03/Triangular struggle《3》

 解薬士の界隈に、こんなゴシップがある。

《リンドウ・アークス》秘蔵である回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターに、自ら改良を加えた天才解薬士がいる、と。

 無論、それだけならば驚くようなことはない。

 人の道具とは常に時間とともに研磨される。より強く、より効率的に、より丈夫に。目指すところは何であれ、使用されるなかで常に進化を余儀なくされるものなのだ。

 だがその天才が、たった一六歳の女子高生だと聞けばどうだろうか。

 そう。誰だって耳を疑いたくなる。そして次にこう口走る。

 あり得ない、と。

 それもそのはずだ。回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターはそれ自体が緻密な計算と法則の集合体であり、一般的な銃火器のように安易に分解してしまえば二度と使い物にならなくなることもある。

 ましてその改良型を、誰一人して見たことがないとすれば、噂はさらなる憶測を呼び、真実味は霞みのなかへと消えていくのが必然と言える。だが――


「本当だったのか。狙撃銃型注射器モデル・スナイピング


 アルビスは公龍を抱え、先ほど滅茶苦茶にした露店を踏み越えて建物のなかへと避難していた。壁の向こうではシルバーと名乗る赤髪の解薬士が余裕の笑みを浮かべて特殊警棒を素振りしている。


「畜生……ふざけた野郎だ……ぶっ殺す」


 公龍が虚ろな表情で唇を噛む。狙撃によって打ち込まれたのは意識を鎮静化させる強力な麻酔作用を誇る群青色コバルトブルーのアンプル。既に無色のノンカラードアンプルによって無効化を図っているものの、一度効いてしまった麻酔の効果はまだ公龍の身体に残っている。


「何度も言っているが殺すな。目的は拘束だ」

「うるせえ……やられっぱなしで、いられっかよ」

「不意打ちだ。種が割れれば対処などいくらでもできる」


 アルビスは至って冷静だった。その言葉には些細な誇張も見栄も存在せず、ただ確定している事実だけを述べるような硬質な響き。


「さて、そろそろ反撃に移るぞ。死んだふりで窮地を凌ぐような弱者がああして図に乗っているのは見るに堪えん」

「……覚えてんじゃねえか、てめえ」

「そういう貴様こそな」


 アルビスは公龍を見下ろし、路上へと躍り出る。靴底が地面にばら撒かれて潰れた果実を踏んだ。


「ようやく出てきたな、アルビス・アーベント。九重はどうした?」

「打ち込んだアンプルを考えろ。あのジャンキーメガネがいくら狂っていても、特殊調合薬カクテルくらいはそこそこ効く」


 アルビスが肩を竦めると、シルバーは得意気にゲラゲラと笑った。


「虎の威を借りる狐とはまさにこのことだな。天才の力を背後につけて、あたかも自分こそが強いと勘違いをしている。常に二番手シルバー。実に似合いの名だな。女部田銀おなぶたぎん


 アルビスのあからさまな挑発。実のところ競合となるような目ぼしい解薬士の名前と顔くらいはおおよそ頭に入っている。この赤髪の男がであるわけではなかったが、狙撃銃型注射器モデル・スナイピング開発者の相棒となれば、名前くらいは思い出せる。

 シルバー改め女部田銀は、アルビスを威嚇するように特殊警棒を肩へ担いで睨みをきかせた。


「名前で呼びやがったツケはでけえぞっ! 横取りした仕事、返してもらうぜ」

「ほう。目的はそれか」


 銀が地面を蹴り、アルビスへと飛びかかる。アルビスは回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターを抜いて自らに山吹色ブラッドオレンジのアンプルを打ち込む。急速に拡張される五感が銀の動きはもちろん、周辺の状況をアルビスの脳へと流し込む。


「やはり狙撃手は感覚の範囲外か」


 アルビスは狙撃手の気配が感覚できないことを確かめつつ、片手間に銀の打撃を躱す。そのへんのチンピラの喧嘩殺法に過ぎない銀の攻撃は、たとえ目を瞑っていても回避に容易い。

 アルビスは特殊警棒の振動バイブレーションにだけは警戒しながら、銀にカウンターを見舞う。叩きこまれた縦拳が鎖骨を砕き、最低限の動作による足払いで転倒させる。振り下ろした踵落としは紙一重で転がって躱されたものの、既に逆の脚が起き上がろうとする銀の胸を打ちつける。


「だはぁっ」


 肺から空気が絞り出され、銀が血と涎とともに不甲斐ない呻き声を漏らす。

 追撃はしない。地面を無様に転がった銀と敢えて距離を取り、既に先ほどからは位置を変えたであろう狙撃手の援護射撃を誘う。

 果たしてアルビスの思惑は的中。拡張された五感の感覚範囲に五時の角度から亜音速の弾丸が飛び込んでくる。

 アルビスは上体を捻り、後ろへと倒れ込みながら宙返り。螺旋を引きながら鼻先を通過していく銅色の弾丸が視界の隅を掠めた。しかしアルビスの薄青の瞳は弾丸ではなく、それが飛来した方向へと鋭く向けられる。


「――五時の方向。距離四七〇。白馬ビルディング三階、右から二番目の窓」

『もう当たりはつけてんだよ、クソ囮が』


 アルビスが言い放つや、腕時計型端末コミュレットの指向性音声が毒づいた。

 悪魔的とも思えるアルビスの緻密かつ神速の弾道計算に、動物的としか形容しようがない公龍の直感。隠れ潜むことが鉄則の天才狙撃手は既に丸裸になっていた。


「花ァ、逃げろッ!」


 立ち上がった銀は自分たちが陥った状況を察して叫ぶ。しかし銀の腕時計型端末コミュレット呼出コールに応じる声はない。


「安心しろ。まだ命は取らない。貴様らには聞くことがある」

「くっそぉぉぉおおおおっ!」


 銀は地面を蹴り、取り落していた特殊警棒を拾う。速度を落とさずに回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターを抜き、自らの胸に空いた医薬機孔メディホールへと深緑色エバーグリーンのアンプルを打ち込んだ。

 とうとう頭に血が上ったのか、あるいはアドレナリンを過剰分泌させるアンプルの効果か、銀は無策にも真正面からアルビスへと突っ込んでくる。

 銀が特殊警棒を薙ぐ。アルビスはまだ余裕を残してそれを躱し、だがにわかに上昇した打撃の速度と鋭さに驚きを覚える。


「面白い」


 続く刺突を躱し、円を描く歩法で銀の側面へと回り込む。防御が疎かになった腹へと蹴りを叩きこみ、繰り出す掌底で頬骨を砕く。サングラスが吹き飛び銀は仰け反るが、アルビスを睨む双眸に闘志の衰えは見られない。


「花を傷つけたら殺す。絶対ぇにだ。絶対ぇに殺す!」


 さらに増していく銀の打撃の鋭さ。だがアルビスは鬼気迫る連撃を事もなげに躱し続け、カウンターを確実に見舞っていく。

 しかし、非常に興味深いことに、銀は倒れなかった。

 アルビスの打撃が効いていないわけではない。むしろ一撃で失神してもおかしくないクリーンヒットを何度も浴びている。特殊調合薬カクテルの効果というだけでは説明しきれない、凄まじい執念が銀に折れることを拒絶させているようだった。


「だがこれで終幕だ」

「ほざいてやがれっ!」


 銀が特殊警棒を振るう。アルビスは回避ではなく、銀の打撃に合わせて踏み込んだ。

 威力が乗る由先に警棒の中ほどに手刀を見舞って僅かに軌道を反らす。流麗な動きで銀の腕を取って捻り上げれば、関節が悲鳴を上げて特殊警棒が地面へと落ちた。アルビスは銀の顔面に肘打ちを浴びせ、大きく開いた懐へと潜り込む。捻り上げたままの腕を背中から肩へと担ぎ、全身のバネで銀を背負う。

 次の瞬間、銀の身体は腕一本を支点に宙を舞い、そして派手に地面へと叩きつけられた。


「がはっ!」


 銀が噴いた血が、眼前で寸止めされたアルビスの拳を汚す。

 倒れないならば倒せばいい。気力だけで立っていた銀とて、一度倒れてしまえばもう起き上がることは難しい。既にそれほどのダメージが、銀の全身には叩きこまれている。さらに投げ技の支点となった腕は肘も肩も関節が外れている。もはや動かすことは叶わず、銀がアルビスに抵抗するのは不可能。

 勝負ありだった。


「花に、何かしたら、殺すぞ……」


 だが勝負が決して尚、銀の闘志は消えていなかった。大した気骨だ、とアルビスは心中で敵ながらに賛辞を贈る。


「安心しろ。あのジャンキーメガネは、基本的に女に甘い。まして貴様の相棒が噂通りならば、必要以上に怪我をさせるようなことはしていないはずだ」


 アルビスは指向性設定を解除し、銀にも公龍との通信が聞こえるようにする。だが本来ならとっくあっていいはずの公龍からの報告は依然として聞こえてこない。


「公龍。貴様、何をして――」


 呆れ混じりに咎めようと口を開き、アルビスは言い終えるより先に銀を引っ掴んで飛び退く。一拍遅れて、降り注いだ正体不明の液体がアスファルトを一瞬にして溶解させた。


「新手か」


 呟いたアルビスが探すまでもなく、頭上から不気味な笑い声が響く。


「「イーヒヒッ、オトモダチッ、オトモダチッ、イーヒヒッ!」」


 それは崩れて半ば鉄骨の露出したビルの壁に張りついていた。

 まず目を引くのは明らかに人のものではない、いぼの浮いた灰色の四肢。いかなる原理か、各手足の四本の指は突き立てることもなく壁にぴたりと張りつき、垂直の壁で骨張った虫のような裸体を支えている。さらに身体には無数の管が皮膚を突き破って生えており、小刻みに揺れるのに合わせてひらひらと宙で踊っていた。一二〇度回転した首の先には少女の顔。しかし髪は毟り取られたように禿げ、鼻から下は皮膚がない。口の代わりには筋組織が変異したと思わしきノズルが突き出し、蛙のように膨れた喉が真紅に腫れ上がっている。削ぎ落ちた両の頬には口があり、それぞれが同時に掠れた男の声と甲高い少女の声を発していた。


「「アタシ、メルティ。メルティ=フレンドリィ。オトモダチッ、イーヒヒッ!」」


 対峙するだけで嫌悪を催し、相手を戦慄させるような異形が不愉快な声で愉快そうに名乗る。


「……女部田銀、貴様の連れか?」

「……冗談はやめろ。あんな変態に知り合いはいねえよ」

「「イーヒヒッ、イーヒヒッ!」」


 メルティと名乗る怪物が叫びながら、両目が左右別々にぐるりと回転させる。叫んだままだらしなく開いた両頬の口からはだらだらと涎が滴り、落ちた地面が煙を上げて溶ける。

 おそらく宅間のようにはいかないだろう。メルティの狂気的な風体は、人を殺すべくメルティ個人に最適化されたものなのだと、気配が物語っている。

 会話は不可能。どちらかが動き出した瞬間が、掛け値なしの殺し合いが始まる合図となる。


   †


「さっさと吐いちまったほうが楽だぜ、お嬢ちゃんよ」


 狙撃地点であるビルの三階に窓から飛び込んだ公龍は数秒とかからずに狙撃手を制圧していた。


「……残念だけど、否定ナイ。……うちらみたいな、無所属フリーは、信頼、大事。だから依頼主クライアントのこと、喋ったりは、しない」


 うつ伏せの状態で両腕と顔を抑えつけられながら、少女がぼそぼそと呟く。

 頭の左右で二つに結わいた長い髪。春も終わりだというのに首にしっかりと巻いたマフラーに、セーラー服。どうやら噂はどこまでも真実らしく、狙撃銃型注射器モデル・スナイピングを生んだ天才は本当に女子高生らしかった。


「あまり手荒なことはしたくねえんだけどな。知ってんだろ、解薬士なら好きなだけ相手に情報を吐かせる手段があることくらいよ。もう一度、聞くぞ。誰に雇われた? 目的は何だ?」

「……否定ナイ。やれば、いい。舌を噛み切る、だけ」


 アルビスは無抵抗の少女を脅しながらも内心で歯噛みをする。彼女にとって窮地であるはずなのに、眠たげに半開きの両目はぼんやりと床を眺めていたし、声の調子にも少しの動揺さえ見られない。


「大した覚悟だ。だが今頃、あの雑魚がゲロってるかもしれねえぜ? そうしたらお嬢ちゃんのせっかくの覚悟も台無しだ」

「……お兄は、大丈夫。喋ったら、うちら、用済み。うちが、殺される、可能性、あるなら、お兄は、絶対に、喋らない」

「けっ、そりゃご立派な信頼関係だな」


 おそらくこの少女から情報を聞き出すことは不可能だろう。舌を噛み切るというのも嘘やはったりではない。別に襲撃者一人が死んだところで公龍にはどうでもいいことだったが、それでも相手が女で、しかも子供である以上、多少なりとも後味が悪い。

 公龍は少し考え、切り口を変えた。


「俺らに勝てると思って仕掛けたのか? この俺を、殺せると本気で思ったか?」

「……うちの、狙撃、もらったくせに、めっちゃ、偉そ。……ウケる」

「やっぱり殺すぞ、クソガキ」


 公龍が脅し半分で少女と掴む腕に力を込める。少女はほんの一瞬、苦しそうに乏しい表情を歪めたが、やはり口を割る気配はない。


「…………んでよ、てめえは何モンだ? さっきからそこでこそこそこっち見てんの、バレてねえとでも思ったか?」


 公龍は少女の拘束をそのまま、背後でちらつくもう一つの気配に向かって話しかける。次の瞬間、隠されていた殺意が一瞬にして室内に横溢し、鈴を転がしたような笑い声が響いた。


「ウフフフ。さすがは噂に聞く男ね。本気で潜んでた私に気づけたのは、貴方が二人目よ。……いつから気付いていたのかしら?」

「最初からだ」

「どうりで隙がないわけだわ。でも、気付けないほうが良かったかもしれないわね。そうしたら楽に死ねたのに」


 横溢する殺意がその濃さを増す。公龍は反射的に少女を抱えて飛び退いて反転する。

 背後の柱にもたれかかっているのは女。袖のない白いワンピースに身を包み、麦わらの女優帽を被っている。露出する肌は薄闇のなかでも光を湛え、透き通るように――否、白く透き通っている。


「……身体、透けてる」

「廃ビルで肝試しって顔じゃぁなさそうだな。てめえ、堅気じゃねえな?」

「私の名前はジェリー=ハニー。ウフフフ……でも覚えなくていいわ。どうせもうすぐ貴方たち、死ぬんだもの」


 ジェリーと名乗った半透明の女は、悪辣な笑みで端整な顔を歪める。

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