第5話
葬儀の主役は俺。
佐野誠18歳。大学生。
本当の俺は、今、白い菊の下のカンオケの中にいる。
が、別の俺は——元マネキン人形——ここにいる。
俺の横で目を覚ました姫子が、持ってきた黒猫のぬいぐるみで遊び始めた。
確かに奪い取ったと思ったのに、ちゃっかりどこに隠していんだよ!
時々、俺にちょっかい出すのは止めてほしい。
特に髪を引っ張るのは……。
カツラがずれるだろ?
母さんや父さん、妹があんなに辛そうなのに、俺はけろっとしている。
それは……たぶん、悲しむことじゃなく……俺は戻れるっていう確証があるからだ。
そう、心を無くしつつあるわけじゃない。
俺は、マネキン人形なんかじゃない。人間だ。
チャンスはわずか。
最後の別れで、カンオケの中に花を捧げるときに、例の呪文を唱えながら、誠に口づけすればいいのだ。
その瞬間に、俺の魂は誠の体に戻ることができる。
司法解剖されたうえに、口と鼻の中に綿が詰められている誠の体は、とても生き返られる状態ではないはずなのだが、そこは、マネキンでさえも魂を移すことができる姫子の魔力で切り抜ける。姫子のなすことは信じられないが、俺とおさらばしたいのは間違いないから。
俺には、何の心配もなかった。
この時、俺には悪魔の心情しか考えがなかった。
だから、俺を筆頭に人間の心情なんて、全く理解していなかったのだ。
泣いている森川のことなんか、てんで頭になかった。気になっていたとしたら、矢野のヤツがずっと俺を見つめているくらいのことで。
誠に真琴という女がいたことが、そんなに気になっているのかな?
確かに、俺は矢野にはガキの頃からなんでも打ち明けてきたが、女じゃあるまいし、秘密ってものも多少はあったぞ?
それは、もちろん、真琴のことではないけれど。
見つめられすぎて緊張する。
人々がそれぞれに花を捧げてゆく。
俺の前に森川が泣きながら花を添えた。俺は、カンオケに近づきながらも、台詞をもう一度口の中で唱えた。
「汝と我はひとつの身である……」
大丈夫だ。忘れてはいない。
その時、すれ違った森川の足がぴたりと止まったことに、俺はまだ気が付いていなかった。どのような顔をしていたのかも、見ていなかった。
俺は、花を添えようとして白木のカンオケに手をかけて、誠の顔を覗き込んだ。
——とたん。
信じられないほどの痛みが、俺の胸を襲った。
たった一つの言葉だけが、体中を駆け巡って動けなくなってしまった。
——俺。俺は……。
死んだんだ!
真白に塗られた顔には、血の気が全くない。頬がわざとらしく赤く塗られている。溺死だけあって、男前の顔もむくみが残っていてけしてきれいじゃない。
間違いない。
俺は死んだんだ!
ガラス玉の瞳から、涙が滝のように流れ出た。
「ま……まこと……」
唇からは、例の言葉が出ない。
自分の死が、こんなに辛いものだとは、死体を見るまで気が付かなかった。
「おい……大丈夫か?」
そう声を掛けたのは、矢野だった。俺の次に花を捧げるつもりだったのだろう、すぐ後ろにいた。
その声で、辛うじて俺は正気に戻った。
そうだ、生き返るチャンスは今しかない。今、この時を逃したら、俺はずっとマネキンのままだ。
俺は、身を乗り出して誠の唇に唇を近づけた。
触れた頬があまりにも冷たくて、俺の声も震えた。涙が、ぽつりぽつりと、その頬に落ちた。
「汝と我はひとつの身である」
そして、口づけ……を……。
「いやーあああぁぁぁ!」
突然の甲高い悲鳴。
俺の唇は、誠の唇わずか1センチ5ミリのところで押しとめられてしまった。
その声の主は、森川だった。
いきなり、俺を押しのけたかと思うと、頬に平手打ち。ぎっと睨む目には、狂気に満ちたものが浮かんでいる。
平凡な女・森川の、信じられないような行為。
まさに、最後に今までの
「ななななななんで、あなたと誠が身一つなのよ! 誠は、わわわわ私の恋人だったのよ!」
森川は、よく聞き取れない言葉をわめいたかと思うと、今度は誠の亡骸に取り付いてワンワン泣き出した。
「誠! お願い! 目を覚まして! 生き返って! 私をこんな気持ちのまま、置いていかないでよ!」
……生き返るから、そこどいてくれ。
俺は、慌てて森川を引っ張った。
でも、それはますます彼女を興奮させることになってしまい、さらに、蹴るわ、叩くわの大騒動に発展してしまった。
興奮する森川を掘井が押さえ込み、連れて行った。さすが、黒帯だけある。ばたばた暴れる彼女を羽交い絞めに近い状態で押さえこんだ。
森川がいなくなってチャンス到来だと思いきや、俺も誰かに押さえ込まれた。
「は、放してよ! ちょっと、何すんのよ!」
どうも俺は、興奮すると女声になるらしい。
俺を押さえ込んだのは矢野だった。
「やめろよ。悲しむのは自由だが、葬式の席だ。無礼にもほどがあるだろ?」
「何を言っているのよ! 葬式なんかクソ食らえよ! 誠は死んでなんかいない! 生き返るんだから! 私が誠なんだから!」
必死になって訴えたが、まわりの誰もが気の毒がって俺を見ていた。
「かわいそうにねぇ……」
というおばさま達の声に、俺はついにプッツン切れた。
「かわいそうじゃない! 私は誠なんだから! 一身同体なんだから! あなたたち、誠をこのまま殺す気なの!」
必死に怒鳴ったが、怒鳴れば怒鳴るほど、俺は悲しみで頭が混乱していると判断されてしまったようだ。
姫子! 頼りは姫子のみだ。
どこにいる?
「汝と我はひとつの身である……姫子! 助けて!」
矢野に引っ張られて、葬式会場の部屋を出た時、黒猫のぬいぐるみをくわえた猫と、それを追いかける魔女っ子・姫子の姿が見えた。
「ひめこおおおおお!」
という俺の叫び声は、虚しく無視された。
「あたしの猫ちゃーーーーん」
という姫子の声だけが、絶望とともに戻ってきた。
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