第8話


 佐野誠・18歳は、完全にこの世から消滅した。

 俺・浅野真琴は、いったいどうすればいいのだろう?


 運命に甘んじて、姫子の玩具として家のぬいぐるみや人形に混じって日々を過ごすか……。


「姫子、そんなのやーですぅ。マコ姉さまのばかぁぁぁ!」


 レースのハンカチで涙を拭き、ピンクのバケツの中で絞ると、じゃーっとあふれんばかりである。

 たった今、悪魔さんカードでスピード違反のマイナス20点の報告が届いたところだった。


「でも、俺は帰るところも無いし……」


 それどころではない。たぶん、姫子の魔力を受けなかったら、マネキンはマネキンのままだろう。魂は維持できない。


「いっそのこと、そうしちゃいましょう! そうしたら、マコ姉さまの無駄遣いに悩まされることもないですもの!」


「おーまいがーっ!」


 また失言。

 姫子のご機嫌は最悪になった。


 なんせ、このマシュマロみたいな女の子。実は悪魔なのだ。神様は天敵である。

 こういう時は、背中に花を背負って目に星を煌かせて、瞬きしなければならない。


「姫子ちゃんとあたしの仲じゃないぃ? お願い! そんな冷たいこと、言わないでぇ……」


 吐き出しそうなくらい甘い言葉も、かなり様になってきた。

 しかも、砂糖入りの緑茶も飲めるようになったのだ。俺の適応力は、われながらすごい。


「うん。いいけれど……これ以上姫子を不幸にしないでくれるぅ?」


 これが悪魔の言葉とは思えない。




 姫子の部屋は、ありふれたアパートの二階にある。しかし、一歩踏み込むと、ちっとも普通ではない。

 少女趣味をそのまま部屋にしたようなレースフリフリの世界。ぬいぐるみとお人形の数々なのである。

 しかも、なぜかアパートの下の電信柱には……。


「公太のヤツ、本当に真琴を見張っているぜ」


 俺はうんざりため息をついた。

 親友に殺人者扱いを受けることになろうとは。


「あらん? 愛の尾行かもーん!」


 姫子は、絶対に何か間違っている。


「それはそうと! 俺を人間に戻す方法はもうないのか?」


「あ、そういえば、こんなの知っています? 人形が人間になったお話」


 大真面目に、姫子は言い出した。

 俺は身を乗り出した。

 そんな話が本当にあるのか?


「昔々、木から作られたお人形の男の子が、いたずらっ子だったんだけれど、改心していいことをして人間になったの……」


「それはピノッキオだろ!」


 俺は頭にきた。

 実話ではなく、創作だ。


「で、俺も善行を繰り返すと人間に戻れるとでも言うのかよ!」


「うううんっ!」


 最悪である。


「でもねぇ、心近しい仲ならば、体を乗っ取るって方法があるんですよぉ」


「どういうことだ?」


 姫子は、今度も大真面目な顔をした。

 だが、油断はならない。コイツの話の90%はくだらないのだ。


「自分の身近にいて、年齢もだいたい同じくらいで、よく知っているもの同士ならば、相手が死んだときに乗り移れるってことです」


「俺の年齢で、そう簡単に死ぬかよ!」


「殺せばいいんですぅ」


 俺は、思わずぶっ飛んだ。

 かわいい顔して、なぜ、姫子はそんなことを言えるんだ? と思ったが、そこはやはり悪魔だからなのだろう。

 姫子は、にっこりと笑って、窓辺のほうに歩み寄った。


「ほら、たとえば矢野公太君!」


「よせよ!」


 俺は慌てて姫子の前に立ちふさがると、カーテンを閉めた。

 姫子は目をぱちくりしたかと思うと、今度は今までに見たことがないほどいやらしい目をしてみせた。


「ふ、ふーんっ。やっぱりそうなんですよねぇー」


「そんなんじゃない!」


 なぜか顔が熱くなってしまった。

 だいたい、何で俺が野郎と怪しい関係にならなきゃいかんのだ!

 姫子も、最近流行りの腐女子タイプなのに違いない。


「まぁ、矢野君の場合、ちょっと隙がないから無理だとおもいますけれどねぇ……」


 ニコニコ笑って姫子は言った。



 俺が体を乗っ取れる人物は三人。


 ひとりは矢野公太。

 しかし、彼は、俺を疑って掛かっている。とても殺人のチャンスはない。


 ひとりは平松一成。

 アイツが姫子を好きになったのが、すべての悪夢の始まりだった。

 姫子に下心を持つ平松を殺すのは、おそらく誰よりも簡単なことだろう。

 だが……。


「嫌だ! あんなオタクのヘンな男になるくらいなら、死んだほうがましだ!」


「そうなりますと……残りは堀井和夫君ですねぇ……」


 筋肉オタクの堀井も、それほど望ましいわけではない。しかし、不細工なわけでもないから、ちょっと磨きをかければいい男になるだろう。


「よし! 堀井だ!」


 俺は手を打った。

 考えてみると、堀井は不幸な男だ。

 俺に好きな女を奪われて、今度は体を奪われようとしている。堀井は、きっとそういう星の下に生まれついているに違いない。


「うわーい! では、さっそく実行しましょうねぇえ」


 うれしそうな姫子は、まるで天使のようだ。俺は、なんだか薄ら寒くなった。

 おそらくこの望みをかなえれば、かなりのポイントを稼げるのだろう。


 殺人は、確かに悪いことだと思う。

 だが、考えてもみてくれ。

 姫子のような悪魔っ子をこの世に残しておくことこそ、本当の悪だと思わないか? 姫子のポイントに協力して、早く地獄へ送り返すことこそ、公共の幸せだと思わないか?

 皆の平和のために、堀井は生贄になってもらうしかない。


 さらば、堀井。

 人類のために。


 俺は、姫子に見られないように、影に隠れて十字を切った。

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