遇のチャンスだった。《リンドウ・アークス》の内部事情までは知り得ないが、今回の件で九重公龍を無事に処理することができれば、これまで不安定だった《リンドウ・アークス》内での連地の地位は確約される。連地には決して失敗は許されない。

 その上、九重公龍にはかつての相棒であるアルビス・アーベントが協力していることも、今回の一件を連地にとって特別なものにしている。幼少期のコンプレックスの根源が、まさに敵として立ちまわっているのだ。


『どういうつもりだ』


 連地の声には怒気が滲んでいた。フェンディは思わず笑いそうになるのを堪える。


「どういう、つもり、とは?」

『決まってるだろう。せっかく贈り物までして力を貸してやっているのに、奴らに逃げられたというのはどういうことだと聞いているんだ』

「逃げら、れた、わけでは、ない、わよ」

『何だと?』


 連地は声を荒げるが、フェンディがそれを気にする様子はない。

 そもそも目指すゴールは同じでも、辿ろうとする道程がまるで違うのだ。

 連地あるいは《リンドウ》は圧倒的な力で相手を捻じ伏せ、最短最速で事態を収拾したいと考えている。しかしフェンディはその真逆。じわじわと追い詰め、生まれてきたことを後悔したくなるほどの苦痛を与え、そして殺す。この世にある考えうる限りの残忍を尽くさねば、自らのうちで滾る黒い憎悪に収まりはつかないのだ。


「問題、は、ないわ」

『問題ないだと? 二度も失敗しておいて、よく言うな』

「そう、焦らなくて、も、ちゃんと、殺すわ、よ。ふふっ」


 堪え切れなくなって漏れた笑いに、連地が舌打ちをする。


『こっちはいつでも貴様の頭を吹き飛ばすことができる。それを忘れるな』

「ええ、もちろん、よ」


 フェンディの命は連地によって握られている。しかし九重公龍とアルビス・アーベントの二人を始末するためにこの上なく有効なカードであるフェンディを、連地はそう簡単には捨てられない。


「大丈夫。もう、じき、いい報告、してあげる、わ」

『次はないぞ。失敗すれば貴様を切る』

「ふふふっ。痛い、のは、嫌、よ?」

『黙れ……この魔女がっ』


 愉快なジョークのつもりだったが、連地は声を荒げた勢いのまま通信を切った。ぼんやりと朧な明かりに照らされる部屋に静寂が戻ってくる。

 言うなれば今の通信は最後通告というやつだろう。だが問題はない。フェンディも着々と仕上げの準備を進めている最中だ。

 連地のせいですっかり眠気が覚めてしまったフェンディは小さく伸びをする。机の上に腕時計型端末コミュレットを置き、代わりに一枚の汚れた古い写真を手に取る。

 かつて事務所を立ち上げたとき、二人で撮った写真。もう忘れてしまった穏やかな笑顔を浮かべる自分と最愛の人であるジョニー・ブロウが並んで写っている。


「もう、少し。もう少し、よ」


 フェンディは写真のなかのブロウに対し、繰り返しそう語りかける。

 ブロウは解薬士としての任務中に死に、そしてあの二人の手によってもう一度殺された。その無念を晴らす瞬間が、もうすぐそこに迫っている。

 フェンディは写真のブロウに口づけをして、シャツの胸ポケットにそれを仕舞った。もう一度伸びをして立ち上がり、今いるリビングの奥にある小さな部屋へと足を向ける。

 鎖と南京錠によって厳重な施錠を外し、扉を開ける。僅かに開けた隙間からは濃密な血と糞尿の臭いが立ち込めてきて、フェンディは思わず眉を顰めた。

 部屋の広さは四畳半程度。コンクリートが打ちっぱなしになったスケルトンの仕様で、籠った湿気のせいで空気は粘ついている。調度品の類はもちろん、窓すらもなく、部屋というよりは倉庫や物置といったほうがいいかもしれないとフェンディは思った。

 フェンディは暗がりのなか、壁に手を伸ばして明かりを点ける。天井からぶら下がる裸電球に明かりが灯り、部屋の真ん中でぽつねんと椅子に座らされている人影が露わになった。

 座らされているのは女。服は脱がされ、下着姿を晒している。俯いているせいで顔は見えないが身体は拷傷だらけ。下着は血と糞尿で汚れ、元の白い色は見る影もない。座らされている椅子はどこにでもあるようなパイプ椅子。しかし座面が外されているせいで、自重によって椅子の骨組みに肉が食い込んでいる。

 部屋の明かりがついたことに気づいたのか、女がゆっくりと顔を上げる。何かを訴えようとしているのか、小刻みに唇を動かされていたが、女の声は出なかった。乾いて罅割れた唇の隙間から、あまりに弱々しい吐息が漏れるだけ。顔の右半分は青く腫れ上がり、もう半分も切れた額から流れた血が固まったせいでひどく汚れている。元はモデルのような綺麗な顔立ちをしていたとフェンディは記憶していたが、もはや別人のように痛ましい姿だった。

 とはいえ、刑事は顔でする仕事ではないのだから、どうでもいい話だろう。

 そう、この女は刑事だ。だがもうすぐで刑事ではなくなる。死んでしまったブロウが奴らにただの死体として扱われたように、この女ももうじき同じ道を辿るのだ。

 フェンディは女に笑顔を向ける。女は変わり果てた顔で、フェンディを睨みつけていた。

 大したものだ。ここまで辱しめられてなお、まだ反抗しようとする意志がある。立場や出会い方さえ違えば、もしかすると良き友人になれたかもしれないとさえ思えてくる。

 そんな彼女に向けて、フェンディはささやかな敬意と憐れみを向けた。九重公龍とアルビス・アーベントの二人に関わってしまったばっかりに、女は非業の最期を辿らなければならないのだ。


「もうすぐ、パーティーも、フィナー、レ、よ。楽しんで、ね。飛鳥、澪さん」

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