05/Acceleration《3》

 煌びやかな立体映像ホログラムの繚乱。繁栄と豊穣を象徴するように、天を貫く無数の摩天楼。

 やがてアルビスたちの行く手に、一際大きく、淡い黄金に照らライトアップされた地上四六階建ての巨大なタワーが見えてくる。

 アリストクラタ・ホテル。《東都》随一のホテルであり、各国のVIPや政府関係者も利用することで知られるそこは警察関係者の隠語で〝空中要塞〟と呼ばれるらしい。

《東都》は比較的どこでも、中心部に近づけば近づくほど顕著に、背の高い建物が目立つ。三〇階程度であれば大して珍しくもなく、かつては富の象徴だったタワーマンションすらも今ではごく普通の中産階級が暮らす程度のものだ。

 だがアリストクラタ・ホテルの周囲にはそうした建物は存在しない。くりぬいたように周囲は開け、上層フロアのスイートルームから眺望できる絶景を利用者に約束する。

 無論、それは建前に過ぎない。

 アリストクラタ・ホテルの周囲に比肩する高さの建物がないのは狙撃などを防ぐため。そもそも銃弾など通すようなガラスを使っているわけがないのだが、危機管理の徹底ぶりはすさまじい。

 第二区という、《東都》の一等地に建ちながら、絶対的に孤立した絢爛の城。故にアリストクラタ・ホテルは〝空中要塞〟などと呼ばれるのである。


「付き合わせてすまないな」


 アルビスはバックミラー越しに後部座席の澪を見やる。澪が助手席を空けるように車に乗り込んだのは、そこに座るべき人間の帰還をアルビス同様に信じているからに違いない。

 気づいた澪は小さく微笑み、首を横に振る。


「いえ、規則ですから」


 解薬士は二人一組ツーマンセルでの行動を規則として課せられている。これは多くの場合で単独である過剰摂取者アディクトに対峙する際の解薬成功率を上げるための措置であると同時に、バディ間で互いを互いの安全装置として機能させる狙いがある。

 特殊調合薬カクテルという超常の劇薬を使う解薬士は心身の均衡が僅かにでも崩れれば薬の効果とともに力は暴走し、最悪の場合は過剰摂取者アディクトと同様の怪物へと変貌する。

 そうなったとき、あるいはそうなるより先に、暴走する相棒に死を与える。

 解薬士であるということは相棒に背中を預けて戦うと同時に、互いの背に回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターの切っ先を突き付け続けることも意味している。

 だが実際は二人一組ツーマンセルを保ち続けることは困難であり、今のアルビスたちのように片方が戦闘不能に陥るなどする場合も多い。だからそうした場合、解薬士の行動権限には特例が認められる。

 刑事や他の解薬士、あるいは《リンドウ》から派遣される職員など、規定上認可されている人物を代理人として立てることにより、ルールを逸脱することなく行動することができるのだ。


「わたしはこれでも、刑事のなかでは前線慣れしてるほうだと思っています。ミスター・アーベントの足は引っ張りませんから、ご心配なく」

「そんな心配はしていない。ミス・アスカ。貴女は優秀な刑事だ。正義が何かを、きっとよく知っている」


 澪は照れるように、あるいは誤魔化すように微笑む。


「警備に異常はないか?」

「五分ごとに定期連絡を共有していますが、問題ないそうです。そもそもあの〝空中要塞〟に乗り込もうとするような考え無しはいませんよ」

「普通の人間ならそうだろうな。だが違う。奴らは常にこちらの予測を超えてくると肝に銘じておいたほうがいい」

「やはり、それほど、ですか?」

「ああ。それに奴らはかなり戦い慣れしていた。殺しではなく、対等な戦闘においてどう立ち回るべきかを知っていた。例えば、ただ力を手にして暴れていただけのキティ・ザ・スウェッティとは遥かにレベルが違う」


 アルビスは半日前の交錯で、一つの確信めいたものを抱いている。

 おそらく――少なくともメルティ・フレンドリィの出自は、自分と同じ。つまり傭兵、あるいは軍属の白兵として戦っていた経験があると。

 それは奴らが与えられた人外の能力に匹敵する脅威だと、アルビスは考えている。狂気に落ちるのみならず、そこに確たる理性を保ったまま躊躇なく非道を行うことのできる、兵士として染みついたパーソナリティはそれだけで警戒するに足るものなのだ。

 澪は後部座席できりと表情を引き締める。左の脇にそっと触れたのは、ジャケットの下に拳銃が収められているからだろう。

 やがて緩やかに車が減速。玄関前で屈強な肉体と柔らかい物腰を兼ね備えたドアマンが出迎える。


「いらっしゃいませ。アリストクラタ・ホテルへようこそ――。こちらへ」


 扉を開けた澪が腕時計端末コミュレットの盤面に警察手帳を提示。即座にその意味を理解したドアマンは余計な口を噤んでエントランスへと先導する。

 アルビスは降車の直前、山吹色ブラッドオレンジのアンプルを自らに投与。拡張されていく五感を周囲の警戒へと巡らせる。

 一階エントランスは異常なし。

 あの外見でメルティらが正面玄関からやって来るとは思えないが、エントランスにも数名、護衛の警官がスーツ姿で配置されている。

 アルビスたちは無暗に広く、革張りの高級なソファなど豪奢な調度品が配置されたエレベーターホールでエレベーターを待つ。そう時間を置くことなく、エレベーターが到着。中には護衛にあたっている刑事と思わしき澪の同僚が待ち受けている。


「お疲れ様です」

「おう、お疲れ。そいつがお前の言っていた解毒屋か?」


 厳めしい風貌の中年刑事の顔には露骨な嫌悪が浮かんでいる。解薬士と現場の刑事の間にある亀裂の深さは今に始まったことではない。アルビスは慣れていた。


「アルビス・アーベントだ」


 中年刑事は差し出されたアルビスの右手を見下ろし、鼻で渇いた笑みを漏らす。


「勘弁してくれよ。上からの指示だから、あんたらみたいなイカレ野郎と足並みを揃えてやっているだけだ。もしもの時は、盾くらいにはなってくれよ」


 横で侮蔑の笑みを見上げていた澪が何かを言い返そうとしていたが、アルビスは制止する。ここで言い争うことに意味はないし、仮に言い争ったところでこの男のような手合いが解薬士を許容できるようになる日は来ない。

 アルビスと澪は中年刑事の後に続いてエレベーターに乗り込む。ドアマンから案内を引き継いだ若いボーイが三七階のボタンを押し、エレベーターはゆっくりと上昇を始める。到着を告げるAIの電子音声が聞こえ、ゆっくりと扉が開く。

 三七階は現在、全室貸し切りになっている。もちろん三七〇一五室以外の部屋は空き室か、護衛の警官たちの待機室だ。盛永スサーナのいる三七〇一五室はフロアの最奥。部屋に繋がる通路は一本の直線で迎撃態勢を整えるには実に容易い位置関係となっている。


「ダクトと窓は問題ないな?」

「はい。屋上のヘリポートに狙撃手を配備し、壁伝いの侵入やヘリなどの航空手段による侵入を警戒しています。ダクトに関しても、三七階の空調はホテルのシステムから遮断、物理的にも塞いでいますので、外からの侵入は難しいと思います」


 アルビスは澪に確認を取り、三七〇一五室へ。扉の前で立っていた警官から入念なボディチェックを受け、ようやく部屋の扉がカードキーにて解錠される。アルビスと澪は中年刑事らの視線を背中に感じつつ、中へと入った。

 部屋はトップクラスのスイートとあって、とてつもなく広い。天鵞絨で埋められた通路の先、リビングにいたっては、アルビスたちの事務所の三倍近い広さがあり、世界的なデザイナーが手掛けているらしい全ての家具は、そこがそのまま美術館だと言われたとしても頷くことができそうだ。


「いませんね……」


 澪はあまりの絢爛に緊張しながら部屋を見回す。ソファのよこに脱ぎ捨てられた漆黒と真紅のワンピースが一着あるだけで、それを着ているはずの人物の姿はない。


「シャワールームだろう。水音がする」


 アルビスが言うと、澪が驚き半分に耳を澄ませる。当然、澪の耳にはそんな音は聞こえないだろう。山吹色ブラッドオレンジのアンプルがもたらす五感の強化による恩恵だ。

 アルビスは三日月型に横たわるソファへと腰を下ろす。おそらくは人間の身体を工学的に知り尽くした上での設計なのだろう。絶妙な按配の硬さが、アルビスの肉体を的確に支え、そしてリラックスさせる。澪は落ち着かないのか、居場所を探してしばらく視線を彷徨わせたあと、通路に近い壁際に立っていることを選んだ。

 アルビスは三七〇一五室全体へと意識を巡らせる。ジェリーとメルティならば一体どこからどんな手段で襲撃を加えてくるか、思案する。

 警察による警護の有無に関わらず、アリストクラタ・ホテルを襲撃するのはやはり難度が高い。盛永スサーナの身柄を奪う最も確実な襲撃機会は、やはり盛永スサーナがどこかへ移動する瞬間。アリストクラタ・ホテルから出る瞬間だ。

 だがここはアルビスの廃れたセーフハウスなどとは異なり、超がつく一流ホテル。その気になれば数カ月単位で立て籠もることすら容易だ。だからアルビスたちに強襲を仕掛けてくるような奴らが、悠長にアリストクラタ・ホテルから盛永スサーナが出てくる瞬間を待つはずもない。

 最もエキセントリックに見えるのは、地上三七階という物理的断絶を飛び越え、壁伝いにメルティを襲撃させる手段だが、アルビスが既に能力を知っている以上、推測と対策の範囲内だ。


「――ちょっと、シャワー中に人は入れないでと言ったはずだけど? 警察はどれだけ無能なのよ」


 通路のほうから鋭い声。バスローブを羽織った女が濡れた金髪を拭きながら、棘のある傲慢な口調で吐き捨てた。


「失礼しました。ですがこちらも急を要しましたので」


 澪は言って警察手帳を掲げ、アルビスも倣ってIDを提示する。スサーナは露骨な嫌悪をアルビスへと向けた。


「へぇ、解毒屋さんなの。どうりで部屋の空気が淀んでるわけね。今すぐ出て行ってくれて?」

「盛永スサーナ。ファイルはどこにある?」


 アルビスは無視して早速本題へと切り込む。だがスサーナは苛立ちを露わに親指の爪を噛み、アルビスには一瞥もくれずにキッチンへと向かう。


「何のことかしら? 私はね、訳も分からないままこんなところに閉じ込められて、意味不明な質問をされ続けてる。とても疲れてるのよ」


 スサーナは冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、置いてあったポーチから掌へごっそりと取り出した錠剤をこれ見よがしに水で飲み下す。おそらくは疲労緩和剤の類だろう。お前たちのせいで私はこんな風になっているのだとでも言いたげな顔だ。

 アルビスはその様子を眺めながら、彼女の嘘を易々と見抜く。

 スサーナが疲労緩和剤の使用を始めたのはここ数日の話ではない。あの異様な量を鑑みるに短くても二週間、アルビスの予想では一月くらい前――宅間との密会前後から疲労緩和剤を使用している。

 加えて、帝邦医科大で見た彼女の写真に比べ、明らかに痩せていたし、目の下にも隈が浮かんでいる。親指の爪を噛む仕草も、相当な精神的なストレスの表れだろう。


「ファイル、ファイル、ファイル。どいつもこいつも馬鹿の一つ覚えみたいに同じことばっかり繰り返し。知らないって何度言ったら分かるのかしら」


 スサーナは深く溜息をついて苛立ちを露わにする。嘘を吐いているのは明白だが、正攻法では口を割れそうにない。何より今は時間が惜しいのだ。

 アルビスは立ち上がり、キッチンにいるスサーナへと詰め寄る。身の危険を察したスサーナがミネラルウォーターを投げつけるが、アルビスは首を傾けてそれを躱し、回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターを抜く。


「アルビスさんっ?」


 驚く澪をよそにスサーナに近づく。振り上げられたスサーナの腕を取り、一ひねりで自由を奪う。


「手荒な真似をするつもりはなかったが、あまりのんびりはしていられない」

「ふざけないで! 訴えるわよっ!」

「最後のチャンスだ。ファイルはどこにある? 宅間から受け取ったファイルだ。沈黙が金にならない場面もあると、貴女に教えたくはない」

「ファイルなんて――きゃぁっ」


 スサーナが声を張り上げた瞬間、バツンと音を立てて室内の照明が落ちる。スサーナがアルビスに掴まれたまま悲鳴を上げて暴れる。即座に非常灯が青白く灯ったが、暗闇は目の前のスサーナさえよく見えないほどに深い。


「……どうやらホテル全体の停電のようですね。三分で非常電源に切り替わるみたいです」

「ミス・アスカ。部屋の外の護衛とヘリポートの狙撃手たちに襲撃に備えるよう指示を出せ」

「っ! 分かりました」


 澪は二つ返事で頷き、腕時計端末コミュレットから指示を飛ばしていく。アルビスの腕の中ではやはりスサーナが鋭く喚いている。


「なにっ? 襲撃って何なのよっ? 説明しなさいっ!」

「後だ。まずはこの状況を切り抜ける。――安心しろ。貴女は必ず、私が守る」


 アルビスは努めて穏やかにそう言って、首筋の医薬機孔メディホール回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターの切っ先を突き刺し、戦闘開始を告げる引き金を引いた。

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