10/A ray of light, blaze in the dark《2》

 ある廃区。建設が途中で取り止められ、そのまま廃墟と化したマンションの、壁もろくにできてはいない空間に、影が二つ。

 一つは砂と埃だらけの床に座り込み、開け放たれた外の景色に視線を向けている。外套で全身を覆っているせいで、その影の面立ちなどについては分からない。だが時折響く、金属を打ち鳴らしたような歯ぎしりの音と、獣の唸り声のように響く荒い息遣いが、その正体がただならぬ何かであることを容易に連想させた。

 もう一つの影はその背後、直前まで気配もなく、崩れかけた柱の影からするりと姿を現す。

 こちらはこれと言って特徴のないシャツとジーンズ姿。差し込んだ薄明かりで浮かび上がる顔貌にもこれと言って特徴はない。この《東都》にごまんといる、気の良さそうな青年だった。


「気分はどうだい?」


 青年は外套をまとう背中に向けて声を掛ける。動いた青年の口元に、目を凝らさなければ分かりはしない不自然なノイズが走る。ホログラム特有の、虹色のノイズだった。

 電子擬態ホロウェアリング。対象に立体映像ホログラムをマッピングする最新技術。人間に、それも全身に電子擬態ホロウェアリングを施すのは特別な場合を除けば、れっきとした違法行為だった。

 外套の影は振り返らず、景色に視線を向けたまま青年の声に応じる。


「ワ、ル、ク、ハ、ナ、イ、ナ」


 ひどく掠れた、たどたどしく歪な声だった。喉が潰れているとか、そういうわけではなく、もはや声帯そのものが声を発するのに適しておらず、無理矢理に絞り出しているような、そんな声。

 青年は手に持っていたアタッシュケースを地面へと置く。開いたなかには数十種類は下らない、注射器や錠剤などが詰め込まれている。


「今回分の薬だよ。教えた手順通りにね」

「……恩、ニ、着、ル」

「いいよ。僕は僕で、君の活躍ショウを見ながら美味い酒を飲んでるから」


 青年はアタッシュケースのふたを閉め、そのままにして立ち上がる。外套の影は荒い呼吸だけを不規則に繰り返している。青年はそんな相手の態度を、つまらなく感じた。


「随分と派手にやっているみたいだね。巷だと〝解薬士狩り〟なんて呼ばれて都市伝説にまでなっているらしいよ。すっかり有名人だ。おめでとう」

「ソ、ウ、カ」


 外套の影――〝解薬士狩り〟は大して興味もなさそうに応じる。どうやら〝解薬士狩り〟の声に滲む隠しきれていない歓喜と興奮は、別のところにあるらしかった。


「そうだったね。一人目を殺したんだっけ」

「マ、ダ、モ、ウ、ヒ、ト、リ、ノ、コ、ッテ、イ、ル」


 猛烈な憎悪。そしてこの身体さえあれば必ず殺すことができるという、強い確信が伺えた。

 青年は壁に寄り掛かり、〝解薬士狩り〟へと視線を向ける。ホログラム越し、〝解薬士狩り〟の価値を値踏みするような、いやらしく冷たい視線だった。


「仮定の話をしよう。君は間もなく、二人目の居場所を突き止め、そして殺すだろう。殺したとして、君はそれから、一体世界に何を望むんだい?」


 青年が問うと、〝解薬士狩り〟は卑屈で渇いた笑みを漏らした。やがて笑い声は咽返る音に代わり、〝解薬士狩り〟は大量の血を吐いた。


「……ソ、レ、ハ、嫌、味、カ。セ、ン、セ、イ。コ、ノ、復、讐、ノ、サ、キ、ニ、ハ、死、イ、ガ、イ、ノ、ナ、ニ、モ、ノ、コッ、チャ、イ、ナ、イ、ダ、ロ」


 影――〝解薬士狩り〟となった男は、病を患っていた。全身に転移した末期ガンは《東都》の医療をもってしても救うことが難しく、男は残り僅かの命だった。

 だが、男は病への絶望も死への恐怖も感じてはいなかった。死を目前にした男の瞳には、一辺の曇りもない禍々しく美しい、憎悪と狂気が宿っていた。

 その正体は復讐心。

 男には娘がいた。妻に先立たれた男にとってはたった一人の家族だった。だがその最愛の娘は、《東都》にありふれた非認可薬物デザイナーズドラッグの事件に巻き込まれ、意識不明の重体に陥った。以来たったの一度たりとも起き上がることはなく二年が過ぎ、一カ月ほど前に息を引き取った。

 男に残されたのは憎悪と、そして僅かな時間だけ。

 純化された魂が辿り着く先を。

 その果てに一体、どんな景色を望むのか、興味が湧いた。


「魂はいつだって自由さ。たとえ肉体の滅びが近くても、それは魂の叫びを妨げる理由にはなりえないんだ」


 青年は演技じみた大仰な手振りを交えて〝解薬士狩り〟に向けて言う。〝解薬士狩り〟は再び笑い、地面に吐き出した粘着質な血に手を伸ばす。血ごと握りしめた拳には、異形と成り果てて尚、彼を辛うじて彼たらしめている強烈な決意が宿る。


「ナ、オ、サ、ラ、ダ、セ、ン、セ、イ。ア、ン、タ、ニ、ミ、イ、ダ、サ、レ、テ、ウ、ナ、ヅ、イ、タ、ア、ノ、瞬、間、カ、ラ……ス、ベ、テ、ヲ、コ、ノ、復、讐、ニ、使、イ、キ、ル、ト、決、メ、テ、ア、ル」


 しかし、〝解薬士狩り〟が言うや青年の顔から、これまでの興が全て嘘だったかのように表情が消えた。電子擬態の顔貌が織り成す柔和そうな面立ちこそ健在だったが、青年が〝解薬士狩り〟に落胆し、彼への興味を失ったことは明白だった。

 だから〝解薬士狩り〟が放つ、歪んだ熱のこもった言葉の一方で、青年の応答は短く、冷たいものだった。


「そう。それはぜひとも頑張って」


 思い違いだったのかもしれない、と青年は内心で溜息を吐く。もっと眩く、痛切に、輝きを放つ魂の、その果てが見たかった。

 青年は壁から身を起こし、踵を返す。立ち去ろうとして、わざとらしく足を止めた。


「そうだ、そう言えばさ、君が殺したと思っている一人目。どうやら、まだ生きているよ」


 その言葉に、〝解薬士狩り〟がびくりと反応する。振り返った〝解薬士狩り〟の、人間などとっくに捨て去ったことがよく分かる異貌が、外套のフードのなかから僅かに垣間見えた。


「ナ、ン、ダ、ト……」


 言って〝解薬士狩り〟が咽返る。もはや嘔吐に近い勢いで、血が吐き出された。


「まあもちろん、かなりの深手は追っているだろうからね。まともに動くことさえできないみたいだけど。言うなれば、君の娘さんとお揃いってことかな」


 刹那、怒気が膨れ上がり、〝解薬士狩り〟を中心に疾風が走る。青年に向けて殺到した風は青年の肢体を無惨に切り刻む。

 だが電子擬態ホロウェアリングにノイズが走っただけ。いつの間にか中にいたはずの生身の人は消え、ホログラムだけがその場に残されていたのだ。


「……ド、コ、ニ、イ、ルッ!」


〝解薬士狩り〟は声を絞り出す。気配はあった。だがどこかに必ずいるはずの青年の姿は、どこにも見えなかった。


「……ア、ン、タ、ニ、ハ、感、謝、シ、テ、イ、ル。……タ、ダ、死、ヲ、待、ツ、ダ、ケ、ダッ、タ、人、生、ノ、終、ワ、リ、ニ、……ネ、ガ、イ、ヲ、カ、ナ、エ、ル、チャ、ン、ス、ト、チ、カ、ラ、ヲ、ク、レ、タ。……ア、ン、タ、ガ、現、レ、テ、ク、レ、ナ、ケ、レ、バ、タ、ダ、無、意、味、ニ、ム、ナ、シ、ク、死、ヌ、ダ、ケ、ダッ、タ、ン、ダ、カ、ラ。…………ダ、ガ、ム、ス、メ、ヲ、……ア、ヤ、コ、ヲ、馬、鹿、ニ、ス、ル、コ、ト、ダ、ケ、ハ、絶、対、ニ、ユ、ル、サ、ナ、イ!」

「分かった。だけど、そう怒らないでくれよ。少し冗談が過ぎたのは認める。それに冗談の種類も趣味が悪かった。謝るよ」


 作りかけの廃マンションに、青年の声だけが響く。〝解薬士狩り〟は殺気だったまま、青年の居場所を探って五感を研ぎ澄ませている。


「でも、一人目――九重公龍ここのえくりゅうが死んでいないことは事実だよ。君の復讐はまだ序章だろう?」


 青年の声が耳元で響く。〝解薬士狩り〟が気づいたときには遅かった。まるで昆虫同士の相撲でも楽しむような、子供じみた無邪気さで笑う青年の声が背後から聞こえた。


「…………ナ、ニ、ヲ、ス、ル」

「僕からの気持ちだよ。君を応援してるんだ」


〝解薬士狩り〟の首筋に突き立てられた注射器が引き抜かれる。青年はそれを外に向けて無造作に放り捨て、背中から〝解薬士狩り〟を抱擁する。


「〝解薬士狩り〟……いや、棗シロウくん。君の魂が叫ぶそれが、花開き実を結ぶ瞬間を、僕は切に願っているよ。君の輝きを、僕に見せてくれ――」


 今度こそ、青年の気配が消えた。抱擁する腕にほのかに感じられた温もりさえ、嘘だったとでも言うように、跡形もなく一瞬で。

 同時、微かに残っていた〝解薬士狩り〟の人格と理性が黒い波に呑み込まれ、掻き消えていった。

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