10/Party with the dead《2》

 アルビスはゲーム台に身体を押し付けて寄り掛かりながら立ち上がる。おそらくは先の掌打のせいだろう。衝撃に耐えかねた尺骨が折れ、右腕の皮膚を突き破って鋭利な尖端が露出している。あまりの激痛に脳が痛覚を麻痺させているのか、不思議と痛みは感じない。その代わり、肘から先が燃えるように熱を持っていた。

 斬馬刀を肩に担ぎながら、ウォンが通路の奥から姿を現す。千切れかけた頬の先で外れた顎が提灯のように揺れている。唾液と一緒に流れる血はシャツを赤く汚していた。

 もはやその姿に聡明で力強かったかつての面影は微塵もない。これが死者の肉体を引き摺り起こして弄ぶということ。生きてきた時間に積み上げてきたものさえ、嘲るように踏み躙ってしまうのだ。


「全く、本当に悪趣味だ」


 アルビスは眉を顰めつつ、折れた骨を皮膚のなかへと強引に押し込む。泡立った血が溢れ、激痛が脳を焼いたが、それを圧倒して余りあるフェンディに対する怒りと弄ばれた死者への憐れみがアルビスの胸中を満たしていた。

 しかし胸のうちとは裏腹に、もう拳を構えることさえ難しい。もし次に全力で打撃を放てば、今度こそ腕が千切れるかもしれない。だがたとえそうなっても、アルビスはウォンを倒さなければならなかった。

 それは幼い頃、武の基礎を指南してくれたウォンに対する手向けでもあるだろう。そして主を失い、自らの生を全うしてなお傀儡のごとく使われる彼の非業の運命への同情もあるだろう。

 だがそれ以上に、確証が欲しい。この国を追い出され、虫けら同然の日々のなかで母を喪い、怨念だけを抱えて亡霊のように戦場を渡り歩いた日々が、この《東都》で狂気に身を浸しながら血を流し続けた時間が、自分自身を強くしたという確証が欲しかった。

 そのためにウォンを超える。最後まで復讐を遂げるために、今ここで過去を一つ乗り越えるのだ。


「悪いが、この都市にはもう死者がのさばるための場所はない」


 アルビスは自らを鼓舞するように構えを取る。真っ直ぐに向けたアルビスの言葉に、ウォンは痙攣するように首を九〇度回して、べきべきと歪な音を響かせることで応じた。

 ウォンが腰を落とすと同時に地面を蹴った。弾丸じみた突進。振り絞った斬馬刀が水平に薙ぎ払われる。アルビスは半身の姿勢でゲーム台を蹴り上げて跳躍。一瞬遅れてゲーム台が豆腐のように切り裂かれる。アルビスはウォンの頭上を飛び越えて着地――背後を取る。しかしウォンは斬馬刀を振るった勢いのまま反転。仰け反ったアルビスの鼻先を斬馬刀の赤い切っ先が掠めていく。

 アルビスは床につけた肩で身体を支え、ウォンの腹を蹴り上げる。たたらを踏んだウォンは上半分が吹き飛んだゲーム台に激突。アルビスは脚を回転させて立ち上がりながら回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターを抜き、後退しながら鉄灰色アイアングレーのアンプルを打ち込んで付け焼き刃の回復を図る。しかしそれを妨害するように、ウォンは斬馬刀の重みに振り回される身体を強引に捻じって引き戻し、踏み込みとともに自重の乗った肘打ちを放つ。


「ぐっ――」


 鼻梁を的確に穿つ肘打ちに、アルビスはたたらを踏んで後退。顔の奥から熱がこぼれ、鼻腔を迸る血が満たす。手から離れた回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターが床を滑っていった。息つく暇もなく、開いた間合いに振り下ろされた斬馬刀が飛び込んでくる。

 その一瞬、アルビスは縦一文字に引き裂かれる自らの姿を幻視する。寄り添うようにぴたりと張り付いた死神の息遣いを、はっきりと感じる。そしておそらくは走馬灯――現実が引き延ばされるような感覚が束の間訪れ、肌に触れる空気がにわかに粘性を帯びていった。

 アルビスは振り下ろされる斬馬刀の射程圏内に、自ら進んで踏み込んだ。折れた右手を伸ばし、斬撃に体重が乗り切るより早く、ウォンの腕を掴む。それでも衝撃の重さに耐えかねて、押し込んだはずの骨は再び皮膚を裂いて露出。鮮血が溢れる。

 押し込まれた斬馬刀がアルビスの右肩へと落ちた肌に減り込み、肉を裂き、壮絶な痛みが全身を駆け巡る。


「ほうううううららららああああああああっ!」


 アルビスは雄叫び、激痛も死の予感も、全てを呑み込んだ。

 進め。踏み出せ。母が死んだあのとき、復讐を誓ったあの日から、アルビスに退路は残されていない。たとえこの身を焼くことになろうとも、修羅のごとくただ前に進み続けることだけが残された道なのだ。

 固く握った左の拳を放つ。捨て身にして力を振り絞り切った一撃は、歯を砕いて千切れかけているウォンの口腔へ。そのまま喉を突き、うなじのあたりから拳が露出。爆発したように血が溢れた。

 ウォンの身体が不恰好に痙攣。血の斬馬刀は綻び、元の液体へと崩れていく。身体の制御を失ったのかウォンの身体は揺らぎ、踏み込んできたアルビスに押し倒されるようにして背中から床に落ちた。

 折り重なって倒れる二人から流れる血が混ざりあい、床にはあっという間に血溜まりが広がっていった。生気を感じさせない死のひんやりとした温度が腹や腕を通してアルビスに伝わってくる。

 呑み込まれるわけにいかない。

 アルビスはウォンの頭から腕を引き抜き、寝返りを打ってウォンの上から退く。無機質な床も冷たい感触があったが、全身で荒れ狂っている激痛は熱となり、まだ生きているという事実を際立たせた。


   †


「クリュウ・ココノエ……」

 固まったまま声を絞り出すジーンに、公龍は笑みを浮かべる。

「いいから、てめえらは、黙って、見てろ。これは俺の、喧嘩だ」

 言って、背中に突き立つ無数の針を乱暴に抜いていく。全部を取り払っている余裕はなく、まだ何本かは刺さったままだったが構わなかった。パパスを引き摺るジーンが安全圏まで下がっていくのを待ってから、公龍は身体の向きを変えてスラストを見据えた。

「邪魔が入って悪かったな……。仕切り直しといこうぜ」

「ガチガチッ!」

 公龍は唐紅色カメリヤのアンプルを投与。スラストが放つ無数の針に対し、五指に生んだ血の弾丸で応戦。ぶつかり合い、互いに弾かれた血と針の驟雨が明後日の方向に逸れていく。

 同時に二人は地面を蹴っている。針に覆われた腕と血の刀が切り結び、鋭い衝撃音が走った。

 足を止めれば射出される針の餌食になる。公龍は回り込んで斬りつけ、距離を取っては血の弾丸を放ってスラストを牽制。さらに公龍は回転式拳銃型注射器ピュリフィケイター珊瑚色コーラルレッドのアンプルを追加投与。握っていた刀に血の螺旋が渦巻き、長槍へと変形していく。

 手のなかで弄んだ長槍をスラストへと向ける。表情こそ獰猛に笑ってみせるが、身体はやはりキリノエのマンションで起きたフェンディの戦闘から回復しきれておらず、多量の血を使う無茶な戦いに全身の血管は身体に入った亀裂のように鋭く痛んでいた。

 この二重服用も長くはもたないだろう。限界は近かった。

 ならばその限界をここで超えるまで。いつだってそうやって、紙一重の死線を潜り抜けてきたはずだ。

「ガチガチガチ!」

 スラストが放つ針を回転させた槍で防御。それでも何本かは槍の旋風を抜け、公龍の肩や太腿へと突き刺さる。

 公龍は間合いを詰めて跳躍。繰り出した刺突は交差されたスラストの腕が防御。打ち結ぶ鋭い音とともに烈風が走り、全身を覆う針と血の長槍の双方に亀裂が走る。

 しかし公龍が手応えを感じると同時、スラストが針を放つ。公龍はすぐさまバックステップで回避し、壊れたクレーンゲームの影に避難。スラストはそれを追ってくる。

 一列を挟んで対峙。睨み合いながら通路を走り、その切れ間で晒される互いを目がけて血の銃弾と針を放つ。銃弾はスラストの身体で火花を散らし、針は公龍の皮膚を裂いて肉を啄んだ。

 そして再びの疾走。しびれを切らしたスラストが跳躍し、クレーンゲームを軽々と乗り越えて公龍へと迫った。

 針の驟雨が降り注ぐ。それはまさに、傘なしでは雨を凌ぐ方法がないように、防ぐ手立ても躱す術もない。

 だから公龍は受けた。降り注ぐ鋼鉄の針に身を晒し、失神しそうになる激痛に耐えながら反撃カウンターの機を望んだ。


「ガチガチガチガチッ!」

「うおおおおおおおっ!」


 雄叫びをあげ、槍を握る手とは逆の手をスラストへと向ける。掲げられた掌には拳よりもさらに二回りは大きいだろうというあかの砲弾。公龍の肉体に流れる血を結集した、文字通り全身全霊となる一発だった。

 放つのは寸前――完全なるゼロ距離。今発揮できる最大級の攻撃を、最高速度である初速でぶつける。これが公龍の導き出した最適解で、最後の一手だった。

 公龍は気合いだけで針の驟雨を耐え忍び、全身を血と針まみれにしながら一瞬を待つ。

 そして――爆発じみた一撃。

 血の砲弾は公龍の手を引き裂き、同時にスラストの針に覆われた胸部を打ち砕いた。

 スラストの生白い胸が露出。公龍は間髪入れずにその場所へ長槍の穂先を滑り込ませる。

 槍はスラストの胸を貫通――どの針よりも太く鮮やかな一条の赤を背中から晒し、スラストはクレーンゲームに突っ込む。ショーケースのガラスが割れ、景品のぬいぐるみが床に散らばる。突き刺さる槍は形状を保てずに液体へと崩れ、スラストの身体から噴き出す血と混ざりあってぬいぐるみを赤く染めた。


「ガチガチ……ッ」


 スラストが胸に大きな穴の空いた身体を起こす。錆びついた玩具のようにぎこちない動きだが、彼はまだフェンディの特殊調合薬カクテルの支配下にあった。


「……しぶてえ野郎だな。さっさとくたばれ。仲間が待ってんだろうが」


 一閃――。振り抜いた血の刃がスラストの首を刎ねる。高々と舞った頭は回転することなく顎から床に落ち、濃密な血臭とは裏腹な甲高い音を立てた。

 一転して訪れる静寂。どうやらアルビスのほうも既にかたがついているらしい。

 公龍はゲーム台に手をつき、倒れそうになる身体を握りしめたクレーンの操作レバーで支える。しかし歩こうとした途端、見えていた世界が歪み、ぐるりと一回転する。

 後頭部に響く鈍い衝撃のわけを、倒れたからだと理解したのが最後、公龍の意識は深い闇のなかへと沈み込んでいった。

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