第7話


 俺は泣いた。


 前向きで、この世にはいいことしかないと信じていたのに。

 この世には、悪魔もいて悪いこともあるって、死んでから初めて知ったのだ。


 俺は、窯の蓋にすがって泣き崩れた。

 ほんの少し冷たい床にぬくもりを感じるのは、俺の体が燃えている熱のせいなのかも知れない。

 俺は、今、この瞬間、灰になっていく。

 せっかく、いい男だったのに。誰ももったいないとは思わないのかよ!

 世界中に向けて叫びたい。


 もう俺は人間じゃない。

 マネキンの体でとりあえず魂だけはある人形なのだ。

 悪魔っ子・姫子の、玩具のひとつでしかない。


 佐野誠・享年18歳。

 残されたのは、ハーフ美女の体を持つ人形・浅野真琴だった。



 そんな俺の肩に、そっと置かれた手があった。

 見上げると、母さんだった。

 やつれた顔をしていたが、微笑みさえもたたえていた。


「あの……お名前も存じませんで申し訳ございませんが、生前は、誠がお世話になりまして……」


 俺は立ち上がって涙を拭いた。

 母さんは、当然真琴を知るはずがない。誠の生前は、真琴は存在していないのだから。だから、失礼なんかではない。


「私は……浅野真琴と申します。どうも取り乱してしまいまして……」


 ペコリと頭を下げた。なんだかヘンな気持ちだ。


「いいえ、いいんです。誠は、幸せな子だったと思いますよ。あなたや森川さんに、そこまで愛されていたと思うと……」


 耐え切れなくなったのか、母さんは白いハンカチで目頭を押さえた。


「お……母さん……」


 俺は思わず母さんの肩に手を乗せた。それしかできなかった。

 そして、これが母さんを呼ぶ最後の言葉になるんだなぁ……と思ったら、妙に悲しくなった。


「浅野さん、せっかく来てくださったのですから、あなたもどうぞ。最後まで、誠の側にいてやってくださいな」


 母さんはまるで天使のような顔で誘ってくれた。

 でも、誰が自分の骨拾いなどしたいと思うだろうか? 俺は遠慮することにした。


「ごめんなさい。私、誠君の死を、まだ認めたくないんです」



 そうだ。まだ、認められない。

 こんなことがあってたまるか……。


 俺はひとり、火葬場を後にした。振り向くと、青空に白い煙が立ち上っている。 あれは、誠だ。誠の体が灰になった証拠だ。

 気を取り直してスクーターのエンジンをかける。とにかく、戻って……姫子に聞いてみよう。

 もう、誠に戻る方法はないのか? と。

 なさそうだが、そうでもしないと気が狂いそうだ。人形に気持ちがあれば、の話だが。



 家の物置にスクーターを戻すと、待っていたのは姫子ではなかった。


「いったいおまえは何者なんだよ?」


 矢野公太。

 俺・誠の親友。幼馴染のヘンな男だ。

 180センチオーバーの長身でがっしりした体つきをしているくせに、趣味は生け花という変わり者。彼女いない歴18年の、俺からは信じられない人種だった。

 だが、幼馴染ということもあって、彼女がいないときはだいたいコイツとつるんでいることが多かった。

 いいヤツだとは思うけれど、それは誠時代の感想である。真琴になったとたん、どうもコイツは印象が変わってしまった。


「しつこいわね? あなた。私は真琴。誠の友人」


「俺は、おまえを知らない」


 そんなに親友の俺の交友関係が気になっていたのかよ。公太。


「私は、あなたをよーく知っているわよ。矢野公太君。誠はね、私には秘密のひとつも持たなかったの。それだけ深い関係だったってこと」


 矢野の眉が歪んだ。

 男の目で見るのと女の……いや、マネキンの目で見るのとは、人の印象は本当に違う。


「勝手にスクーターを乗り回すのも、誠は承知なのか?」


「誠の机の中に何があるかも、2週間前にあなたに「彼女作ったら?」とアドバイスしたのも承知よ」


 挑発するつもりはなかったが、俺だって気がめいっている。こんな時に尋問じみたことは嫌いだ。しかも、もう誠は死んだというのに。

 そのとたん、突然矢野は俺の首に手を当てた。目が尋常じゃない。俺は息が詰まりそうになった。

 矢野の顔が、妙に近くに見える。


「俺は、信じない」


「し、信じないって何をよ!」


「誠が溺死したとは思えない」


 それは、的を射ている。

 さすが、親友だけあるが、まさか今、首を絞めている本人が誠の真琴とは気が付くはずもないだろう。


「そ、それってどういうこと?」


 矢野は、俺の首を強く押さえつけながら言った。


「あんな川で死ぬなんて、どう考えてもありえない。誠は殺されたんだ!」


 思わず絶句。

 コイツ、ミステリーの読みすぎじゃないか?


「まままままさか!」


「いや、アイツは女癖が悪かったから、けっこう敵が多かった。酒に目薬か何かを入れて悪酔いさせ、弱ったところを襲えば……女だって、やれるだろう?」


 矢野の手に力が入る。

 まさか、コイツ。真琴を疑っているんじゃないだろうな?

 と、思ったら、正解だった。


「おまえが、誠を殺したんだろう!」


 なんでそんなに短絡的な脳ミソなんだ!

矢野公太! おまえそれでも成績優秀なんだろう?冷静になれよ!


 ……と、怒鳴ったところで、ミステリアスな女・真琴の言葉じゃ聞いてもらえそうにない。

 これで、佐野誠についで浅野真琴の人生……じゃなかった人形生も終わりか? と思ったところだった。


「マコ姉さま、お帰り! あ、きゃあああ! お取り込み中?」


 黒猫のぬいぐるみをふりふり、姫子が現れた。が、彼女は何を勘違いしたのか、真っ赤になって叫び出した。


「ごめーん! 姫子、ちゅっちゅが済むまでここでまってまーすぅ」


 待たなくていいって、それより俺を助けろ!


 しかし、矢野は姫子の登場に正気に戻ってくれたのか、手を緩めた。とはいえ『佐野誠殺人事件』については、確信があるらしい。


「今日のところは見逃してやるが、いつか必ず尻尾を掴んでやるからな!」


 脅し文句ひとつ、去っていく。

 ほ。とりあえず命拾いした。姫子に感謝だ。


「あら? 遠慮しちゃったの? 別にいいのにぃ……」


 姫子ときたら、勘違いのままである。にまにまにまにま笑い続けている。

 猫の耳を裂きそうなくらいの勢いで引っ張っているのは、ヘンな想像をして喜んでいるからに違いない。


 案の定——。


「矢野公太君って、なんだかマコ姉さまとお似合いな感じですねぇ」


 ばかやろー! そんな趣味はない。

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