Over Dose《Perfect Order》

やらずの

1st Act/Chaotic city, Crasy dancing

01/Silver & Blood《1》

 煌びやかなホログラムの明かりに照らされる鋼の森。

 眩く明滅し、ころりと色やかたちを転じていくホログラムはまるで都市そのものに生命の息吹きを与えるかのようだった。

 そしてそれはある意味で的を射た表現だ。

 ホログラムのほとんどは企業が用意した商品広告や精神衛生向上を意図した映像プログラムであり、それらなしでこの《東都》は成り立ち得ないからだ。

 都市は生かされている。

 かつては東京の名で知られていた大都市は、一〇年前の首都圏直下型大地震によって壊滅した。そして単に〝東側にある都市〟を意味するだけの《東都》という呼称で生まれ変わった。

 誰もこの都市をかつての名で呼ばないのは、国家との決別を表すある種の皮肉だ。大地震によって安寧を失い、二次災害として巻き起こった感染症の猛威に襲われた人々を救ったのが国家ではなかったからだ。

 それは、汚物塗れの不衛生な生活を強いられ、感染症の高熱や激痛に魘される人々の怨嗟がこだまする廃墟に現れた。感染症による死者が一〇〇万人にも届こうかというとき、独断専行でワクチンを配布し、仮設病院を敷設し、感染者の隔離と治療に尽力した企業――《リンドウ・アークス》。

 まさしく名もなき英雄たちの集まりだった。

 震災以前まで全く知られることのなかった製薬会社は復興の導き手となったことで瞬く間に成長を遂げた。そしてたった二年で世界最大の医療産業複合体となった。

 一方で国民の求心力を完全に失った国家は《先進資本都市プロジェクト》と題した計画を後付けで発表。旧東京を《リンドウ・アークス》による特別復興指定都市へと認定し、その復興と発展を二五カ年という期限付きで全て一任した。

 それがこの《東都》の生い立ち。

 医療産業複合体の企業城下町らしく、掲げられる美徳コピーは〝〟。

 まるでキリストの教えのようなそれは今や、物心ついた人なら誰でも知っているリンドウの勅命だ。そして誰に教えられるわけでもなく都市の至る所に溢れるその価値観を、疑うことなく信奉し、その実現のために邁進していく。

《東都》が一〇年という短いスパンである程度の復興を遂げたのは、こういう人の力に依るところが大きい。未曽有の苦境から逃れ、苦しみと穢れの存在しない健やかな生活を指向した人々に、《リンドウ・アークス》の動向がぴたりと重なった結果にすぎないのだ。

 しかしどんな時代のどんな場所であっても、光が強ければ強いほどそのどこかに影が落ちる。

《東都》の場合、その影の一つはまず〝廃区〟として現れる。

 ホログラムという虚飾に彩られた都市の狭間で、より濃密な暗闇が落ちる場所。薄汚れた情念と欲望に塗れ、清潔さを重んじる都市から弾かれた外縁。都市に適合できなかったものが辿り着き、あるいは送られてくる最果ての地。


 普段は人を寄せ付けない雰囲気を醸す廃区に、野次馬が集まっている。

 クラクションを鳴らすと人混みがさっと横へ広がり道を開けてくれる。徐行しながら進むと、数台のパトカーと警備無人機のライトが見える。紺色を基調にした制服に混じるスーツ姿の男女。

 ゆっくりと車が停まる。目的地に着いたことを示すナビゲーション音声が流れる。ルート及び到着時間等に不備がないことを確認すると自動的にエンジンが落ちる。

 自動運転システムを搭載している手前、自分でハンドルを握る必要もないのでシートを倒して背を預けていた男が身体を起こした。

 ほとんど白に近い銀色ホワイトシルバーの髪に切れ長の青い瞳ブルーアイズ。ギリシャ彫刻のように整った顔立ちは明らかに日本人離れしたそれ。着こなす銀灰色アッシュグレイのスーツはコーカソイド特有の白い肌によく馴染み、全体としてどこか冷たく無機的な印象を相手に与える。

 男――アルビス・アーベントはゆっくりと車から降りた。


        †


 警備無人機の認証パネルに自らの指紋とIDカードをかざして立ち入り禁止を意味するテープを潜る。入るとすぐに胡乱気な視線がアルビスに集まった。

 仕方のないことだ。

 警察の領域に、警察関係者でもなければ日本人ですらないアルビスが踏み入ってくるのだ。復興によって高まりを見せたナショナリズムを抜いたとしてもその嫌悪感の理由をアルビスは理解していたし、既に慣れ切ってしまってもいた。

 しかしそのなかで、アルビスたちの存在を相互利益の観点から必要だと理解し、そうである以上友好な協力関係を築くべきだと考える警察関係者もいる。

 制服警官からの報告を切り上げ、アルビスに歩み寄ってきた濃灰チャコールグレーのスーツを纏う彼女はそういう稀有な種類の人間の一人で、もうかれこれ二年近い付き合いになる。


「お疲れ様です。ミスター・アーベント」


 ドライで事務的な挨拶に、アルビスは応じる。冷たい印象通りの、感情の希薄な声音。


「ミス・アスカ。過剰摂取者アディクトの詳細は? 症状は所感で構わない」


 飛鳥澪あすかみお。濡れ羽のように艶やかな黒髪は前下がりのボブで几帳面に切り揃えられ、吊り目がちの双眸は鋭利な刃物のような美しさを彼女に付加する。本来ならばチャームポイントであるはずの左目尻の泣きぼくろは、画竜点睛と言わんばかりに彼女の美しさを近寄りがたいまでに完璧なものへと昇華させる。この場でなければモデルか何かと勘違いしてしまいそうな彼女は紛れもなく刑事であり、アルビスたちと警察との橋渡しを務める重要な連絡係だ。

 なぜ重要かと言えば、警察では対処不可能な案件がこの《東都》には存在するからだ。

 澪は腕時計型の多機能端末コミュレットにホログラムを表示した。指向性映像のため着用者本人にしか見えないのが普通だが、ここでは情報共有のためにアルビスにも見えるよう二人を対象とした限定公開プライベイトがなされている。


「名前は山賀秀朝やまがひでとも。四三歳男性。職業は無職。三年前までは玩具メーカーで勤務していたようですが、リストラされています」

「なるほど。典型的な転落ってところだな」

「そのようです。日頃から服用していた非認可のメタンフェタミン系の向精神薬の多量摂取によってかなりの興奮状態にあり、強い暴力衝動を示しています。既に負傷者が三名、病院へ搬送済みです。加えて目撃者の証言ですと、意味不明な言葉を叫んでいたということもあり、幻覚剤の服用も視野に入れるべきかと」


 澪の報告に頷き、アルビスは手に持っていたアタッシュケースを開く。中に収められているのは市井の病院で使われるものとは明らかに異なる、回転式拳銃を模した物騒な形状の注射器。注射器と分かるのは、銃身の尖端が銃口ではなく鋭利な針と化しているからだ。

 アルビス・アーベントは解薬士げやくし。震災以後の《東都》で急増した警察では手に余ると判断される〝特殊薬事案件/コードα〟に対処する、都市の影に生きることを生業とする執行者たち。本来であれば概ね麻薬取締官らの領分にあたるそれは《東都》の特別復興指定都市認定とともに解薬士として緩やかに民間化された。

 コードα対象被疑者――つまり過剰摂取者アディクトが被疑者である場合、警察は解薬士を前面に立てなければ逮捕や捜査を行うことができなくなる。これが《東都》に存在する、警察では対処不可能な案件。これは警察の被害を減らすための措置であり、より効率的な解決を指向した結果だ。しかし捜査や追跡の局面で、土足で領分に踏み込んでくる解薬士はあまり警察からはよく思われない。

 アルビスは回転式拳銃型注射器ピュリフィケイターのシリンダーに特殊ポリマーによってコーティングされた銃弾を装填していく。中に種々様々な効果を持つ特殊調合薬が入っているアンプルは、解薬士にのみ携行が許された武器である。


「これより処置を開始する」


 立ち上がったアルビスの前に澪が立ち塞がった。


「どうした?」

「解薬士は二人一組での職務従事が義務付けられているはずです。……あなたの相棒は、どこへ?」


 澪の指摘は真っ当で耳が痛いものだったが、アルビスはそのことを特段気に掛ける様子もない。


「いつものことだ。それに連絡はしてある。気づけばそのうち来るだろう」

「…………」


 澪は溜息を吐いた。アルビスが単独で処置を行うことで割を食うのは澪のような担当刑事なのだ。


「分かりました。では、わたしが同行します」

「一人か? 前回いた九人目の相棒はどうした?」

「いつも通り、現場に連れ回される精神的不可に耐えられず、異動願を出しました。ちなみにまだ八人目です」

「それは失礼した。奴にも、遅刻するなと言って聞かせておく」

「よろしくお願いします」


 もし言って治るようならば、もうとっくの昔に治っているだろうというのがアルビスの所感だったし、澪も少なからず同じようなことを思っているに違いなかった。


「では、解薬処置を開始しよう」


 アルビスと澪は、煌びやか都市に背を向けて漆黒が落ちる現代の伏魔殿と踏み入っていく。

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