07/Fatal discord《2》

 拘束を解いたアルビスは凄まじい轟音と震動を感じていた。

 間違いなく公龍の戦闘が原因だろう。これほど大規模な揺れということは、相手はラプチャーだろうか。

 アルビスは感覚を研ぎ澄ませ、音の方向を探る。震動は尚も続き、激しく水が流れる音が聞こえた。

 沈む――。そう思ったのは苛烈な戦場で培ってきた直感からだった。

 痛みを訴える身体に鞭を打って駆け出す。断続的に激しい揺れが起こり、そのたびにアルビスはよろめいた。すぐ横で柱が折れる。天井には深い亀裂が走った。崩落は時間の問題だった。

 しかし先を急ぐアルビスは前方に気配を察知して立ち止まる。水音を引き連れながら、摺るような足音が響く。


「……誰だ?」

「……よお、捕まるとか、ヘマしやがって」


 薄闇から現れたのは公龍だった。全身はびしょびしょに濡れ、身体の至るところに火傷痕が見て取れる。特殊調合薬カクテルの使い過ぎで血の気を失った顔は青白く、力なく垂れた腕は公龍の意志とは関係なく小刻みに震えている。


「面倒をかけたな」

「全くだ。世話の、焼ける……」

「無理して喋らなくていい」


 アルビスは今にも倒れそうな公龍の肩を支える。アンリが律義に置いていった回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターで公龍の医薬機孔メディホール鉄灰色アイアングレーのアンプルを打ち込む。血を失い過ぎた相棒の身体はいくらか軽く感じられて、アルビスは思わず表情を険しくする。だが今のアルビスには、命を懸けて自分のことを助けに来てくれた相棒にかけるべき言葉を見繕うことができなかった。


「……まずはここから無事に脱出するぞ」


   †


 商業施設から増築された粗雑な地下洞へと抜け、地下鉄メトロのホームへと出たアルビスたちはそのまま改札口から地上へと帰還した。

 階段の最後の一段を上がり切るやそのまま地面へと倒れ込む。地下は依然として崩落を続けているらしく、横たわった地面は微かに震動を続けている。

 ようやく見えた太陽の光は西日で、数時間ぶりに浴びるというのにひどく懐かしいものに感じられた。


「公龍、生きているか?」

「……当ったりめえだ」


 アルビスは腕時計型端末コミュレットで救急に連絡。それからゆっくりと身体を起こす。公龍はすぐ横で仰向けになり、浅い呼吸をしながらオレンジ色の空を仰いでいる。


倒しやつたのはラプチャー=リッチか?」

「……まあな。あの、爆発で分かんだろ」

「ああ。ならば、もう終わりだな」

「あ? 終わり?」


 公龍が声を鋭くし、顔を顰める。起き上がろうとしたが咽返ってしまいそれは叶わなかった。

 アルビスは真っ直ぐに前へ顔を向けたまま、ただ冷たく、事実を読み上げるような無機質な口調で続けた。


「そうだ。終わりだ。クロエを爆発に巻き込んだ落とし前はつけさせた」

「……てめえ、それ、本気で言ってんのか?」


 公龍が怒気を醸す。たとえ満身創痍で、ろくに動くことができないとしても、この男が滲ませる圧には一定の質量じみた重さがある。


「おい、アルビス。本気で、言ってんのかって、聞いてんだよ」

「当たり前だ。私はお前と違って、くだらない冗談を口走ったりはしない」

「……どういうつもりだ?」


 空気が張り詰める。沈んでいく夕陽はビルの影に消え、二人に圧し掛かるように闇が落ちた。


「手を引くと言っている。この件は私たちの手に余る。それだけだ」

「……誰と、何を話した?」


 さすがは目ざとい。伊達に長年組んでいるわけではないということだろう。

 だがアルビスはその公龍を冷たく突き放す。


「お前には関係ない」


 アルビスはゆっくりと立ち上がる。公龍が強引に身体を動かし、アルビスのスラックスの裾を握った。見下ろせば、これまで見たこともないような怒気を孕んだ眼差しで、公龍がこちらを見上げていた。


「関係なく、ねえだろ」

「関係ない。それとしばらく事務所は休業する。吹き飛ばされたことだしな」

「何言ってんだよ、てめえ……」

「もちろん辞めて他に行って構わない。むしろそうしてくれたほうが助かる。お前ほどの腕ならどこの事務所だって喉から手が出るほど欲しいだろうしな」

「そうじゃねえだろ……」

「退職金は諦めろ。事務所が吹き飛んだんだ。そんな余裕は」

「そうじゃっ、ねえだろうがっ!」


 公龍の絞り出した怒鳴り声が廃墟の街に響く。しかしその言葉はアルビスが一方的に下した決定と意志に、微塵も響くことはない。


「俺ら、一応、相棒だろ……何があったんだよ。言えよ。こんな半端に終わんのなんて、てめえが一番嫌いな、はずだろうが」

「何もない。もうこの件は手に余る。それだけの話だ。これで満足か?」

「アルビスッ!」


 公龍が吼え、アルビスの足首を握る。既に掴む力など残っていないはずの公龍の手はアルビスの皮膚に深く食い込む。アルビスはそんな公龍をもう一度、冷たい眼差しで見下ろした。


「――解散だ」


 アルビスは声の震えを抑え、努めて冷酷にそう告げる。脚を振り上げ、裾を掴んでいた公龍の手を振り解く。体勢を崩した公龍は前のめりになって肩から地面へと落ち、苦鳴を漏らす。


「ふざけんなよ、てめえ。勝手なこと……、抜かしてんじゃねえッ!」


 公龍が力を振り絞って立ち上がる。食いしばった歯の隙間からは込み上げてきた血が溢れ、全身は痙攣を起こしたように震える。息は浅く、火傷痕が痛々しい肩が忙しなく上下に揺れていた。


「どうしても行くって言うならよ、俺を倒してから行けよ。なあ、アルビス」

「くだらんな」


 アルビスはわざと嘲るように鼻を鳴らす。それから即座に腰を落とし、鋭く一歩を踏み込んだ。

 鈍い打突音。

 放った掌底は公龍の腹を真っ直ぐに打ち抜いている。公龍は大量の血を吐き、為す術もなく膝を折る。


「死にかけのお前などとるに足らない。それとも、そんな茶番で私が折れるとでも思ったか?」

「くそ、が……」


 絞り出した声を最後に、公龍が地面へと沈む。アルビスは公龍の意識が完全に失われたことを確認し、外した腕時計型端末コミュレットを動かなくなった公龍の背中に捨てる。


「……クロエのことは頼んだぞ」


 最後に心残りを一つだけ口にし、アルビスは踵を返す。もう振り返ることはない。

 空はもう、深い闇の色へと変わり始めている。

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