10/Party with the dead《1》
逃げるべきか、戦うべきか――選択は二つに一つ。
「パパス。脱出経路は?」
「さっき休んでもらっていた部屋のさらに奥に、地下に繋がってる道が一本ありますぜ。アーベントの旦那」
アルビスのいち早い判断に、パパスが応じる。何が起きているのか分かり切らないジーンも警戒心だけは最大限に引き上げ、拳銃を胸に抱いている。ビニールのカーテンの隙間から通路を覗くアルビスに、公龍は言う。
「迎え撃たなくていいのかよ」
「見て分かる通り、相手は〝六華〟の一人。もう片方はウォン・ファーガソン。竜藤統郎の付き人をしていた男で、貴様やフェンディと同じ赤色系統の適性者だ。生前の能力がどこまで発揮されるか知らないが、そこにあの女が加わるとなればさすがに分が悪すぎる」
アルビスはパパスとジーンを見やりながら言った。
公龍とアルビスの二人ならともかく、この二人はおよそ戦力にならない。むしろこのまま戦闘が始まれば、公龍たちは二人を庇いながら戦う羽目になるだろう。実力が拮抗する相手との戦いでそのハンデは致命的以外の何ものでもない。
だが逃げ続けることは不可能だ。無実を晴らし、クロエとの日々を取り戻すためにはどうしたって、〝氷血の魔女〟と再び対峙して打ち倒す必要がある。
「迎え撃つにしても、まずは退路の確保が先――」
「旦那ぁっ! 真っ直ぐこっちに向かってきてやすよっ!」
モニターでウォンとスラストの位置を見張っていたパパスが悲鳴を上げる。次の瞬間、固いものを力任せに削り取るような嫌な音がして、通路に面していた部屋の壁が横一文字に切り裂かれた。ジーンの悲鳴が響き渡る。
「くそっ!」
身を屈めて斬撃を躱していたアルビスが毒づき、転がりながら通路へと飛び出す。体勢を整えると同時に
「早く行けっ!」
薙ぎ払われた斬馬刀に吹き飛ばされ、アルビスは壁に激突。壁を突き破ってアルビスがモニタールームへと雪崩れ込んでくる。舞い上がる粉塵と埃の向こう側に、荒々しい斬馬刀を片手で担ぐ執事――ウォン・ファーガソンらしき姿が見て取れた。
「パパス、案内――」
言いかけて、公龍は言葉を呑み込んだ。
ウォンが真っ直ぐにこの部屋目がけて突っ込んできたということは、つまり敵側にこちらの位置が正確に割れていることを意味する。彼らゾンビが自らの意志や判断ではなく、フェンディの血によって動く人形に過ぎないとすれば、もう一体が油を売っているはずはなかった。
公龍は叫び、パパスとジーンを引き摺るように通路へと飛び出す。その刹那、天井を貫いて無数の針が降り注ぎ、床に深々と突き立てられる。一拍遅れて天井が崩落し、瓦礫とともに異形の針人間が降ってきた。
「ガチガチガチガチ!」
ゾンビになっても激しく打ち鳴らされる鉄の顎は健在。公龍は二人を引っ張り起こす。通路の奥側ではアルビスとウォンが対峙しているので、公龍は仕方なくゲームセンター側へ戻るように二人を連れて駆け出す。
スラストが腕を振るって針を飛ばす。ほんの一瞬前まで公龍が立っていた場所を針が通過。壁に夥しい数の針が突き刺さる。
「何なのよ、あのバケモノはっ」
「黙ってろ! 《
狼狽えるジーンを一喝し、突き飛ばすように背中を押して走らせる。通路を抜けてゲームセンター内に辿り着くや、公龍はくるりと身体の向きを反転させ、
打ち鳴らされる鉄顎の音とともに放たれた針を、公龍は咄嗟に閉めた扉で防ぐ。しかし針は鉄扉を容易く貫通。突き出した尖端が公龍の腕や肩を浅く裂いた。
息つく間もなく扉に衝撃。スラストが突進してきたのだと理解したときには既に扉の蝶番が吹き飛び、公龍も弾き飛ばされている。体勢を起こし、血の刀を構えた公龍の視線の先で、スラストは頭と肩から生えた針が突き刺さっている扉を乱暴に振り落としていた。
「ガチガチガチガチ!」
「久しぶりだな。てめえにはいつか借りを返さねえととは思ってたんだがよ。まさか化けて出てくるとは思ってなかったぜ」
無論、軽口が通用する相手ではない。スラストが振るった両腕から針が射出。公龍は横っ飛びで躱し、墓標のように連なって並ぶ格闘ゲームの台を盾にする。
公龍は策を思案していた。スラストがまとう針は距離のある相手に対しては銃弾や矢として、近距離戦においては攻防一体の鎧として機能する。いずれにせよ強力であることに間違いはなく、純粋な戦闘能力ならば〝六華〟最強だというターンの評価にも納得する他にない。
だがそんなスラストも一度は死んだ。相討ちではあるが、ウォン・ファーガソンによって倒されたのだ。ならば公龍とて、勝機がないわけではない。鉄板さえ容易く貫いてみせる硬さと鋭さを誇る針を打ち砕くだけの、強力な攻撃があればいい。
ほとんど一瞬で思案を終えた公龍の耳に、乾いた銃声が聞こえた。まさかと思って周囲を見回せば、真っ二つになったホッケー台の奥に、硝煙を吐き出す拳銃を構えたジーンが立っていた。あろうことかその傍らにはパパスもいて、早く逃げようと言いたげな顔で彼女のジャケットの袖を引っ張っていた。
「あの馬鹿っ、んで逃げてねえんだっ!」
呆れ返る公龍など知らず、ジーンが引き金を引く。
「ガチガチッ!」
スラストが腕を振るって針を放つ。もちろん標的はジーンたち。公龍は考えるより先に針の射線上へと飛び出して、飛来するそれらに背中を晒した。
肉が裂け、骨が砕け、夥しい量の血が舞った。目と鼻の先では既に
「どうして……」
ハリネズミさながらに針に突き刺された血だらけの公龍に向けて、ジーンの唇が震える。公龍は急激に温度を失っていく自分の身体を感じながら、血が溢れる口元に薄い笑みを浮かべた。
「巻き込んで、死なれたら、寝覚めが悪いだろう、がよ……」
†
血の斬馬刀が豪風を引き連れて振るわれ、壁や天井を容赦なく抉る。アルビスは紙一重で躱しながら、飛来する破片を防御。しかし顔の前で交差していた腕に、ウォンの鋭い蹴りが見舞われる。
骨が折れる間の抜けた音。アルビスは自ら吹き飛んで衝撃を殺したが、それでも腕は青く腫れ上がり、肘から先が緩やかに外側へと歪んでいた。
廃病院での戦いからまだ一夜と経っていない。莇から受けた攻撃で折れた腕は
「ファーガソンさん。少し懐かしいな。こうして貴方に稽古をつけてもらった日々を思い出すよ」
アルビスはらしくもない冗談を口にするが、もちろんそれが死者であるウォンの耳に届くことなどない。激痛を押して
幼いころの話だが、アルビスたち竜藤の子供にとってファーガソンは絶対的な存在だった。空手や剣道などあらゆる武術に精通するファーガソンは、師範としてアルビス達に稽古をつけてくれていたのだが、ただの一人として彼に敵った者はいなかった。
もちろんあの頃とは何もかもが違う。だがウォンの強さは知っている。意志なき死体ではあるが力は健在で、本気でやり合えば無傷では済まない。
「貴方に直接の恨みはないが、立ちはだかるならば越えていく。相手としても不足はない」
折れた腕を構えるアルビスに、斬馬刀を担ぐウォンはボキボキと首を九〇度回転させてみせた。その人間らしい動きから大きく逸脱した振る舞いに、アルビスは不快感を示して眉根を寄せる。多少なりとも知っている人間だからこそ、ゾンビとしての一つ一つの挙動がどうしようもなく不気味で、そして不愉快だった。
ウォンが地面を蹴り、右腕一本で握る斬馬刀を振り回す。まるで嵐が吹き荒れるように破壊が撒き散らされ、目に入る全てが蹂躙されて砕け散っていく。
本来ならば通路のような閉鎖空間において、槍や斬馬刀のような小回りの利かない武器は真価を発揮しづらい。しかし斬馬刀の破壊力とウォンの肉体が発揮する規格外のパワーは、そうした地形的不利を文字通り薙ぎ払っている。
そもそも、あれほど大きな得物を片手で扱えば、筋肉や関節が悲鳴を上げるのが普通だ。だが既に死んでいるウォンが自らの肉体を顧みることはない。筋肉が引き千切れようが関節が外れようが、関係なく持てる最大の力を振るってくる。もちろん当たればただではすまず、掠っただけでも致命的だ。全てが必殺の一撃だと言える。
アルビスはバックステップで後退し、壁が切り崩されて生まれたスペースを使って側面へと回り込む。しかし関節の可動域を無視した超人的な動きで反応したウォンが斬馬刀を振り下ろす。アルビスは紙一重のところで軌道を見切って懐へと潜り、ウォンの鳩尾に掌打を叩き込む。
よろめいたウォンは左足のかかとで大きめの瓦礫を踏む。重い斬馬刀を持っていることもあってかバランスが僅かに崩れて身体が傾く。もちろんアルビスはその隙を見逃さない。
追撃に踏み込み、ローキックで膝を破壊。骨を砕いた手応えこそあったもののウォンが倒れることはなく、むしろ伸ばされた左手に顔面を鷲掴みにされて投げ飛ばされる。アルビスは後頭部を壁に強打。一瞬だけ白んだ意識をすぐに引き戻し、眼前に迫っていた斬馬刀の一撃を紙一重で回避する。靡いた髪だけは断ち切られ、粉塵のなかに銀髪がはらはらと舞った。
体勢を整えたアルビスに、斬馬刀が振り下ろされる。アルビスはバク転で回避。ウォンは床に突き立てられた斬馬刀を軸にして両脚でアルビスの胸を踏み抜く。
「がっ――――」
にわかに呼吸を喪失。アルビスは吹き飛び、背中で床を擦った。
仰向けに倒れたまま酸素を貪るアルビスに、ウォンが迫る。背筋力で跳ね起きたアルビスは斜め上から振るわれる斬馬刀を身を切って躱し、即座に切り返して踏み込む。ウォンの顎を刈り取る掌打を放った。
手応え――その証拠にウォンの顎は砕け、千切れた頬から赤黒い血が流れる。本来ならば意識が吹き飛ぶ一撃。あるいはせめて一瞬怯むくらいの激痛を与える一撃。しかしゾンビには吹き飛ぶための意識も、危険を察知するための痛覚も存在しない。
斬馬刀の柄がアルビスの脇腹へと減り込む。アルビスは壁に叩きつけられ、食いしばった歯の隙間から込み上げた血が泡立って溢れる。次の瞬間、上半身を捩じ切るのではないかと思えるほどの捻転から斬馬刀が振り抜かれ、壁を抉りながらアルビスを打ち据えた。
おそらくは単なる幸運――。刃ではなく刀身の腹で打たれたアルビスは痛打された野球のボールのように吹き飛ぶ。通路を真っ直ぐに抜けて広い空間を転がり、何かに全身を打ちつけて止まる。
アルビスが霞む視界で見上げたのは、画面に次々と迫ってくるゾンビを倒すガンシューティングゲームのゲーム台だった。
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