第2話 村

 日が沈み行き、秋の日暮れは段々と暗さを増していく。新左衛門と松吉は麓の村に辿り着いた。


「新左衛門様、実はあたしはこの村の和尚とは知り合いでして。泊めて貰えるでしょうから、そちらへ行きましょか」


 村の木戸は夕刻ということもありほとんどが閉まっていたが、夕餉の匂いが微かに漂っている。途中にあった村人は、時折、商いに来る松吉とは顔見知りで腹痛に効く薬が欲しいと声をかけてきた。


「どうや?最近、変わったことはなかったか」

「そうやなぁ。あんたら峠を越えて来たんやろ?あすこに大蛇が出るいう噂があってな」

「はぁ、そいつは驚きだが生憎出会わなかったわ」

「そうか出来れば会わんのがよいわい。そうじゃそうじゃ、近々庄屋さまの家で祝言があるぞ」


 最初は侍である新左衛門に警戒している様子があったが、松吉と一緒のこともあり段々と口が軽くなっていく。


「そりゃあ、目出度いねぇ。上手くすりゃあ上手いおまんまにありつける訳だ」


 松吉が村人とにんまりと笑いあう。

その様子を黙って見ていた新左衛門だったが、何やら視線を感じて辺りをみまわすと後ろの方から歩いてくる若い男が見えた。身なりは村人と変わりは無いが細面で涼しげな目元の中々の色男であった。


「しかし、旦那。エラく臭うねぇ。肥溜めにでも落ちなすったか?ん、あの男ですかい?あれやね、今度庄屋さまの家に婿入りする惣右介でさぁ」

「はぁ、あの人が。いい男やな〜。役者でもつとまりそうや」


 新左衛門たちとすれ違いざまに惣右介は丁寧に頭を下げて通り過ぎた。左の手の甲を手ぬぐいで縛っていた。新左衛門と松吉は何処と無く違和感を覚えたが、陽も落ちて時間もなかったので急ぎ寺へと向かった。

 寺に向かう道すがら稲がたわわに実った中に案山子が数体、所々に立っていた。松吉は近くにあった案山子に目を留めた。普通、案山子は竹を十字に縛り稲わらで顔や手足を肉付けして編笠やボロをまとわすのだが、その案山子は少し違う。身につけているものは同じだが、稲わらで編んだ綱を数本絡めて竹に巻きつかせて巻貝のように螺旋状にしてあった。また弓や竹槍を持ったものあり、松吉は奇妙な案山子に首を捻るのだった。


 寺男が用意してくれた水で体や足を洗い汚れを落とすと、和尚のいる御堂に通された。


「よくいらっしゃった。すぐに夕餉の用意を致します」


  そう言うと和尚は一度、席を外した。しばらくして膳が運ばれてきた。


「新左衛門様、実は気になることがございまして」

「ほう奇遇だな俺もだ」


 暖かい菜の入った味噌汁に口をつけ、漬物を齧り麦飯をかきこむ。一息ついてから茶釜から湯を茶碗に注ぎ飲むと腹が温まってくる。


「先ほどの惣右介という男やけれど、私たちにえらく感心の無い様子でしたな」

「ウム、もう少し珍しい旅人に興味を示してもおかしくはないが」

「それに微かにあの臭いがしとりました」


 あの男から峠で黒蛇にぶつけた臭い玉の臭いが微かに漂っていたというのだ。新左衛門は自分が臭っていたので気がつかなかったようだ。


「なるほどそれにあの男、あんな時間に村の外から歩いてきたようだった。」

「妙やねぇ。手を見ましたか?手ぬぐいに血が滲んどるようにみえましたよ」

「……」


 それが何を意味するのか?新左衛門も松吉もある考えが頭をよぎったが、その突飛な考えをなかなか口にすることができない。二人が悩んでいると和尚が寺男を伴い御堂に戻ってきた。寺男が膳を下げていく。新左衛門は和尚に礼を改めて述べると、


「御坊にお聞きしたいことがございまして」

「ほう、なんでしょうかな?」

「長者の娘と祝言を挙げるという惣右介という男のことでして」

「惣右介がどうかしましたか」

「和尚さま、あの男はこの村のもんやあらへんね」

「確かに惣右介は他所から来た。なんでも亀山の方の百姓の三男らしい」


 亀山とは今の京都府亀岡市である。三男である惣右介には引き継ぐ田畠もないので、戦働きで身を立てようと明智光秀や長岡藤孝の軍で雑兵になったのだという。どうやら一昨年の一色家との合戦にも参加していたらしい。その後も一色家残党狩りに参加していたが、返り討ちに遭い掛けてこの村の側で行き倒れていたのだという。それが今から一年少し前であった。


「全く、天下は落ちつかんものじゃ。武家は下剋上で争いおうて、下々のもんばかりが苦労する。あ、いや、お侍さまの前で言うことではありませんでしたな」


 和尚が頭を下げようとすると新左衛門は手で制した。


「全く持って御坊の言う通りだ。俺は剣術で身を立てようとする身、言い訳は出来ん」

「潔いお方じゃな。惣右介じゃが機転の効く男でしてな、読み書き算術も出来るので長者の伊兵衛は大層気に入っておる」

「ははぁ、それで娘を嫁にと」


 百姓の三男が何処で読み書き算術を覚えたのか、と新左衛門は疑問に思ったが寺の坊主から手習いを受けたのかも知れないし、あるいは豪農の三男であるかも知れない。


「御坊、話しは変わるが峠の大蛇のことはご存知か?」

「そういえば最近、村人がそんなことを申しておりましたな。どうかいたしましたか」

「和尚様、信じて頂けるかどうか……」


 松吉は何時もの饒舌さとは裏腹に訥々と和尚に峠で遭遇した大蛇について語った。ただ惣右介に関しては確証もないので触れなかった。和尚は話しを聞き終わると顔をしかめて唸った。


「そのような事がございましたか。しかし、どうしたものか。明日、伊兵衛に相談してみましょう。お二人とも疲れでしょう。今日のところはお休み下さい」


 和尚がお堂を去ると松吉はすぐに布団に潜り込み眠りだした。寝つきの良い男だと新左衛門は笑みを浮かべた。しばらくその場に座して灯りの炎を見つめていたが、徐に立ち上がると音を立てずにお堂を出た。


 月は中天にかかっている。遠くから蛙の鳴き声が響き、また蝉の声が夜の闇を満たしている。月明かりの中、寺の裏手に回る。山際に開けた場所があり、新左衛門はその場で刀を抜いて緩やかに構える。日課となっている鍛錬であり一心不乱に剣を振るつもりであったが、今日は没頭出来ない。心中にあるのは黒い大蛇と対峙したときのこと。


 あの時、俺は迷うた。迷うた分、剣が曇った。幼き日から刀を握り、今日まで兵法、一筋に生きてきたはずだった。それを妖を前に疑うた。つまりは自分の二十数年を否定したに同じではないか。

師から手向けられた言葉が頭に蘇る。


兵法においては仏に逢うては仏を殺し、師に逢うては師を殺す


 新左衛門はこれを戦いの場で躊躇するな、という心構えだと捉えていた。だとすれば、相手が大蛇であろうと迷いなく断ち切るべきなのだ。自分の未熟さを実感して渋面になる。次はあの妖を断つと新左衛門は心に決めた。この眼に映るものば斬れぬ筈は無し。


 そのとき月が雲に隠れ、月明かりが断たれた。闇が濃さを増した瞬間であった。何かが飛来する音、新左衛門は横に転がりながら背後に反転する。地に突き刺さった矢を視認する間もなく、次の風切り音がする。視界が暗すぎる。新左衛門はさらに身体を転がして膝立ちになった。天が味方したのか、次の矢が放たれる寸前に月を覆っていた雲が晴れた。寺のお堂に脇の松の木の根元に射手らしき影が見えた。放たれた矢を躱しながら射手に向かい走る。しかし、間合いが遠すぎる。新左衛門は懐に入れていた小刀を投げつけた。見事に小刀は曲者の胸に吸い込まれたかに見えたが、矢を放つ手を止めただけで倒れるようでもない。

 直後、新左衛門は目を疑った。影はふわりと空高く浮き上がり、松の枝に着地したのだ。その高さおよそ七尺(約2m120㎝)、信じられぬ跳躍であった。そのまま影はお堂の屋根に飛び移り、新左衛門が建物を走って迂回したが何処にも姿は見えなかった。


「馬鹿な。あれも妖の類いか。しかし、俺たちを狙うのは何故だ?」


 刀を収めた新左衛門は独りごちながら、危機感を強めた。それからお堂に入ると松吉が高いびきをかいて寝ているのを見て、新左衛門は苦笑した。


 翌朝早く、新左衛門があの松の根元を調べると小さな丸い跡が地面に残っていた。


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