第6話
俺が解放されたとき、誠の亡骸はすでに火葬場へと向かっていた。
俺は、ほこり立つ中、呆然と霊柩車を見送っていた。
——俺、佐野誠18歳。
魂のみをマネキンに残して、火葬場の灰となる……
なんて、冗談じゃない!
やっと、猫からぬいぐるみを取り戻した姫子が、平然として隣に戻ってきた。
「あれぇ? マコ姉さま。誠君に戻らなかったんですかぁ?」
うううう。
この悪魔っ子の頭を思いっきり蹴っ飛ばしてやりたい。
だいたい、花が趣味の矢野に、どうして俺を押さえつけておける力があるのか不思議だった。確かに、矢野は誠よりもずっと体が大きかったけれど、取っ組み合いしても互角だったのに。
……そうか。
背の高さはさほど変わらないけれど、真琴は誠ほど強くはないんだ。
しかし、そんなことで落ち込んでいる暇はない。
霊柩車を追いかけて、どうにか焼かれてしまうまえに、誠に口づけして呪文を唱えないと、本当に人生が終わってしまう。
頭を悩ました結果、俺は自宅に向かって走り出した。
物置にこっそり入ると、高校時代に使っていたスクーターを出してみる。運転免許を取ってからは、オヤジの車ばかりに乗っていたから使っていなかった。
バッテリーが心配だったし、残ったガソリンが足りるのかも心配だったが、どうにか3回でエンジンが掛かった。
「姫子!おまえはそこにいろ!」
うろうろしている姫子に、俺は怒鳴った。スクーターじゃあ、とても二人乗りはできない。
「えーぇ? マコ姉さま、どこへ行くんですかぁ?」
「焼き場に決まっているだろ! 俺は諦めが悪いんだ!」
そういい残すと、俺は一気にスクーターを走らせた。
「安全運転で行ってきてくださぁーい!」
ぬいぐるみの猫の手を振っている姫子の姿が、バックミラーに写っていた。
真っ赤なスクーターは、足をそろえて乗るタイプ。けしてカッコいいとはいえないが、乗っている俺はかなり目立ったと思う。
『溶解人間ボラ』のコスプレの長いスカートで、翻る裏地は紫だ。しかも金髪のノーメットである。
時々、カツラが飛ぶのでは? と心配になって頭に手をやったが、かなり頭に根付いたらしく、ずれることはあっても落ちることはなかった。
誠の死亡現場である川辺を走り、田んぼ横の細道をメーターを振り切って走り、商店街をも走る抜ける。
誠時代に歩いた街だが、誰も金髪・ハーフ美女・真琴のことなど知らない。信号で止まった時に、まわりの人の目が気になった。
ついでに。
「はい、そこのお嬢さん。右によって止まってください」
しまった。パトカーだ。
瞬間、信号が青になる。俺は、当然無視して走り出した。
バックミラーに回転灯を回したパトカーの姿が写った。
50CCスクーターとパトカー。どう考えても逃げ切れるはずがない。しかし、俺は逃げるしか方法がなかった。
俺は今、免許証を持っていない。
元々、浅野真琴という女性はいないし、佐野誠ならば、もうカンオケの中だ。
しかも、一刻を争っている。
急がなければ、誠は灰になってしまうのだ。
パトカーのサイレンが俺を焦らせる。チラチラと写る回転灯は、ますます近くなる。
俺は、とても車が入れなさそうな細道に入った。遠回りになるけれど、つかまるよりはまだましだ。
ガタガタ揺れる石の道に、何度も転倒しそうになる。こういう道に、なぜ人はバケツとか片方の長靴とか、置いておくのだろう? 長靴を踏みつけ、バケツを吹っ飛ばしながらも、俺は走り続けた。
大きな道に出てほっとしたのもつかの間、パトカーがぐるりと回って姿を現した。さすが、このあたりの地理に詳しいらしく、出てくる場所のめどをつけていたのだろう。
再びターンして小路に入る。
最後の手段だ。人様の庭まで突っ切って、ガーデニングしているバーさんの目を丸くさせて、塀の影に隠れながらスクーターを進めてゆく。
そして……やっとパトカーをまいた。
が、ほっとなんかしてはいられない。もう、時間がない。
俺は、やっと広い道路に出て、渋滞している車の間をぬうようにして走った。これぐらい混雑していると、もしかしたら霊柩車を追い抜かしたかもしれないと、少しほくそ笑みながら。
やっと火葬場に付いた。
俺は、スクーターを留めて、そびえたつ煙突を見上げた。そこから上がっている煙が、誠の物でないと祈りながら。
駐車場に見覚えのある霊柩車が止まっていた。ちょうど、そこから母さんが降りてきたところだった。
間に合った!
俺は、駆け寄ろうとした。
が……。
「はい、お嬢さん。やっと止まってくれましたねぇ」
嫌な声だった。いつの間にか、パトカーに追いつかれていた。
俺は、血の気がさっと引いた。いや、マネキンに血が通っているとしたならば……だが。
「いくら綺麗なお嬢さんだったとしても、パトカーの忠告は無視するし、30キロオーバーは見逃せないね。免許証をだして」
まさか、ないとはいえない。俺は困り果ててしまった。
そうしている間にも、霊柩車からカンオケが出され、火葬場に運び込まれようとしている。
「え? どうしたの? 免許証。まさか、口が聞けないの?」
口? ああそれだ!
俺は、思いっきりとぼけた。
「オー! アタシ、ニホンゴ、ヨクワカリマセーン!」
金髪が効を奏して騙されてくれれば儲けものなのだが。
「え?お嬢さん、外国人?」
おまわりさんは、一瞬困った顔をした。これは上手く行くかも? と思ったが、もう一人のおまわりさんがいきなり英語で切り替えした。
「ライセンス・プリーズ!」
あまりにも簡単な英語だが、ネイティブを気取るには、俺は英語力がなさ過ぎる。困り果てたら、おまわりさんも困ったらしい。
「キャン・ユー・スピーク・イングリッシュ?」
あ、そうか!
英語圏でない国を装えばいいのだ。
「オーノー! アタシ、ニホンゴ、ハナセマセーン!」
おまわりさんは顔を見合わせた。
「おい。どうもおまえの英語は日本語と区別が付いていないみたいだぞ?」
「まさか? もしかしたら、フランス人なんじゃないのか?」
それだ!
俺は、フランス人になることにした。
「ぼんじゅーる・むっしゅー」
「ほら、やっぱりフランス人だ。おまえ、フランス語は話せるのか?」
「まさか!」
しめしめである。
「マドモワゼル。あなた、違反。違反、わかる? わかるね?」
「おーわかりませーん!」
問答は長く続いた。
このままがんばれば、諦めてくれるかもしれない……と思ったそのとき。俺は焦った。
いつの間にか、霊柩車から降りた人々に姿は、火葬場の奥に吸い込まれていて、跡形もなく消えていたからだ。
「お嬢さん、免許書。わかる?」
俺は、すっかり気もそぞろになり、ポシェットの中から何か適当に取り出しておまわりさんに渡した。
チラチラとガラス越しに見えるホールにたむろする人々の姿が気になった。最後のお経が読まれているに違いない。
「はい、じゃあ、お嬢さん。悪魔さんカードから点数を引いておいたからね。帰りは違反しないように」
おまわりさんは、やっと去っていった。
俺は、走った。
火葬場に飛び込んだ。
もうそこには、知っている顔はない。おそらく、待合室に入ってしまったのだろう。黒い服の集団は、俺の知らない人たちばかりだった。
金色の髪を振り乱す俺を、驚いた顔で見つめている。それを恥らいでいる場合ではない。
御影石や大理石で作られた壁や床は、死人にふさわしい冷たさを感じる。俺のブーツのピンヒールが、コツコツと嫌な音を立てた。
俺は、たくさん並んでいる窯の看板を確かめて歩いた。もうすでに、綺麗に焼きあがって骨拾いしている人々に、知っている顔がないか確かめた。
まだ、大丈夫……と思いはじめていたとき、『佐野誠仏』と書かれた看板を見つけた。
これだ! と思って駆け寄ったが……。
カンオケは、もうそこにはなかった。窯の奥に入れられていて、なかったのだ。
「あ、お嬢さん。焼き上がりまでには、あと1時間ほど掛かりますよ」
火葬場の担当者らしき人が親切に教えてくれた。
——焼き上がり時間なんて知りたくなんかネェ! パンじゃあるまいし!
俺は、心の底から叫んだ。俺に、心があれば……の話だが。
俺・佐野誠は、永遠に葬られたのだ。
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