第4話


「これが……喪服?」


 俺はおもむろに嫌な声を出した。

 これは間違いなく往年のアニメ番組『溶解人間・ボラ』のコスプレである。

 マントを外せば何とかなるかも知れないが、翻ったスカートの裏地が紫っていうところが気になる。


「これしか黒がなかったんですもん」


 姫子の格好を見ても、げんなり。

 俺の葬式に参列するのに、魔女の格好はないだろう? しかも黒猫のぬいぐるみなんか抱くな!




 俺、佐野誠。今日が人生の分かれ道。

 真琴となった俺は、誠に口移しで魂を返さなければならない。

 その時唱えるべき呪文も覚えた。


「汝と我はひとつの身である」


 別に難しい台詞ではない。

 嫌がる姫子から猫を取り上げて、俺たちは葬式に向かった。



 俺の家の一帯は、まだかすかに田舎の風情が残ってる。

 自分の家の前に仁王立ちすると、俺は大きく息をついた。

 まるでこの家は、18年間俺を育んだとも思えないほど、異質な空気を漂わせている。

 やや喪服としては長すぎるスカートとブーツだが、スタイル抜群の俺の格好は、さほどおかしくはないだろう。

 姫子は……まぁ、許してやってくれ。

 葬儀場となる近所の集会所に向かい、受付に名前を書こうとすると、誰かの視線をかすかに感じた。

 受付をしていた森川である。

 葬式用の地味な化粧。普段からあまり派手な化粧はしないが、喪服は森川を老けさせる。


「あ、あなたは……」


 あの暗がりの庭で俺の顔を覚えていたとは、よほど印象深かったのか。まぁ、かなり怪しい女だったからな。


「先日は失礼」


 俺の顔もこわばったかもしれない。精一杯取り繕う。


「あー!この人、誠君の彼女でしょ?」


 その場を破壊する姫子の声。俺は思わず姫子をひっぱたいていた。


「あ、いったーい! もー、マコ姉さまって凶暴!」


 森川の顔が、俺の行動を見てびくついた。

 俺はあわててその場を後にした。

 寝顔さえ見たことのある女なのに、女の目から見るとなんだか変な感じだ。あんなに怖い女だったのか?

 背中に刺すような森川の視線を感じた。



 会場に入ると、何人かの男の視線が、俺を捕らえた。

 はじめてみる女に、みんな驚いているようだが、俺は全員よく知っている。当たり前だよな。


 一番最初に俺を見たのは、幼馴染で隣に住んでいる矢野公太。

 頭脳明晰・運動神経抜群・顔もまぁまぁなんだけれど、なぜか趣味が生け花という奇妙なヤツだ。俺と同じ行動をしていれば、かなりもてると思うのだが、女の影はまったくないヘンな男。


 次は堀井和夫。筋肉馬鹿な男で柔道黒帯。単純・お人よしだから、俺に女を取られるんだよ。


 それと平松一成。背の低いちょこまかした男でちょっとオタク系。俺じゃなくて姫子を見ている。


 ……思い出した。


 あの合コンの夜、平松も俺と一緒にいた。あいつが最初に姫子がいいと言い出したんだ。俺はつい、対抗意識を燃やしてしまって、たいした好みじゃなかったのに姫子についていって……。


 そうだよ、すべての元凶は平松だ。


「い、いやぁ、君。えーっと姫子ちゃんだったよね?」


 平松はなれなれしく姫子に話しかけてきた。

 葬儀のときにナンパするな! このばか。

 ぎっと睨んでいる俺の視線に危険を感じたのか、平松はへらへらした。


「えっと……君はなにこちゃんだったっけ?」


 男の目で見るのと女の目で見るのは、ずいぶんと友人も雰囲気が違うものだ。


「浅野真琴です。誠さんとは古くからの友達で……」


「古くから?」


 突然、矢野が話に入ってきた。


 俺は少しびくついた。

 矢野の視線は、どこか鋭いものがあって、見透かされるような感じがする。

 それにしても……コイツ、こんなにきつい顔していたか?


「俺は誠とはガキの頃から隣同士で仲がよかったけれど、初めて会うな」


「は、はじめまして」


 あわてて挨拶。


 視線そのまま、軽く頭を下げただけで、矢野は向こうへ行ってしまった。

 あいつはこんなに疑いぶかい男だったのか? そばにいすぎて気が付かなかった。

 これじゃ、女にもてなくても仕方がない。



 お焼香のために前に出る。遺影の写真。


「いい写真ね」

「誠君、ハンサムだからねぇ。本当にさわやかな笑顔で……」


 親戚のおばちゃんたちが勝手に褒めちぎる。

 この写真は昨年の夏に海辺で撮ったものだ。


「はいチーズ!」


 そういってカメラを構えた女の子の胸の谷間から、ちらっと見えたので、ついデレッとしてしまったのが、この写真である。

 もっと二の線の写真にしてくれればよかったのに……。


「よりによって、この時の写真ねぇ」


 俺はつぶやいた。


「あの……この時のって、誠君とは、一緒の高校とかだったのですか?」


 ぎくり。


 いつの間にか、隣に森川さとみがいた。


 何気なさを装っているが、目が不安げだ。

 どうやら森川は、真琴と誠の仲を疑っているようだ。


 無理もない。


 俺は結構女遍歴があったし、過去にいた女のことは、森川もずいぶん気にしていた。

 この笑顔(本当はにやけ顔というべきなのだが)で、海辺のビーチにともにいた女性がハーフの入ったブロンド美女ときては、森川も気が穏やかではないのだろう。

 それに、俺が森川を彼女として大事にしていたのは、付き合って2週間ぐらい。あとは結構けむたがったし。

 森川が泣きながら別れ話を持ち出すのに、あと1ヶ月かなぁ? などと読んでいた。

 気持ちがさめたからって、俺は自分から別れ話をもちだして、女を泣かせるようなまねはしない。向こうが嫌だというまでは、根気よく付き合ってやる優しい男だ。

 森川はずっとピリピリしていて、なんだか女の嫌なところを俺に見せ付けていたわけ。


 ——勝手な誤解はさせておけ。


「彼とは古い付き合いなのよ」


 当たり前だ。産まれてからずっと、俺は誠だったのだから。

 みるみる森川の表情が暗くなってゆく。

 死んでしまったと思っている男の過去でそんなに落ち込まなくてもいいだろうに。


「おい、お坊さんがもうすぐ来るぞ」


 そう声をかけたのは堀井。

 彼は俺を一睨みして、森川の腕をとった。


 森川と堀井。お似合いかもしれない。


 そう考えて、俺は思わず舌を出した。

 俺が手さえ出さなければ、堀井は森川と付き合っていたはず。



 坊さんのお経の間、姫子はコクコク寝てしまい、俺は必死に眠気を我慢していた。


 ——しかし。


 俺の感情はどうしてしまったんだろう?

 母さんや父さんが悲しみに沈み、妹が目をはらしているというのに他人事のように感じている。

 もっと俺も取り乱すかと思っていたのに。

 自分の平常心が気持ち悪く思える。


 これは……俺の葬式……だよな?


 ——ズキッ!


 突然心臓が苦しくなった。冷や汗がでる。


「……姫子!」


 声をかけたが、姫子は船をこいでいる。鼻ちょうちんまで作り、起きそうにない。

 心臓? マネキンに心臓はあっただろうか?

 が、これは心臓が苦しいというやつだ。



 俺はあわてて立ち上がり、こっそりとトイレにたった。


 ——恐怖。


 俺は、もしかしてマネキンになりかけているのか? 

 マネキンの体は、日に日に人間のそれになりつつある。

 でも、心は? 日に日に人形になりつつあるのではないだろうか?

 俺の心は、プラスチックになっている?


「大丈夫だ。今日でこの体ともお別れなんだから……」


 俺は胸を押さえつつ、ふっと息を漏らした。



 間違えて男用に入りそうになる。

 女用のトイレに入るのは、なんだか勇気が必要だ。

 戸口の前で躊躇する。


「……だから……よかったんだよ、あんなヤツ」


 ひそひそと女の声が、木製の引き戸の向こうから聞こえてくる。

 俺は壁によりかかったまま、盗み聞きした。

 声の主は、森川の親友の八木雅代。泣き声は森川だ。

 俺の死に気が動転して泣くなんて、少しはかわいいところがある……と思ったのは一瞬だった。


「誠なんて誠意のない男、死んでよかったのよ。さとみのためにはね。だから元気だしなさいよ!」


 なんだと?


 俺は思わず握りこぶしを作っていた。

 言われても、それは当然のことをしてきたとは思う。森川に対しては。

 だが、八木には言われたくはない。彼女は俺と森川が付き合っていると知りつつも、横入りして俺を誘惑していた女なのだから。

 そういう危険な関係は好きだから、それなりに流してはいたが、根本的には八木は嫌いだった。

 だから森川にかこつけて思いっきりふった。


 その腹いせが、この態度なのか!


「あの男ね、今だから言うけれどさとみと付き合っていながら、私にも言い寄ってきたんだから。もちろん、私、さとみのことが好きだし、あいつは好みじゃなかったから、相手にしなかったけれど」


 聞けば聞くほど腹が立つ。


 思わず戸をいきおいよく開ける。

 二人は一気に静かになった。森川はあわてて泣き顔を見られないように伏せるし、八木はそれをかばうように身を寄せる。


 ——美しい友情というところか。


 俺は二人すれすれの所をわざと通り、一番近くのトイレに入った。

 二人は話ができずにいる。小さな声で何か言いかけたとき、わざとに水を流して邪魔をした。

 二人にとっては、さぞや居心地の悪い待ち時間だっただろう。

 俺は悠々とトイレから出てくると、今度は二人から一番近い蛇口で手を念入りに洗った。

 二人の気まずそうな感じが、鏡に写ってよく見える。


「死人に鞭打つまねなんておよしなさいよ。もっとも……」


 俺は手を洗いながら、独り言のように二人に忠告した。


「誠は死んでなんかいないの。今の言葉、忘れないわ。八木雅代さん」


 おおお!

 自分で言いながらも、まるでこれはドラマの一場面で見たような展開などと思ってしまう。

 八木雅代の顔が、みるみる青くなる。オカルトチック・ミステリーの始まりだ。


「ど、どうして? あなた私の名前を?」


 俺はモデルのようにターンを打って振り向いた。


「あら、だって……。私と誠は以心伝心・一身同体の仲なんですもの。あなたたちのことなんか、全部知っているわよ? ねぇ、森川さとみさん、この人と仲良くするのはいいけれど、性格悪いことだけは覚えておいたほうがいいわよ。誠はこの人の果敢なアタックには、ほとほと疲れていたんだから」


 今度は森川が目をぱちくりさせた。


「あなたは! あなたは誠の何なのよ!」


 

 高らかに笑ってトイレを後にする。

 まったくの不思議な事件に、呆然立ちすくむ二人の様子が、ひしひしと感じられる。


 ああ快感!


 謎をばら撒く神秘の女・真琴。

 おかげで胸の痛みもすっきりした。


「汝と我はひとつの身であるぅー!」


 俺は上機嫌になって、呪文の言葉をふしをつけて唱えてみた。

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