第3話 渡り巫女

 新左衛門が奇妙な影に襲われた夜のこと。村の百姓、五助の四男坊で9歳になる亀太郎は夜中にふと目を覚ました。小便に行きたくなったのだ。


「あんちゃん、新太あんちゃん。おら小便いきてぇ」


 しかし、新太はウンウンと唸るばかりで返事もしてくれない。他の兄弟も同じだ。終いには揺する手を払いのけられ、仕方なく亀太郎は一人で用足しにでた。月明かりはあるが、暗く虫の声ばかりが聞こえる。家の横手の木陰で小便をするのが手っ取り早いので、おっかなびっくり薄暗い中を歩く。最近、この辺りでは大蛇が出て人を襲うらしい。亀太郎ぐらいの子供は丸呑みだ、と兄たちに散々驚かされたのを思い出して足早になる。小便が終わる頃には何もなかったので、ホッとしていた。さっさと帰ろうとしたとき村の道の北側、庄屋様の家がある方角に灯りが浮かんでいた。


な、なんじゃろう。オバアの怖い話に出てくる鬼火じゃろうか。


 手足が震えて動いてくれない。鬼火は段々と近づいてくる。このまま家に入ろうとすると鉢合わせになってしまう。亀太郎はきょろきょろと辺りを見回してから、後ろの木陰とその辺りの草叢を見つめた。ちょうど子供一人ならあの草叢に隠れられるだろう。急がないと、と足をもつれさせながらも草叢に滑りこんで伏せる。普段から小便はこの辺りで用足しするので、ひどく臭う。それでも妖に遭うより幾らもましだ。鼻をつまみ我慢する。妖が気づかず行くことを祈りながら、ぎゅっと目を閉じた。虫の声や自分の息遣い、心の臓の打つ音までが大きく聞こえる。やがて亀太郎は鬼火の立てる足音に気づいた。鬼火が足音とは変だが亀太郎にはそこまで考える余裕がない。それはなんと亀太郎が隠れる草叢のそばで足を止めたようだった。息が詰まり、小さな心の臓がさらに大きく跳ねた。


「……帰ってきたか。で、首尾はどうだったのだ?」


 一人ではない。誰かと話し始めたのだ。そこに来て亀太郎は少し落ち着いていた。聞き覚えのある声だと感じた。怖さを押しのけて子供らしい好奇心が顔をだす。


「やはり一体では不意をついても駄目か。で、やはりあの刀はそうなのか?あの侍たち……。ん?その小刀は……ほぅ……」


 声の主を確かめようとそぅっ、と顔を出す。少し、少しばかり顔をだせば見えるはずだ。鬼火と思ったのは単なる提灯の灯りであった。その灯りに照らされたのは……ほっかむりをした男だ。ここからでは顔は見えない。だが亀太郎が何より目を奪われたのは、


あれは……なんであんなもんがあそこに立っているんじゃ?あれは

案山子でねぇか。


 蓑笠をつけてボロをまとった一本足の案山子が男の前で、提灯の灯りに照らされていた。ボロから突き出した手の先が何故か二股に別れていて、先端がチロチロと動く。それは二匹の蛇が絡み合い舌を出しているのであった。その爛々と赤く輝く蛇の目を見た亀太郎は驚きの余り、身体を震わせた。ガサリ、と草の擦れる音が響いた。途端にほっかむりをした男がぐるりと首を回してこちらに目を向けた。蛇と同じく赤く輝く瞳が亀太郎を見据え、突き出された舌の先は二股に裂けていた。


シャー!と威嚇する鋭い鳴き声が恐ろしく亀太郎は意識を手放した。


◇◆◇◆◇◆◇


 豊穣に実った稲穂が黄金こがねの海のように風に波打っている。その上を秋津が飛ぶ様はなんと豊かで美しい風景か。もうじきに稲刈りをするのだろう。峠を越えて集落に近づくと少女は足を止めた。白衣の巫女装束に首飾りには鈴がついている。紺色の風呂敷に四角い箱を包んで背負い、風呂敷の紺地に白い模様が二本斜めに交差していた。また肩には弓を掛けている。少女の名前は木蓮、俗に言う渡り巫女である。背中に負った外法箱と呼ばれる箱には信仰する神がおわす。木蓮の肌は透き通るように白くひどく痩せている。まだ幼さが残るが目鼻立ちの整った美しい顔をしている。しかし右の目に包帯を巻いていて、そればかりが目立つ。それから彼女の後ろから悠然とした足取りで付き従うのは雄狼のハヤチである。


「ハヤチ、あなたはこの辺りの山にいて。ここからは一人で行くから」


 木蓮はハヤチのそばに屈むと優しく白い毛を撫でた。狼はしばらく名残り押しそうにぐるぐると、その場で回っていたがやがて山に姿を消した。しかし渡り巫女とはいえ女の一人旅には物騒な時代である。通常は数名で連れだって諸国を歩くものだが、木蓮という少女には何か事情があるのだろう。


 村に入ると木蓮は巫女の口ききなさらんか、と幾つかの家をまわった。渡り巫女は祈祷や口寄せや春をひさぐ者もいるが木蓮は違う。主に外法箱の神に除災増福を祈ったり梓弓の弦を鳴らし邪気を払う鳴弦を行っている。鳴弦意外にも柏手や鈴の音などが邪気や魔を退けるとされている。これは音の振動と神に何らかの関係があるのかもしれない。また弓の弦が鳴る音を聞けば、誰もが矢が放たれたさまを想像するから逃げるという意味があるのではないだろうか。


 話が逸れたが三軒目の家で年老いた病人がおり、木蓮は祈祷を頼まれた。外法箱に祝詞を唱え、病魔を払い家の除災増福を祈った。謝礼に僅かばかりの食料を受け取った。村内を歩いていた木蓮は田の側で足を止めた。稲穂を守るために沢山の案山子が立てられていたが、木蓮の顔は曇った。通りすがりに農作業をする女に案山子のことを尋ねると、惣右介という他所から移ってきた男が作り始めたらしい。変わった作りだが、その案山子に変えてから鳥獣による作物の被害が出なくなったそうだ。だが木蓮からすると不吉な造形をしていた。あれは蛇が絡みあった姿だ。木蓮は自分が追い続ける存在の気配を確かに感じ取っていた。


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